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第四十話 本日は聖日祭なり


「……では、行ってくる」


 翌朝、一足先に出立するジークを、フィオナ達は見送った。


 東の空に朝焼けが広がる。この時間に起きているのは、同じく王都に向かうヴァンとフィオナと、彼らを見送ろうというウィルだけだ。


 赤、ピンク、黄色、白、オレンジ――庭先の花壇には、ラウが丹精に育てた春の花が色とりどりに咲き誇っている。

 ウィルに、その一つ一つの花の名前を教えてもらっていると、ヴァンが出発間際のジークに念を押した。


「今日は、王国近衛隊の指揮下につくのだろう。昨日レナードに従っていた2人の騎士は、恐らく奴が近衛隊に組み込んだ親衛隊の人間だ。彼らは王子の護衛が主な役割だから、お前が関わることはないとは思うが、顔が割れている。くれぐれも注意して行動しろ」

「ああ」


 当日は、国王を初めとする王族や、高位聖職者など高貴な身分の人間がパレードに参加し、その後の式典で春の訪れを祝い、その年の豊作を祈る。


 ジークは、彼らを乗せた馬車が行進する経路の安全確保のため、市民から募った臨時の増員警備として、王都に向かう。

 わざわざ祝日に遠出をして働くことに関して聞くと、返ってきたのは「いい機会だから」の一言だった。


 彼ははしばしば、ジェードを駆って一人遠方へ足を運ぶらしい。

「ジークの趣味はジェードに乗ること」と勝手に言っているのはリッドとカミュだが、あながち間違ってもいないかもしれない。


 対するヴァンは、クンツァイトのような立派な馬を所有しながら、あまり遠出をすることはない。

 大抵、その日のうちに戻ってこられる距離しか移動しない理由は、ウィルを心配してのことだろう、と予想はついた。


「行ってらっしゃい、気を付けるんだよ?」


 ウィルの笑顔に見送られて、ヴァンとフィオナもイアルンヴィズの森を発つ。



 オルフェンから王都ファザーンまでは、クンツァイトを走らせて3時間ほどの旅路だった。


 あまり飛ばさないように気を付けてくれたらしいが、それでも慣れない馬上でかなり神経を使い、王都に近づく頃にはふらふらになっていた。


 都が近くなるにつれ街道が合流し、道行く旅人の数が増えた。


 皆、一様に同じ方向に流れていく。


 やがて白い城壁が見え、いよいよ間近に迫る頃には、フィオナはその大きさに呆気にとられた。



 ――アルファザード王国最大の都市、王都ファザーンは、統一ディーア帝国の旧帝都イスカピアを起源とする歴史ある都だ。


 王国中南部に位置するファザーンは、王城を中心に放射線状に12本の大通りが走り、上空から見ると完璧な正円の城壁に囲まれた美しい都市である、らしい。


 らしいというのは、フィオナ自身文献でそう読んだだけで、実際に上空から見たことがあるわけではないからだ。


 旧帝都イスカピア時代には3つあった城壁は、百年前に、統一帝国崩壊の象徴としてすべて破壊された。

 うち二つは再建されず、今は一番外側となる城壁のみが、完璧な姿で再現されている。



 巨大なアーチ門を前に、クンツァイトの歩幅がさらに狭まる。人の流れが滞りだしたのでそれに合わせてのものだったが、ゆっくりと移動する馬上から、フィオナはこれ幸いと見物した。


 見上げれば首が痛くなるような高い城壁には、気が遠くなるような数の彫刻が掘られいる。

 さらに高い位置からは、街を守るように天使や神話の神々の像が見下ろしていた。


 石造りの門の両脇には、赤い軍服に身を包んだ王立騎士団の兵士が、槍を手に直立している。

 クンツァイトが通り過ぎるとき、さすがに彼らも少し目を見張った。だが、すぐに無表情に戻り、他の入都者に目を光らせる。


 そんな彼らの横をドキドキしながら通り過ぎるが、呼び止められることもなく、フィオナはほっと胸をなで下ろした。


 もとより、他国の王女の顔を知っている騎士などほんの一握りで、フィオナ自身外国に出ることなどなかったので、心配する必要はあまりない。

 それに、ほとんどの者はクンツァイトの威容に釘付けで、馬上の人間にまでは目がいっていない。


 門をくぐると、その先に広がる光景に、フィオナは感嘆の声を漏らした。


「わー……」


 大通りの両脇に、石造りの重厚な建物が、訪問者を圧倒するように建ち並ぶ。

 いずれも七、八階はありそうな高層建築で、それらが整然と出迎える様子は、いかにも高潔で、美しい。


 ここで驚くべきなのは、今フィオナたちがいる場所は、都の最果てであるということだ。

 普通、都は城壁に近くなるにつれ一般市民の居住区となり、それに合わせて街並みも凡庸になるものだが、ここファザーンは、門をくぐった瞬間に都の中心部に飛び込んできたかのような錯覚を覚える。


 目の前に広がる完璧に整備された石畳の大通りは、広場といった方が正しいような幅を備えていた。


 地平線の先まで続くかと思わせるその直線を目で追うと、丘の上に――というか、それそのものが丘であるかのように、白亜の城が聳えている。


 その圧倒的な景観を彩るように、昼の空に花火が打ち上がる。


 現在、アルファザード国王が住まうこの居城は、今は亡き帝都イスカピアが置かれていたときからその場所にあった。


 元は、街の中央に位置する丘の上に建てられた城であったが、長い歴史の中で増改築が繰り返され、丘そのものを飲み込むように拡大し、今日の偉観を誇るようになったらしい。


 ここからでは見ることは出来ないが、丘をぐるりと取り囲むように水堀が巡らされており、このように晴れた日には、鏡面のように城の偉観を映し出しているはずだ。


 ――というのは書物の受け売りではあるが、実際に目の当たりにする威容は、紙の上で見る想像の産物を遙かに凌駕する。


 その芸術的な街並みは、確かに、王者の威厳に満ちていた。


「ファザーンの城壁には十二の門があるが、ここ南門が最も正式な入口であるとされている。ここから見るファザーンは『王の都』として計算され尽くした造形をしている。訪れる者に感銘を与え、大国アルファザードの威光を知らしめるためのものだ」


 ヴァンは淡々と解説し、この南北と東西に走る四つの通りが一番大きく、パレードはこの道をメインに行進するのだと教えてくれた。


 南の門から入る道を、栄光のディーア(エル=ディアーナ)通りというらしい。


 大通りはすでに交通規制が始まっており、2人は一本道を逸れ、馬を止めた。






 栄光のディーア(エル=ディアーナ)通りを外れても、道は人でごった返していた。道幅が狭くなった分、逆に人口密度が高くなり、フィオナはヴァンから離れないように歩くので精一杯だった。


「城の近くには貴族の屋敷が多い。顔を知っている人間がいるかもしれないから、あまり近づかない方がいいだろう」


 ヴァンの言葉に頷く――が、馬に酔ったのか、人に酔ったのか、眩暈のような気持ちの悪さが襲い、フィオナは頭を押さえた。

 その様子に、ヴァンが立ち止まり、フィオナを見下ろす。


「顔色が悪いな。少し休むか」


 少し探せば、道脇に置かれた長椅子があった。フィオナが端に座り、ヴァンがその前に立つ。


 一息ついたところで、フィオナは周囲の奇妙な視線に気付いた。

 相変わらず、通りは絶え間なく人が流れている。が、どうも通り過ぎ際にじろじろと見られているような気がする。


(何だろう?)

「…………」


 だが、フィオナの前に立つヴァンが見渡すと、皆慌てて目を逸らした。


「少し、待っていろ」


 短く言いおいて、ヴァンが早足でその場を離れた。すぐ向かいの露店で、何かを買っている。

 さっさと戻ってきたヴァンの手には、布のようなものがあった。


「これを羽織っておけ」


 ふわり、と頭からかけられたのは、スヴィドの成人女性が被っているような頭巾(ヒジヤブ)だった。

 藍色の染め布で顔を隠され、フィオナが見上げると、ヴァンが眉間に皺を寄せて見下ろしていた。いつもと同じ顔、と言えばその通りだ。


「お前は目立ちすぎる」

「そうですか……?」

「自覚がないなら多くは口にしないが」


 素っ気なくそう言うと、その通り黙ってしまった。彼が無愛想なのもいつも通りだが、どうも機嫌が悪いように見えるのは気のせいだろうか。


 言われた通りに布を被り、体力が回復したところで散策を開始する。フィオナは人混みではぐれないよう、ヴァンのすぐ後をついて歩いた。


 パレードの行進が通るまでは特に目的地があるわけではないので、2人はゆっくりと祭日の市井を見て回っていた。


 エル=ディアーナ通りこそ、格式高い建築が建ち並び、訪れた旅人を圧倒したが、一つ角を曲がれば、そこには多くの市民が住まう、賑やかな町並みが広がっている。


 そこかしこに誇らしげに掲げられた国旗には、白い剣と赤い薔薇があしらわれている。


 華麗で荘厳な、アルファザードの紋章だ。


 平民が住む区画でありながら、街の外観は美しく整備されていた。だが、そこに住む者たちの生活の匂いまでもが消されるわけではない。

 喧噪や笑い声、呼び込みといった種々の声が飛び交う合間に、各所で唄や楽器演奏が聞こえ、いよいよその日のめでたさを肌で感じられた。


 建物と建物の間に渡された無数の旗は、鮮やかな色彩のアーケードのように頭上に垂れ下がり、通りの賑やかさに彩りを加えている。


 クリーム色の壁に、三角屋根の民家が並ぶ通りを歩いていると、緑の桟が鮮やかな窓を全開にし、3階から身を乗り出す男性がいた。

 頭にカラフルな装飾のされた角を生やし、祝いと観光客への歓迎の言葉を叫びながら、抱えたカゴから色鮮やかな花吹雪を舞い散らせている。


 その道化のような様子を、向かいの家の窓から中年女性にからかわれ、言い返す道化男。通りを挟んだユーモア溢れる口喧嘩は、道行く人々の笑いを誘った。

 その下では、商魂たくましい少年が首から棚を下げ、彼らの会話を拾い上げながら土産物を売っている。

 近所の家から飛び出してきた少女が、落ちてくる花びらを拾い出し、通りすがりの若い男女がそれを少し手伝って、笑顔と会話が生まれる。


 ファザーンの民は明るく華やかで、活力に満ちていた。


「賑やかですね」


 オルフェンとは比べものにならない。道の両脇を埋める露店の間を、すれ違うだけで肩がぶつかりそうな数の人が流れている。


 フィオナの母国のパレードでも大勢の市民が集まるが、まず都の規模も人口も段違いで、これだけの人間が一つの町に集まっているのかと思うと唖然とするばかりだ。


 聖日祭とは、アースガルダ大陸において、四季により変化する昼と夜の長さが完全に等しくなるといわれる日をさす。


 一年の始まりであり、正式な春の訪れを知らせるその日は、暦上では3月21日にあたる。


 一年を12の月で区切る暦の読み方は、暗黒時代以前から使われている最も一般的な暦だ。

 1月1日は元日であり、暦上の一年の開始を示すが、森と湖に囲まれ、自然の恵みによって生かされてきた内陸部の民にとっては、春の訪れを知らせる3月21日の方が重要性が高い。


 つまり、一年で一番大事な日ということだ。


 この日は、各国が都で盛大にパレードを催し、地方からも人が集まる。


 路商や旅一座を冷やかしながら2人が歩いていると、急に、周囲の空気に異変が生じた。


 どこかから、いよいよパレードが始まったという声が聞こえる。

 ざわめきの種類が変わり、人並みが一定の方向に流れ出した。

 フィオナたちも、それに混じり大通りを目指す。


 エル=ディアーナ通りに出たところで、フィオナは目を見張った。途方もない数の人頭で、視界が埋め尽くされている。

 広場並みの道幅を誇る通りも、今は人がごった返し、もはや前すら見えぬほどだった。


「まだのようだな」


 頭一つ分、人集りから飛び出ているヴァンが通りを見渡して呟いた。


 思ったよりも長く待つことになった。その間にも徐々に人波に押される形で前の方に押し出され、ようやく、人の合間から石畳が見えるようになる。


 すると、リズミカルな低音が地面から響くように伝わり、やがて、はっきりとした太鼓の音となって近づいてきた。


 金管楽器の壮大な演奏が耳に届く頃には、先頭を征くカラーガードが掲げる国旗が視界に入った。国旗、軍旗、そして聖旗を掲げる3人の旗手を護るように、白い軍服に身を包んだ騎兵が両端を固める。


 その後ろを楽隊と華やかなバトントワラー、踊り子が続く。身の丈を越える鮮やかな布を振りながら、笑顔を振りまく彼女たちの艶やかさを引き締めるように、純白の隊服の軍人が一糸乱れぬ動きで隊列を組み、武器を手に行進する。


「全員、白の軍服なんですね」


 軍事強国でもあるアルファザードでは、王国近衛隊と王立騎士団の2種類の軍が存在しているということは、フィオナも知っている。


 中でも、王国近衛隊は国王直下の精鋭組織だ。


 白と金の隊服は、アルファザード王国近衛隊の正装であり、洗練された動きで美しい行進を魅せる彼らが、全員近衛隊に所属する騎士であることを表していた。


「あの人達も行進しているんでしょうか?」


 先日、レナードと共に訪れた2人の騎士も、同じ隊服を着ていた。


「聖日祭の行進は、アルファザードでは伝統的に第一連隊の役目だ。奴ら特別親衛隊は近衛隊でも末席にあたる。どうせレナードのワガママに振り回されて奔走していることだろう」


 簡潔で分かりやすい説明に、なるほど、と頷く。


 ヴァンは、大陸諸国の情報に精通している。


 彼の横顔を見上げると、その眼光は鋭く、隊列を組む近衛隊を睨みつけていた。

 パレードを楽しんでいるというよりは、真剣に何かを観察しているようで、隙がない。


「立派なものだな。あの森に住んでから3年になるが、俺もわざわざ見に来たのは初めてだ」


 呟いた声には、言葉通りの感嘆はない。


「ヴァン、楽しくないですか?」

「そういうわけではない。何故だ?」

「あまり、楽しくなさそうなので」


 フィオナの言葉に、ヴァンが困惑したように、僅かに眉を下げる。


「気にするな、もともとこういう顔だ」


 そういう意味ではなく、もっと違う理由でヴァンの様子が気になり、じっと見上げる。

 その視線から、ごまかしは聞かないと悟ったのか、ヴァンは淡々と説明した。


「諸外国の文明水準をこの目で見極めるのは、俺にとって有益なことだ。わざわざアルファザードの王都に好んでくることなどないが、せっかくの機会だから視察していた」


 そこで言葉を切り、ヴァンがわずかに口角を上げた。笑うというよりは、自嘲するような表情だった。


「だが、お前と来たというのに、退屈をさせてしまったな」

「退屈だなんて……私は、せっかくなのでヴァンにも楽しんで欲しいと思っただけです。でも、確かに私も、ただ観光気分で浮かれているわけにはいかないですね」


 そもそもヴァンは、フィオナの身の振り方の判断材料になるという理由で、王都に連れてきてくれたのだ。

 油断のないヴァンの言葉に気を引き締められ、フィオナは自省した。


「いいんだ。俺も、たまには息を抜けと言われているしな」


 ウィルに、という主語が頭から抜けていたが、聞くまでもなく理解する。


 彼の思考は、いつだってウィルを中心に回っている。


 それはまるで、兄弟というよりも、主君と騎士の関係に近い忠誠心だと感じた。


 王族の兄弟とはそういうものなのかもしれない、とも一瞬思ったが、フィオナにとって代表的な王子兄弟である双子の弟ユーリは、兄ジークを立てる気などさらさらなさそうである。

 彼らは、どちらも第二王子、第三王子という立場だからかもしれないが。


「こんな風に、もっと色んな国を見て回れたらいいのに」

「祭の華やかさでいえば、西大陸ではアルファザードが随一だろう。ここを初めに見た後では、他が物足りなく映るかもしれないぞ」

「そっか、やっぱりここは特別なんですね」

「後、規模が大きいところといえばサン=フレイア王国とシュヴァルト帝国だが……この2国は観光には向いていない。そういう意味で、見識を深めるにはアルファザードを見物するのが最適だろう」


 聖日祭は、各国の君主を置く都でパレードが催される。

 中でも、3大国家である北西の島国サン=フレイア王国、東の大帝国シュヴァルト帝国、そして西大陸中北部を支配するアルファザード王国の王都で執り行われる祭は、華やかさ、規模共に抜きんでている。


 だが、昨今著しい軍備増強を背景に、西大陸に対して圧力をかけているシュヴァルト帝国と、長き時に渡り大陸への不干渉を貫く孤高の大国サン=フレイア王国は、ヴァンの言葉通り、西大陸の人間が赴くには適さない。


 ワァァァ! ――と、突然歓声が沸き起こり、波のように押し寄せる。


 振り返り、大通りの先を注視すると、楽曲に混じり、涼しげな鈴の音が聞こえてきた。

 規則的なその音も、通りを埋め尽くす行進曲の一部となり、やがてそれは華やかな騎馬隊列に姿を変えた。


 紅い薔薇と鈴を身に飾り、馬頭飾りを額に垂らした白馬が連なる。見事なたてがみを編み込んだ騎馬を繰り、歩を合わせ行進するのは、白服の騎士たちだ。

 絢爛な12頭の白馬に引かれ、ゆっくりと移動する華馬車――というよりは、巨大な移動舞台(フロート)の上には、煌びやかな盛装に身を包んだ――


「キャァァァッ!」


 王子の姿を視界に入れる前に、突然耳をつんざいた黄色い悲鳴に、フィオナは思わず耳をふさいだ。


「きゃーっ白薔薇の君よーっ!」


 どっと人が押しかけ、フィオナは危うく通路整備のために張られたロープから身を乗り出しそうになった。


「レナード様ぁぁっ!」


 後ろからヴァンに肩を支えられ、持ちこたえるが、移動舞台(フロート)が近づくにつれ騒ぎが大きくなっていく。そう思っているうちに、視界は割り込んできた見物客に占領され、何が何だか分からなくなる。


「レナード様ー! こっち向いてぇぇっ!」

「ああっなんてお美しいの!」

「おいっ女が倒れたぞ! 誰か担架を!」

「またかっ!!」


 何やら恐ろしいことになっている。


 あの移動舞台(フロート)の上に第一王子が立っているのは間違いないのだろうが、押し合う女性達にもみくちゃにされ、見学する余裕などなかった。


(く、苦しい……)

「フィオナ! 俺から離れるな」


 圧死するのではないかという人混みの中で、ヴァンの腕にしがみつき、辛うじてその場に踏みとどまっていたフィオナは、急に支えにしていた腕を解かれ、代わりにその胸に抱き込まれた。


「出られそうにないな。少し我慢しろ」

「は、はい……」


 片腕で正面から抱かれ、人波から守られる。長身のヴァンは周囲の様子が見えているらしく、首を巡らし苦い顔をした。


「大丈夫か」

(ち、近い……)


 耳元で囁く低音に頷きながら、フィオナは自分が置かれている状況に、顔が熱くなった。


 こんなに男の人に密着したのは、生まれて初めてだ。

 人波に押され、身長差のせいで胸に顔を押しつける形になる。


(うそ……鼓動が聞こえる)


 変に神経が研ぎ澄まされ、相手の心臓が脈打つ感覚すら、肌を通して伝わってくるようだった。


 落ち着いた心音。

 ヴァンらしい、力強い鼓動に集中してしまい、外の音が遠くなった。


 逆に、自分の心拍数ばかりが上がっているのが聞こえそうで、フィオナは恥ずかしくなった。


(大丈夫、きっと気にしてないはず……)


 これは、フィオナを人ごみから守ってくれているだけだ。


 そう思うと、自分だけが変に意識しているような気がして、フィオナは気持ちを落ち着けようと意識を外に向ける努力をするが、上手くいかなかった。








「平気か?」

「は、はい……」


 レナード王子が……というか、正確にはその追っかけ軍団が通り過ぎ、一気にあたりの人口密度が減った。

 その後に国王、王妃、高位聖職者を乗せた馬車が通るのだが、その時点ですっかり人酔いしてしまったフィオナは、大通りを離れ、少し落ち着いた店の並ぶ道に入った。


 まだパレードが続いているからか、露店が並んでいたお祭り騒ぎの通りに比べると、人通りも落ち着いている。

 屋外にテーブルを出しているカフェのイスに座り、フィオナはパラソルの下で身体を休めた。


 ようやく人心地ついた気がして、大きく息を吐く。


 結局、ほとんどレナードを見ることは出来なかったのだが、彼が国民から熱い支持を受けていることは身をもって体感できた。


「少しは楽になるだろう」


 そう言って彼が差し出してくれたのは、淡いピンク色の液体が入ったグラスで、縁にカッティングされた果実が差しこまれ、明るい色の花が添えられたジュースだった。


 彼が選んだにしては可愛らしい飲みものに、思わずじっと観察してから、正面に立つヴァンを見上げる。


「……ヴァンでもこういうの買うんですね」


 ゴホン、と咳をしてヴァンが視線を逸らす。


「お前はこういうのが好きかと思った」

「はっ、わ、そうですよねっ! すみませんっ」


 まだ少し頭がぼうっとしているらしい。少し考えれば分かることを聞いてしまい、即座に反省して謝る。


「好きです。ありがとうございます」

「そうか」


 短く答え、正面の席に座るヴァン。


 なんとなく気まずい沈黙が流れ、フィオナは目の前のグラスの中身をぐいと飲み込んだ。冷たく甘い液体が喉を通り、心地よい潤いに満たされる。


「……体調が回復したら、少し歩くか」

「は、はいっ!」


 沈黙に慣れかけた頃に投げかけられた言葉に、フィオナは背筋を伸ばして答えた。


 その様子に、ヴァンが小さく息を吐く。


 何か、気に障ることでもしただろうか。フィオナが首を傾げたとき、通りから女性の悲鳴が聞こた。

 あたりがどよめき、乱暴な男の叫び声が続いた。


「喧嘩か?」


 ヴァンが上体を捻り様子を見る。フィオナも首を伸ばして騒ぎを伺おうとするが、ここからでは何が起こっているのか分からない。

 立ち上がり、騒ぎの方に一歩を踏み出そうとしたヴァンが、フィオナを振り返った。


「お前はもう少しここに座っていろ」

「誰か! ひったくりよ!!」


 女性の金切り声が聞こえ、自然と人波が割ける。


「退け退けぇッ!」


 見るとナイフを片手に振り回して周囲を威嚇する男が、ざわめきながら遠巻きにする花道を疾走していた。


「おい」


 迷いなく、彼の進行方向へと向かったヴァンが、すれ違おうとする男の肩を掴んだ。


「何しやが……っ」


 当然、激昂した男がナイフを持った方の腕を振り上げ、ヴァンの顔めがけて振り下ろす――が、その刃が標的に届く前に、男の身体が地面から浮き、次の瞬間には地に伏していた。


「聖なる祝いの日に悪事を働くとは、いい度胸だ」


 投げ飛ばされ、強かに背中と後頭部を打ちつけた男は、完全に意識を飛ばしているらしい。

 物言わぬ小悪党には目もくれず、ヴァンは遠巻きに彼らを取り囲む野次馬を睥睨した。


「衛兵はどうした!?」


 騒ぎに一番に駆けつけるべき衛兵の姿がないことを確認したらしい。

 朗々と響いたヴァンの声に、浮き足立っていた周囲の空気が一変、静かになる。


 この状況では近づきがたいものがあり、フィオナが野次馬の輪の外側から様子を見守っていると、何者かの通報があったのか、騒ぎを聞きつけたらしい若い兵士が小走りに駆け寄ってきた。


「おい! どうした!」


 彼が野次馬の輪を押しのけ、騒ぎの中心に立つ青年と転がるひったくり犯の元にたどり着いた頃には、ヴァンの眉間の皺は、ユーリが両足を椅子に乗せて座っていたとき以上に深まっていた。


「何かあったのか!?」

「何かあったのか、だと」


 低く、抑え込んだ声が相手の言葉を繰り返す。


「王立騎士団の所属だな」


 一瞥のもとに断定するヴァン。赤を基調にした騎士服は王立騎士団のものだ。見違うはずもない。


「王族の警護及びパレードの進行経路の保護は王国近衞隊に一任されているはずだ。ならば、お前たちの仕事はなんだ?」

「ええと……街の治安の維持であります!」


 この場では一般人であるはずのヴァンの迫力に押され、なぜか姿勢を正し敬語で答える若い兵士。


「ならば、なぜこの場に駆けつけるのが遅れた?」

「あの……ちょっと可愛い子が……じゃなくて、実に、わたくしの職務怠慢であります! 申し訳ございませんでした!!」


 ひったくりの引渡しついでに説教を始めるヴァンに、腰を折って謝るアルファザード騎士という、不思議なようで実にしっくり来る図を眺めていると、人混みの中からいきなり伸びた腕に引っ張られた。


「きゃっ……」


 口をふさがれ、路地裏に引き込まれる。


「誰っ……」

「しーっ。私ですよ、私」


 腕を解かれ、囁く相手の姿を確認し、フィオナは目を見開いた。


「レイン!?」

「どーも。こんなところで会うなんて、奇遇ですねぇ」


 唇に人差し指を当てて笑ったのは、黒いローブに長い亜麻色の三つ編み、片眼鏡(モノクル)と、一度見たら忘れようもない風貌の青年――レインだった。







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