第三十八話 明かされる過去
レナードとその3人の従者が帰った後、残されたのは疲労と、何とも言えない気まずさだった。
「どうすんだよ……」
呻いたのはリッドだ。それがただの独り言で、フィオナに対するものではないと分かっていても、胸が騒ぐ。
「すこし落ち着いて考えた方がいい」
その場にいる全員に向けたような声で、ウィルが言った。
庭に出ていた何人かが頷き、のろのろと家に向けて足が動き出す。
「ヴァン、遅かったじゃないか」
「屋根の上から落ちて怪我をした者がいたんだ。その者の仕事を代わりに手伝っていた。予定より時間がかかってしまったが……」
戻り際に声をかけたラウに、ヴァンが生真面目に答える。
「フィオナ……」
まだ庭に佇んでいたリッドが、家に戻ろうとしたフィオナに駆け寄った。
「オマエ、行かないよな?」
「リッド……」
問い詰めてくるリッドの肩をラウが叩く。
「リッド、姫サンを困らせるんじゃない」
「んだよ、困らせてんのはあいつらだろ?!」
「ほら、とっとと家に入れ」
ラウが背中を押し、やや強引に玄関に押し込む。
「フィオナ。君は今混乱しているんだ」
その後ろをついて戻ろうとしたウィルが、立ちすくむフィオナの前に車椅子を止め、静かな声でそう諭した。
「焦る必要はない。ゆっくり、状況を整理して、考えればいい」
「ウィル……」
車椅子を押し、フィオナは彼が家に戻るのを手伝った。戸を閉める前に庭を振り返ると、ヴァンがクンツァイトの手綱を掴み佇んでいた。
「ヴァン、家に入らないんですか?」
「俺は今しばらく、クンツァイトといる」
先ほど帰ってきたばかりだというのに、またどこかに行くのだろうか。
「クンツァイトは、北のヘイムダル大平原にしか生息しない馬だ。気性が激しく、騎馬として飼い慣らすことは、スヴィドの民でも難しい」
スヴィドの民とは、アースガルダ大陸の北西に広がる、ヘイムダル大平原に共和国を形成する先住民族だ。
彼らは馬の扱いに長け、集団騎馬戦術では比類無き力を発揮する。
そんな彼らの手に負えない馬など、大陸中の誰ひとり扱いきることは出来ないだろう。
「こいつは少し特別だ。だが、そのせいで昔からあの男に目をつけられている」
レナード王子は、世界中の珍品美品をかき集めているらしい。
さすがに強奪することはないだろうが、放し飼いにしているだけに、連れて行かれる可能性がないとも言い切れない。
しかし、話に聞く限りでは、このクンツァイトはほとんど大陸に一頭しかいない馬といってもいいのではないか。
良い馬なのだろう、とは思っていたが、まさかそこまで希少価値の高いものだとは思っていなかった。
真実を知り、フィオナはもう少しクンツァイトに触れてみたくなって、戸を閉めて庭に出た。
「触ってもいいですか?」
主に許可を取り、おそるおそる手を触れる。
クンツァイトは嫌がることもなく大人しく触らせてくれたが、かといって特別喜ぶ風でもない。
堂々と地を踏むその貫禄たるや、馬界の王者と言われても納得する。
本来人に屈しない、誇り高き野生の馬だというのには、説得力があった。
「本当に……大きいですね。これだけ大きいと、扱いにくいとかはないんですか?」
「大きさはどうにでもなる。と、この馬を俺に託した者に言われた。技量の問題だそうだ」
「なるほど」
自分には乗れそうもない。
「乗ってみるか?」
「乗れ……ますかね?」
乗ってみたいが、馬車ならともかく、馬に乗った経験はあまりない。初心者には、かなりハードルが高そうだ。
「乗るだけならどうにでもなるだろう。俺も少し走りたい。行くか?」
「はいっ」
こんな風にヴァンが誘ってくれるのは珍しい。彼がそう言うなら、きっと何とかなるのだろう、と全幅の信頼を置き、フィオナは好奇心を優先して頷いた。
だが、乗るだけならどうにでもなる、と言われたが、ひとりではとても乗れるものではなかった。
ヴァンに抱き上げられるように乗せてもらい、馬に跨るが、予想以上に高い視界に、一瞬恐怖すら感じた。
気性が荒いと聞いているだけに、慣れない人間を乗せて、嫌がって振り落としたりしないだろうかと不安になり、思わず、目の前の立派なたてがみにしがみつく。
「心配するな。こいつは十分に躾けてある」
真後ろから聞こえた低音に、ドキリとする。
よく響くバリトンは、至近距離で急に聞くと心臓に悪い。
フィオナを慣らすように、クンツァイトはゆっくりと歩き出した。家の周りを一周してから、繁みに分け入る。
不安定に揺れるフィオナの身体を、見かねたようにヴァンが後ろから片腕で支えてくれた。
腰に腕が回され、声がより近くなる。
「どこに行きたい?」
「ど、どこでも!」
色んな意味で緊張し、フィオナは背筋を伸ばしてどもりながら答えた。
ヴァンと二人きりでどこかに行くことがあるなど、想像もしていなかった。
――これはもしかして、ものすごく貴重な体験ではないだろうか。
フィオナのリクエストがなかったので、クンツァイトは家の裏手を回り、緩やかな山道を登りだした。
イアルンヴィズの森の地形は、多種多様だ。
グレイス王国と接する南東部と、マルスタ王国に近い南西部には緩やかな山が連なっており、アルファザード王国、エルドラド王国と接する北東部には台地が広がっている。
フィオナたちが住む家は、だいたい、この台地の西の端に位置するらしい。
おおよその位置関係を把握した上で、エルドラド王国の国境から森の家に辿り着くまでの距離を考えると、やはり丸半日を歩き通した計算になるのだが、フィオナにその自覚はない。
ロバートが馬車をどこで止めたかによるが、フィオナ自身、自分にそれだけの体力があったことに驚きである。
今、クンツァイトが登っているのは、南側の山の一つだった。いずれの山もそれほど標高は高くなく、ヴァンも安全な道を通っているらしく、さほど険しい登山ではなかった。
山頂に着いた頃には、すっかり日は落ち、天は星と月が支配していた。
「すごい……いつもより空が近いみたい……」
昼間の雨が嘘のように、雲一つない空は美しく澄み渡り、満天の星々が夜を埋め尽くしている。
その中心で輝く月は一際明るく、いつもより大きく感じた。
心地よい夜風に吹かれながら、しばらく黙って星空を見上げていると、ヴァンがぽつりと呟いた。
「俺といるのは怖いか?」
「えっ……?」
「先ほどから、ずいぶんと力が入っている」
「いえっ、そういうわけでは」
ヴァンが怖いわけではないのだが、緊張しているのは確かだ。脈拍は2割増しで早く、手はわずかに汗ばんでいる。
「楽にしていい」
「はぁ……」
気を遣われ、言う通りにしようとするが、張っていた背筋の緩め方が分からず、うまくいかない。
自分で自分の身体がコントロール出来ないのは、どういう訳だろう。
小さく息を吐く気配がし、ヴァンが提案した。
「少し降りるか」
「はいっ!」
思っていた以上に、意気込んで答えてしまった。
クンツァイトで山道を登っている時からずっと、ヴァンの腕が腰に回っていて、身体が揺れるごとに彼の胸にもたれてしまう。
この距離の近さは、どうにも居心地が悪い。
ヴァンの手を借りて降ろしてもらい、2人は山頂に半分顔を出している大きな岩に腰掛けた。
ここは、どこよりも明るい。
この天気であれば、明日も聖日祭は快晴だろう。
「不思議なことだが、聖日祭に雨が降ったことはほとんどないらしい」
同じことを考えていたらしいヴァンが、そんなことを呟く。
「それはやっぱり、アース神のご加護があるんですかね」
「そうかもしれないな」
アース神のご加護があるならば、明日が晴れないわけはない。
なにせ、神の子エマーヌエルの聖誕500年という、記念すべき年の聖日祭だ。
「きっと、アルファザードでは盛大なパレードが催されるんでしょうね」
聖日祭のパレードの煌びやかさでは、アルファザードの王都ファザーンが群を抜いていると聞く。
「もともと華やかを好む国質だ。そのうえ、ここ数年はあの浪費王子が内政をとっている。目が痛くなるほど絢爛な行列が行進するだろうな」
「それは……見てみたいかも」
きっと想像を絶するような光景だろう。
「見たいなら連れて行ってやる」
「えっ……?」
意外な言葉に、フィオナは思わず聞き返した。
また、一日大人しくしておけと言われるかと思っていた。
「明日はレナードも丸一日行事に縛られ動けまい。お前に構う暇もないだろう」
だが、続くヴァンの言葉は、もっともらしく、フィオナを納得させた。
「それに、アルファザードの王都と、王子としてのあいつを見ることも、一つの判断材料になる」
彼に嫁ぐということは、あの国の妃になるということだ。
観光気分で見たいと言ってしまったが、ヴァンの一言で、明日の祭の見学がとても重要な意味を持った気がした。
「じゃあ……お願いします」
こんな心境で、一日家でじっとしているのは耐え難い。どんな理由であれ、外に出て何か見聞きし、知ることが出来るのは、フィオナにとって喜ばしいことだ。
「分かった」
意識を改め、少し固い声で頼むと、やはり固い承諾が返ってきた。
「……あ、流れ星」
視線の先で運良く流星を見とめ、フィオナは声に出した。
続いて、近くでもう2つほど流れ、思わず歓声を上げる。
「綺麗……」
うっとりと星空を眺めていると、心地良いそよ風も相まって、ずっとそうしていられるような気がした。
ふと視線を感じ、隣に座るヴァンを見ると、案の定目が合った。
紫闇の瞳が少しだけ揺れ、すぐに遠くの山に投げられる。
沈黙が続き、フクロウの声が耳に慣れた頃、
「ヴァン」
フィオナは、ずっと聞こうと心に決めていたことを切り出した。
「――聞いてもいいですか。あの人が言ってたこと……二人のこと」
レナードの訪問は、様々な驚きをフィオナにもたらしたが、何より彼が語ったヴァンとウィルの過去は、衝撃的なものだった。
何が二人をそこまで追い込んだのか。
視線を星空からヴァンに移し、懇願する。
「教えて下さい」
自分が聞くべきことではないと、ずっと我慢していた。
でも、いつまでも線を引いていたら、この距離は縮まらない。
「知りたいんです。あなたのこと――あなたたちのこと。私だけ知らないなんて嫌なんです」
特別になりたいなどとは言わない。
だが、せめてその他大勢の一人にはなりたくなかった。
彼は、フィオナを『仲間』だと言ってくれたのだ。
知らなければ、仲間として彼らを支えることすら出来ない。
「そうだな」
フィオナの願いを受け、ヴァンは静かに頷いた。
「――お前は仲間だ。お前には、聞く権利がある」
その言葉に、ほっと息を吐く。安堵の笑みを見せたフィオナに向ける、ヴァンの目は真摯だった。
「何から聞きたい?」
たくさんありすぎて、選べない。
だが、一番衝撃を受けた言葉を選び、フィオナは口にした。
「あの方……レナード様は、ヴァンが、ウィルを誘拐したって仰ってましたけど、そんなこと……」
あるわけない、という否定の言葉が聞きたかった。
「その通りだ」
「えッ……?」
あっさりと肯定したヴァンに絶句する。
「誘拐だろう。あいつは動けないんだからな」
「でもそんな、誘拐なんて……」
二人には何かの事情があったはずだ。
納得した上での逃避行なら、それを誘拐とは言わないはずだ。
「理由があるんですよね? ヴァンは、自分の欲でそんなことをする人じゃありません」
その説明だけでは何も埋まらない。ちゃんと理解したくて、フィオナは強い眼でヴァンを見返した。彼の視線や言葉の強さに負けて、誤魔化されたくはなかった。
その眼差しを受け、ヴァンは偽りのない言葉で答えた。
「――ウィルは、王になるべき男だった。俺はあいつから、全てを奪ったんだ」




