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第三十話 戦女神フレイアすらも跪く強さと美しさを兼ね備えた麗しきレナード様


「なんか妙な繋がりですよ」


 その日の報告の最後に、アルヴィスは頭を掻きながらぼやいた。

 レナード殿下の私室には、今、アルヴィスと王子の2人しかいない。


 豪奢な部屋に負けぬ重厚さで部屋に鎮座する不気味な大鏡は、今は黙して語らない。


「死んだはずのフィオナ王女――で、彼女を拐かしたのが……」


 そこまで言って、顎に手を触れ、思案する。


 長い前髪の奥の隻眼が、鋭く前方を睨みつける。ふと、大鏡に映る自分の姿を睨んでいたことに気付き、アルヴィスは目を逸らした。

 鏡は好きではない。姿が映らない場所に位置を変え、間延びした声で付け加えた。


「まあ、俺もあんまり自信ないんで。多分レナード様にご覧いただいたら、はっきりすると思うんですけど」

「ご苦労であった」


 王族らしい美しい発音でねぎらわれ、アルヴィスはとりあえず頭を下げた。彼の主は、つい最近手に入れた不気味な大鏡に向かっているので、アルヴィスの礼を見ているわけではない。


「この私が直々に出向こう」

「言うと思いました」

「美しい姫を迎えに行くのはさらに美しい王子というのは、アース神の教えで定められた不変の真理のようなもの」


 もちろん、アース神はそんな教えは定めていない。


「鏡の精、ヴァリウス」


 レナードが呼んだ。低く、よく響く声には独特の艶がある。

 大鏡が答えた。


「……お呼びですか? 殿下」

「聞こえないぞ」


「……お呼びですか? レナード殿下」

「聞こえないと言っている」


「…………お呼びですか! う、麗しのレナード殿下……ッ!」

「ふん、またそれか。芸のない精霊だ」

「うっがぁぁぁっ、いい加減にしろよ毎日毎日! 野郎が野郎に褒められて何が楽しいんだ! 寒々しいわ!」


 全身を掻きむしり、鏡の中から黒い精霊が飛び出してくる。至極もっともな叫びに、しかしレナードは嘲笑すら浮かべ答えた。


「美に男女の別はない。美しい者を美しいと褒め讃えるのは、真実を映す鏡として当然の使命だろう」

「あぁそうだよ。それが俺の仕事だよ。あーマジあり得ねぇ、なんで契約条件に『ただし女に限る』って条項が入ってねぇんだよ。ふざけやがってローズの奴……」


 頭を抱え込む精霊。稀なる魔法の鏡の精霊でも、こんな風に苦労するものなのだとアルヴィスは感心した。感心の対象はもちろん、自分の主人だ。


「――世界で一番美しい女は『白雪姫』――それは間違いないな?」

「何十回言わせんだよ。そうだって言ってんだろ」


『世界で一番美しい女は誰だ?』という、アルヴィスからしたら「どうやって決めんだそんなもん」としか思えない無理難問に、真実を映す鏡は『白雪姫』だと告げた。


 父であるエルドラド国王が寵愛し、決して外に出さないように箱入りで育てた白雪姫。


 その美しさは評判を呼び、多くの王侯貴族が彼女を求めたが、王は結婚相手を決めることを、女性が成人する15歳まで渋った。


 その日が今日からちょうど10日前であり、翌日の朝には、アルファザード王国第一王子の婚約者として、15歳を迎えた白雪姫を妃に迎える発表をする予定だったのだ。

 だが、レナードの元に届いたのは、突然の訃報だった。


 15歳の誕生日の夜に、白雪姫は死んだ。


 エルドラド王国から正式に発表されたのはそれだけで、詳細は不明だ。何故死んだのか。事故か、自殺か、他殺か。彼女が死んだ翌日に、城内の使用人の一人が失踪したという噂もある。

 他にも、彼女の美しさに嫉妬した妃が殺しただの、望まぬ結婚を彼女自身が憂いただの、根も葉もない噂が社交界に飛び交ったが、10日も経った今は徐々に落ち着きつつある。


 何より、エマーヌエル法王聖誕500年――すなわち、アース暦500年という節目の年の聖日祭を目前にして、そのような俗な噂話は不要だった。


「まさか本当に生きてたとはねー」


 報告が終わったアルヴィスは壁にもたれかかり、一人と一匹のやりとりを眺めながら呟いた。


 アルヴィスは最初、半信半疑だった。


 その鏡が『魔法の鏡』であることは、疑う余地がなかった。実際、鏡の精とかいう人間じゃないモノが、この鏡からひょっこり現れるのだから。

 ……もっとも、中にいたモノは、『精霊』という一般的なイメージからは、遠くかけ離れていたが。


 だが、それが吐く言葉が真実かどうかは、確かめてみないことには分からない。


 ――鏡の精の言葉を信じるならば、白雪姫は生きていて、イアルンヴィズの森にいるらしい。

 とはいえ、6つの国と接する広大な森林地帯に、何の手がかりもなしに踏み込めるようなヤツは、勇者という名のただのバカである。


 うざがられるほどしつこく聞いたところ、なんとかだいたいの場所を割り出し、「だるい」「めんどくさい」を繰り返しながら、アルヴィスは相棒のキアルディと『迷いの森』を練り歩いた。


 最初に見つけたのは、珍しい花のついた樹の下にいる2人の少年少女で、あんまりほのぼのしていたので、初めはそれと分からなかった。


 着ている服はお世辞にも『姫』と言えるようなものではなかったが、よく見ると確かに美しい。

 だが、世界で一番美しいのかどうかと言われると、アルヴィスには分からない。そもそも、あまり人の顔に興味がない。


 年齢的にも間違いないだろうと判断し、見張ったところ、森の中に突如出没する変わった家に、複数人の男と住んでいることが判明した。


「これはマズイ」とアルヴィスは思った。

 どう考えても誘拐だ。しかも、複数人の男に捕らわれている状況というのはどうなのだ。白雪姫の命があったことは喜ばしいが、アルヴィスにとっては、あくまで君主の婚約者だ。命があることが分かれば、次は純潔とかそういうものの心配が先立つ。


 婚約破棄とかありなのかな? 鬼かな? 鬼畜かな? まあ、最終的には選ぶのはレナード様だからどうでもいっか……などと、約2秒ほどで問題は解決し、とりあえず当初の予定通り、白雪姫の救出に乗り出したわけである。


 その結果、見事に返り討ちにあったのだが。


「あ……きた」


 壁越しに、廊下から賑やかな足音が近づいてくることに気付く。アルヴィスが口の中で3秒数えると、きっちりそのタイミングで扉が開いた。


 扉が開く勢い以上に勢いよく、一人の少年が飛び込んでくる。


「戦女神フレイアすらも跪く強さと美しさを兼ね備えた麗しきレナード様! 忠実なる騎士キアルディ、お呼びに与り参上致しました!」

「……おい、なんだあの長ったらしい枕詞は」


 いつの間にか近くに寄っていたヴァリウスが、呆れたように聞いてくる。普通に聞き流していたアルヴィスは解説した。


「ああ、あいつバカなのに毎回語彙変えるために詩集読みあさってるんだよ。丸パクリだけど。努力がいじらしいだろ」

「いじらしいっつーかバカだろ。キモイだろ」


 げんなりと突っ込むヴァリウス。彼はまだこのノリに耐性がない。


 実はレナードも、だいたいは雰囲気だけ聞いて流しているので、そこまで凝る必要はないのだが、常に全力でレナードを賛美するのはキアルディの信条なので、放っておいている。


「ふむ……少し遅れたが、許そう」

「ははっ、有り難き幸せ。なにぶん、明後日の聖日祭での、3度ある殿下のお召し替えの手配を取っておりましたところ、いささか手がかかりまして」


「問題でもあったか?」

「いえ、パレードの中継地点にお召し替え用の小御殿を設営し、女中を待機させるだけなのですが、殿下がデザインされた小御殿が難しすぎるとの声があり……」


「ほぅ」

「全くもって不心得者どもであります! 殿下の高尚な意匠を再現しきれない者など、職人にあらず。ですがこのキアルディ、殿下のお心を曇らせるような報告をすることはございません、厳しく言い渡しましたので、必ずや当日のパレードではご満足いただけるような小御殿が完成していることでしょう!」


 アルヴィスは頭を抱えた。レナードへの報告を優先して、キアルディに任せたのがまずかったか。どうせキアルディのことだから、えげつないことを言って職人たちを脅したに違いない。


 あとでフォローしておかなければなるまい。「どうせそんなに見てないから、適当でいいよ」と。


 パレードの経路を確認し、当日のVIPの護衛や、行進が滞りなく行われるようあらゆる指揮を取るのは、確かに王国近衛隊の役割だ。


 だが、いかんせんレナード殿下の親衛隊は、無駄にやることが多すぎる。


 基本的に面倒臭がりであることを自負しているアルヴィスとしては、やる気だけは人一倍あるキアルディに全部丸投げしてしまいたい。が、そうすると後の尻ぬぐいが余計な労力となるので、結局隊長自ら指揮をとることになるのだ。


「分かった。だが明日、お前には別の命を言い渡す。引き継ぎの準備をしておけ」


 キアルディの全力の報告にも特に感じ入った様子はなく、レナードは磨き抜かれた爪先を向けた。


「かしこまりました。して、どういった?」

「私が白雪姫を迎えに行く。お前とアルヴィスを伴う」

「ははっ」


 短く伝えられた命令に、キアルディは大げさに畏まって見せた。


「天照らす陽を戴く、アース神に愛されし真の王者、我らが麗しきレナード様の御心のままに!」

「あー……湖面に映る満月すらその輝きに恥じらい雲間に身を潜める麗しきレナード様の御心のままに」


 棒読みで続いたアルヴィスに、キアルディがコソコソと突っ込んだ。


「貴様、それ昨日一昨日と一緒だろうが!」

「言うなよ。言わなきゃバレねーから」

「なぁお前ら、悲しくねぇの? 辛くねぇの? 今の自分の姿に疑問感じねぇの?」


 いよいよ可哀相なものを見るような目で、鏡の精霊が問いかける。

 アルヴィスは不動の精神で答えた。


「感じねーな。流される方が楽なコトって世の中あるんだぜ? お前もそのうち分かる」

「い・や・だ! 俺はぜってぇこの空気に染まらねぇ!」


 断固拒否する鏡の精霊。


「それにしましても、このキアルディ、殿下のご英断には感服致します! 誘拐犯相手に真正面から交渉に乗り出すなど、さすがレナード様! 潔い! 素晴らしい!」

「……はじめっからそうしとけば良かったんじゃねーの? てか、普通そうするよな? 騎士なら」


 誘拐犯を脅すだの闇討ちだの、物騒な方法を散々試した少年は、掌を返したように主を褒め讃えまくっていた。聞いていないのを分かりつつアルヴィスが突っ込んでいると、レナードが鏡の精を呼んだ。


「ところでヴァリウス。あやつに聞いたが……貴様、私の許可があれば人の姿を取り自由に行動が出来るそうだな」

「げっ……ローズの野郎」


 余計なこと言いやがって、と言外に呻くヴァリウス。


「――明朝、この私の従者として同行することを許す」

「はぁ?」


「『世界で一番美しい女』の元へ案内するがいい」

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