第二十九話 白薔薇の騎士
その小さな家では、1人の人間と、2匹の精霊のティータイムが続いていた。
「マジでありえねーっつーの!」
どん、とテーブルの上に踵を乗せ、1匹の精霊が声を荒げた。
ティーカップが揺れ、中身がこぼれてもう1匹が悲鳴を上げる。
1人の人間はというと、測ったかのようなタイミングでカップを持ち上げており、一口すすってから口を開いた。
「さっきからうるさいですねぇ。あの女の機嫌を損ねて割られたあげく、従者に売り飛ばされたあなたを、わざわざ質屋まで探しにいって買い取ってあげたっていうのに」
わざらしい説明口調で、恩着せがましく嘆く人間に、精霊は青筋を立てた。この精霊にとっては、その後の処遇が問題なのだ。
「ちゃんと『条件』に合う主を選んだのに、一体何が不満だっていうんですか?」
「何が不満か、だと? お前は確かにそう聞いたな」
顔を近づけてきた怒れる精霊に、彼はさっとティーカップを置いた。
「耳の穴よぉーくかっぽじって聞け。性別と性別と性別だ!」
耳を塞いで聞き流す。
「ヴァリウス、男嫌いだからねー」
「思い出しても蕁麻疹が出るわっ!」
「精霊がじんましんを発症するとは、知りませんでしたよ」
「俺は鏡の精だぞ!? 鏡ったら女のモンって世の中相場が決まってんだろうが!」
「それも、知りませんでしたよ」
「それが何が悲しくて、あのナルシスト男を毎夜毎晩褒め讃えなきゃならんのだ!!!」
精霊の血の滲む叫びに、彼は紅茶をすすりながら、嫌そうに横目で見る。
「え~……褒め称えてるんですか?」
「褒め称えてねぇよ!」
「え~……褒め称えてないんですか? 仕事なんだから、ちゃんとしてくださいよ」
「お・ま・え・な! いい加減にしねぇとマジでヤんぞコラ……ッ」
心底呆れたように言われ、ヴァリウスがキレた。完全におちょくられている。
青筋を立て、胸ぐらを掴む精霊に、彼は器用にティーカップを傾けこぼれないようにしながら小言を呈した。
「子どもの前で下品な言動は止めてください。教育に悪い」
「子どもじゃねぇだろ。老人だろ。むしろヒモノだろ。人間時間的に」
「えーっ。ひどいよヴァリウス!」
ヒモノ扱いされた精霊がいきり立つ。
「ヴァリウスだって、もう年なんだから、いい加減せーよくげんたいした方がいいんじゃない!?」
「てめぇっ! どこでそんな言葉覚えてきた! 俺様は未来永劫現役バリバリなんだよ!」
立ち上がったヴァリウスの長い腕にワシッと掴まれ、子どもで干物な精霊はジタバタしながら抗議した。
「だいたいさー。ヴァリウスのせいだよ。こっちだってさー。最近さわがしくて困っちゃうよー。ぼくだってひまじゃないんだから、手がおいつかないよ」
「何で俺のせいなんだよ! 侵入者見逃したのはてめぇの怠慢だろ。人のせいにすんなクソガキ」
「ヴァリウスがへんなこと教えなきゃこんなことに――」
「ハイハイ。ふたりとも落ち着いてください。本当に、いつまで経っても子どもなんですから。困ったもんです」
「てめぇにだけは言われたかねぇよ! 1人で家までたどり着けるようになってから言え!」
「あ、そうそう。ヴァリウス。あなた2日後ヒマなんで、空けといて下さい」
「意味がわからねぇよ。ちゃんと人語しゃべれ、人間が」
「あっ。そうだ、レイン。いつあの子に会ってくれるのさ?」
「別にいーですよ、いつでも。ここに連れてきてもらえれば、お相手します」
「レインから出掛けたら、迷うもんね」
「俺も会ってやろうか? 女だしサービスするぜ」
「いらないよ。ヴァリウスはあっち行って」
「てめ……」
その小さな家では、1人の人間と、2匹の精霊の、にぎやかなティータイムが続いていた。
◇ ◆ ◇
「赤髪の若い弓使いと、隻眼の剣士?」
全員が集まったリビングで、ヴァンから襲撃者の特徴を知らされたフィオナは、鸚鵡返しに聞いた。
一人掛けのソファに座ったフィオナから見て、右前方に立っているヴァンを見上げる。
「知っているか?」
ごまかしの利かない眼差しに見返されても、フィオナは何一つ思い当たることなく、首を横に振った。
「……白雪姫を返せとうるさかったが、エルドラドの騎士ではないとしたら」
「諸外国の騎士?」
三人掛けのソファに並んで座ったジークの言葉を、ユーリが継ぐ。
ウィルは、その隣――彼らとヴァンの間に車椅子を停め、リッドは長ソファの空いたスペースに足を上げて座っていた。
「他国がエルドラド王国の王女を狙う理由も――なくはないな」
顎に手を当て、ヴァンが低く呟く。一人掛けのソファに座っているカミュと、そのソファにもたれて立っていたラウが、同時に彼を見た。
「エルドラド王国は、この大陸のほぼ中央に位置する。睨み合いが続いている東大陸のシュヴァルト帝国と、西のアルファザード王国の緩衝地帯だ。地理的に非常に重要な国だけに、エルドラドの動向は大陸国家の情勢を左右しかねない」
脳裏に、大陸地図を思い浮かべる。
アースガルダ大陸は、大きく東と西に分けられる。
東大陸は、大半がシュヴァルト帝国の支配下にある。その広大な支配領域は、他国の追随を許さない。
だが圧倒的な国土を持ちながらも、その北側は、ニブルヘイム大山脈が連なる極寒の地であり、人が住める土地は中南部に限定されていた。
対する西大陸は、統一帝国最後の王朝の崩壊後、複数の国に分裂し、今もなおその状態が続いている。
代表的なのが、中北部を支配するアルファザード王国。西大陸一の国土面積を誇り、その国力はシュヴァルト帝国にも遅れを取らない大国だ。
更に西にはスヴィド共和国、ヴァルク王国、グレイス共和国がそれぞれの境界線を保持している。
ヴァルク王国、グレイス共和国の東端、アルファザードの南端と国境を接する中南部にはここ、イアルンヴィズの森が広がっている。
イアルンヴィズの森の南側、森とマーレ海に囲まれた大陸最南端の小国が、イザヴェル皇国。神の子エマーヌエルを始祖とする聖なる血統が君臨する、アース教の総本山である。
西大陸からエーギル海を越えた北西部には、サン=フレイア王国がある。『天上の島』とも呼ばれるサン=フレイアは、サン島とフレイア島を主体とする島国だ。
そして、シュヴァルト帝国西部に隣接する東大陸側のいくつかの小国と、西の大国アルファザードに挟まれたエルドラド王国は、まさにアースガルダ大陸の中心部に位置した。
「死んだと思われた一人娘の王女が、実は行方不明で生きていたとなると……使いようはいくらでもあるな」
思考を纏めるように、顎に手を触れたまま、じっとフィオナを見つめるヴァン。
その冷静な目は、フィオナを透かして大陸の情勢を見定めているようで、自然、身構えてしまった。
「……一つ付け加えておくと、その隻眼の騎士は、俺たちの顔を知っているようだった」
さりげなく追加されたジークの情報に、ヴァンの眉間の皺が更に深まった――ように見えた。
「知り合いではないのか?」
「いや――城仕えの騎士であれば全員顔は把握している。それに、言葉も若干違う。あれはこの辺りの人間だ」
「外国の騎士でボクたちを知ってるってコトは、国賓の席で列席が許される、上級騎士ってことですか。それにしては品位に欠ける気がしたケド」
ユーリが片膝を立て、口を挟んだ。
「……もう一つ気になることを言っていた」
「なんだ」
ヴァンに促され、ジークが相も変わらず起伏の乏しい声で呟いた。
「白薔薇の騎士――」
「白薔薇?」
ヴァンが不快そうに眉を跳ね上げる。
「何か心当たりがあるのか?」
ジークに問い返され、だがヴァンが首を振った。
「いや。嫌なものを連想しただけだ」
「……言っていたのは赤髪のおかしな子どもの方だったから、ただの戯れ言かもしれないが……」
珍しく歯切れが悪く語尾を弱め、ジークは感情の見えない目を宙に転じた。
「どこかで聞いたような……」
「……そいつら、また来るって言ってたんだよな?」
その単語自体に興味を抱かなかったらしいリッドが、しかめっ面で口を開いた。
「彼らにフィオナの命を狙う意志はなさそうだが、エルドラド国王の手の者でない可能性が高いのならば……」
話しを本題に戻し、ヴァンの視線が再びフィオナを捕らえた。
「少なくとも、相手の正体がはっきりとするまでは、しばらくはフィオナの外出を禁ずる。庭に出るのも駄目だ」
有無を言わせぬ指示に、その場で口を挟む者はいなかった。
フィオナも己の置かれた状況は理解している。ここまで本格的な襲撃があったからには、今回ばかりは頷くしかない。
家から一歩もでるな、とは言われたが、部屋から出るなと言われないだけマシかもしれない。だが、その環境がフィオナに城での生活を思い出させ、心はわずかに曇った。




