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第二十二話 心当たり


 すぐにラウが辺りを捜索したが、犯人を発見することは出来なかった。


 ウィルがユーリの怪我の手当をし、リッドが割れた窓硝子を片付けている間、フィオナは、呆然と8人掛けのダイニングテーブルの椅子に座り込んでいた。


 目の前には、すっかり冷めてしまった6人分の昼食が並んだままだ。


 水で洗い流した後も、ユーリの血にまみれた感触が、まだ手に残っている。


 無意識に左手を握りしめていると、目の前にマグカップが置かれた。

 ミルクの甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「はい、ホットミルク。少しは落ち着くんじゃない」


 顔を上げると、艶のある目元にウインクを乗せて、カミュが笑いかけてきた。

 血統のいい猫のような、蠱惑的で、愛嬌のある笑み。


「ありがとう……」


 いつもと変わらない彼に、強ばっていた顔の筋肉が少しだけ緩み、フィオナは辛うじてを礼を口に出来た。

 マグカップを手にすると、カミュがすぐ隣の席に座った。


 ホットミルクに口をつける。暖かい湯気と、甘い口当たりに、肩から力が抜ける。

 何口か飲み込むと、胸が温かくなり、フィオナはようやく自分の中の時計が動き出したような気がした。


「おーいウィル、この窓、とりあえず外側から板打ちつけとくけど、いいよな?」


 突然、庭から呼びかけるラウの声が耳に届く。

 それまで、音というものを遮断していたらしく、急に周囲が動き出したような錯覚を覚えた。


「そうだね、その方がいい。頼むよ、ラウ」

「了解」


「ん~、こんなもんでいいか? ウィル」

「うーん……念のため、もう少し広い範囲を掃いてもらえるかい? リッド、破片に気を付けて」

「オッケー」


 矢が飛び込んできた窓は、門のある庭に面していた。

 1階にある窓の中では、一番大きいものだ。


 大きな一枚板の硝子を造るのは、技術的にとても難しく、その技工は、硝子産出国であるグレイス共和国が保護する、硝子技工師組合(ギルド)によって保存される門外不出の業だ。


 そのため、一般的に普及している窓硝子は、いくつもの板硝子を桟で囲みつなぎ合わせたものだ。

 この家の窓も、例に漏れず同じ造りをしている。


 問題の矢は、桟を避け硝子を貫いたようだが、衝撃に桟の一部が外れ、嵌め込まれていた他の窓硝子も、軒並み床に落ちて、広い範囲に破片を飛び散らせていた。


 その飛び散った硝子片を片付けていたリッドが、額を拭って伸びをする。


 皆、先ほど起こった事態を受け入れ、対処している。


「ごめんなさい、私、何も手伝わなくて……」


 動揺から抜け出せず、その場に座り込んだままだったフィオナを、ここまで連れてきてくれたのはカミュだ。

 いつまでも動けずにいた自分を恥じ、フィオナは慌てて立ち上がった。


「何か、私に出来ることあるかしら」

「いいよ。大丈夫だから」

「でも」

「こんなこと、動揺して当たり前なんだから、気を遣うなって」


 フィオナの肩を押し、カミュが優しく座らせる。


「でも、みんなはちゃんとしてるのに……」


 横並びだった椅子を動かし、こちらに向き合うカミュに訴える。

 彼らの仲間になりたいと、役に立ちたいと思っていたのに、弱い自分がたまらなく悔しかった。


 情けない。


 フィオナは胸の奥から沸き上がる感情を抑えようと、歯を食いしばった。

 自然と目に涙が溜まるが、ここで泣いてしまったら本当に弱い気がして、零れ落ちないように留めるのに必死だった。


 そんなフィオナを見て、カミュが困ったように頬を掻く。

 両手が伸びてきたかと思うと、ふわりと頭を挟まれ、紅い瞳が近づいてきた。


「……?」


 コツン、と、額と額を当ててくる。

 目の前に、長い睫毛。


 ……びっくりして、涙が引っ込んだ。


「止まった?」


 閉じていた瞼が開かれ、目の前に夕焼けの様な紅が広がる。


「え?」

「泣きたくない、って顔してたから」


 文字通り目と鼻の先で囁かれ、吐息が唇に当たる。


「止まった……わ」


 代わりに、心臓がうるさくなっているが。


「さっきの話だけど」


 よしよし、と子どもにするようにおでこを撫でられ、カミュの猫のような笑顔が遠ざかる。


「俺たちは、なんていうのかな……覚悟があるんだよ」

「覚悟?」

「この穏やかな生活が、いつ壊れても仕方がないっていう覚悟……かな?」


 ドキリとした。


 それは、ウィルの青ざめた顔を――ユーリの腕から流れる血を――見た瞬間から、抗えぬほどの津波となってフィオナを襲った恐怖の正体だ。


 何か恐ろしい、あまりにも不条理な事象によって――『今』が壊れてしまう、恐怖。

 胸の奥がざわめき、フィオナは己の身体を抱いた。


 フィオナには、ない。彼らを失う覚悟も、『今』が終わる覚悟も、まだ。 


「ここが仮初めの……いや、違うな。現実だけど、止まり木みたいな生活だって、知ってるから」


 そう言ったカミュの瞳は、揺るがない。本当に、迷いなどないように。


 ――『その時』が来たら、カミュは簡単に、この生活を手放してしまえるのだろうか。


 彼にとって、今を共に過ごす仲間とは、いったいどんな存在なのだろう。

 そんな疑問が湧いたが、口に出すことは出来ず、じっと彼の目を見る。


 すると、目の前の少年は、いつものように愛嬌のあるウインクをしてみせた。


「ま、要するにタフなんだよ、俺たち。別にフィオナまで、ムリにそうなる必要なんてない。……それに、お姫様までそんなにタフになられたら、王子様が守る相手がいなくなっちまうだろ?」


 カミュがテーブルに頬杖をつき、色づいた唇を吊り上げる。


「今回はユーリにおいしいトコ持ってかれたけど、次は守らせてよ……お姫様?」





               ◇  ◆  ◇





 ユーリの手当が終わった後、フィオナが呼ばれ、ウィルに簡単な手当を受けた。


 といっても、膝と腕に少し、擦り傷と切り傷を負っただけだ。

 痛みはあったが、それ以上に、ユーリの腕の包帯に滲む赤が痛々しかった。


 遅めの昼食を取り、その日は誰が言うでもなく、皆一カ所に集まったまま、時間を過ごした。


 カミュとラウ、ユーリとリッドの4人は、リビングでテーブルを囲み、いつもなら夕食後の日課であるカードゲームに興じている。

 ウィルは、色とりどりの糸が並んだ裁縫箱を、ソファの脇に置かれた小卓に載せ、刺繍枠と針を手に刺繍を刺していた。


 フィオナは、1人掛けのソファで、ウィルに借りた詩集を読んでいた。


 美しい文字の羅列を目で追っても、なかなか頭に入ってこない。

 視線だけでリビングを盗み見ても、皆、変わらないように見えて、普段より口数が少ない。 


 一見穏やかに見えて、どこか緊張感の漂う午後が、厭なほどゆっくりと過ぎ、外が夕暮れを迎えようとする頃、ヴァンとジークが帰ってきた。


 2人に事情を説明し、8人は、料理の載っていないダイニングテーブルを囲むこととなった。

 いつもの食事時とは、微妙に席の並びが違う。ユーリはウィルの隣の席で、右腕の包帯を替えてもらっていた。


「痛い?」

「超イタいです」

「ガマン」

「……なら聞かないで下さいヨ」


 そんな彼らのやりとりに、深刻な色はない。


「ちゃんと腕も動くし、痛みはあるようだけど、大丈夫だね。軽傷で済んで良かったよ」

「コレ、軽傷なんですかァ?」


 包帯を巻き直し終えたウィルの言葉に、納得いかない顔でユーリが聞き返す。


「出血量の割に、傷は浅いから軽傷だよ」


 ウィルが笑顔で太鼓判を押す。


「でも、しばらくはムリをしないように。傷が開いたら長引いてしまうからね」

「ごめんなさい、ユーリ。私のせいで……」


 申し訳ない気持ちが拭えず、フィオナは再三頭を下げた。


 すると、急にユーリが顔を歪めた。


「あー、痛いなァ。コレはお姫サマにつきっきりで看病してもらわないと、治らないんじゃないかなァ」

「気のせいだろ。あとでたんとメシ食わしてやっから、ちょっと黙っとけって」

「イタ。ちょっと、あんまり乱暴に扱わないでくれる?」


 ぺん、と包帯の上を、逆隣に座っていたカミュに叩かれ、ユーリが文句を垂れる。


 テーブルの半分が緊張感のない会話を続ける反面、もう半分は重苦しい空気に包まれていた。


 一番奥の指定席で、ヴァンが背もたれに身体を預け、腕を組んでいる。

 その表情はいつも以上に険しく、彼の持つ威圧感が倍増されている気がした。

 隣に座るウィルはいつもと変わらないが、斜向かいのラウと、その隣に並ぶフィオナは、場の雰囲気につられるように、かしこまって着席していた。


 ヴァンの向かいに座るジークは、相変わらず表情に変化はないが、先ほどから一切言葉を発しておらず、何かを思案しているようにも見えた。


(気まずい……)


 昼からゆるゆると漂っていた気まずさは、彼らの帰還により、上限まで跳ね上がっていた。


 念のため、1階の全ての窓には、外側から板を張った。


 閉塞感が、余計に気まずさを増幅させる。

 薄暗い部屋の中で、テーブルに置かれた蝋燭がゆらゆらと揺れている。

 窓から入る星明かりがないだけで、いつもより随分と夜が暗く感じられた。

 気持ちの問題かもしれない。


「――今日の昼、何者かが弓矢でこの家を狙撃した」


 厳かな低音が、口火を切る。


「この家の誰かを狙っての犯行だ」


 彼がそう口にすると、今までにない緊張感が走った。


 ヴァンが全員の顔を一瞥する。

 歪みのない紫水晶の瞳に蝋燭の炎が映り込み、彼らしからぬ情感を眼差しの奥に燻らせていた。


「誰を狙ってのものなのかは、分からない――そうだな?」


 確認する言葉に、現場にいた人間が頷く。

 ひらりと、カミュが右手を挙げた。


「心当たり、ある人ー?」

『………………』


 沈黙が落ちる。


 呆れたわけではない。全員が、どこか考えるような視線を蝋燭に向け――誰も口を開かなかったのだ。

 それを確認し、カミュが肩をすくめた。


「……全員可能性はアリって感じか」

「オ、オレはねーぞ! 多分! ……いや、あるのか……?」


 思わず否定したリッドが、やはり考え直し、ブツブツと呟く。

 眉根を寄せ、真剣に心当たりがあるか考えているようだった。


『不思議と、ここには国を追われたそういう人間が集まる』


 初めにヴァンに言われた言葉だ。


 つまりは、そういうことなのだ。


 もちろん、フィオナとて例外ではない。

 昼間の襲撃からずっと、もしかして――という気持ちが張り付いて離れない。


 命を狙われているから、とロバートはフィオナを逃がした。大丈夫、上手くやると。


 だが、彼が失敗していたら?

 継母がフィオナが実は生きていることを知ったら、そのまま、生かしておくだろうか――?


「あのっ、私……」


 やはり、『心当たり』を話そうと思った。

 もしそうならば、このまま黙っているわけにはいかない。


 その時、戸口から物音がした。


「今の――」

「シッ」


 ラウが声を発しかけ、カミュが鋭く制止する。

 全員が息を殺し、張り詰めた沈黙が広がった。


 それ以上、物音は聞こえない。


 壁に立てかけていた剣を手に取り、ヴァンが大股に戸口へ向かった。


 素早くドアを開ける。強襲を想定し、身構えるが、誰かが飛び込んでくる気配はない。


「おい、それ……っ」


 危険はないと判断し、戸口に近づいたラウが指をさす。 


 内開きの扉に、一本の矢が突き刺さっていた。


「昼間のと同じヤツだ……」

「何かついている」


 ヴァンが無造作に矢を引き抜いた。


「紙だ」


 シャフトに括り付けられた白い紙を取り外し、広げる。


「手紙?」


 ラウの感想に、様子を窺っていた他のメンバーが、一斉に戸口に集まった。


 8人の視線が、折り皺だらけの紙片に集まる。

 そこには、実に分かりやすい要求が書かれていた。


 たった一言。

 癖の強い、乱雑な文字で、




『白雪姫を返せ』






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