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短編いろいろ

悪役令嬢が脳筋すぎて、原作イベントが始まりません!

作者: 北村えり
掲載日:2026/08/25

また息抜きにテンプレものを自分なりに味付けしてみました。

今日は、王立リュミエール学院の入学式だ。

正確には、私にとっては入学式ではなく転入初日なのだけれど――


校門の向こうにそびえる白亜の校舎を見上げながら、

十七歳になったばかりの私――コレット・グラウプナーは、感動に打ち震えていた。


一か月前、私は教会から『春の乙女』として正式に認定された。


春の乙女とは、祈りによって土地へ豊穣をもたらす特別な力を持つ女性のことだ。

認定されれば出自や身分にかかわらず王立学院で学ぶ資格が与えられ、

卒業後は教会に所属することも、高位貴族へ嫁ぐこともできる。


豊穣の恩恵を求めて春の乙女を妻に望む貴族は多く、

過去には王族へ迎え入れられた者さえいた。


男爵家の娘にすぎない私が、こうして王立学院へ転入できたのもそのためだ。


そして、ここからが重要である。


私の髪はピンク色のボブで、瞳は水色。

ここはオルテンシア王国で、今日から通うのは王立リュミエール学院。

王太子の名はジークフリート・オルテンシア、

その婚約者はアーレンベルク公爵令嬢ロザリンデ。


――ここまで揃えば、もう疑いようがない。


ここは、私が前世で何度も読んだ小説――

『春の乙女は恋の花を咲かせる』、

通称『はるこい』の世界だ。


(きた……!)

私は胸の前でぎゅっと拳を握った。


前世の私は、ごく普通の会社員だった。

友達は少なかったし、恋人もいなかった。


休日ともなれば家にこもって、悪役令嬢ものや乙女ゲームもの、

身分差恋愛ものを片っ端から読み漁る。

似たような設定の作品を何十本読んだか、もう覚えていない。


そんな私が、よりにもよって原作主人公に転生した。

しかも、春の乙女として。


(これはもう、勝ち確では?)


原作通りなら、私はこれから一年をかけてジークフリート王太子と親しくなる。

その過程で婚約者のロザリンデから嫉妬され、数々の嫌がらせを受けるけれど、

健気に耐え続けた末、卒業パーティで彼女の悪事がすべて明らかになる。


ロザリンデは断罪され、ジークフリートは彼女との婚約を解消し、私を選ぶ。


完璧だ。


前世では何一つ思い通りにならなかったけれど、

今度の人生にはちゃんと正解がある。


私は原作の通りに歩けばいい。

――そう思っていた。


最初の三か月は。



それから数週間後。

昼休み、中庭で――


「グラウプナー嬢。学院生活には慣れたか?」

「はい、殿下!」


昼休み、中庭で声をかけてくれたジークフリート殿下へ、

私はできるだけ可愛らしく微笑んだ。


金色の髪に、澄んだ緑の瞳。百八十五センチの長身はすらりとしているものの、

決して細いだけではなく、

王族として必要な鍛錬を積んでいることが服の上からでも分かる。

これぞ王道攻略対象。


前世の私なら、挿絵を見ただけで拝んでいたレベルだ。


「先生方にも、クラスの皆様にもよくしていただいています」

「それはよかった。困ったことがあれば、生徒会へ相談するといい」


「ありがとうございます。あの、殿下。もしよろしければ今日のお昼を――」

「ジークフリート殿下」


その声が聞こえた瞬間、殿下の視線が私から外れた。


「ああ、ロザリンデ」

……今、声の温度まで変わらなかった?


振り返ると、腰まで届く艶やかな黒髪をゆるく波打たせた少女が立っていた。

金色の瞳は猫のようにやや吊り上がり、

整った顔立ちは一見すると少しきつそうに見える。

華奢な身体に優雅な立ち居振る舞い。


いかにも。

あまりにも、いかにも悪役令嬢。

ロザリンデ・アーレンベルク公爵令嬢だ。


原作の彼女は、春の乙女である主人公を身分の低さゆえに見下していた。

『わたくしの婚約者の周りをうろつかないでくださる?』

『これだから、生まれが卑しい方は困りますわ』


そんな嫌味を平然と口にし、取り巻きを使って陰湿な嫌がらせまで繰り返す。

主人公を一年間苦しめ続ける、まさに典型的な悪役令嬢だった。


「本日の放課後ですが、鍛錬場をお借りできるそうですわ」

「そうか。俺も行こう」


「殿下は生徒会のお仕事があるのでは?」

「それまでに終わらせる」


「無理はなさらないでくださいませ」

「ロザリンデこそ」


二人はごく自然に言葉を交わし、そのまま並んで歩き出した。

私は慌てて口を挟もうとしたけれど、


「あ、あの、殿下――」

「では、グラウプナー嬢。またな」

「はい……」


入り込む余地はなかった。

二人の背中を見送りながら、私は自分に言い聞かせる。


(……まあ、まだ始まったばかりだし)


原作でも、最初から王太子が主人公に夢中だったわけじゃない。

イベントを重ねて少しずつ好感度を上げ、やがて特別な存在になっていくのだ。


問題ない。


たぶん。



三か月が経っても、何も起きなかった。


ジークフリート殿下は私に親切だった。

ただし、それだけだ。

春の乙女として今後王国に貢献するであろう私に対し、

王太子として礼儀正しく、実に平等に接してくれる。


そして、もっとおかしいのがロザリンデだった。


「グラウプナー様、次の教室はこちらですわ」

「あ、ありがとうございます」

「転入されたばかりですもの。迷いますわよね」


少なくとも、私が知っているロザリンデとは違って親切だった。

しかもそれは、一度きりではない。


「グラウプナー様、実習はいかがでした?」

「長時間立ちっぱなしだったので、ちょっと疲れました」


「まあ。それでしたら、足腰を鍛えた方がよろしいですわね」

「……はい?」


「体力がつけば、祈りに集中できる時間も伸びるでしょう?」

「……そうですね」


親切……ではある。

方向性が若干おかしいけど。


その夜、私は自室の机に原作の記憶を書き出した紙を広げ、頭を抱えていた。


原作では、平手打ちされたり、髪を切られたり、持ち物を壊されたりと、

さまざまな嫌がらせが次々に起こる。


そして最後には、階段から突き落とされる。


主人公がそれらに耐え抜くことで周囲は徐々にロザリンデへ不信感を抱き、

同時に主人公へ同情するようになる。

何より、ジークフリート殿下が主人公を守るようになるのだ。


(もしかして……イベントが起きてないから、殿下の好感度も上がらないんじゃ?)

そう考えると、妙に納得できてしまった。


原作と同じ世界だからといって、

何もしなくても勝手に物語が進むとは限らない。


なら。

(起こせばいいんだ)


今思えば、この時点で誰かに止めてもらうべきだった。



最初に狙ったのは、持ち物への嫌がらせだった。


原作では、ロザリンデの取り巻きが主人公の教科書を破ったあと、

鞄を池へ投げ捨てる。


ならば私の持ち物がロザリンデの近くで壊されていれば、

誰かが原作通りに疑ってくれるかもしれない。


ちょうど休憩時間、ロザリンデは鞄を机へ置いたまま教室を離れていた。


私は周囲を確認し、その鞄へ手を伸ばす。

少し細工をしてから目立つ場所へ移動させ、

自分の壊れた教科書でも近くに置いておけば――


「……っ!」

持ち上がらない。


「なにこれ!?」

思わず声が出た。


片手ではびくともせず、両手を使ってようやく少し浮く程度。

教科書が数冊入っているだけとは到底思えない重量だった。


「何をなさっているのです?」

「ひゃあっ!」


振り返ると、いつの間に戻ってきたのか、ロザリンデが不思議そうに私を見ていた。


「こ、これは、その……!」


咄嗟に言い訳を探したものの、何も浮かばない。

ロザリンデは私の手元と鞄を交互に見て、不思議そうに眉を上げた。


「わたくしの鞄に何か?」

「なんでこんなに重いんですか!?」


結局、誤魔化すために口から出たのはそんな質問だった。


「鉄板が入っておりますもの」

「…………はい?」


あまりにも当然のように答えられて、聞き間違いかと思った。

けれどロザリンデは何でもないことのように鞄を持ち上げると、

細い腕にぶら下げてみせた。


「通学中にも鍛錬できますでしょう? 時間は有限ですもの」

「なんで通学中まで鍛錬する必要があるんですか!?」


私が思わず声を上げても、ロザリンデはきょとんとするばかりだ。


改めて鞄へ視線を落とす。

見た目はごく普通の、上品な令嬢用の鞄である。

まさか中に鉄板が仕込まれているなど、誰が想像するだろう。


「……これ、毎日持ってるんですか?」

「もちろんです」


「何キロあるんです?」

「今日は八キロほどですわ」

「今日は!?」


 思わず聞き返すと、ロザリンデはさらりと続けた。


「ええ。今日は少し軽めですの」

「これより重い日があるの!?」


驚愕する私の方がおかしいと言わんばかりに、ロザリンデは小さく首を傾げた。


「何か問題が?」

(問題しかねえよ!)


結局、その日の持ち物イベントは諦めた。

このままでは原作イベントを起こす前に、私の腰が終わる。



次に試したのは、平手打ちのイベントだ。


原作では、人目の少ない廊下でロザリンデに頬を叩かれた主人公が、

その直後にジークフリートへ発見される。


赤く腫れた頬を見た殿下が、

初めて婚約者へ強い疑念を抱くきっかけとなる重要な場面だ。

これなら、さほど難しくない。


私は自分で頬を軽く叩いて赤みをつけると、

以前から親切にしてくれていた女生徒へ、いかにも言いづらそうに打ち明けた。


「ロザリンデ様に、叩かれて……」

「まあ! それ、本当ですの?」


女生徒が息を呑んだ、その時だった。

まるで狙ったかのようなタイミングで、廊下の向こうからロザリンデが歩いてくる。

好都合だ。


「ロザリンデ様!」


呼び止められた彼女は足を止め、こちらへ金色の瞳を向けた。


「グラウプナー様を叩いたというのは本当ですか?」

「わたくしが?」


ロザリンデはわずかに眉を上げると、私の赤くなった頬をしばらく眺めた。

やがて何かを確かめるように目を細め、静かに首を横へ振る。


「違いますわね」

「そんな……!」


「わたくし、人を殴る際は拳を使いますの」

「知らねえよ!」


反射的に叫んでしまった。

廊下が、しんと静まり返る。


しまった。ヒロインらしくしなければ。


「……ではなくて! ど、どうしてそんなことが言い切れるんですか?」

「平手では力が逃げますでしょう?」

「理屈を説明すんな!」


私の必死の取り繕いなど気にも留めず、

ロザリンデはもう一度こちらの頬へ視線を向けた。


「それに、本当にわたくしが殴っていたなら、その程度では済まないと思いますわ」

「怖えよ!」


「確かに」

すぐ横から同意する声がして、私はぎょっと振り向いた。

「殿下!?」


いつからいたのか、ジークフリート殿下がこちらへ歩み寄ってくる。

その表情に疑いはなく、

むしろロザリンデの主張を当然の事実として受け入れているようだった。


「ロザリンデの拳は重いからな」

「なんで知ってるんですか!」


「一緒に鍛錬することがある」

「なんで婚約者の拳を受けてるんですか!?」


こうして二度目の原作イベントも、ロザリンデ本人の謎の説得力と、

婚約者への理解度がおかしい王太子によって見事に潰された。



どう考えてもおかしい。

原作では、

この時期になるとジークフリートは主人公へかなり心を開いていたはずなのに、

現実の二人は相変わらずだった。


「ロザリンデ、今日の鞄は?」

「十キロですわ。昨日は少し物足りませんでしたので、増やしましたの」


「そうか。無理はするなよ」

「心得ております」


たまたま近くを通りかかった私は、思わず足を止めた。

(なんだこの会話)


十キロの鞄を持って通学する婚約者も、

それを聞いて驚くどころか体調だけを気遣う王太子も、どちらも何かがおかしい。


しかも二人は、単に仲がいいという程度ではなかった。

ジークフリートはロザリンデを見る時だけ、はっきりと目元が柔らかくなる。


本人に隠すつもりがあるのかは知らないけれど、

少し離れた場所から見ている私にすら丸分かりだった。


(……もしかして、ロザリンデも転生者?)


ふと、そんな可能性が頭をよぎった。


そう考えれば辻褄は合う。

原作で断罪される未来を知っているから私へ嫌がらせをせず、

起こるはずのイベントも片っ端から回避しているのではないか。

鉄板入りの鞄については、まったく説明がつかないけれど。


(いや……待てよ)


それを言うなら、ジークフリートだって十分おかしい。

原作では春の乙女である私へ少しずつ惹かれていくはずなのに、

現実の彼は私へ一ミリも靡く気配がない。


(まさか、こいつも転生者?)


それからしばらく、私は二人の言動をそれとなく観察してみた。


けれど、前世の存在を疑わせるような証拠は何一つ出てこない。

ロザリンデが口にするのは、勉強や社交、王太子妃教育、それから鍛錬。

たまに筋肉。

ジークフリートも政治や歴史には詳しいけれど、

現代日本を知っているような言動は皆無だった。


そんな折、学院で秋の夜会が開かれた。

華やかなドレスに身を包んだロザリンデは、

普段以上に“原作の悪役令嬢”らしく見えた。

腰まである黒髪は美しく結い上げられ、

金色の瞳は灯りを受けて猫のようにきらめいている。


黒を基調とした扇子で口元を隠す仕草も、いかにもそれらしい。

(……見た目だけなら完璧なんだよな)

少し離れたところから眺めているうちに、

ふと原作の嫌がらせイベントを思い出した。


主人公の扇子を壊される場面があったはずだ。

ならば、ロザリンデの扇子と自分のものを入れ替え、あとから壊しておけば――。


ちょうど彼女が飲み物を取りに席を外した。

私は周囲を確認し、テーブルに置かれた黒い扇子へそっと手を伸ばす。

持ち上げた瞬間、手首が沈んだ。


「っっっ重!?」

危うく床へ落としかけ、慌てて両手で支える。


「何これ!?」

「鉄扇ですわ」

「うわあっ!」


背後から聞こえた声に飛び上がった。

振り返れば、いつの間に戻ってきたのか、ロザリンデがこちらを見ている。


この人、いつも背後から現れるのやめてほしい。


「て、鉄扇!?」

「ええ。護身用ですの」

「なんで舞踏会にそんなもん持ってきてんだよ!」


私が両手で支えている扇子を、ロザリンデは細い指先でひょいと受け取った。


「扇子は日頃から持ち歩くものですし、

どうせなら鍛錬にも使える方が効率的でしょう?」

「舞踏会でまで鍛錬すんな!」


「舞踏会では振り回しませんわよ?」

「そういう問題じゃねえ!」


「何を騒いでいるんだ?」

今度はジークフリートまでやってきた。


「殿下! この人の扇子、鉄でできてるんですよ!」


助けを求めるように訴えたのに、ジークフリートは黒い扇子を一瞥しただけだった。


「知っている」

「重いんですよ!?」


「今日は軽い方だな」

「なんで殿下まで基準がおかしいんですか!?」


しかも彼はそこで話を終えるどころか、

ロザリンデが持つ鉄扇を眺めて穏やかに微笑んだ。


「よく似合っている」

「ありがとうございます、殿下」

「しかも褒めるんですか!?」


二人は顔を見合わせ、揃って不思議そうにこちらを見る。


その瞬間、私はようやく悟った。

(……こいつら、転生者じゃない)

ただの変人カップルだ。



それでも私は諦めきれなかった。


髪切りイベントも試した。自分のピンク色のボブをほんの少しだけ不揃いに切り、

ロザリンデにやられたと訴えたのだ。


「ロザリンデ様に、髪を切られました!」


けれど彼女は毛先を見るなり、眉を寄せた。


「これはわたくしではありません」

「どうして言い切れるんですか!」


「雑ですもの」

「そこ!?」


「わたくしがやるなら、もう少し綺麗に揃えますわ」


そう言うなり、ロザリンデはスカートの内側から小型のナイフを取り出した。


「ご希望なら、今お見せしますけれど?」

「しまえ!!」


「切れ味は保証しますわ」

「そういう問題じゃない!」


近くにいたロザリンデ付きの女生徒が、慣れた様子でその腕を下ろさせる。


「お嬢様。証明方法がおかしいです」

「ですが、実演するのが一番分かりやすいでしょう?」

「分かりやすさより危険性を考えてください」


(絶対に転生者じゃない)


ここまで来て、私は確信した。

こんな転生者がいてたまるか。



それでも、私はまだ諦めきれなかった。


原作最大にして、ロザリンデ断罪の決定打となる事件――階段からの転落だ。


卒業を目前にしたある日、ロザリンデは主人公を階段から突き落とす。

それまで積み重なってきた嫌がらせに、

命に関わりかねない暴力まで加わったことで、

ついにジークフリートは婚約者を見限る。


これさえ成功すれば、きっとすべてが原作通りに戻る。

そう信じた私は、ロザリンデの横を通り過ぎる瞬間を狙い、

足を滑らせたふりをして身体を後ろへ倒した。


「きゃあっ!」


背後には長い階段が続いている。

この高さなら、少なくとも誰かに突き落とされたようには見えるはずだ。

今度こそ、原作通り――。


「危ない!」

その瞬間、手首を強く掴まれた。


「え?」


落ちるはずだった身体が宙で止まり、次の瞬間にはぐいっと上へ引き戻される。

何が起きたのか理解する間もなく、私は再び階段の上に立っていた。

呆然としたまま、自分の手首を掴んでいるロザリンデの手を見る。


――片手だ。


彼女はもう片方の手を使うことすらなく、

私一人の体重を、片腕だけで支えてそのまま引き戻したらしい。


「…………」


思わず、その華奢な腕へ視線が吸い寄せられる。

呆然とする私の前で、ロザリンデは手首を掴んだまま珍しく険しい顔をしている。


「何をなさっているのです?」

返事ができない。


「階段ではきちんと足元をご覧になってくださいませ。

今の落ち方では、大怪我をしていたかもしれませんわ」


どうやら本気で私が足を滑らせたと思っているらしい。

けれど今の私には、そんなことより遥かに気になることがあった。

震える指で、ロザリンデの華奢な腕を指す。


「なんでその腕で私を片手で引き上げられるんだよ!」


するとロザリンデは、さも当然のことのように答えた。


「日頃の鍛錬ですわ」

「またそれかよ!!」


こうして原作最大のイベントまで、ロザリンデの筋力によって跡形もなく潰された。



そして一年後、ついに卒業パーティの日がやってきた。


(今日だ)


ここまで、何もかもが原作とは違っていた。

それでも私は、最後の最後には物語が本来あるべき形へ戻るのだと、

まだ信じていた。


煌びやかな大広間には、華やかに着飾った生徒たちだけでなく、

教師や王侯貴族まで集まっている。


原作ではまさにこの場所で、

ジークフリートがロザリンデの悪事を一つずつ暴き、公衆の面前で婚約を解消する。

そして、傷つけられ続けた主人公へ手を差し伸べるのだ。


やがてジークフリートが人々の前へ進み出た。

(きた!)


期待に胸を高鳴らせた、その時。


「コレット・グラウプナー嬢」


呼ばれたのは、ロザリンデではなく私だった。


「……はい」

「君には確認したいことがある。

この一年、ロザリンデから嫌がらせを受けたと複数回訴えていたな」

「はい!」


そう。ここからだ。

ところが、私を見つめる緑の瞳には、

傷ついた主人公を守る王子様らしい優しさなど欠片もなかった。


「しかし調査の結果、その多くが事実ではなかったことが判明した。

君自身が虚偽の証言を依頼していたことも確認している」

「…………え?」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。遅れて血の気が引いていく。


「ま、待ってください」

「階段の件にも目撃者がいる。ロザリンデは君を突き落としていない。

むしろ、落ちかけた君を救助した」

「でも、原作では――」


思わず口からこぼれた言葉に、大広間がしんと静まり返った。


「……原作?」

ジークフリートが怪訝そうに眉を寄せる。


「違う……」

こんなのは違う。


私はこの世界を知っているはずだった。

この物語がどう進み、誰が誰を愛し、一年後の今日、

誰が断罪されるのかまで知っていたはずなのに。

どうして、何一つその通りにならないのだろう。


混乱したまま視線を彷徨わせた、その時だった。

大広間の正面に掲げられた大きな幕が目に入る。


『王立リュミエール学院 卒業祝賀会』


「…………学院?」

胸の奥に、ほんの小さな引っかかりが生まれた。


前世で何度も読んだ『春の乙女は恋の花を咲かせる』。

その表紙も、登場人物も、舞台設定も、私は今でも覚えている。


王太子ジークフリート。

公爵令嬢ロザリンデ。

そして物語の舞台は――王立リュミエール学園。


「……学園?」


もう一度、目の前の幕を見上げる。

そこに書かれているのは、王立リュミエール学院。


学園ではない。

学院だ。


たった一文字。

その違いを意識した瞬間、前世の記憶の底から、

もう一つのタイトルが浮かび上がってきた。


『春の乙女は愛の花を咲かせる』


前世で小説投稿サイトを漁っていた頃、

『はるこい』とあまりにも設定が似ているので、

タイトルとあらすじだけ読んだことがある作品だ。


春の乙女が学院へ編入し、王太子と出会う。

王太子には公爵令嬢の婚約者がいて、

春の乙女を警戒した彼女から嫌がらせを受ける。


主人公はそれに健気に耐え、やがて王太子が彼女へ惹かれていき、

最後は卒業パーティで悪役令嬢を断罪する。


『春の乙女は恋の花を咲かせる』

『春の乙女は愛の花を咲かせる』


恋と愛。

学園と学院。

どちらも違うのは、たった一文字。

(……ほぼ同じじゃねえか)


すべてを理解した瞬間、頭の中で何かが切れた。


「似た設定の原作小説出過ぎなんだよ!!!!」


私の魂の叫びが、大広間いっぱいに響き渡った。

当然ながら、意味を理解できた者は一人もいなかった。




私に下された処分は、一か月間の教会奉仕だった。

春の乙女として各地を巡り、豊穣の祈りを捧げることになる。


当然だと思う。

いくら物語を勘違いしていたからといって、

私は自分の都合で他人を陥れようとした。


誰かに騙されたわけでも、操られたわけでもない。

勝手に未来を決めつけ、

思い通りにならないからと現実を無理やり原作へ合わせようとしたのは、

ほかでもない私自身だ。

罰は受けるべきだろう。


そして教会奉仕へ出発する日の朝、荷物を抱えて王都の教会へ向かうと、

正門前に見覚えのある黒髪の少女が立っていた。


「グラウプナー様」

「……ロザリンデ様」


正直、気まずい。

私はこの人に散々なことをしたのだ。

怒鳴られても、二度と顔を見せるなと言われても文句はない。


けれどロザリンデは、いつもと変わらない穏やかな様子で私を見ていた。


「今回のことについて、わたくしから申し上げることはありませんわ。

グラウプナー様ご自身が、一番よく分かっていらっしゃるでしょうから」

「はい」


素直に頷くと、彼女はわずかに表情を和らげた。


「ですが、随分と思い詰めておられたのでしょう。

これから一か月、各地を回られると伺いました」

「そうです」


「豊穣の祈りは体力も使いますものね」

「……そうですね」


なぜだろう。

ものすごく嫌な予感がする。


案の定、ロザリンデはにこりと笑った。


「でしたら、出発まで少し時間もありますし、一緒に鍛錬でもします?」

「…………」


「まずは軽い走り込みからで大丈夫ですわ。

その後は体幹を鍛えて、慣れてきたら少しずつ負荷を――」


「なんでこの世界こんな脳筋なんだよ!!!!」


私の叫び声が、春の朝空へ高らかに響いた。




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