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かなしみのHIGAN EXPRESS

作者: 仲瀬充
掲載日:2026/01/09

母一人子一人なのに僕はひきこもって学校にも行かない。

医者が言うには幼い時の何らかのトラウマが原因らしい。

そんな僕が今日は制服姿でカバンを提げて通学列車を待っている。

僕は夢を見ているに違いない。

こんなおかしなことは現実にはありえない。

その証拠に地元の駅なのに駅名板の表記は『人生駅』。

そしてローカル駅には不似合いな豪華列車がホームに停車している。

車体には金文字で『HIGAN EXPRESS』

先頭の蒸気機関車の三つの動輪がやたらと大きい。

まるでオリエント急行か銀河鉄道だ。


「HIGAN行き急行の切符売り場はこちらです」

駅員が客を改札口横の駅長室に誘導する。

金色の線が入った帽子をかぶった駅長は木製の大きなデスクを前にして座っている。

客たちはその前に縦1列に並んだ。

僕は横手の壁際に立って様子をうかがうことにした。


「HIGAN EXPRESSはかなしい人しか乗れません。あなたは何がかなしいのですか? 小学校の先生をしておられるようですが」

乗車予約客の資料に目を通しながら駅長が先頭の女性客に尋ねた。

「子供たちがなついてくれずクラス内のいじめも止まないんです。学校に行くのが辛くて毎朝涙がこぼれます」

「あなたはどうして教師を目指したのですか?」

女性客はしばらく考えた後でひとりごとのように呟いた。

「そうか、私、子供が好きだったんだ……」

「切符をお渡しします。1号車にお乗りください」


次の客は製薬会社の研究開発員だった。

「あなたは何がかなしいのですか?」

「後輩が私の上司になって威張り散らすので仕事に身が入りません。彼は何の研究成果も挙げていないんです。それなのに社長の親族というだけで出世して」

「あなたが製薬会社に就職したのはどうしてですか?」

「母が長いこと膠原病(こうげんびょう)を患っているんです。その苦しみを見てきたので特効薬を一日も早く開発したくて」

客は故郷の母親に思いをはせるかのように遠くに目をやった。

「分かりました。1号車にお乗りください」


3人目は前の二人と違って表情が曇っていない。

「私は仕事を終えて帰宅する時いつもかなしくなります」

「具体的には何がかなしいのですか?」

「特に決まってはいません。夕焼けがきれいだったり家々に明かりがぽつぽつ灯ったりするのを見るとかなしくなります」

「あなたが商事会社の事務員になった理由を教えてください」

「ごく普通の会社員になってごく平凡な家庭を築くのが望みでした」

「それがうまくいかずに帰宅する足どりが重いということですか?」

「いいえ、望みは叶いました。仕事にも家庭にも不満はありません」

「了解しました。2号車にお乗りください」


続く客たちも順番に駅長と面接めいたやりとりをして切符を受け取った。

割合を言えば1号車に乗る客の方が格段に多かった。


最後に駅長の前に立ったのは売れない詩人だと自嘲する老人だった。

「駅長さん、あんたに聞きたいことがあるんじゃが」

「何でしょう?」

「どうして客を1号車と2号車に分けて乗せるのかな?」

「HIGAN EXPRESSは途中で切り離されて行き先が分かれるのです。1号車が『悲願(HIGAN)行き』、2号車が『彼岸(HIGAN)行き』になります」


老詩人は首をかしげた。

「違いがよく分からんが」

「1号車の乗客は悲しいのではありません、悔しいのです。仕事を始めた理由、つまりスタートが悲願のゴールになってしまった人たちです。ただし1号車は循環路線を走るので結局はこの人生駅に戻ってきます」

「なるほどな。では2号車の行き着く先は?」

「この先で線路のポイントが切り替えられて別の路線に入りますが、その先は私にも分かりません」

駅長の説明を聞いても僕には1号車と2号車の違いがよく分からない。

自分が乗るならどちらに振り分けられるのだろう、そんなことを思った。


駅長は壁際に立っている僕の方に顔を向けた。

といっても僕ではなく僕の頭上の壁かけ時計を見上げたようだ。

そのせいで目深(まぶか)にかぶった帽子の下の顔が見えた。

駅長自身も悲しそうな顔をしていた。

僕はここへ来たことを後悔した。

駅長は掛け時計から老詩人に視線を戻した。

「発車の時刻が迫っています。あなたは何がかなしいのですか?」

「うーむ、しいて言えば人間、自然、宇宙、すべてかな。生きていること自体も含めて何もかもがわしはかなしい」

「あなたはなぜ詩人に?」

「人の世のかなしみを言葉にするためじゃが駅長さんの話を聞いてかなしみというものがよく分からなくなってしもうた」

「そろそろ時間です。1号車、2号車、お好きな方にお乗りください」


老詩人がホームに向かうと駅長が今度は掛け時計ではなく僕を見た。

「君も乗るのなら急が……」

駅長の顔がこわばり言葉が途切れた。

「あなたは何が悲しいのですか?」

僕のほうが駅長にそう問いたかったが答えの想像はつく。

かつて妻と幼い子を捨てたことだろう。

僕は改札口に背を向けた。

もう二度とこの駅に来ることはないだろう。

呼び止める駅長の哀願の声を出発の合図のベルがかき消した。

覚めかけた夢の中でHIGAN EXPRESSの機関車の動輪がゆっくりと回り始めた。

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