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第6話 戻る場所

 朝の支度をしながら、ミレイは何度も手を止めた。


 髪をまとめる手が止まり、

 服を選ぶ指が止まり、

 最後には、鏡の前で小さく息を吐く。


(……なんで、こんなに落ち着かないのよ)


 理由は分かっている。

 今日は、レインと会う約束をしているからだ。


 たったそれだけの予定。

 宿を探して、街を歩くだけ。


 昨日も顔は見ているし、言葉も交わした。

 それなのに、胸の奥がざわつく。


 まるで、昔に戻ったみたいだ。


(本当に……変わってないんだから)


 呆れたように思いながら、

 その言葉に、少しだけ安堵も混じる。


 ――あの子は、戻ってきた。


     ◆


 レインがギルドに通い詰めるようになったのは、六歳の頃からだった。


 ミレイはその頃、孤児院にいた。

 年下の子どもたちの世話をして、

 泣き止ませて、寝かしつけて。


 だから、ギルドで何が起きていたのかは、詳しくは知らない。


 ただ――

 毎日、当たり前のように出ていく背中だけは、はっきり覚えている。


 朝、紙の束を抱えて出ていき、

 夜、さらに増えた紙を抱えて戻ってくる。


 遊びに行くでもなく、

 剣を振るわけでもない。


(……子どもって、あんなだったっけ)


 不思議な子だった。


 夜になると、レインはよく紙を差し出してきた。


「これ、読んでみて」


 書いてある内容は、正直よく分からない。

 大人が読むものだろうと思うような言葉が並んでいる。


「……ごめん、難しい」


 そう言うと、レインは少し考えてから、必ず同じことを言った。


「じゃあ、どこで止まったかだけ教えて」


 分からないことを、責めない。

 理解できないことを、恥だとも言わない。


 どうすれば“伝わるか”だけを、真剣に考えていた。


 いつの間にか、基準ができていた。


 ――ミレイが読んで、途中で嫌にならないか。

 ――最後まで読めるか。


 それを越えないと、完成じゃない。


 何度も書き直す。

 何枚も破って、また書く。


 机の横には、失敗作の紙の山。

 指先は、いつも黒く汚れていた。


 付き合わされる側としては、正直、根気が要った。

 眠くなる日もあった。


 それでも、嫌じゃなかった。


 分からないと言っても、

 「じゃあ、ここ直す」と素直に言う。


 理解できない自分を、

 置いていかないでくれるからだ。


     ◆


 仕組みが少しずつ回り始めた頃から、

 レインは修行にも本腰を入れた。


 ギルドに顔見知りが増え、

 自然と、声をかけてくれる冒険者も増えた。


 剣の構え。

 足の運び。

 魔力の流し方。


 誰か一人に弟子入りすることはない。

 それぞれの「いいところ」だけを、静かに吸収していく。


 教わったことを誇ることもない。

 できるようになったことを自慢することもない。


 ただ、昨日の自分より少し前に進む。


 それを、毎日、限界まで。


     ◆


 最初に倒れた原因は、単純だった。


 ――過労。


 寝不足と、働きすぎ。


 動けなくなったレインを見たとき、

 ミレイは驚かなかった。


(そりゃ、そうなるわよ)


 むしろ、納得のほうが先に来た。


 目を覚ましたレインは、すぐに言った。


「ごめん」

「ありがとう」

「次は気をつける」


 全部、本心だと分かる言い方だった。


 でも――

 次も、同じように限界までやった。


 止めても、止まらない。

 怒っても、やめない。


 だから、ミレイは役割を変えた。


 止める人じゃなくて、

 戻る場所になる。


 倒れたら、看病する。

 起きたら、食べさせる。

 文句は言うけど、追い出さない。


 それが、一番現実的だった。


     ◆


 ミレイから見たレインは、天才じゃない。


 最初から何でもできたわけじゃない。

 飲み込みが特別早いわけでもない。


 ただ――

 量と執念がおかしい。


 修行も。

 紙の束も。

 考え事も。


 できるまでやる。

 納得できるまで、やり直す。


 自分の限界を、まるで信用していない。


 だから、壊れるところまで行って、

 初めて「ここまで」と判断する。


(ほんと、面倒な子)


 でも、放っておけない。


 それに――

 自分がいるから、あの子は前に進めている。


 そう思えることが、

 いつの間にか、ミレイ自身の支えになっていた。


     ◆


 支度を終え、ミレイは孤児院を出る。


 レインがこの街に戻ってきた。

 その事実が、今はただ、嬉しい。


 心配は尽きない。

 無茶も、きっとやめない。


 それでも――

 また隣を歩ける。


 それだけで、十分だった。


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