第5話 異変の正体と、語られる名前
翌朝。
まだ街が完全に目を覚ます前、
レインは孤児院を出た。
朝靄の中、パンを焼く匂いが微かに漂ってくる。
子どもたちの寝息が聞こえなくなった時間帯だ。
(……さて、仕事だ)
装備は軽い。
剣一本と、最低限の補助具。
北街道周辺は、本来そこまで危険な場所ではない。
出るとしても、グレイウルフやゴブリンの小集団。
定期的な間引きと巡回で、長年バランスは保たれてきた。
――だからこそ。
今回の報告は、引っかかっていた。
◆
北街道周辺での魔物報告が増え始めたのは、数週間前からだった。
最初は単発。
次に、間隔の短縮。
そして、数の増加。
どれも、よくある兆候だ。
森の餌が減ったとか、縄張り争いとか。
だが――今回は、少し違った。
報告される場所が、
少しずつ、だが確実に“同じ方向”へ寄ってきている。
(点じゃない。線だ)
そして、その先にあるのが――
◆
「……やっぱり、集められてるな」
旧採掘跡を見下ろしながら、
レインは小さく息を吐いた。
周囲には、はっきりとした痕跡が残っている。
大小さまざまな足跡。
踏み荒らされた地面。
倒され、引きずられた木々。
無秩序に暴れた跡ではない。
一定の方向性を持って、ここに集まってきた形跡だ。
現れた魔物は、
オーク、ホブゴブリン、グレイウルフ。
どれも、この近郊では珍しくない種。
だが――数が多い。
それに、配置がいい。
「……統率されてる」
偶然ではない。
何かが、上にいる。
理由は、すぐに分かった。
採掘跡の奥へ進んだ瞬間、
空気が変わる。
重い。
圧がある。
肌に、じわりと魔力がまとわりつく。
――そして。
「……でかいな」
思わず、そう呟いた。
そこにいたのは、キングオーガ。
通常でも、単体で厄介な上位種。
だが――目の前のそれは、明らかに違った。
体躯が一回り、いや二回り大きい。
筋肉の密度が異常だ。
皮膚は硬く、無数の古傷が刻まれている。
「……特別個体、か」
レインの知識の中でも、
この規模のキングオーガは見たことがない。
過去のギルド報告。
王都の資料。
教育院で読んだ記録。
どれにも、該当しない。
(育ったのか、それとも――)
思考は一瞬で切り上げる。
「だからって、逃がす理由にはならない」
◆
戦闘は、短く、激しかった。
キングオーガの咆哮が、採掘跡に反響する。
一歩踏み出すたびに、地面が揺れる。
力は、確かに強い。
だが――動きは粗い。
(振りが大きい)
真正面から受ける理由はない。
隙を突き、
脚を削り、
体勢が崩れた瞬間――
一気に距離を詰める。
剣が、急所を正確に捉えた。
鈍い音を立てて、巨体が倒れる。
その瞬間、周囲の魔物たちが動いた。
散ろうとする気配。
逃げ道を探す動き。
――逃がさない。
レインは、周囲を徹底的に制圧した。
目につく限り。
痕跡が残る限り。
森に溶け込もうとした個体も、
潜んでいた気配も、すべて。
芽は、残さない。
◆
日が落ちきる前、
レインはそのままギルドへ向かった。
血と土を落とし、最低限整える。
報告は、早いほうがいい。
◆
ギルドマスター・ドランの執務室。
「入れ」
中に入ると、
鋭い視線がこちらを捉えた。
「終わったか」
「はい」
レインは地図を広げる。
「北街道旧採掘跡。
中心は――キングオーガでした」
ドランの眉が、わずかに動く。
「……キングオーガだと」
「ええ。
それも、特別個体です」
サイズ、筋力、耐久。
どれも、通常の記録を超えている。
「過去の報告にはありません」
沈黙。
ドランは、低く唸った。
「だから周囲がまとまってた、か」
「はい。
複数種が混在していました」
「被害は?」
「死者はまだ出ていません。
巣作りの初期段階でした」
ドランは、短く息を吐いた。
「原因は?」
「街道の活性化と、放置されていた環境。
そこに、特別個体が入り込んだ」
珍しい話ではない。
だが、放置すれば大事になる。
「対策は三点」
封鎖。
間引き範囲の再設定。
巡回と報告頻度の調整。
ドランは、しばらく考え込み――頷いた。
「領主にも回す。
今回の件、異変として正式に扱う」
「お願いします」
「……相変わらずだな」
「何がですか」
「倒して終わりにしねぇところだ」
それだけ言って、視線を戻した。
◆
執務室を出ると、
カウンターの向こうでミレイが腕を組んでいた。
「……生きてる?」
「失礼だな」
「顔見れば分かるけど」
ほっとしたように息を吐く。
「明日、私休みなの」
「知ってる。昨日も聞いた」
「だから」
身を乗り出す。
「朝から孤児院、行くわよ」
「……逃げ場は?」
「ない」
即答だった。
「王都の話も、今回のことも、全部」
レインは、苦笑する。
「分かったよ」
「約束ね」
◆
ギルドを出ると、
夜の空気が、少し冷たかった。
今日一日で、
街はひとつ、危機を越えた。
だが――
北の気配は、まだ静かすぎる。
(要警戒かな)
レインは、そう判断した。
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