第3話 領主館
夕方の風が、街道を抜けていた。
孤児院を出て、領主館へ向かう道。
石畳を踏む感触も、建物の配置も、記憶とほとんど変わらない。
歩調を緩めると、自然と視線が上がる。
通り沿いに並ぶ店の看板。
人の流れ。
荷を積んだ馬車。
(……よく通ったな)
まだ十歳にも満たなかった頃。
この道を歩くたび、胸の奥がざわついていた。
緊張ではない。
恐怖でもない。
――高揚だ。
自分の考えを、
“この世界の大人”にぶつけに行く道だったからだ。
否定されるかもしれない。
笑われるかもしれない。
それでも、
試さずにはいられなかった。
◆
グレイ伯爵領――
中央北方領地と呼ばれるこの土地が、
今や王国内有数の商業拠点として名を知られている理由。
それを、街の人間は感覚で知っている。
だが、“始まり”を知る者は、そう多くない。
レインが幼い頃まで、
この街は商人にとって、ただの「通過点」だった。
王都へ向かう途中で立ち寄られ、
水と食料を補給し、
一泊したら、すぐ出ていく。
悪くはない。
だが、伸びもしない。
そんな評価だった。
転機は――
王都へ向かう商人たちの愚痴だった。
――ここから、まだ距離がある。
――護衛が高い。
――途中で荷が傷む。
同じ話を、何度も耳にした。
(……だったら、まとめればいい)
幼いながらに、そう思った。
一人ひとりが無理をするから、
コストも、危険も、膨らむ。
ならば、
領主が責任者となり、
市場と流通を“管理する側”に回ればいい。
多くの商人が、
「使わない理由がなくなる仕組み」。
――依存してしまう物流。
(名付けて、Amaz●n化計画だ)
王都向け定期便の整備。
冒険者を護衛兼運送要員として活用。
大規模倉庫と検品体制による品質安定。
共通価格表による利益の見える化。
運送契約による流通独占と補償。
この世界では、
まだ確立されていなかった“物流による商売”。
レインは、それらの案を次々と紙に書き起こした。
前世の会社員時代に使っていた、
企画提案書の様式で清書し――
領主館に持ち込んだ。
八歳の少年の話を、
グレイ伯は真剣に聞いた。
笑わず、
遮らず、
試すような目で。
そして、実行に移した。
結果――
わずか五年で初期投資分を大きく回収し、
莫大な利益を生み出す仕組みが完成した。
街は変わった。
人が集まり、
金が巡り、
仕事が増えた。
◆
回想を終え、
レインは領主館の門をくぐる。
警備兵が一瞬、目を見開いた。
「……レイン様?」
「やぁ。お久しぶりです」
それだけで、通された。
案内された執務室。
書類に目を落としていた男が、顔を上げた。
「――帰ってきたか」
グレイ伯爵。
机に肘をつき、
じっとレインを見る。
「……三年、か」
「はい。ただいま戻りました」
「体は大きくなったな」
「おかげさまで」
「王都教育院での話は、嫌というほど届いている」
短い沈黙。
だが、視線は鋭い。
「そうですか」
「“嫌というほど”だ」
苦笑が混じる。
「……正直に言うぞ」
伯は、椅子に深く腰掛けた。
「お前がこの街に戻るとは、思っていなかった」
レインは、否定しなかった。
「王都に残る道も、あったはずだ」
「はい」
「騎士団、魔術師団、文官……
どれを選んでも、将来は約束されていた」
一拍。
「それでも、戻ってきた理由を聞かせろ」
試す声ではない。
だが、測る声だった。
◆
レインは、少しだけ視線を落とす。
頭の中には、
いくつもの言葉があった。
後悔。
未練。
願い。
「……夢を実現するためです」
それだけを、選んだ。
「夢?」
「はい」
「世界一の孤児院を作るために、まずはS級冒険者を目指します」
「……S級冒険者はそんな簡単になれるものではないが」
短い沈黙。
「お前なら実現してしまいそうだな」
「その夢のために必要なことがあればいつでも頼ってくれ」
その言葉に、
レインは小さく息を吸った。
「はい、その時は遠慮なく」
伯は、ふっと口角を上げる。
引き出しを開け、紙を一枚出す。
「北街道沿いで、魔物による被害報告が相次いでいる」
「……魔物ですか」
「今のところは小型ばかりだ。
だが、数が多い」
差し出された依頼書。
「これを、お前へのギルド指名依頼として出す」
一瞬、言葉を切る。
「個人的にも、見せてほしい」
「何を、ですか」
「お前が“冒険者として”
この街に立つ姿をだ」
期待とも、不安とも取れる目。
「……分かりました」
依頼書を受け取る。
「この街はな」
伯は、少しだけ声を落とした。
「お前がいたから、変わり始めた」
断言ではない。
だが、確信に近い言葉。
「だから、続きを見たい」
レインは、深く頭を下げた。
◆
領主館を出る。
夕暮れの街が、橙色に染まっている。
レインは、依頼書を胸にしまい、
冒険者ギルドの方角を見た。
第二の人生は、
もう走り出している。
だが――
本当の目的地は、まだ誰にも見えていない。
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