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第1話 もう一度だけ戻れるとしたら

 目覚ましが鳴る、三分前。

 なぜか、はっきりとした意識のまま目が覚めた。


 夢を見ていた気がする。

 けれど、内容はもう思い出せない。


 ただ――

 続きを、見たかった。


「……まだ、寝たいな」


 独り言のように呟いてから、結局、布団を押しのける。

 いつも通りの朝だった。


 鏡に映る自分は、少し疲れた顔をしている。

 三十代後半。

 大きな病気もなく、致命的な失敗もない。


 二十代で結婚し、子どもは二人。

 五年前に郊外に家を買った。

 大企業の子会社に勤め、仕事はそれなりにこなせている。


 突出しない代わりに、沈みもしない。

 人間関係も、家庭も、安定している。


 家に帰れば、

 「おかえり」と言ってくれる場所がある。


 ――少なくとも、

 「失敗した人生」ではなかった。


 それなのに。


 胸の奥に、何かが残っている。

 形にならない、名前もつかない感情。


 通勤電車の中で、スマホを眺める。


 動画サイト。

 SNS。

 流れてくるのは、決まって同じ言葉だ。


 挑戦。

 夢。

 成功。


 三十代前半までは、

 「他人事だ」「作り話だ」と思っていた。


 けれど最近、

 なぜか、目が止まる。


 学生時代の自分は、

 もっと単純だった。


 本気でやれば、結果は出る。

 努力すれば、認められる。


 偉人伝やドキュメンタリーの主人公に、

 自分だってなれると思っていた。


 根拠なんて、なかった。

 それでも、疑っていなかった。


 いつからだろう。


「失敗しない範囲でやろう」

「無理する必要はない」


 そんな言葉が、

 いつの間にか口癖になったのは。


 夜。


 一日の終わり。

 動画を流しながら、何も考えないふりをする。


 でも、ふとした拍子に、

 考えてしまう。


(もし、小さい頃からずっと、

 本気で挑戦し続けていたら)


(もし、失うものが何もない場所に、

 戻れたとしたら)


 自分も、

 そっち側の人間になれていたのだろうか。


 答えは出ない。


 出ないまま、

 今日も一日が終わる。


 布団に入り、目を閉じる。


(人生、最初からやり直せたらな)


 願いというほど、立派じゃない。

 ただの、未練だ。


 その夜は、妙に静かだった。


 エアコンの音も、

 遠くを走る車の音も、

 いつもより、ずっと遠い。


 意識が、ゆっくりと沈んでいく。


 ――眠い。


 そう思った、その瞬間だった。


 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


「……?」


 息が、うまく吸えない。

 喉の奥に、何かが引っかかったような感覚。


 体を起こそうとして、

 動かないことに気づいた。


 視界が暗くなる。

 音が、遠のいていく。


(ああ……)


 不思議と、冷静だった。


 恐怖より先に、

 別の感情が浮かぶ。


(……俺の人生、こんなもんだったのかな)


 大きな後悔じゃない。

 でも、確かに残っていたもの。


 ――もし。


 ――もし、もう一度、やれるなら。


 そこで、意識が途切れた。


     ◆


 次に目を覚ましたとき、

 時間の感覚は、すっかり曖昧になっていた。


 最初に感じたのは、重さだった。


 体が重い。

 自分のものなのに、思うように動かない。


 それでも、苦しくはない。


 耳に届く音がある。

 低く、柔らかく、一定の調子で続く声。


 意味は分からない。

 けれど、怒気や緊張は感じなかった。


「……あ」


 声を出そうとした。

 喉に力を入れたつもりだった。


 返ってきたのは、

 か細く、頼りない音だけ。


 その瞬間、

 何かがおかしいと気づく。


 視界が、ゆっくりと明るくなる。


 木目の天井。

 近い距離の光。

 鼻をくすぐる、知らない匂い。


(……違う)


 病室でも、自分の部屋でもない。


 考えようとして、

 思考だけは、驚くほどはっきりしていることに気づいた。


 記憶はある。

 さっきまでの人生も、

 抱えていた未練も、全部。


 なのに――


 体が小さい。

 力が入らない。

 指先ひとつ、思うように動かせない。


 理解するまでに、

 それほど時間はかからなかった。


(……転生、か)


 どこかで聞いたことのある言葉。

 何度も読んできた設定。


 否定する理由は、見当たらない。


 近くで、誰かが微笑む気配がした。


「元気な子だね」


 女の声。

 優しく、落ち着いた響き。


 抱き上げられる。

 視界が揺れ、世界が動いた。


 知らない顔。

 知らない言葉。

 知らない場所。


 それでも、不思議と不安はなかった。


 終わったはずの人生が、

 形を変えて、続いている。


 理由は分からない。

 説明も、奇跡の演出もない。


 ただ――


 胸の奥に残っていた感情だけは、

 そのままだった。


 未練。


 小さな体では、

 できることはほとんどない。


 歩けない。

 話せない。

 何も選べない。


 それでも。


 考えることだけは、できた。


(今度は……)


 言葉には、ならない。


 ただ、

 前とは違う生き方になる気がした。


 まだ、何も決まっていない。

 名前も、立場も、未来も。


 けれど――


 この人生は、

 静かに、始まろうとしていた。

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