1話「おとぎの国へようこそ」
「お、目ぇ覚めた?」
私が目が覚めて、一番最初に目にしたのは、大きな丸い瞳の男の子だった。
茶色がかった白い不思議な色の髪はふわふわで、まるで……そう、
「……羊?」
「…………」
いつの間にか口に出していた。
それを聞いた少年が、びっくりしたように一際目を丸めている。色素の薄い蜂蜜色の瞳は、きらきらと輝いていた。
そして、思いっきり何度も頷く。興奮した様子で私の片手を両手で握った。
「デスティニー!」
「え?」
「これって運命!? 君が俺の待ってたマイエンジェル?!」
「あの……ちょっとまだ理解が……」
「きっと前世で恋人同士だったんだよ! やっと会えた! 俺の運命の人!」
何でそうなる。
柔らかい少年の手は、でも骨貼っていてたしかに男の子の手だった。ちょっと恥ずかしくなって、私は振り払わない程度に手を下げる。
少年は私のことなんてお構いなしに、興奮したように続けた。
「俺のあだ名! ヒツジって言うんだよ! 君、記憶ないだろ!? 生まれたばかりの天使は大体ここで目覚めるんだ!」
記憶。
その一言ではた、と気付いた。
私には、何の記憶もなかった。
自分の名前、なぜここにいるのか、親、兄弟、友達、自分の性格、自分の存在、何もかもがわからない。
私が分かったのは、自分が女の子ということだけだ。
「私、何も覚えてない……」
「そりゃそうだ。生まれたばかりの天使はみんな記憶が空っぽだよ、フツーのことなんだ」
「天使? さっきのマイエンジェル的な?」
「そうだけどそうじゃなくて! 俺も君も、この世界の住人はほとんど天使なんだ」
「この世界……」
世界ってなんだろう。そもそも、
「ここ、どこなの……?」
白い天井、アイボリーの壁、私が寝ていたのは、シミひとつない真っ白いベッド。雲の上のようにふわふわな寝心地だった。
起き上がって見えたのは、少年の後ろには、大きな窓がある。
そこから見える景色は、白を基調とした街並みだった。山を滑り落ちるように、階段状に建物が美しく並び立つ。
白の中に青や赤の壁や屋根が時折垣間見える。ギリシャとか、スペインで、そんな観光地があるのは……思い出した。
その向こう側には、一面の真っ青な海。眩しいほどにきらめく海面を……汽車が走っている。煙を立てながら。
「ここはおとぎの国、ネバーランド。天使たちが生まれ変わるための、夢と魔法の世界なんだ」
「天使……? 私も天使ってこと? ……私、死んじゃった?」
「多分、そう。俺が目覚めた時も驚いた。でも、……」
自身をヒツジと名乗った少年は、周りをキョロキョロ見回し、口元に両手を添えた。
内緒話をするように、小声で話し出す。
「あのねあのね、俺にはね……前世の記憶がちょーっとだけあるんだ。へへ、トクベツっぽいんだよね。それで確信した、ここは天国みたいな場所なんじゃないかってさ」
「前世? 天国……? 夢みたいな話だなぁ……夢じゃないの?」
「夢みたいな本当の話さ! 天使は時が来ると、また子供に生まれ変わるんだって。それまでここで、たっくさん夢を見て、たっくさん遊んで食べて寝て、楽しく過ごすんだ。素敵な天使になることが俺たちの目標!」
「……いつ生まれ変われるの? 新しくお父さんとお母さんが出来るってこと? そもそも、私の両親のことすら覚えてないのに」
「生まれ変わりが決まったら、ゼロさんが決めてくれたパパとママに贈られる。そうして、現実世界で生まれ落ちる」
「ゼロさんって誰?」
「一番偉い人。一番最初に天使になったんだと思う、ゼロだから」
「えらいひと……」
情報量が多過ぎて混乱していると、ヒツジは私の首あたりをじっと見つめてきた。
「君は、100だ」
「ひゃくって?」
「見て、俺のここ」
ヒツジが柔らかい髪を耳にかけて、首筋を見せる。そこでようやく気付いた。
ヒツジの纏っている服は、白を基調としたセーラー服姿で、半ズボンを穿いている。
広い襟元から見える彼の首筋には、数字が刻まれていた。
「42……」
「そ。俺は42番目に生まれた天使。君は100番目の天使で、俺の前世の恋人だった説」
「確証は?」
「俺のあだ名を知ってる!」
「それだけ?」
「俺の一目惚れ」
「やば、急に胡散臭え」
思わず突っ込んだ声を聞いていたのか聞いていないのか、ヒツジの私を見る目はたしかに……きらきらしていた。
これが恋をしてる人の瞳、なのだろうか。私は自分の見た目すら知らないのに。
「……これから私、100番って呼ばれるの? ヒツジには呼ばれる名前があるのに」
「そんなこと俺がさせない。百で……君は花みたいに、かわいい。パーフェクトキュートなフラワー!」
「えーと、褒めてくれてる? ありがとう、距離近いね」
「百と花、君の名前はモモカ! どう? いい名前?」
「……惜しいかも」
えー、可愛いのに、なんて、ちょっと不満そうな声をあげるヒツジをよそに、私はちょっとだけ考え込む。
モモカは、少しだけしっくりこない。ろくに記憶もないくせに。こういうのって、感覚なんだろう。
そう、感覚的には惜しいのだ。私が名乗るとしたら……
「モカ。私、モカ。よろしく、ヒツジ」
「……モカ。モカ! よろしくマイハニー!」
「その話は本当か!?」
私たちのやり取りを切り裂くように、鋭い声が室内に響く。
声のした方を振り向くと、スライド式の扉があった。
顔面蒼白で立ち尽くす青年が、拳を握り締めて私たちに詰め寄ってきた。
どの話が本当なのかさえ、私にはさっぱりだというのに。




