第7話
塔の岡に構えた陶軍本陣には斥候がひっきりなしに出入していた。
「申し上げます」
斥候が陶晴賢の前にひざまずく。
「毛利本軍により、わが第二部隊が殲滅された模様。
まもなくこの本陣にも敵が攻め寄せて来るかと」
「もうよい」
晴賢は軍配で斥候の頭を叩く。
「殿、本陣から脱出のご準備を」
近習侍が言う。
「わかっておる」
晴賢が言う。
「これより余は小姓を数名連れて海岸に逃げる。
わが水軍の船に乗り、海から退却じゃ。
一方、第三部隊だけここに残し、残りは全員海岸沿いの道から大元浦へ向かう。
影武者たちもそちらに連れて行け」
影武者とは大将そっくりな風貌の侍を指す。戦時に本物の大将が敵の攻撃から逃れるため、敵の目をあざむき、偽物の大将である影武者を攻撃させた。影武者は複数人いる場合もある。
「毛利勢には余が大元浦へ向かっていると見せかける。その隙に余は海から逃亡する。よいな」
晴賢は床几から立ち上がり、床几を蹴飛ばす。
「カシラ、大変だ」
やせぎすの海賊――達平が叫ぶ。
「囲まれちまいましたぜ」
武吉は安宅船の甲板から周囲を見回す。
四方から敵船の船に囲まれている。そのうち一隻が安宅船、残り三隻が関船だ。
こいつはまずいぞ。
武吉は心の中で舌打ちする。
炮烙玉はそろそろ在庫が尽きていた。
小早船で手下に援軍を頼みに行かせたところだ。
自分たちの船だけでこれまでに安宅船を数十隻、関船をその倍近く沈めてきた。
こちらに近づいてきた敵船の小早船は沈めた数は覚えてないが、すべて弓矢と焙烙玉で追い払った。
しかし、不思議なことに周囲の敵艦が少しずつ海中に沈んでいく。
なにが起きたのだ。武吉はいぶかった。
最初に後方の関船が沈み、次に前方に安宅船が沈んだ。
左右の関船が沈むまで少し間があったが、ほぼ同時に沈んだ。
「武吉、武吉はいないんか」
下から声がするので海を見下ろすと白装束のオツルノオバが海面から顔を出して立ち泳ぎしている。
オツルノオバの周囲にも数人の白装束の海女たちが同じように立ち泳ぎをしている。
「船に乗りたいんじゃが、ちょっと手伝え」
「オバ、すぐ行くぞ」
武吉は手下に声をかけて手伝わせ、立ち泳ぎしている海女衆をすべて乗船させる。
オツウノオバの話では、武吉の船を取り囲んだ四隻の敵船を沈めたのは海女衆とのこと。
海女は帯に薙刀や槍の刀身など短い刃物を挿して海に潜り、敵船の船底に複数箇所、穴を開けたとのこと。
「どうじゃ、海の戦じゃたら、女衆は役に立つじゃろうて」
オツルノオバがそう言うと、武吉は「わかった、わかった」と言い、その場を後にして屋形に入る。
むくつけき男たちを従える武吉もこの老婆には頭が上がらない。
「なにっ、陶晴賢が逃亡したじゃと」
毛利元就が言う。
「奇襲は概ね成功じゃったが、陶の首を取らないことには戦に勝ったことにならぬ」
博奕尾に構えた毛利本軍の本陣は、毛利元就を中心に、長男毛利隆元、次男吉川元春の三人が馬蹄形に座っている。
「陶は海岸に逃げ、陶水軍の船に乗り込んだとのことにござる」
隆元が言う。
「拙者が耳にしたところでは」
元春が言う。
「陶は海岸沿いを伝って大元浦を目指しているとのこと」
「どちらが正しいのじゃ」
と元就。
「少なくとも陶本軍の多数派が大元浦へ移動しているとのこと」
と元春。
「また陶軍傘下の弘中隆兼率いる軍勢が山中へ進軍しているとの報もあります」
「なにゆえ、山中を進むのじゃ」
「おそらく、われら博奕尾の本陣に向けて奇襲をする腹づもりかも知れませぬ」
「では、われらはどうすればよい」
元春の考えでは、自分の軍でこれから大元浦へ向かう陶軍を追撃したいとのことだった。
弘中隆兼が博奕尾を攻めるかも知れないので、元就、隆元の両軍は迎え撃つためにここに留まり、元春の軍が追撃で陶晴賢の首を狙う。
「しかし陶が海上に逃げていたらどうする」
隆元が口をはさむ。
「兄上、それは多分ないでしょう。それにもし海上に逃げたら、小早川水軍、村上水軍に任せるべきかと」
「元春よ」
元就が言う。
「お前の考え通りに進めてみよ」
「御意」
(つづく)




