第4話
安宅船の甲板には四隅に四本のかがり火が炊かれていたが、他の軍船のかがり火や月明り、星明りも合わせても視界は暗いままだった。
ただし暴風雨はかなり弱くなった。
武吉は厳島のある方角を眺めた。
毛利勢の合戦開始の合図は、島の山頂を見よと通康から聞いている。
水軍の軍船は安宅船、関船、小早船の三種類がある。
安宅船は五百人乗りで小早船や武器、食料などを格納でき、軍船の旗艦の役割を果たす。帆船だが人力の櫂で推進することもできる。人力の方が高速だった。とは言え、速度は最も遅い船だ。
一方、小早船は機動力がある高速の小型船で三十人乗り。乗員は左右二列に分かれ、櫂を漕いで推進する。
関船は安宅船を縮小した船で乗員は数十人から百人程度。安宅船より速度は速く、小早船より積載量が大きい。
武吉はふと甲板に白装束の老婆が松明を持って海に合図しているのに気づく。
近寄るとオツルノオバだった。
「オバ、こんなとこ来んな」
武吉が叫ぶ、
「女がこんなとこ来るもんじゃない。戦が始まるぞ」
オツルノオバが振り返る。
「因島村上の海女衆を待ってるんじゃ」
オツルノオバの話では、松明を目印に因島村上の海女たちが小早船でここまで来るので乗船させよとのこと。
男衆だけでは戦は任せられぬから、ここは女衆の力が必要とのこと。
「だめじゃ。女は船に乗せない」
武吉は何度となくオツウノオバの提案を断った。
しかしオツルノオバが武吉の言うことは聞かないのはわかっていた。
オツウノオバには武吉がいくつになっても幼少の子供に見えるらしい。だから武吉がいくつになっても子供扱いする。
それと言うのもタカ爺が亡くなってからオツウノオバは時間が止まっているようなのだ。
「おまえが生まれる前か、まだケツが青い時分じゃったか忘れたが、周防の大内の軍勢が大三島を侵略したことがあってのう、ワシは槍や刀を振り回してやつらを追っ払ったんじゃ。
ワシの方がおまえよりは戦のことはよう知っちょる。それに海女衆は海の合戦では役に立つんじゃぞ」
ほどなくして海上を走る松明の光が安宅船の舷側に近づく。海女たちを乗せた小早船だった。松明は櫂を漕がない海女の一人が掲げていた。
武吉は仕方なく人を数人呼び、海女たちの乗船を手伝った。
厳島の包ヶ浦に到着したのは戌亥の刻(21時)だった。
暴風雨はとうにやんでいた。
毛利本軍は海岸に上陸した。
陶晴賢の本陣は山を挟んで島の反対側にある。
御大の毛利元就、嫡男の毛利隆元、次男の吉川元春が揃い、そのそばに村上通康が加わる。
その周囲を鎧武者たちが囲む。
数十本のかがり火と月明りだけがかろうじて暗闇から視界を取り戻している。
「これより登山を開始する」
元就が言う。
「おそれながら」
隆元が言う。
「夜の山道は見通しが悪く、危険にございます。
今夜はここで本陣を組み、明日出発するのはいかがかと」
「それでは間に合わぬ。今から出発じゃ。
陶軍への奇襲は明日の早朝を予定しておる」
元就と隆元はしばらく言い合ったが、先に黙ったのは隆元の方だった。
「ときに通康とやら」
元就は通康の方を向く。
「お主は来島村上の水軍を率いて、これより船を出し、来た方向と反対方向へ舵を取れ」
「はあ?」
「厳島を周回し、陶の水軍を西の海から攻撃するのじゃ。
さすれば陶の水軍は東から小早川水軍、西から来島村上水軍に挟まれる。
そして沖に出れば能島村上、因島村上の両水軍から攻撃を受ける。
これがワシの作戦じゃ。さしもの陶の水軍もこれなら手も足も出まい」
大した知恵者じゃのう。この毛利の爺さんは。
通康は胸の中で独り言ちる。
詰将棋のごとく、理詰めで戦略を組み立てるとは……。
まさに知将の中の知将。戦国随一の奸雄と揶揄されるだけのことはある。
(つづく)




