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瀬戸の若鯱(わかしゃち)  作者: カキヒト・シラズ


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第3話

 海は暴風雨で時化ていた。荒れ狂う高波がときおり岸まで押し寄せてくる。

 稲光が暗闇の海原を照らし、次いで地響きのような雷鳴が耳をつんざく。

 天文二十四年九月三十日、酉の刻(18時)。

 安芸国の国人領主、毛利元就は地御前の海岸に佇み、吐息を漏らす。

 (よわい)はまだ還暦にかろうじて届かぬが、白髪混じりの頭髪と鋭い眼光は、熟練した歴戦の知将の老獪さと年輪がなせる威厳をそこはかとなく漂わせる。

「まだか。まだ来ぬか」

 元就も周囲にいる侍もみな甲冑をまとい、武器をたずさえ、臨戦態勢に入っていた。

 海岸には安宅船、関船が合わせて数十艘ほど停泊している。

 元就は三男、小早川隆景の水軍を待っていた。できれば村上水軍を説得してわが軍勢につかせ、ともに陶晴賢率いる敵方の水軍と戦わせる。村上水軍さえ加勢すればわが軍に勝機はある。

 これが元就の読みだった。

 しかし、いつまでたっても小早川の水軍は来ない。

 草津城を出てからもう三日も地御前で足止めをくらっていた。

 斥候の知らせでは陶晴賢の軍勢は十日くらい前から厳島に上陸して陣を構えているとのこと。

 まだ小競り合いが続いている程度で宮尾城を本格的に攻撃してないが、水源を絶つという兵糧攻めで着実に宮尾城を攻略している。

 宮尾城には家臣の井上元兼が籠城して兵糧攻めを耐え抜いているが、そろそろ限界だろう。

「殿、水軍が来ました」

 近習侍の一人が言う。

 暗くて目を凝らさないと見えないが、確かに西の海に数百艘の軍船の群れが仄見える。





「毛利元就はどうした。まだ来ぬのか」

 陶晴賢はだれにともなく、怒鳴り散らす。

 陶家の家紋をあしらった陣幕に囲まれた本陣。

 その中央で甲冑に身を包んだ晴賢は床几に腰掛けている。

 周囲には甲冑を着た侍たちが、かしこまっている。


 (よわい)三十代半ばにして山陰、山陽など中国地方の多くの領地を実効支配している男。

 晴賢にとり、元就は中国地方を完全に支配する上で宿敵だった。

 軍師の中には晴賢の軍勢が厳島に進軍したのは元就の罠だという者がいた。

 その一方で晴賢としてはこれ以上元就を放置しておくと、いずれわが周防国まで侵略されるや知れぬという憂いもある。

 それに水軍なら毛利は敵ではない。厳島の戦なら水軍を征する者が戦全体も征す。


 ふと本陣に斥候が小走りに入ってくると、晴賢の前でひざまずく。

「殿、申し上げます。嵐のため、毛利勢は数日は厳島に進軍しないものと推定されます」

「なにっ?」

「宮尾城ですが、兵糧攻めが効いております。後数日待ってから攻めるのが妥当かと」

「おのれっ」

 晴賢は床几から立ち上がると、刀を抜き、斥候の首をはねる。

 周囲からざわめきが起こる。

 地面は血で染まる。

「遺体をかたずけておけ」

 晴賢はなにごともなかったかのように再び床几に腰かける。

 斥候の首と胴体はほどなく晴賢の目につかないところに運ばれた。

 斥候を斬ったのは気に食わない知らせを持ってきたからだ。

 晴賢は怒りで体が小刻みに震えているのを自覚した。





「殿、今すぐ出航すべきかと存じまする」

 村上通康が言う。

「この嵐ですが、もうすぐ止みまする」

「なにゆえにそう申すのか」

 と元就。

 通康は海に向かって鼻をくんくんさせる。

「まちがいありませぬ。臭いでわかりまする。長年、毎日海に出てますと臭いで時化が止むかどうかがわかりまする」

「……」

「今、出航すれば陶軍には気づかれずに厳島の裏側に到着できまする。

 殿は拙者の安宅船にお乗りくだされ。揺れは一番少ないかと」

 先ほど小早川隆景が通康を連れてきて元就に紹介した。

 二人とも軍用船で地御前の海岸に到着したばかりだった。

 通康は頭領の村上武吉をどうにか説得し、村上三島すべての水軍が毛利勢に加わることになった。

「水軍の方は武吉にお任せくだされ。陶勢の水軍がいかに多勢でも村上水軍はの戦力は天下無双」


 元就は隆景に命じ、厳島の宮尾城へ小早川水軍を進軍させた。

 その一方で元就たち毛利本軍は厳島の裏に回り込み、山を越えて陶軍を側面から奇襲する作戦だった。

 陶軍としては、宮尾城の籠城兵および小早川たちの連合軍と正面から戦う一方で、側面から毛利本軍に攻められる。

 さらに陶軍が海に逃げればそこには村上水軍が待ち構えている。

 三方からの挟撃。これなら陶軍に勝てるはず。

 通康が船頭を務める安宅船で夜の瀬戸内海に出航した元就は、様々な戦略を脳裏にめぐらせていた。


(つつく)


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