第2話
手下を連れて能島周辺を小早船で巡回するのが武吉の日課だった。
漁船や商船がときおり能島を通過する。
船には「上」の字が書いた旗、過所船旗がはためいている。
村上一族は瀬戸内海を通過する船には帆別銭、つまり通行料を徴収した。
帆別銭を支払った船には過所船旗、または割符手形を与えた。この他、村上一族の者を乗せている船は帆別銭が免除された。
そして帆別銭を払わない船を見つけると、村上一族は容赦なく船の乗員を処刑し、財産を略奪し、ときには船ごと瀬戸内海に沈めた。
帆別銭を徴収する制度は村上一族が定めたもので、室町幕府からも朝廷からも許可を得ていない。
だから世間は村上一族を海賊と呼んで忌み嫌う。
だが武吉は陸の民から税を巻き上げる荘園領主も自分たちと同じならず者だと考えていた。
陸の民には陸の掟があり、海の民には海の掟がある。
海の民に陸の掟は通用しない。
過所船旗をどこにもつけてない関船がふと目の前を通り過ぎる。
「野郎ども」
武吉が叫ぶ。
「仕事だぜ」
小舟船から獣の咆哮にも似た男たちの野蛮な雄たけびが上がる。
小早船は三十人ほどの男たちが左右に半数ずつわかれ、櫂を漕ぐ。
武吉は船の先頭に佇み、男たちに号令で合図し、櫂を漕ぐ調子を合わせる。
男たちはふんどし一枚か汚れた袴を履いただけの裸の上に甲冑を着ていた。頭にかぶった兜には鹿の角を両脇に付けたり、蟹の前立てを付けたり、思い思いの装飾が施されていた。
甲冑や武器の多くは過去の海賊行為で略奪したものだが兜の装飾は魔改造したものだ。
武吉もまたふんどし一枚に甲冑をまとい、腰に刀を差し、背に「上」の字をあしらった陣羽織を鎧の上に羽織っていた。
小早船は関船に追いつき、武吉は跳躍して舷側の上端に手をかけてぶら下がる。そのまま懸垂の要領で素早く上り、甲板に降り立つ。
甲板の上には数人の侍たちがいて、武吉を見て仰天した様子だった。
「われは村上水軍の頭、村上武吉と申す」
武吉が叫ぶ。
「割符手形を見せよ。なければ船の通行を禁ずる」
すると一人の壮年男が微笑みながら近づいてくる。
「武吉か、元気そうじゃないか」
気がつくと村上通康だった。
武吉の義父だ。来島村上の当主にして武吉の妻の父親である。
「これは父上。どうなされた」
「実は折り入って頼みがあってのう」
すると屋形から、上品な身なりの侍が出てくる。
侍は二人に近づくと、
「某は乃美宗勝と申す。小早川隆景公の家臣。こたびは村上水軍のお力を拝借したく、参上した次第」
「小早川隆景公は」
通康が口をはさむ。
「安芸国領主、毛利元就公のご子息じゃ。われら村上三島の一族にとり、毛利家と組むのは悪い話ではないと思うがな」
武吉は終始無言だった。
能島城天守閣は四方から瀬戸内海が見渡せる。
通康がここに来たのはひさしぶりだった。
これまで多くの城の天守閣に上ったが、ここほどの絶景はない。
床の間には「上」の文字の掛け軸に髑髏を飾った高坏がある。
いかにも海賊の城だ。通康はそう思う。
十畳ほどの間には、武吉、通康、乃美宗勝の三人が詰めている。
乃美の話はこうだった。
山陰、山陽、北九州を支配していた守護大名、大内義隆の家臣、陶晴賢が下剋上を起こした。義隆を討ち、大友家出身の大内義長を当主に立て、陶が実質的に義隆の領地を乗っ取った。
義隆と懇意だった毛利元就はこれを不服とし、陶晴賢との間でここ数年、戦が続いている。
厳島にある毛利家の宮尾城で近いうちに毛利勢と陶勢の最終決戦が予想されるが、ついては村上水軍に毛利勢への援軍を要請したいとのことだった。
毛利勢にも小早川隆景の水軍があるにはあるが、陶勢の水軍には戦力で到底及ばない。だが村上水軍が小早川水軍に加勢すれば形成は逆転するはずとの見立てだった。
「むろん、戦勝の暁には毛利家から村上水軍にそれ相応の報酬が与えられまする」
乃美が言う。
「……」
武吉は乃美を睨みつけたまま、無言を貫いた。
「援軍、お願いできますね」
「断る」
武吉は初めて口を開く。
「どうあっても、あんたらの戦にはくみしない」
「武吉、おれからも頼む。ここは協力してくれ」
通康が言う。
「せめて一日だけ船を貸してくれればいいだけでござる」
乃美が真剣な面持ちで武吉に迫る。
「だめなものはだめだ」
武吉はそうさけんで立ち上がり、天守閣の間を後にする。
(つづく)




