第14話
丸に「上」の字をあしらった旗が関船にはためく。
村上水軍の船が武吉たちの安宅船に近づく。
因島村上の船だ。安宅船の甲板から関船を眺めていた武吉はそう思う。
関船の甲板に二人の男が乗っていて、いずれも笑顔でこちらに手を振っている。
一人は乃美宗勝、もう一人は村上吉充。
吉充は因島村上当主で白髪混じりの初老だった。
「村上殿」
宗勝が口に両手を当てて大声で言う。
「そちらの船に乗せてくださらぬか。お話がござる」
小早船で宗勝と吉充の二人を武吉の安宅船まで運ぶ。
屋形内の八畳の間で武吉、宗勝、吉充が円形に座る。
「戦勝の報告に参った」
宗勝が言う。
「陶水軍はほぼ全滅。鯨の大群のおかげでござる。
また厳島内の陶本陣もわが小早川勢が占拠いたした。
総大将、陶晴賢の首も検分済とのこと。
まだ残党が山中にいるため、毛利本軍は陣を解いておらぬようじゃが、いずれ近いうちにきゃつらも壊滅するかと」
「武吉殿」
吉充が口を開く。
「それにしろ、武吉殿の鯨乗りは見事であった。
タカ爺を覚えておられるか。隆勝殿のことでござる。
あの見事な鯨乗りは隆勝殿が若い頃を彷彿とさせまする。
隆勝殿から聞いたところでは、昔は村上海賊はみな鯨乗りができたとのこと」
「初めて聞き申した」
と武吉。
「タカ爺も鯨乗りをやっていたとは」
「隆勝殿は若い頃、”瀬戸の若鯱”とみなから呼ばれており申した。
若くて強くてたくましく、水軍を率いる統率力があるという意味でござる。
じゃが、武吉殿も今ではりっぱな”瀬戸の若鯱”ですのう」
「……」
陶晴賢――厳島小五郎は山中を歩いていた。
毛利元就の命で山中に潜伏した陶軍残党を一人残らず斬れとのこと。
毛利本軍の多くの侍や足軽が手分けして残党狩りをやらされている。
今歩いている道は普通の山道でなく、ほぼ獣道に近い。
生い茂る雑木林と雑草が視界をさえぎり、昼なのに夕方のような暗さだ。
ふと木陰から抜刀した一人の武者が現れる。
小五郎も慌てて抜刀する。
「これは、陶晴賢公ではござらぬか」
武者は小五郎の顔を見て刀を降ろす。
「拙者、陶軍先発隊頭、武川十兵衛でござる」
武者は刀をおさめ、うやうやしく近づいてくる。
「違う。拙者はそのような者ではない。
拙者の名は厳島小五郎じゃ」
小五郎は武者を斬り捨てる。
武者は信じられないという驚愕の表情を浮かべたまま仰向けに倒れ、絶命する。
小五郎は刀を鞘におさめ、吐息を漏らす。
おれはだれなのか。
世の中のだれもがおれを陶晴賢だと認めないなら、おれは陶晴賢でなくなる。
世の中のだれもがおれを厳島小五郎だと認めるなら、おれは厳島小五郎になるだろう。
小五郎の脳裏にさまざまな想念がよぎる。
おれがだれなのか決めるの世の中でおれではない。
おれはだれにでもなれるし、だれにでもなれない。
そう考えるとなぜか愉快だった。
小五郎はふと哄笑する。それは空虚で乾いた笑いだった。
「とにかく、めでたい」
村上通康が言う。
「戦は勝ちじゃ。毛利元就公はまた別の戦のことを考えているようじゃがな。
これからも毛利軍はわしら村上水軍を頼ってくるじゃろうて」
「毛利はあまり好かんのう」
武吉が言う。
能島城天守閣の間には、武吉、通康、お松が座り、箱膳に盛った馳走を食している。
お松は武吉の妻にして通康の娘。妊娠していて腹がふくれている。
武吉と通康は酒を酌み交わす。
「それにせよ、そろそろお腹の赤子の名前も考えないとのう」
通康が言う。
「まだ早いですわ」
お松が言う。
「もう考えてる」
と武吉。
「川丸というのはどうじゃ」
するとそこへオツルノオバがやって来る。
「よい知らせじゃ」
オツルノオバが言う。
「お静が赤子を産んだぞえ。権之助の子じゃ」
「クジラ……クル……クジラ……クル……」
権之助が言う。
来島の海岸近くに権之助とお静の家はあった。
お静は赤子を抱っこしてあやしている。
「クジラ……クル……クジラ……クル……」
権之助は突然、家を飛び出す。
「あんた、どうしたの」
お静が言う。
お静は赤子をおぶり、外に出てみる。
権之助が海岸に続く道を走って行くのが見える。
「幸丸、お父は変だねえ」
お静は背中の赤子に言う。
あの人、どうしたのかしら。ときどきおかしなことを言うんだから。
権之助がなかなか戻ってこないので、お静は赤子を背負ったまま海岸に行ってみることにした。
権之助は海を見つめながら砂浜に佇んでいた。
「クジラ……クル……クジラ……クル……」
すると、海上から鯨の尾ひれが飛び出した。
水しぶきが上がり、海岸で見ていたお静の顔もかすかにしめらせた。
赤子が「ギャーギャー」泣くのでお静は揺さぶってなぐさめる。
(つづく)




