第12章
気がつくと武吉は鯨の背中に乗っていた。
左横を見ると権之助もまた同様に別の鯨の背中に乗っている。
二頭の鯨は並んで瀬戸内の海を泳いでいるようだ。
「カシラ……カシラ……」
権之助はなにやら身振り手振りでなにかを武吉に伝えようとしているようだ。
権之助は手足を大の字に広げ、鯨の背を全身で抱きしめている。
武吉も同じ恰好になってみる。
「クジラ……ココロ……カンジル……クジラ……ココロ……カンジル……」
波の音に混じり、権之助の声がかろうじて聞き取れる。
全身で鯨を抱きしめるとなるほど鯨の心がわかるような気がしてくる。
それは言葉にならない、獣の直感だった。
「クジラ……ジブン……イッショ……クジラ……ジブン……イッショ……」
鯨と自分は一体だった。武吉は全身でそう感じた。
自分が念じれば鯨は右に進むことも左に進むこともできる。
海中に潜ることも、海上に浮上することも意のままだ。
自分が鯨を操っているのか、それとも鯨が自分を操っているのか。
そのどちらでもあり、どちらでもないかもしれない。
それは人間の通常の感覚を越えた野生の本能の感覚を思わせた。
目の前に陶水軍の安宅船が数隻見えてくる。
「権之助、行くぞ」
武吉が叫ぶ。
二頭の鯨は敵船に突進する。敵船は木っ端微塵に破壊される。
博奕尾の毛利本陣では首実検が営まれていた。
首実検とは討ち取った敵将の首が本物か偽物かを検分することを指す。
元就の眼前に三つの生首が並ぶ。
いずれも次男、吉川義春の軍勢が山中に逃げ込んだ陶晴賢とその手下からなる部隊を追撃したところ、入手した首だった。
相手部隊を殲滅したので陶晴賢は死んだはずだが、この首のいずれが本物の陶晴賢かが議論になった。
首改め役を申し付けられた三人の侍のうち二人は真ん中の首が本物で他は影武者の首だとし、残りの一人は右端の首が本物だと説いた。
「ワシは左の首が本物の陶晴賢じゃと思う」
元就が言う。
「われも左端の男かと存じまする」
元春が言う。
三人の首改め役はしばらく協議し、今度は左端の首が陶晴賢だと意見を変えた。
元就は床几から立ち上がり、鞭で左端の首を叩く。
「カシラ……ウシロ……カシラ……ウシロ……」
権之助が叫ぶので後方を見ると、武吉と権之助が乗っているそれぞれの鯨の後に複数の鯨がついて来ている。
二列で鯨の群れが同じ方向に泳いでいるのだ。
「クジラ……モグル……クジラ……モグル……」
すると武吉と権之助の鯨がほぼ同時に海中に潜る。
後に続く鯨たちも同様に潜る。
権之助が鯨たちの意識を支配しているのか。鯨たちが権之助の意識を支配しているのか。あるいは自分が潜ることを念じたので鯨たちも権之助もしたがったのか。
武吉自身にもわからない。
ただ鯨たちも権之助も自分と一心同体であることは感覚的に理解していた。
海中では息ができないが、不思議と苦しくなかった。
見上げると陶水軍の軍船が艦隊を作っている。
今だ。今、ここから浮上すれば敵艦隊を殲滅できる。
武吉は浮上すること念じる。
鯨たちは急速に浮上する。
次の瞬間、鯨の行列が海上に現れ、その勢いで数百隻を越える陶水軍の安宅船や関船が次々と破壊されていく。
鯨の行列は瀬戸内海の神だ。
神が裁きを下すように悪しき軍船を一斉に沈めているのだ。
今の衝撃で陶酔軍は全滅したか、もう一回突進すれば全滅するのではないか。
武吉にはそう思えた。
やがて鯨の行列は厳島から遠く離れると、大きく旋回する。
「殿、陶晴賢と名乗る男を連れてまいりました」
足軽が言う。
「こやつ、殿の前で切腹させろと言い張るのです」
海岸で足軽たちに捕らえられた陶晴賢は、後手に縛られたまま毛利本陣に連れて来られた。
晴賢は足軽たちにより、元就の前でひざまずかされた。
「ひさしぶりじゃのう、毛利元就か」
晴賢が横柄に言う。
「余は陶晴賢。この顔を覚えておるじゃろう。
この戦、お主の勝ちじゃ。余はここで切腹を所望いたす。
介錯人を用意されたし」
元就は哄笑した。
なにがおかしいのか。晴賢はいぶかった。
晴賢にとり、頭ごなしに軽蔑されるのは殺されるよりも屈辱に思えた。
「おまえは本物にそっくりじゃ。顔だけじゃなく、所作といい、言葉使いといい。
ここまで完璧な影武者とは、まことにあっぱれじゃ」
「余は本物の陶晴賢なるぞ」
「よいよい」
元就は首改め役の三人の侍たちを呼び出す。
「この男、陶晴賢の影武者でござる。ほくろがないので本物ではござらん」
首改め役の一人が言う。
他の二人も同意する。
「どうだ。おまえはさしずめ下級武士か足軽の身分でござろう」
元就が言う。
「おまえを気に入った。今日からワシの家臣になれ。
おまえの名は、厳島小五郎じゃ。
断るならここで打ち首じゃ。切腹は許さぬ」
「……」
「どうじゃ、生き延びたければ厳島小五郎になるがよい。
一度しか聞かんぞ。おまえの名前を申してみよ」
元就は本当に自分を影武者と思っているのか。
それとも真実を知っていながら、知らないふりをしているのか。
晴賢にはそのどちらにも思えた。
武士の誇りを捨て、生きることを選択するか。命を捨て、武士の誇りを取るか。
晴賢の脳裏に様々な想念がうずまいた。
「おまえの名前を申してみよ」
「……厳島小五郎でござる」
(つづく)




