第3章 もう一つのコート
初めてのバーチャルゲームの日。ログインした瞬間、眩しいほどの光が広がり、コートの中央に立たされる。
直接この場所には、観客はいないはずなのに、システムが生み出す環境音が耳に届き、空気の張りつめた感覚さえ伝わってくる。
心臓が高鳴り、"ノヴァ"は無意識に拳を握った。
1 on 1 ゲーム開始。
相手は、"ノヴァ"より少し経験値の高いプレイヤー。背の高いアバターが突進してくる。
「っ……!」
思わず体がすくんだ。だが、バーチャルの自分は違った。
スッと足が出る。軽い。速い。
そのままディフェンスを抜き去り、気づけばリング下。
「い、入れっ!」
シュートが弧を描き、すぽん、と吸い込まれた。
"ノヴァ"は驚いた。身体の動きが、思った以上にスムーズに再現される。
ドリブル、フェイント、ジャンプショット――。
いつもより、リングが近くに感じる。
リアルで体格差に押されて埋もれていたプレイが、このコートでは生き生きと輝く。
「……通用する!」
その後も、バーチャルの長身としなやかさは"ノヴァ"の武器となり、想像以上に通用した。
ゲームは惜しくも負けたが、スコアボードには自分の名前がしっかり刻まれている。
負けても悔しさより、胸の奥に熱がこみ上げた。
翌朝。
教室に入ると、クラスの男子・木村 翔太が声をかけてきた。
「昨日のVBLのアーカイブ、見た?」
「前に、一ノ瀬、VBLに興味あるって言ってただろ?」
「なんか面白い、美人系ルーキーが出ていたぞ! NOVA-Johannès だったっけなぁ?」
「……え?」
遥は、一瞬、自分がVBLに登録したことがばれたかと思い、心臓が跳ねた。
「長身でしなやかな女性のプレイヤー」
「するするっとドリブルで抜いてシュート。」
「見た目は一ノ瀬と真逆だけど、プレイスタイル似ているな……」
「でもメンタル面が、まだ弱くて負けちゃった。そこは、一ノ瀬と一緒だな……」
その言葉に、遥は少し“ムッ”としたが、まさか自分が知らないうちに見られていたなんて、頬が熱くなる。
翔太の笑顔に、遥はただうつむいてしまった。
――遥は、なにも知らないふり。いや、興味がないふりをした。
放課後の体育館。
現実のバスケ部は、やはり違った。
シュートは入るのに、体格差に押し潰される。
リバウンドに飛び込めず、監督の声が飛ぶ。
「一ノ瀬、ベンチ!」
――また、ベンチか。
悔しさが胸に刺さる。自分は、ここでは、輝けないのか。
隅からコートを見つめながら、胸の奥で呟く。
「でも、私は……あっちでは通用した」
夜。再びログインし、ユウタと合流する。二人で練習を重ねるうちに、バーチャルの感覚は少しずつ身体に馴染んできた。
ユウタは勝てなくても笑い飛ばし、根気強く付き合ってくれる。その時間は、"ノヴァ"にとって唯一の救いとなっていった。
「"ノヴァ"はリアルでもバスケやってるんだろ?動きが自然なんだよなぁ。羨ましい」
「……でも、勝てない」
「勝ち負けだけじゃない。ここは楽しんでるやつの方が強くなるんだ」
その言葉が心に引っかかった。
ある晩、システム画面に通知が現れた。
【パラメータ更新のお知らせ】
遥は自分の数値を確認した。
- フィジカル:成長中
- オフェンス:上昇中
- ディフェンス:上昇中
- ゲームIQ:微上昇
- メンタル:変化なし
「……メンタル?」
ユウタのアバターを見て気づく。彼の「メンタル」の数値は、異常なほど高い。
ゲームで勝てなくても、楽しんで続ける時間そのものが彼を強くしている。
逆に「オフェンス」「ディフェンス」はほとんど伸びていない。
リアルでの経験が欠けているのだろうか。
一方で、"ノヴァ"の成長も偏っていた。
「オフェンス」「ディフェンス」「フィジカル」「IQ」は確かに伸びていた。
だが――「メンタル」だけは、伸びない。蓄積が見えないのだ。
「お、気づいた?」ユウタが横から覗き込む。
「それはね、普通の練習じゃ伸びないんだよ」
「どういうこと?」
「メンタルは、ゲームでどんな経験をしたかで変わるんだ。失敗しても挑んだり、仲間を信じたり、そういう“心の動き”が蓄積される」
――「メンタル」は、他のパラメータに影響して、プレイに「独創性」が生まれる。
ユウタが苦笑する。
「俺は逆に、メンタルばっか伸びてる。ずっとここにいるからな。数字だけは高いのに、オフェンスもディフェンスも全然伸びない」
「……どうして?」
「リアルがダメなんだろ、多分。動けてないリアル生活が、そのまま反映されるんだ」
"ノヴァ"は黙り込む。
V.B.Lの世界では、リアルやバーチャルの経験がそのまま数字になる。だが、心の在り方はそう単純ではないらしい。
勝ちたい、強くなりたい。その想いが揺れ動くほど、「メンタル」は育たないのかもしれない。
"ノヴァ"はコートに立ち、深く息を吐いた。
数字では測れない何かが、きっとここにある。
その手がかりをつかみたいと、強く思った。
そしてユウタには、逆の足りなさがある。
そのアンバランスさが、どこか不安を呼んだ。
練習を終え、ログアウトする直前。
ユウタが何気なく呟いた。
「……でもさ。メンタルが高くても、やっぱ、勝てなきゃ意味ねえのかな?」
"ノヴァ"は、その声色に、いつものユウタと違がう、何か違和感のようなものを感じた。