第1章 小さな背番号
西暦2085年。夏の陽射しは、田んぼの上を照らしながら、どこか懐かしい匂いを運んでいた。
ここは日本の地方都市。自動運転のバスが無音で走り抜けても、古びた商店街のシャッターは半分閉まったまま。
未来と過去が不格好に混ざり合った風景の中で、**一ノ瀬 遥**は部活帰りの汗をぬぐった。
彼女の背番号は「7」。小柄な体躯と、鋭いハンドリングで仲間からは頼りにされている
――はずだった。
けれど、今日のプラクティスでも現実は非情。
「ナイスディフェンス!」と声をかけられることはあっても、いざ得点に絡もうとすると、背の高い相手に弾き返される。
リングの上から見下ろすようなブロックショットを浴びた瞬間、彼女の胸の奥にじわりと重いものが広がった。
――やっぱり、私は小さいから。
ゲーム後、体育館の片隅でタオルを握りしめながら、遥は一人涙をこらえていた。
ドリブルも、フェイクも、スリーポイントだって決められる。技術には自信がある。
でも「小柄」という現実の前に、それはいつも霞んでしまうのだ。
夕暮れ。家に戻ると、リビングの壁面モニターには都会のニュースが流れていた。
「本日もWVBLワールドツアー準決勝は視聴者数一億人を突破しました!」
画面には、煌びやかな未来都市のアリーナ。空間全体をホログラムが包み込み、現実さながらの熱戦が繰り広げられている。
――V.B.L、「バーチャル・バスケットボール・リーグ」。
遥は食卓に座りながら、無意識に見入ってしまった。
ニュースキャスターが説明する。
「WVBLはV.B.Lの世界最高峰のリーグで、各国リーグ――日本では、JVBL――を勝ち抜いた者が集う舞台。
特徴は、老若男女を問わず、誰でも参戦可能な点。リアルの能力をデータ化し、それを自由のアバターに振り分けてプレイヤーを作成します」
解説映像が流れる。
・リアルの数値(オフェンス/ディフェンス/フィジカル/ゲームIQ)をスキャンし、合計ポイントとして算出。
・その総数値を、アバター作成時に自由に振り分ける。
・唯一の成長要素「メンタル」は、ゲーム経験を通してのみ上がる。
・リアルでの成長は、絶えずスキャンされ、逐一アバターに転嫁する。
・性別、年齢、体格差の壁は存在しない。
・すべてのゲームはクラウドに記録され、誰でも閲覧可能。
・大規模大会は全世界に生配信され、現実のプロスポーツを凌駕する規模に。
「……すごい世界だな」
田舎町の古びたちゃぶ台に腰掛けながら、遥は思わずつぶやいた。
窓の外には、昼間と変わらない稲穂の風景が広がっている。自動運転の農業ドローンが淡々と稼働し、収穫の進捗を光のバーで表示していた。
未来的な技術は確かにある。でも、この町で暮らす限り、自分がその最先端に触れることはない――そう思っていた。
父の足音が廊下から響いた。
「ただいま」
スーツ姿の一ノ瀬大樹は、どこにでもいるサラリーマン。
ニュースを一瞥すると、苦笑いを浮かべる。
「またV.B.Lか。最近は本当に話題が絶えないな」
遥は少し驚いた。父はスポーツには関心が薄いと思っていたからだ。
「お父さん、V.B.L知ってるんだ?」
「まあな。世界じゃ、もう立派なプロスポーツだからな」
淡々と答える父。その横顔に、一瞬だけ影が差した気がした。
食後、ふと用事で父の書斎を通りかかったとき、遥は足を止めた。
本棚の隅に、古びたバスケットシューズが置かれているのが目に入ったのだ。
ホコリをかぶってはいるが、どこか大事に扱われている。
――お父さん、バスケなんてやってたっけ?
問いかけようとしたが、取敢えず今はスルー。
遥かには、ほかに気になることがあった。
その夜、部屋に戻った遥は、ネットでJVBL「ジャパン・バーチャル・バスケットボール・リーグ」の公式サイトを開いた。
登録方法はシンプルで、誰でも参戦できると書いてある。
「リアルで叶わない夢も、ここでは挑戦できる――」
キャッチコピーが胸に刺さる。
窓の外では、田舎道を自動運転車が静かに走り抜けていく。
未来の技術に包まれているのに、自分だけが取り残されているような感覚。
そのギャップが、遥の心をざわつかせた。
――もし、バーチャルなら。
――もし、背の高さに縛られなければ。
――「もう一人の自分」に会ってみたいと思った。