☾ 02:地球の方が凄いじゃん!
◤ 所変わって、ここは地球……桜井梨里杏と入れ替わったリリア゠セリュージュは、萌と宿泊する予定だったホテルにいた…… ◢
「すっ、凄いじゃん……」
私は大きな窓ガラスに手を当て、夜景を見下ろしていた。
「ね、ねえリクス……こっちの世界の方が遅れてるってのは、本当なの? こんな夜景、エルデリアじゃ見たことないんだけど」
「はい。リアノス様は、一部の技術は地球の方が進んでいると仰っていました。ですが、総合力でいえばエルデリアに軍配が上がるかと思います。物を使わずに火を起こし、人を治療することだって出来る。——それは、こちらの人間には出来ないことです」
「それってさ……何の魔法も使えない、私への当てつけで言ってるの? ホント、失礼な子」
私はそう言って、魔導書リクスをパタンと閉じた。
それにしても、なんて立派な部屋……
エルデリアでは貧乏貴族と言われていたセリュージュ家だったが、腐っても貴族。正直、こちらでの生活はそこまで期待をしていなかった。だが、この部屋はどうだ。広い上にとても明るく、全てが高級感に溢れている。極めつけは、どこまでも広がるこの夜景だ。エルデリアに、こんな景色は存在しない。
二十歳の誕生日を迎えた夜、私はエルデリアから地球へと転送された。
いや……正しくは転送ではなく、地球にいた梨里杏と入れ替わったというところだろう。父であるリアノスに、私は地球人とのハーフだということを教えられたのは十八歳の時。そして二十歳を迎える夜、地球の梨里杏と入れ替わるという話を聞かされていた。出来れば、顔も声も全く同じだという、梨里杏をひと目見たかったものだ。
寂しくないのかって?
さあ、どうだろう……
魔法が使えて当然のエルデリアで、魔法を使えない私は生きづらい毎日を過ごしていた。だけど、地球では魔法を使えないのが普通だという。ほんの少しだけど、私はこの日が来るのを楽しみにしていたくらいだ。
——だけど、お父様は最後まで泣き続けていたっけ。
時計の針が0時を指すまで、ずっと私に謝っていた。
でも大丈夫、お父様。私はこっちで、元気に生きていくよ。
私はそう心に誓い、涙を拭った。
***
「リクス、おはよう」
私は魔導書を開いて、リクスと朝の挨拶を交わした。 昨晩、夜景を映し出していた大きな窓は、打って変わって雲一つ無い青空を描き出している。
「おはようございます、梨里杏様」
魔導書リクスは、本が開いている間だけ私と会話が出来る。そして、会話が出来ると同時に、魔導書にもリクスの言葉がつらつらと表記されている。ちなみに、リクスの声は私にしか聞こえない。
「なによ、その字。名前が漢字になってるけど」
「こちらの世界ではリリア様ではなく、梨里杏様です。細かいことですが、大事なことです」
「ふーん。——っていうか、そろそろお母様に挨拶にいかないとね。お母様の部屋はどこにあるの?」
「梨里杏様は勘違いされているようですが、この場所は実家ではなく、宿場です。しばらくでチェックアウトしなくてはなりません」
「なっ、なに? マジなの、それ?」
私の質問に、リクスは紐状のしおりであるスピンをコクリと下げた。
「もしかして、二十歳の誕生日を祝うために、地球の梨里杏はここに泊まってたってこと!? しかも一人で!?」
「どうやら、そのようです。——さあ、出る準備をしましょう。出るのが遅れると、追加料金が掛かるようです。今の私たちは、こちらのお金を持ち合わせていません」
私はしぶしぶ荷物をまとめると、この豪華な宿場を後にした。
街を行き交うのは馬車ではなく、車輪のついた鉄の塊。自動車というやつらしい。その自動車は長い列をなして、少しずつ少しずつ前進を続けている。自動車は早く移動するためのものだと思うのだが、これが正しい使い方なのだろうか? エルデリアでは経験したことのない人混みの中、私はお母様が住む実家へと歩いている。
「——ねえ、リクス。さっきから私を見てヒソヒソ話してる人たち、何て言ってるか分かる?」
「読心術を試みます。しばらくお待ちください。————『ねえねえ、変わったコスプレしてるね、あの人。にしても、クオリティめっちゃ高くない!?』『顔もかわいいし、案外有名人かもよ!?』と、申しております」
「コ、コスプレってどういう意味?」
「コスプレとは、架空の漫画やお話のキャラクターに扮装することだそうです」
私は頬を赤らめ、うつむいてしまった。可愛いと言われたことに照れたのもあるが、やはり私の衣装はこちらでは普通ではないようだ。
お父様、この服装なら地球でも浮かないって言ったよね……
その時——
進行方向の人集りから悲鳴が上がった。何かあったのだろうか。
「どうやらケンカのようです。男同士、一対一です」
「ほんと、アンタってどこからでも見えるのね。——で、状況はどんな感じ?」
「赤い服の男が、青い服の男を一方的に追い詰めています。後者は防戦一方、前者からは強い殺気が感じられます」
人混みをかき分け二人に近づくと、青い服の男が蹴り飛ばされた瞬間だった。地面に尻もちをついた男は後退りをするが、赤い服の男はジリジリと彼を追い詰めていく。
「赤い服の男が巨漢だからでしょうか。誰も止めないとは、地球の男たちにはガッカリ——」
私はパタンとリクスを閉じて、男の前に立ちはだかった。
「もう勝負はついてる。下手したら彼を殺すかもしれないよ。それくらいにしておきなさい」
「——あ? なんだお前……? 俺は今、ブッチブチにキレてんだよ……女だからって、殴られねえと思ってんじゃねえだろうな? 邪魔だからどけよ、コスプレ女っ!!」
コッ、コスプレ女……
「もっ、もし彼を殺してしまうようなことがあったら、彼もアンタも不幸に——」
私が話している途中に、赤い服の男は殴りかかってきた。
え? ……なに?
超、遅いんですけど……!?
青い服の男は、こんなのも避けられなかったわけ?
パンチを軽く躱すと、今度は蹴りを繰り出してきた。いや、私から言わせれば、こんなものは蹴りではない。もし彼が格闘技を身につけているのだとしたら、地球の格闘技は相当にレベルが低い。
「こっ、こいつ!! フラフラと逃げ回りやがって!!」
今度は掴みかかろうと、赤い服の男が突進してくる。
私はその場でかがみ込むと、男の顎下に掌底を叩き込んだ。
次の瞬間、男の体は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。