EP-01 / 梨里杏Side:一人きりの誕生日
パンを温めただけで、私は母に叱られた。
——そう、私は間違った世界に生まれたのだ。
「梨里杏……? 普通の子は、手をかざすだけでパンを温めたりは出来ないの……分かる?」
手をこすり合わせて温めるのは怒られない。でも、パンを温めると怒られる。幼い頃の私は、何が魔法で、何が魔法じゃないのかが分からなかった。
それを判断する方法は、ただ一つ。母に叱られるか、叱られないか——
そんな幼少期を過ごしたからか、怒られないように、目立たないように……私は、そんな生き方を選ぶようになっていた。
そんな私も、日付が変われば二十歳になる。今日は十代最後の日だ。
付き合って半年になる翔真は、一緒に二十歳の誕生日を祝おうと、ホテルを予約してくれていた。
「誕生日の日に、梨里杏と一緒に過ごせないのは今日が初めてだね。本音言っちゃうと、お母さんちょっとだけ寂しかったりして。——ハハハ、なんてね。それじゃ、翔真さんによろしく。行ってらっしゃい」
母の梨奈は、笑顔で私を見送ってくれた。ちょっと大げさだなとは思ったけど、そんな母がとても愛おしく思えた。
でもね……ごめん、お母さん。
私は心のなかで、母に謝った。本当は今日、私は一人で夜を過ごすことになる。翔真には「お前と会話しててもつまらない」と言われ、フラレたばかり。どのみちホテルのキャンセル料はかかるようで、「記念に泊まってけば?」と、翔真からメッセージが届いていた。
なんて、素敵な部屋……
親がお金持ちの翔真は、こんな部屋に何度も泊まったことがあるのだろう。母と2DKのアパートで暮らす私にとっては、まるで別世界だ。壁一面の大きな窓には、綺羅びやかな夜景がどこまでも広がっている。テーブルにはウェルカムドリンクだろうか、ワインボトルまで置いてあった。
フカフカの大きなベッドに、勢いをつけて飛び込む。
訪れる静寂——
母には正直に話して、母と過ごした方が幸せだったろうか。いや、人付き合いの少ない私のことだ、ここで一夜を過ごし、安心させてあげた方がいい……翔真と別れちゃったことは、落ち着いてからまた話そう……
そんなことを考えているうち、寝落ちしてしまったらしい。気づけば、あと少しで日付が変わってしまう時間になっていた。
急いで、慣れないワインのボトルを開ける。真面目だった私は、今日まで一滴もお酒を飲んだことがない。二十歳の誕生日を迎える瞬間、初めてのワインを口にするのも素敵だと思う。私は一人、誕生日までのカウントダウンを始めた。
5……4……3……2……
ワイングラスを夜空に掲げた瞬間——
夜景がグニャリと溶け、世界は一変した。
「リリアッ!?」
その声に思わず、私はワイングラスを落とした。石造りの床に落ちたワイングラスは、ガシャーンという大きな音を立てて砕け散る。
「だっ、誰っ!?」
「しっ、静かに。私はお前の父、リアノス……リアノス゠セリュージュだ」
「リアノス様っ! 何かございましたか!?」
大きく立派なドアの向こうから声が響く。
リアノス……? そのリアノスが、私の父……!?
っていうか、リアノスの身なりは何なの!? 昔のヨーロッパ人の服装!?
この部屋だって、床も壁も全てが石造りじゃない!! ホテルはどこにいったの!? それより、ここは一体どこ!?
「な、なんでも無い! それより、リリアの準備が整った!! 今から出発する、馬車の用意をせよ!!」
リアノスはそう言うと、私の手を掴んで廊下へと出た。
「リ、リリア様っ……!? な、なんです、そのお召し物は……?」
リアノスの従者であろう男たちは、私の服装を見て戸惑いの声を上げた。ホテルで過ごす予定だったことから、いつもより少しは小綺麗な格好をしている。だが、この世界では明らかに異質な衣装に見えることだろう。
「本日の『選律の儀』のために用意した衣装だ!! 細かいことはよい、急ぎエルデリア六環魔法塔へ向かうぞ!!」
リアノスと私は馬車に乗り込むと、馬は嘶き車輪が音を立て走り出した。
「あ、あの……」
「すまないな、リリア。何が何だか、分からないことだらけだろう。とりあえず、私のことは『お父様』と呼んでくれ」
リアノスはそう言うと、鼻をすすった。よく見れば目が赤い。私と出会うまで泣いていたのだろうか。
「お前は今から、重要な試験を受ける。我がセリュージュ家が存続出来るかどうかは、『選律の儀』に合格するかどうかで決まると言っていい。お前が使えるであろう魔法、思う存分に放って欲しい。そして、なんとしてでも合格を勝ち取ってもらいたい」
魔法……?
もしかして、私が産まれるべきだった世界は、ここだったということ……!?
だ、だけど、私は……
「お、お父様……確かに、私は魔法は使えると思います。た、ただ……」
「ん? ただ……ただ、何だ?」
「子供の頃、母に叱られて以来、一度も使ったことがありません……」
それを聞いたリアノスは、驚いた顔でポカンと口を開けた。