英雄騎士の妻
英雄騎士の妻
それが肩書きになったのは2年前。
英雄になる前の夫と婚姻を結んだのはさらにその2年前。
アリシア・シュヴァルツは、今日も忙しい。
起きて身支度を済ませ、朝食の前に公務をこなす。領地経営、財政管理とやることは山積みである。
疲れ果てて就寝する前、ヒラリと窓をすり抜けるようにツバメが部屋に入ってくる。夫からの手紙は夫の魔力でできたツバメが運んできていた。
書類上のみ夫の英雄騎士は、なかなか帰ってこない。
筆まめなところがあるらしく、手紙を出したら必ずと言っていいほど返信が届く。夫の魔力でできたツバメは憎たらしいほど愛らしく、ほんの少し魔力をわけてやると、主人のもとへと帰っていく。
「ねえ、聞いてちょうだいツバメさん。」
この日の出来事をいつの頃からかツバメにも報告するようになっていた。内容は些細なことすぎて、手紙に書くか迷うことが中心だ。
その日、アリシアは16歳になる年に嫁いできて、あと一ヶ月で夫に会わないまま20歳になることを話した。
寂しくはない。領主代理として領地経営にはやりがいも感じている。
しかし、これほど侯爵家に嫁いできたにもかかわらず、離れて暮らしていれば心ないことを言ってくる者もいる。
アリシアはローズ家の娘として弟が生まれる前は跡継ぎとして教育されてきた。伯爵であった父は弟が生まれてからも惜しみなく教育を施してくれた。真面目に受けていなければ、領地を守ることも社交の場で笑顔でやり過ごすことも出来なかっただろう。とても感謝していた。
今年の誕生日も使用人たちと食堂でパーティーをしよう。この時ばかりは好きなようにさせてくれるのだ。
アリシアは好物の料理を沢山作ってもらえるように料理長に直接お願いしようと決めた。
ゴロゴロの皮付きのりんごが入っているアップルパイ
サーモンはハーブの香りのするオーブン焼き
飲み物は少し良いワイン
それから・・・
「ツバメさん、貴女のご主人が好きなものは何かしら」
そんなささいなことも知らない。
いつか、英雄騎士の夫が恋人を連れてきて離縁される可能性だってある。
アリシアはツバメに小さく口付けると、窓の外に解き放つ。
見上げる空は満天の星空だ。
アリシアはすっかり慣れた夫婦用の広いベッドに身を投げ出し、目を閉じた。
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特産品のりんごは今年もよく実った。
魔王討伐で魔物がこの世から消え、迷宮も消滅し、生態系が変わると言われている。今まで魔物の討伐で生計を立てていた領地は、困窮しているという。
ここはそう変わらない。変わらないようにしてきた。
むしろ、魔物からの被害もなくなり、潤っている。
シュバルツ領は年間を通して涼しい。
それを利用してりんごの栽培に力を入れていた。他にも寒さに強い野菜の栽培にも力を入れている。
そして、海も近いため漁で暮らしている人も多い。
秋の終わりには収穫祭があり、雪に閉ざされる冬は民芸品を作り、暖かくなったら土産物として露店に並ぶ。避暑地として、観光に訪れる人も多い。
アリシアが、領主代理として積み重ねてきた色々なことがやっと形になった。
それは素直に嬉しい。
ただ、不安だった。顔を合わせたことのない書類上の夫が帰ってきたら、必要ないと言われるのでないだろうか。
それに、手紙のような淑やかな女ではないと知ったらどんなに落胆されるだろうか。
もう、4年前の怯えながら馬車に乗ったあの頃の少女ではない。
華やかなドレスは何年も作っていない。付き合いで茶会や夜会に出る時は、仕方なく少女時代のドレスを無理矢理着ることもあった。膨らみの少ない頃のドレスを着るために、当然胸も腹もコルセットで締め上げ、食事が入る隙間はない。
新しいドレスを周りにすすめられても、買う気にはなれなかった。
誕生日当日のその日、朝から届いたのは父と兄からの贈り物だった。お祝いの言葉と本当はドレスが贈りたかったということがそれぞれの手紙に書かれている。兄からは隣国の美しい図解が入った植物の図鑑、父からは魔法で灯りがつく細工の美しいランプ。
ドレスと宝飾品は断った。
魔物の侵攻が終わり、世の中は変わろうとしていたが、変わりたくないと思っているのかもしれない。
夫の魔力で出来たツバメに手紙を託して、ついでに愚痴を聞いてもらう。
使用人たちは温かく、領民もよくしてくれる。
不満はない。不安なだけ。
だから、秋の社交シーズンの終わりに、王都に呼ばれるなど思いもよらなかった。




