聖女と騎士
「オリヴァー・シュヴァルツと申します。お迎えにあがりました、聖女。」
低い、よく響く声。
黒髪に黒の瞳。
背が高く、騎士としては細身だががっしりとした体躯なのは服の上からでもわかる。
それなのに、育ちの良さそうな動作。
おまけに顔がいい。
しかし、好みではない。
聖女レイチェルはそんな俗っぽいことを思いながら優雅に微笑む。
「お役目お疲れ様です。では、参りましょうか。」
神殿は、王都を囲む城壁を離れ、西にいった森の中にある。診療所や療養所としての役割もあるため、感染防止を兼ねて何代か前の神殿長が中心部から郊外に移したためだ。
立派な四頭建ての馬車は、自分には不釣り合いに思えた。自然と差し伸べられた手を眺めていると、オリヴァーは表情を変えないまま、「エスコートです」と言った。この人は、それが普通な世界で生きてきたのだと思うと、また少し遠い存在に感じた。
馬車の中で思い出したのは幼い頃のことだ。
レイチェルは子爵家の娘として生まれた。
物心つく前から徹底的に礼儀作法を仕込まれた。
窓の外で使用人の子どもたちが楽しそうに走っている。レイチェルは、それを眺めながら読書をしたり、刺繍をするのが日常だった。
そんな日常は唐突に終わりを迎える。
火を吐く狼の姿をした魔物が湧いてきたのだ。
あとから使われていなかった地下室が迷宮の入り口になり、そこから出てきたのだと知った。
自室にいたレイチェルの部屋にも『狼』は迫ってきた。襲われそうになった寸前、体の内側から感じたことのない力が弾けて出てくるのを感じた。
光属性の魔法の覚醒
レイチェルは、すべてを失って聖女になった。
それは7歳になってすぐのことだった。
それから10年神殿で過ごしてきた。
皮肉にも、レイチェルが羨ましく思っていた外で走り回ったり、大きな声で笑うことがここでは許された。神殿で神官になるとしても7歳はまだ幼く、読み書きはできるにしても、基礎にすぎない。聖書や魔力の扱いを学びながら、体力をつけることが大事だと言われた。
楽しい、嬉しいと思うと必ず、後悔がよぎる。
それでもここでの生活はレイチェルを癒していった。
「聖女、到着です」
馬車は、王城の一角に建てられた勇者の宮殿に到着した。そうしてまた、黒髪の騎士が手を差し伸べてくる。レイチェルは仕方なくその手をとった。幼い頃の所作を思い出しながらゆっくりと馬車を降りる。
馬車を片付けるべく馭者がいなくなると、本当に周囲には誰もいなくなったようだった。
まずは、宮殿に入る。
迎えは執事らしき男性と侍女らしき女性だけだ。
「部屋までは侍女長のマリラが案内します。細かいところは、侍女長が知っています。宮殿にはまだ私たちと数人の使用人だけなので、明日、私が宮殿を案内します。料理も差し支えなければ部屋に用意させます。」
「勇者の宮殿ではなく、あなたの宮殿のようですね」
レイチェルの皮肉に屈するほど騎士の表情筋は素直じゃないらしい。
「申し訳ありません。責任者の第三王子殿下に、ここの準備と管理を任されたのです。不備があれば申し付けてください。」
何事もなかったように案内されたことに少し安心する。
正面玄関から階段をあがり、3階の日当たりのいい部屋がレイチェルの部屋だった。
天蓋のついた大きなベッドはいかにも寝心地良さそうだった。続きの部屋は衣装室で、既に生活に困らない程度のものは用意してあるのだと侍女長が胸を張った。小柄でふっくらとした優しげな雰囲気だが、侍女長としてはやり手なのだと、すれ違うメイドの態度を見て思う。この宮殿の顔ぶれも急拵えのはずなのに、礼儀作法まで行き届いている。
用意されていた楽な服に着替え、その間に用意されたお茶で一息つく。香りが良く、そのままのものにも美味しい紅茶だ。
「マリラは王城務めは長いのですか?」
マリラは茶菓子を取り分ける手を止め、微笑んだ。
「若い時は王城にいましたが、先日までシュヴァルツ家の王都邸の侍女をしておりました。聖女様、敬語ではなく楽にお話ください」
優しい人を疑いたくはないが、彼女もあの騎士の絶対的な味方なのだろう。
この国の英雄になるであろう勇者を丸め込もうとしているのではないか。
レイチェルはその夜、夕飯も食べないまま寝台に沈み込み眠ってしまった。
起きたのは翌日の日も高くのぼった時間だった。
「やだ!朝の礼拝!」
文字通り飛び起きて寝台を降りようとするが、思っていた広さでも弾力でもなく、体勢を崩しもう一度寝台に飛び込むことになってしまった。
「おはようございます。大丈夫ですよ。礼拝されたいのであれば祈祷室にご案内しますが」
マリラの穏やかな声で今いる場所を思い出した。
「おはようございます。そうでしたね・・・ありがとうございます。」
つい敬語が戻ってしまう。長年の癖は抜けない。
そしてやはり、この豪華な家具は落ち着かない。
長年神殿で慎ましい生活を送ってきたこともあり、部屋に用意された朝食兼昼食も食べ切れる気がしない。
「お着替えと準備が整いましたら本日はゆっくりお過ごしください。屋敷はオリヴァー様が案内するそうですので、少しお待ちいただいたらお迎えが来ると思います。」
食事が終わると衣装室から取り出した数着のドレスが準備されていた。どれも、動きやすそうなデザインだ。
「乗馬服?」
その中の一着は女性用の乗馬服だ。思わず目をとめると、マリラがそれを見えやすいようにかけ直す。
「よくお似合いになられると思います。馬も準備していますので、いかがでしょうか」
レイチェルは少し考えてからそれを手に取った。
実用性のあるデザインで、装飾の類もない。
しっかりとした作りなのが素人目にもわかる。
「これにします」
着替えて、髪は一つに纏める。日焼けを防ぐ程度に化粧をして、騎士がくるのを待った。
「お待たせしました。行きましょうか」
エスコートのため、手を差し出された。レイチェルはそれを見つめ、躊躇いがちに手を置く。
こういうことにも慣れなければならないのだろうか。
部屋を案内されても、庭を案内されてもどこか他人事のように感じる。最後に案内されたのは馬屋だった。
「この子は身体は小さいですが、足腰は強いのです。乗りやすいかと思いますが、いかがでしょうか。」
見事な白馬だ。
そして、騎士に非常に懐いていた。
馬までも、味方ではないかもしれない。
そう思うと、ぎゅうっと胸が締め付けられ、悲しくなった。
すると、下から手巾が差し出されてる。片膝をつき、少し心配そうに見上げている彼と目が合う。
「嫌なことがあれば言ってください。これから、共に旅にでる仲間として、その方が気持ちがいいと思います」
それを聞いたレイチェルは、勢いよく手巾を手に取り、ぐしぐしと顔を拭う。
「食事は一人は嫌です」
「はい」
「家具は豪華すぎて落ち着きません」
「はい」
「ちゃんと名前で呼んで」
「わかりました。レイチェル様」
「手巾をぐちゃぐちゃにしてごめんなさい」
「聖女が使ってくださったと聞いたら妻も誇りに思います」
「必ず綺麗にしてお返しします。」
涙とそのほかでドロドロの白いハンカチには剣と盾が刺繍されていた。謝っても謝りきれない。
話しているうちに、そう悪い人ではないのだと思えてきた。その夜から魔法師コニー・ゲルプも合流し、次の日には勇者リヒトが、そして補助担当のハラグが合流した。
いつの間にか感じていたぎこちなさもなくなり、レイチェルはまた自分の居場所を見つけることができた。




