お客様は師にして匠なり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、「黄色い」ものを見ると、なんとも秋の味覚な雰囲気があるねえ。
いもに、かぼちゃに、れんこんに……。
小さいころは苦手としていた野菜たちも、大人になると食べるようになることが、ままある。
味覚が変わるためといわれることもあるが、じゃあどうして、味覚が変わっていくんだろう?
私が勝手に思っているのは、身体が自然と求めたがるようになった、ということ。
小さいうちは育ち盛り。ジャンクなものであろうとなかろうと、栄養をたっぷりと摂取することが肝要だから、手っ取り早くカロリーその他を摂り入れられるものでも歓迎する。
しかし、年をとってきたら、身体の機能が衰えるのが問題。
負担のでかいものは処理に手間取るようになり、身体を構成するために必要な栄養も、効率的に取りたくなってくる。
そうなると、若いころはやれ臭いだの、やれ苦いだの敬遠していたもののほうが身体の働きを助けやすいもので。
大人になると、そのあたりが自然と生存本能で、前に押し出されてくるんじゃないかなあ、と。
もし、自分が普段食べたいと思わないものを、口にしたくなったときには気をつけたほうがいいかもしれない。
私の以前の話なんだが、聞いてみないか?
当時の私は、友達と2人でラーメン屋めぐりをするのが趣味だった。
友達は一浪していて、ひとつ年上。大学回りに一年長く住んでいるだけあって、ラーメン屋も数多く知っていた。
その活動に、私は金魚のフンのごとくくっついていく。
おすすめの店をいくつか教えてもらい、それらのはずれは、まずなかったが、彼は新規開拓に余念がない。
ときにバスを使い、電車を使い、活動半径はじょじょに広がっていく。
やがて隣町の「ラーメン街道」へたどり着く。
固有名詞じゃなく、全国津々浦々に存在するような、ラーメン屋が林立する道路。その一角へ私たちは足を踏み入れた、というわけ。
その街道の一軒目。
先に店へ行ったことがある知り合いの話では、ラーメンそのものより、定食のコスパが非常によいとの評価。
つまり、味はいまいちなのか? と一抹の不安を抱きながら店の前へ。
そこでお出迎えしてくれるのは、蓑笠を甲羅のように背中へ回した、タヌキの像。
腹部の白以外は、こげ茶色をベースにした、小学生くらいの体躯で、脇には赤い垂れ幕に黒字ででかでかと。
『お客様は師にして匠なり』
神様じゃなくて師匠なのね、ふ~んと思ったものだ。
わる~い神様なら人間にぶちのめされるものだが、師匠だったら教えをもらって、乗り越えるべきものだからな。
行儀の悪さも多めに見てもらえる、かもしれない。
席につくと、私は聞いていた通り、餃子定食を注文する。
醤油ラーメンにチャーハンに餃子6個がついて、前に訪れたお店のラーメン一杯分で済むから、それは驚いたものさ。
友達も定食のコスパは知っているだろうし、当然定食を選ぶだろう……と思っていたら。
「野菜タンメンをひとつ」
注文を取りに来た店員さんに、そう告げるのを聞いて、ちょっと驚いた。
このラーメン屋、確かにタンメンも売ってはいる。
しかしその値は、それだけでほぼ定食に及ぶかという、単品の中では高級なしろもの。
そもそも友達は、野菜をそこまで食さない。
これまでのラーメン屋でも、コールができるところで野菜以外はどんどん増すが、野菜は極限まで少なくしてもらうスタイルだ。
学食などで、一緒に食べる機会があっても大差なく、野菜は最低限しか彼の膳でお目にかかれない。
待っている間、彼と話をしながら、店内のお客の様子をちらちらうかがう。
店内で4つほどあるテーブル席のうち、埋まっているのは私たちの分しかない。他の皆はカウンター席へ腰かけていた。
卓上調味料は、しょうゆに餃子たれ、ラー油にお酢に粉チーズ、唐辛子に生ニンニク。ご丁寧にクラッシャーまでついている。
これまでのラーメン屋の中では平均以上のそろえで、「味変は、そちらにおまかせ」といったところか。
常連客には、生ニンニクをふたつ、みっつと入れている者もいて、店内の空気はむせかえりそうなガーリック風味。隅のウォーターサーバーへ水を注ぎに行くのにも、目がしみるかと思うほどだった。
いま腰かける、その10名あまりを見やっても、誰一人としてタンメンを選んでいる者はいない。
置かれる皿の種類と密度から、おそらく私と同じ定食注文者らしき人はいたが、あまり人気のないメニューなのだろうか。
ラーメンとタンメンの違いといえば、ラーメンが麺とスープを盛ってから野菜を乗せていくのに対し、タンメンは野菜とスープを一緒に煮込むところだと聞いたことがあった。
そうなると、同じ鍋で作るのは難しい気がする。
ここからは見えづらい厨房の奥に、タンメン用の別の鍋が用意されているのだろうか?
少々、時間をいただきますが、という店員さんの言葉通り、やってきたのはそれから十分前後経ったあたりだったな。
私の注文は、他の定食客と大差ない。
ラーメンの具はチャーシュー1枚、メンマいくらか、ねぎとほうれん草がひとつまみ、とシンプルなもの。
丸くよそられたチャーハンは、卵をよく絡ませているようで、ほぼ真っ黄色とある意味芸術品。餃子は本体より1.5倍ほど大きく伸びたパリパリの皮が、6つすべてを張り付けている。
が、私の関心は一緒に来た、友達のタンメンに注がれている。
もやし、キャベツ、ニラ、にんじん、きくらげ……。
あるいはスープに沈み、あるいはそれでも足りないと、麺に乗り上げてくるような具だくさんぶりにばかりじゃない。
友達が普段ならやらないトッピングをし始めたからだ。
彼はいつもなら濃い味好きで、他の店のラーメン屋でも、あるならしょうゆに餃子のタレにラー油に……と、辛さとしょっぱさをやたら求める、ちょっと味音痴を疑う面もあった。
それが今回、最初に手に取ったのがお酢。次に手を取ったのが粉チーズであり、それらをダバダバとかけて、たっぷり混ぜ合わせていた。
しょうゆベースのはずのスープが、ちゃんぽんと見まごうほどに白濁して、糸引く粘りを帯び始めていた……ともなれば、投入されたチーズ量は推してはかるべし。
ほぼ満タンのチーズ入れを、だいたい空にする勢いでぶちまけた友達は、そこへタンメンのたっぷり野菜を絡めていき、ずぞずぞと、音を立ててすすっていく。
まさに皿は、発酵食品パラダイス。
同席する私にとっては、ニンニクの香り打ち消すチーズたちの臭い、これはこれは鼻が沁みた。おかげで定食を平らげはするも、鼻バカになって、おいしいのまずいのの判断がつきがたい。
友達もまた、麺一本、野菜ひとかけらどころか、スープ汁も残さず食して、店を出たんだよ。
タンメンが来てからは、ぴたりと口を閉じた友達。トッピングから完食、そして店を後にせんとするこのときも、黙りこくったまんまだ。
食べるまではよくしゃべっていたのに、どうしたんだろ……と、私が話しかけたところで。
友達が、あのタヌキ像の脇を抜けたとき、彼の背中がずるりと剥けた感じがした。
厳密には、残像みたく彼の歩いた後に、型でも抜いたようにとどまったものがあったんだ。
真っ黄色の人型をしたそれは、チーズの香りをふんだんに放っている。
そう悟ったときには、ぱっとひとりでに動いて、あのタヌキの像の全身へ覆いかぶさっていたんだ。
一瞬は黄色い膜に隠されたタヌキ像だけど、すぐに元の色へと戻る。
ただ背中の蓑笠が、元よりほんのわずか黄色みを増したような気がしたんだ。
対する友達はというと、開口一番「腹へった~」とのんきに腹をさすり出す始末。
タンメンを食べたのを忘れたのか? と詰め寄ってみると、どうも店にいたときの記憶がはっきりしないのだと。
食べたらしい覚えは、かろうじてあるのだが、腹はふくれた気がしない。例の発酵食品トッピングに関しては、友達自身が驚きを隠せずにいたなあ。
お客様は師にして匠なり。
これ、お店のモットーではなく、かのタヌキ像のモットーではないか、と私は考えてしまう。
相性の良さそうなお客さんを、気づかれないように、師として、匠として誘導し、あの発酵食品トッピングを食させて、その成果物をいただく……。
そのような味わい方に、目覚めたやつなんじゃないかとね。