第1章 9話『どこからどう見ても恋人同士』
「えっ!? ギアとハジュンって付き合ってないの!?」
テル・ケルの大声が幌馬車の中に反響した。
「しぃー。ハジュン様が起きちゃうよ」
「あ、ごめん……スッゴいビックリしちゃって……」
「僕らが付き合ってないことなんて、見れば分かることでしょう?」
「いやぁ、その状態で言っても全然説得力無いんだけど」
テル・ケルが僕と、僕の膝を枕にして眠るハジュン様を指差して言った。
テル・ケルとの戦いを終え、恋惑が解けた冒険者たちの手当をしたあと、ハジュン様は水をかけられた火のように寝入ってしまったんだ。
たくさん否定の能力を使い、聖剣まで使用したから、きっと疲れてしまったんだろう。
眠っている姿は、年齢相応の少女そのもので、いつ見ても愛らしい。
「アレなの? ギアは女の子になら誰でも膝枕しちゃう感じなの?」
「え……? そんなことしないよ。僕が膝枕をしようとしたら、ほとんどの人は怖がっちゃうでしょう?」
「んにゃ、そういうことじゃなくてさぁー……」
テル・ケルが青い髪をボリボリと掻いたあと、ハジュン様が用意してくれたタオルケットにくるまって寝転がった。
「自覚ないかもしれないけどさぁ……あなたたちの距離感、完全に恋人のそれだよ? サキュバスが言うんだから間違いなし」
「あはは、面白い冗談だね。僕はオークで、ハジュン様は勇者なのに、恋人なんてありえないってば」
「ハァ……こんな鈍感で純情なオーク、見たことないんだけど」
深く溜め息をつくテル・ケル。
何をそんなに疲れているんだろう……僕、おかしなことを言っているかな?
「じゃあさ、じゃあさ、ギア自身はハジュンのこと、どう思ってるの? 好きなんでしょ? 愛してるんでしょ?」
「うん、好きだし愛してるよ。ハジュン様ほど敬愛している人は、他にいない」
「……愛の意味が違ってそう。
異性として愛しているか、って聞いてるんだよ?」
「異性として……?」
思考が止まった。
僕がハジュン様を、異性として愛する?
考えもしなかった。いや、考えないようにしていた、と言う方が正しいかも知れない。
僕は少し前まで、王家の忌み子として扱われ、誰も来ない森で一人寂しく守り人をして暮らしていた。
そんな僕を森の外に連れ出してくれたのがハジュン様だ。
幼い頃から憧れていた勇者様と出会えただけでも幸せだったのに、相棒として一緒に戦えるだなんて、夢のような日々。
今以上の幸せも、今より先の関係も、僕は求めない。
今の時間が、関係が、少しでも長く続くことばかり、願い続けている。
「なーんか、ゴチャゴチャ考えているみたいだけど……面倒くさくなぁい?」
ハジュン様がタオルケットから出て、フワリと飛び上がり、静かと僕へ近づいてきた。
紫陽花色の瞳が蠱惑的に輝いて、淡い桃色の唇を舌がなぞっていく。。
人間の少女と変わらない白い手が、僕の土色の頬に添えられた。
魔術耐性を一切感じない。
テル・ケルが完全に、僕に心を開いてくれている証拠だ。
「ハジュンと付き合う気がないならさ……アタシと付き合おうよ。飼ってたペットたちはみんな解放しちゃったし、遊びがいのある玩具が欲しかったんだよね」
「冗談はやめてよ、テル・ケル。
もう悪者ぶる必要はないんだから、そんな演技、必要ないだろう?」
「……本気だって言ったら?」
テル・ケルの頬を赤くしながら訊ねた。
それから僕の手を取って、子供のように小さな胸に押し当てる。
トク、トクと手に伝わる鼓動は、明らかに早い。
まさか、本気で、テル・ケルは僕のことを……?
「アタシね、お兄ちゃん以外の誰かに『生きろ』って言われたの……初めてだったんだ。生まれてから今まで、ずーっと疎まれ続けてきたし、ずーっと死にたいって思い続けてた」
「……わかるよ。僕もハジュン様と出会うまで、同じようなものだったからね」
「それで、その純情な心を保つとかスゴ過ぎない……? 貴重過ぎるんだけど」
実際は、僕にも荒れていたというか、戦場で暴れ回っていた時期があるんだけど、話がややこしくなるから黙っておこう。
魔獣の血が流れる身体でまったく歪まずに生きられるほど、今のこの世界は甘くない。
僕は純情な心を保っていたというより、大切な家族やハジュン様のおかげで、一度歪み切っていた心が元に戻ったんだ。
「ともかく、さ……アタシはギアの言葉に救われたの。この人となら、添い遂げてもいいなって思えたんだ。だから……ね、いいでしょ?」
言いつつ鼻と鼻とが当たりそうなほど顔を寄せてくるテル・ケル。
口調こそ余裕があるけれど、緊張しているのか、顔は真っ赤で、汗も滲んでいる。
男としては、きちんと気持ちに応えてあげたい。
だけど――
「ごめんね、テル・ケル。気持ちは嬉しいけど、やっぱり付き合えないよ」
「……どうして? 口ではハジュンのことを好きじゃないとか言いつつ、やっぱり好きなんでしょ? 振るなら振るで、ハッキリと理由を言ってよ」
「うん、好きだよ。大好きだ。僕はハジュン様のことを……世界で誰よりも愛してる」
「世界で誰よりも、って……」
テル・ケルが今日一番顔を紅潮させて、目を丸くした。
「じゃ、じゃあ、その……ハジュンに告白して、恋人同士になればいいんじゃない……?」
「それは、できない」
「いやなんで……!? 世界で誰よりも好きって言ったじゃん!」
激しく動揺したテル・ケルを宥めつつ、僕は言葉を続ける。
「理由は三つ。まず、僕はハジュン様に釣り合わないことが一つ。きちんと並び立てる男になることが第一条件だ。次に、勇者としての名声に傷がつくこと。勇者は人間の希望なのに、オークが恋人だと判明したら、多くの人々が絶望する」
そうなれば、この世界の常識を変えるハジュン様の夢の実現も遠ざかってしまう。
相棒として、そんな事態は何よりも避けたい。
そして何よりも――
「それと……ハジュン様への想いが、僕自身の愛情なのか、オークとしての本能なのか、わからないんだ。理性で抑え込んでいるけど、僕は異性ならどんな相手にも欲情してしまうからね」」
「え……? そんな普通にしてるのに? まさか、アタシにも?」
「う、うん……恥ずかしながら欲情してる。さっき触られた時とか、かなりマズかった……ごめんね」
「サキュバスのアタシでも、そんな謝られ方したの初めてだよ……」
普段は考えないようにしているけど、油断するとつい、目の前の異性への征服欲が込み上げてくる。
そしてそのたびに、自分の中に流れるオークの血を実感するんだ。
「僕は、自分の中のオークを完全に御せるようになるまで、誰かに愛を伝えることなんてできない。それが、ハーフオークとして生まれた僕なりの信念なんだ」
「面倒くさっ!!」
僕なりに本気で口にした言葉は、テル・ケルに一蹴された。
「性欲に駆られそうになるのなんて、人でも魔獣でも男でも女でもあるんだから、別にいいのにさぁ~……そんなんじゃ、いつかハジュンに見放されちゃうよ?」
「相棒として付いていけるよう、精一杯がんばるよ」
「んにゃぁ……! だからぁ、そういうことじゃなくてぇ~……!」
テル・ケルがなんだかもどかしそうに頭を掻いた。
ど、どうしたんだろう……? 気に障ること、言っちゃったかな?
「まぁギアが死ぬほど恋愛に鈍感で奥手なのは分かったよ……もしオークを抑えきれなくなったら、声かけてね。サキュバスらしいこと、やったげる。それくらいなら、さっきからず~~~っと寝たふりをしてる勇者様も、認めてくれるよね?」
「否、認めない!」
ハジュン様が僕の膝から跳ね上がるように起き上がった。
「お、起きてたんですか?」
「はっ!」と悲鳴のような声を上げ、固まるハジュン様。
それから桜色の髪を掻き上げながら、腕を組み、引きつった笑顔を見せた。
「今起きた……今、起きたんだ」
「アタシ、薄目開けてるの見てたんだけど~」
「否、開けていない!」
「絶対に開けてた」
「開けてない!」
上気した顔で反論するハジュン様の鼻息は荒い。
ああ、完全にムキになってしまった時のテンションだ。
申し訳無いけれど、僕が割って入らないといけないな。
「ま、まぁまぁ。ハジュン様が寝てたっていうなら、寝てたってことでいいでしょ?」
「ギア、ハジュンに甘すぎだよ~!」
なんとかハジュン様とテル・ケルの口論を仲裁して、場を治めた。
ハジュン様はこれで子供っぽくムキになりやすい面があるから、早い内に宥めなくちゃね。
気が鎮まった様子のハジュン様は、再び寝転がり、僕の膝の上へと頭を乗せる。
それから僕の目を真っ直ぐに見据えて語る。
「……キミが一日でも早く、オークの血を御せるようになることを、私は祈っているからな」
「はい……必ず御してみせます。待っててください、ハジュン様」
互いの視線を交じらわせて、一緒に笑い合う僕とハジュン様。
そんな僕らの様子を見つめていたテル・ケルは、呆れた様子で両手を広げて、わざとらしく肩を落としてみせるのだった。
「やっぱり、どこからどう見ても恋人同士じゃんねぇ?」
その時、遠くから馬のいななきが聞こえてきた。
テル・ケルに操られていた冒険者たちの治療と保護を依頼した、近くの街の騎士団だろう。
騎士団が到着したら冒険者たちを任せて、僕らはテル・ケルの兄『ティプ・ケル』の元へ向かわなければならない。
男のサキュバスが支配する城下町『アヴィニオン』。へと