第1章 7話『ザクセン村の死闘』②
日が傾き、空が赤く染まり始める中、廃村でサキュバス――テル・ケルとの戦闘が始まった。
まずテル・ケルが指から魔力の弾丸を射出。
しかし、弾丸はハジュン様の目の前で消滅し、届きはしない。
ハジュン様に向けられた悪意ある攻撃は、反射的な能力の発動で否定されるんだ。
「へえ……今のが悪名高い勇者の『自動否定』……攻撃が自動で消されるとか、ズルじゃん」
「悪意の無い攻撃ならば通じるぞ? 無垢な心で攻撃してみるといい」
「それサキュバスに言っちゃう~?」
テル・ケルが指を鳴らすと同時に、周囲の冒険者たちが一斉に僕らへ突っ込んできた。
冒険者だけあって、並の魔獣より動きが読みづらい。
油断すればやられてしまう。
「ギア、背中は頼んだ」
「任せてください」
飛びかかってきた冒険者の向ける武器の切っ先を、盾で素早く受け流す。
――同時に頭部へ手のひらを当てた。
「魔勁!」
僕の手のひらから放たれた魔力で、冒険者の意識は一瞬で刈り取られていく。
叔父様直伝の魔力を帯びた打撃『魔勁』。
術式不要で、頭部に当てれば、確実に失神させられる優れものだ。
間髪入れず、冒険者たちがハジュン様に飛びかかる。
その間に飛び込み、斬撃を盾でことごとく受け流し、無防備なアゴへと拳を滑り込ませた。
それだけで、冒険者たちは意識を遮断され、その場に崩れ落ちる。
いくらサキュバスの恋惑で操られていたとしても、脳さえ機能しなければ身動きができない。そして脳の機能を止めたいなら、頭部に強い衝撃を与えてしまうのが最善。
戦場で不死身のアンデッド族と戦った過去の経験が、活きている。
「あらら、人間のペットって、弱々でほっんと使えな~い」
空中でテル・ケルがケラケラとせせら笑った。
地上に降りる様子は無く、魔力の弾を絶え間なくハジュン様に撃ち続けている。
弾丸に手をかざして否定し、消滅させていくハジュン様。
本来なら、必殺の一撃で終わらせてしまいたいところだが、周囲の状況がそれを許さない。
「でもでも~、弱々な人間たちが近くに転がってたら、ツヨツヨな勇者の技なんて使えないよね~? ザコを守らなきゃいけない勇者って大変だね~? キャハハハハハッ!」
テル・ケルの言う通り、ハジュン様の技は強すぎて、周囲の人間たちを死なせてしまう。
たとえハジュン様の能力でも『死』までは否定できない。
死なせてしまうことだけは、避けなくちゃいけないんだ。
テル・ケルはハジュン様の数少ない弱点を、熟知しているのかもしれない。
「テル・ケルめ、よく私のことを研究しているな」
僕と背中合わせのハジュン様がはずんだ声で語る。
そっと一瞥すると、その顔は笑っていた。
「だが、“私たち”のことは分かっていないらしい。ギア、ウツクシィーとの戦いでの教訓を、さっそく活かすぞ」
「作戦『旋風』ですね、ハジュン様」
盾を差し出すと同時に、ハジュン様が盾へと跳び乗る。
僕は一瞬だけ腰を沈め、上に向かって思い切り盾を振り抜き、ハジュン様を上空へと跳ね飛ばした。
ハジュン様が宙を舞い――テル・ケルと同じ目線となる。
空を自在に飛行する相手との戦いなら数日前に経験済み。
対抗策を考えておくのは、当然のことだ。
「空中なら誰も巻き込まずに済むな」
不意を突かれたテル・ケルの頬に、冷や汗が滲んだ。
素早く身を翻し、ハジュン様に背を向けて逃げ出してしまう。
ハジュン様は慌てる素振りも見せずに、右手を天へと掲げた。
その手の内に群青色の光が集まって、ハジュン様の身の丈ほどもある巨大な剣を象っていく。
「千を斬りては無情に至り、万を斬り捨て未だに無常……
我は大樹に代わりて――世界を否定する」
詠唱を終えると同時に、大剣が完全に顕現。
ハジュン様の身体に宿り、否定の能力を与える聖剣『グラムス=レイブ』だ。
その剣が具現化した途端、周囲の空気が震え、遠くの木々から鳥の群れが飛び立った。
遥か下の地上にいる僕さえ震えそうなほどの圧力。
相対するテル・ケルの恐怖は、計り知れない。
「お、落ちろぉーーー!!」
テル・ケルがハジュン様に向かって、ガムシャラに魔力の弾丸を放射。
しかし、弾丸はことごとく、ハジュン様に届く前に消滅する。
聖剣を具現化させた際のハジュン様の能力は、十倍以上。
素の状態で届かなかった攻撃が通じるはずもない。
ハジュン様はそよ風でも受けているかのような優雅さで、聖剣を大きく後ろに振りかぶってみせた。
同時に、聖剣の刀身に群青色の光が帯びていく。茜空の内、光に照らされた部分のみ、夜闇の色に、晴天の色にと、せわしなく変化し続ける。風がピタリと止み、聖剣の発する唸り声のような音だけが、周囲に響き渡る。
そしてハジュン様が大剣を横一線に振り抜いた。
「否我を照らす光」
大剣から放たれた群青色の巨大な斬撃が、テル・ケルへと襲い掛かる。
テル・ケルはたまらず急降下し、回避を試みた。
――完全に僕らの作戦通りだ。
横一線の攻撃を空中で回避しようとすれば、当然、降下せざるを得ない。
遥か上空にいたテル・ケルとの距離も、これで十数メートル足らず。
この距離なら、届く。
「魔力強化――脚」
宙のテル・ケルに向かって全力で跳躍した。
風を切りながら、テル・ケルへと真っ直ぐに向かっていく。
「えっ――」
僕に気付いたテル・ケルが翼を羽ばたかせ、軌道を変えようとするものの、降下中に急旋回はできない。
そのまま正面衝突。
小柄なテル・ケルの身体は衝撃で大きく揺らいだ。
即座にテル・ケルの首へ魔力強化した手を絡め、逃げられないようにする。
テル・ケルの魔術耐性で手が燃えそうなほどに熱を帯びたが、強化のおかげで何とか耐えられた。
「キミの負けだ、テル・ケル」
「……ハァ? アタシの作戦は、これからなんだけど?」
テル・ケルの紫陽花色の瞳の中に、真っ赤なハート形が輝く。
その瞬間、脳にシビれるような衝撃が走り、身体の自由が効かなくなる。
「お兄さんが油断して近づいてくれるのを、待ってたんだよ~……アタシの恋惑は、瞳を見た相手に一番強く作用するからねぇ」
身体が熱い。テル・ケルが愛おしくてたまらなくなる。
これが、サキュバスの恋惑で操られる感覚か。
今、テル・ケルに命じられれば、どんな悪事だって働いてしまいそうだ。
「さぁ、お兄さん……アタシから手を離して、解放して? そしてアタシと一緒に、あなたのだ~い好きな勇者様を、一緒に殺すの」
ささやかれた言葉で脳が麻痺。
意思に関係なく、テル・ケルの命令を全身に伝達していく。
だから僕は――命令を遮断することにした。
「魔蝕!」
全身に魔力がめぐり、体温が急上昇。恋惑の支配から、力ずくで抜け出す。
自分の首根っこを掴む握力が強まったことに気付き、テル・ケルの顔がサッと青ざめた。
「な――なんでアタシの恋惑が効かないの!? ワケわかんない! オークの能力って、身体強化と超回復のはずでしょ!?」
叫びつつ、僕の体重を支えるテル・ケルが徐々に下降していく。
必死に翼を羽ばたかせているが、男性オーク一人分の重量まで支えられないらしい。
「キミたちサキュバスの恋惑は強力な代わりに、男性にしか通じないんだよね。通じるなら、真っ先にハジュン様を狙っていただろうし」
「そ、それがどうしたのよ!」
「オークの魔蝕にも、異性に限定した力があるんだ」
オークが忌み嫌われる原因は、異常なほどの異性への執念。
どのような種族とも子供を作ることができ、その能力も異性を蹂躙することに特化している。
異性の体液さえ摂取すれば無尽蔵な持久力に、致命傷すら治ってしまう回復力、抵抗を強引に突破する腕力と体躯。
それに、何より恐ろしいのが、異性の能力への耐性。
「魔蝕の発動中は、体液を摂取した相手のあらゆる能力を無効化できる。キミの恋惑だって、その限りじゃないよ」
「ハァ!? アタシの体液なんて、いつ摂取したワケ!? そんな隙は与えてなかったのに!」
「さっきの出合い頭さ。ハジュン様のおかげで、キミは冷や汗を流していたからね」
「冷や汗……!?」
そう、先ほどのハジュン様とテル・ケルの応酬で僕が注目していたのは、汗をかくかどうかだ。
オークの嗅覚によって、冷や汗が流れた瞬間、遥か下の地面からでも把握できた。
あとは、出合い頭に体液をかすめ取ればいい。
恋惑さえ通じなければ、サキュバスも、魔力が強いだけの少女になる。
異性に対して絶対的に有利を取れるのが、忌み嫌われる魔獣『オーク』なんだ。
「降参してくれ、テル・ケル。これ以上、キミを傷つけたくない」
「傷つけたく、ない……? 舐めないでよ、ザコオーク!」
テル・ケルが僕の額に指を突きつけ、ゼロ距離で魔力の弾丸を放つ。
弾丸は魔蝕で強化された体皮を容易に貫き、額の肉をえぐった。
激痛と共に血飛沫が顔を濡らす。
即座に完治するものの、血飛沫は顔に付着したままだ。
「恋惑さえ効かなければ勝てると思った? 次は本気で撃つよ! さっさとアタシから離れなさい!」
「撃ちなよ」
テル・ケルの首を掴む手に、さらに力を込める。
その握力の強さに驚いたのか、テル・ケルは目を大きく見開いた。
「キミが何のために戦っているかはわからないけど……僕だって命を懸けてるんだ!」