第1章 6話『ザクセン村の死闘』①
酒場の店主から聞き出した『ザクセン村』の場所には、寂れた廃村が広がっていた。
近くの林に幌馬車を停めて、幌の隙間から、ハジュン様と共に様子を伺う。
ほとんど崩れかけの空き家の群れに、雑草まみれの畑。
真昼間だというのに、枯れ木しか見えない寂しげな広場。
ひと目で住民が居ないことがわかる。
「魔力は感じられないが……私の勘が『近づくな』と言っている。ギアは何か感じるか?」
「ええ、僕のオークの嗅覚には嗅ぎ取れます。空き家の中に、何者かが潜んでいるようですね」
「やはり罠か。二人で行くのが安全だが……」
「ハジュン様の姿を見たら、犯人が逃げてしまうかもしれません。まずは僕が一人で行って、様子を伺ってきます」
「わかった……でも気をつけてくれ。十中八九、冒険者をさらっている犯人が姿を現すだろうからな」
「……はい」
兜をつけて幌馬車を出て、一人で村へと向かう。
崩れた柵をまたいで、廃墟だらけの中を進み、村の中央に到着。
すると案の定、潜んでいた者たちがワラワラと姿を現した。
「ふしゅるるる……」
潜んでいた者たち――両腕が異様に発達した猿のような容姿の魔獣『ゴブリン』が、ゆっくりと僕を取り囲んでいく。
ご丁寧に身体に合った防具を身につけ、手には石製の斧まで持つゴブリンたち。数は十匹。ゴブリンが集団生活を好むと言っても、流石に多すぎる。
予想はしていたことだが、敵はやはり人間じゃない。
それも最も弱い∪級くらいなら手下にできてしまうほど、凶悪な魔獣だろう。
僕が取り囲まれた途端、村外れに強烈な魔力の気配を感じた。
きっと僕の助けに入りたくて、ハジュン様が猛っているんだ。
待機しておいてもらってよかった。
∪級程度の相手で、ハジュン様を消耗させるワケにはいかない。
ここは、僕一人片付けてしまわないと。
「33333333333333l!!」
耳障りな雄叫びと共にゴブリンの一匹が僕に飛びかかる。
背中に着けておいた盾を手にし、ゴブリンの打撃を防御。
同時に、空の右拳でゴブリンの頬を全力で殴り抜いた。
ゴブリンの顔がひしゃげ、口から折れた牙が飛び散る。
魔獣特有の魔術耐性によって拳が少し熱を帯びたものの、手甲型の杖で守られているので問題無い。
先行した一体が瞬殺されたことで、残りのゴブリンたちの動きが鈍った。
当然その隙を狙う――
「水の理――水牢」
拳で素早く宙に複数の記号から成る術式を描き、詠唱。
術式から多量の水がほとばしり、周囲に広がっていく。
その水に触れたゴブリンたちは、ギョッとした様子で、その場でもがき始めた。
それも仕方ない。
水牢は粘質の水を生み出し、触れた箇所の動きを封じる魔術。
水なので力技では抜け出せないし、∪級では打つ手無しだろう。
「魔力強化――腕」
そして腕力を魔力で強化して、ゴブリンを絡め取った水牢を、力任せにブン回した。さすがに五体のゴブリンの重量が加わっているので重たい。しかし、一度勢いさえつけてしまえば、あとは楽だ。
ゴブリンの混ざった大量の水を、まるで水風船のように振り回し、最大まで勢いを強めた状態で地面に叩きつけた。
水飛沫と共にゴブリンたちは散り散りに弾け飛び、そのまま倒れ伏して、動かなくなる。
なんとか最短最速の方法で倒すことができた。
「へえ……アタシの愛玩動物を物ともしないなんて。 お兄さん、なかなかやるねぇ?」
突如、頭上から強烈な魔力を感じた。
僕もよくやる、魔力の代謝を抑えた『抑気』だろう。
見上げると、空中にいたのは、薄いランジェリーをまとった青いロングヘアの少女。
一見、寝間着姿の、12~3歳くらいの人間に見える。
しかし、少女の背中から生えた立派な翼と、腰辺りから伸びた細い尻尾が、人外であることを強烈に主張していた。
「キミは、恋惑魔種の魔獣だね? この村に人間たちを誘き寄せていたのは、キミの仕業かい?」
「ああ、そこまで知ってるんだぁ。ニヒヒ、そうだよぉ。アタシはここで、お兄ちゃんと一緒に人間狩りをしてるの♪」
そう言うと、サキュバスが小さな手のひらを僕に向けた。
背筋が凍る悪寒を覚えたので横へと飛び退く。
次の瞬間、サキュバスの手から凶悪な魔力が放たれ、地面を深くえぐり取った。
「火の理!」
咄嗟に火の魔術で反撃。
手甲から吹き出した炎がサキュバスの少女に襲い掛かる。
しかし、少女は避ける素振りも見せず、炎をシャワーのように平然と受け止めてみせた。
魔獣が必ずまとう魔力の膜『魔術耐性』を貫けない。
この魔力量に、強力な魔術耐性。
眼の前の少女が、小国ならば一体で滅ぼせる強さの魔獣――V級であることを察した。
「アタシの強さをひと目で察したんだ、珍しい~。普通の人間のオスなら、見た目で簡単に油断してくれるのに」
「あいにく、普通でも人間でもないからね」
この強さの相手に兜は不要。視界を広げるために、兜を外して、オークの特徴が色濃い素顔を晒す。
「……オーク? んにゃ、オークと人間の混血種かな?」
僕の素顔を見た相手は大抵、気圧されてしまうものだけど、目の前のサキュバスの少女は違った。
まるで獲物を見つけたように、目を細め、口角をつり上げ、舌舐めずりをし、恍惚とする。
「お兄さんみたいな頑丈なペット、欲しかったんだぁ……アタシのコレクションに加えてあげるね」
少女が僕を指差すと、周囲の廃屋の中から、今度は虚ろな表情の人間たちが十人現れた。
痩せこけながらも、その目は爛々と輝き、それぞれが剣に槍、戦斧といった武器を手にしている。
過去にサキュバスと戦った時と同じだ。
サキュバス特有の能力『恋惑』によって、心を奪われ、操られてしまっているんだろう。
「消えた冒険者たちか……良かった、まだ生きていたんだね」
「こんな時に他人の心配ぃ? お兄さんも、このペットたちの仲間入りするんだよぉ? まさか、アタシに勝てるとか思ってないよね~?」
空中に浮いたまま、ケラケラと笑い続けるサキュバス。
そんな彼女に僕は堂々と宣言する。
「勝てるよ、僕“たち”ならね」
僕の言葉と同時に――世界が一瞬ピクリと静止。
そして動き出した時には、隣にハジュン様がいて、長い桃色の髪を手で梳いていた。
ハジュン様の得意技、世界の時空間を否定することによる瞬間移動だ。
「やっと私の出番か。焦らし過ぎだぞ、ギア」
――ん?
口調こそ普段のままだけれど、声に若干の怒気が含まれている。
ハジュン様の横顔を見てみると、僅かに眉間にシワを寄せ、敵意ある視線を空中のサキュバスを睨みつけていた。
これは……怒っている時のハジュン様だ。
「おい、小娘……貴様、ギアをペットにすると言ったか?」
「言ったけど、それが何か~? お姉さんも顔がイケてるし、ついでにペットにしてあげるよ~♪」
「ギアは私のパートナーだ。奪うと言うなら……容赦しない」
サキュバスがビクリと震え、ハジュン様との距離を空ける。
直感的に命の危機を察したのだろう。
ハジュン様の身体から漏れる魔力のあまりの濃さで、周囲がぐにゃりと歪んで見えて、空気が張り詰めていく。
普段は魔力を抑えているから、サキュバスが侮るのも無理はない。
ただ、ハジュン様がひとたび本気を出せば、いくらV級の魔獣と言えども抗うことは不可能だ。
「ギア、私はあの小娘を懲らしめる。その間、地上の人間たちの相手は任せたぞ」
「はい、任せてください。ハジュン様の背中は僕が必ず守ります」
ハジュン様が片方の手の甲をサキュバスに向けた戦闘態勢に入ったので、無防備な背後を守れるよう、背中合わせの位置に立つ。
能力の反動が大きく、守りが疎かとなるハジュン様と、誰かを守るためにしか本気で戦えない僕。
僕らが自然と導き出した必勝の構えだ。
「ハジュン……? まさかコイツが、『勇者ハジュン』なの……?」
サキュバスは一瞬迷う素振りを見せたものの、かぶりを振って、ハジュン様と睨み合った。
「勇者でもオークでも関係無い……! アタシとお兄ちゃんを邪魔するヤツは、みーんな、このテル・ケルちゃんのペットにしてやるんだから!」
「いい覚悟だな。しかし、貴様の野望はここまでだ。
その野望――私が完全に否定する」
「やっちゃって、ペットたち!」
サキュバスの少女――テル・ケルが叫ぶと同時に、周囲の人間たちが僕らに襲いかかってきた。