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第1章 5話『なぜゴブリンは食べられないのか?』

「ギア、ゴブリンは食べられないのか?」


 夜の森で食事の準備をしている最中に、ハジュン様が焚き火に薪をくべながら唐突に訊ねた。


 気になって周囲を確かめると、奥の木陰からこちらの様子を伺う、子供くらいの体躯の猿のような魔獣『ゴブリン』が一体。


 まさかアレを見て、食べたくなったんじゃないよね……?


 僕は焚き火にフライパンを当て、キュルナッハでいただいたベーコンを炒めながら、ハジュン様の質問に答えることにする。


「残念ながら魔獣は食べられませんよ。魔獣って、倒すと肉体が霧散してしまうでしょう?」


「それが疑問だったんだよ。確かに特異な外見をしているが、生き物だというのに、なぜ死ぬと身体が消えてしまうんだ?」


「そっか……ハジュン様は魔学まがくを学んでいないから、魔獣についてもよく知らないんですね」


 信じがたい話だけれど、ハジュン様は別の世界で死んだあと、生まれ変わって僕たちの世界にたどり着いたらしい。


 こちらの世界での生い立ちも特殊なため、未だに僕らの世界の常識には疎い面があるんだ。


「一言で言うと、魔獣は魔力マナの塊が生物をかたどったモノなんです。僕らと違って実体が無いから、生命活動が終わると消えてなくなってしまうんですよ」


「なるほど。だが、ギアのような魔獣と人間のハーフ『魔人』は、実体を持っているのだろう?」


「ええ、僕らには実体があります。もっとも、魔獣の中にも僅かに実体を持つ者もいますけどね。イーゼンブルク国の法では、実体に対する魔力の割合が八割以上だと『魔獣』だと定められているんです」


「そんな定義があるのか。確かに、外見だけでは魔獣とは判断しづらい場合もあるものな」


「見た目がほぼオークの僕が代表例ですね。」


 ハジュン様が焚き火の中の薪を火バサミで弄りつつ、興味深そうに話を続ける。


「魔獣に魔術が効きづらいのも同じ理由か」


「流石ハジュン様、鋭いですね。魔力マナの塊なので、必然的に魔術に耐性があるんです」


 その特性を魔学では『魔術耐性マナガード』と呼び、耐性の強度によって、魔獣は最弱の『(アーチン)級』から最強の『ウィザード級』までランク付けされる。


 もっとも、魔術が効きづらいからと言って身体能力では魔獣に太刀打ちできるはずも無いので、ヒトは必然的に魔術に頼らざるを得ない。


 これが多くの人々が魔獣に苦戦してしまう背景。

 そして、魔術も使わずに生身で魔獣を倒せるハジュン様が、『勇者』と呼ばれて英雄視されている理由だ。


「まぁもしゴブリンを食べられたとしても、きっとキュルナッハのベーコンやソーセージの方が美味しいですよ。あっ、卵を二つ取ってもらえますか?」


「それもそうだな。ほら、卵」


「ありがとうございます」


 ベーコンの油がたっぷり溜まったフライパンに、道中で採集した細長いハーブをひとつまみ追加。


 胡椒に似た香ばしい匂いがたったところで、フライパンの上に卵を二つ割り入れ、軽く塩をふって蒸し焼く。


 燻製で有名な街のベーコンだけあって、とても食欲がそそられる芳醇な香りだ。


 これならシンプルな味付けで十分。

 あとはパンや野菜と一緒に皿へ盛り付ければ、夕食の準備は完了だ。


「グルルルル……」


 唸り声が聞こえた方を見てみると、ゴブリンが目と鼻の先まで近づいて来ていた。


 見れば、ゴブリンの特徴である肥大化した腕の片方が無い。


 人間にやられたのか、仲間同士の争いに敗れたのか、どちらにせよ、獲物を捕まえるのにも苦労しているのだろう。


 ……とは言え、魔獣は魔獣。

 今後、人間に危害を加えるかもしれないから、本来なら退治してしまうべき状況だ。


「ギア、彼に生ソーセージをあげてもいいか?」


 けれどハジュン様は迷わず、食糧を与えることを決めたらしい。

 僕が首肯を返すと、立ち上がって、食糧用の木箱から生ソーセージの束を取り出し、ゴブリンへと近づいていく。


 普通の人間なら絶対にその行動にゴブリンも困惑したのか、身体を強張らせている。

 しかし食欲には抗えなかったようで、徐々にハジュン様へと歩み寄った。


 それから、ハジュン様が差し出したソーセージを奪うように掴み取って、森の奥へと逃げて行ってしまった。


 その背中を見送りつつ、ハジュン様は少し残念そうに肩を落とした。


「……信頼してはもらえなかったか」


「食べられると思ったのかもしれませんよ? さっきの話を聞いてたりして」


「だとしたら悪いことをしたな。もしまた会えた時は、詫びることにするよ」


 困ったように苦笑するハジュン様。

 魔獣相手だというのに、野生の動物に接するのと変わらない。


 その分けへだての無さこそ、僕が彼女に付いていこうと思った最大の理由だ。

 千年以上も人と魔獣が争い続け、差別が横行するこの世界において、ハジュン様の存在はあまりにも眩しすぎる。


「さぁ、僕らも食事しましょう。お皿を出すので、座って待っていてください」


 二人で焚き火を囲むようにして、魔術で組み上げた木製の椅子に座った。


 皿には、カリカリに揚がったベーコンとフライドエッグ、少量の生野菜、それに表面を軽く炙ったライ麦のパン。それから、一昨日作った仔ウサギのシチューもカップへと注いだ。


 明日にはザクセン村に到着して、一連の冒険者失踪事件の犯人と戦うことになるだろうから、体力を付けておくために普段より豪勢な料理にしてある。


 ハジュン様がパンにベーコンと卵を乗せてかじりつき、美味しそうにかぶりを振るのを見て、僕まで嬉しくなった。

 世界を変える旅が終わったら、料理屋を営むのもありかもしれない。


「ああ、そうだ。この世界の文化を教えてもらったことだし、お礼に私も、元いた世界の文化を教えてやろう」


 おもむろにハジュン様が立ち上がって、シチューの入ったカップとスプーンを手にしたまま近づき、言葉を続ける。


「私の生きていた世界では、親しい者同士で『あーん』と言って、互いに料理を食べさせ合う文化があったんだ。試してみるか?」


「えっ……そ、それは、ちょっと、恥ずかしいです……」


「よし、試してみるぞ」


 拒否権は無かった。


 ハジュン様が身をかがめて、座った状態の僕に顔の高さを合わせた。

 それからシチューをスプーンで掬い、僕へと近づける。


 自然とハジュン様の顔との距離が縮まり、まるでキスをする前の距離感。

 唇を重ねた経験は何度もあるのに、なんだか、不思議なくらい気恥ずかしい。


「ギア、あーん」


 ハジュン様のスプーンが口元に近づき、シチューの湯気を唇に感じたところで、僕の中で何かが限界を迎えた。


「あ、あの、ハ、ハジュン様……やっぱり、その……」


「むっ? そうか……シチューは冷まさないと危険だな。すまない、今ふーふーしよう」


 僕の顔のすぐ前で、スプーンに静かに息を吹き掛けるハジュン様。

 息が鼻にかかり、吸い込むのが恐れ多すぎて、呼吸を止めてしまった。


 勇者様に料理を冷ましてもらうなんて、僕はなんと贅沢なオークなんだろう……。


 少し前では考えられない状況に、改めて幸せを感じると同時に、あまりの恐縮さに呼吸のみならず心臓まで止まってしまいそうだった。


「くるるる……」


 その時、先ほどに似た唸り声が、少しから聞こえた。

 さっきのゴブリンが戻ってきたのかと思って、周囲を確認し――背筋が凍った。


 林の奥に立っていたのは、人の形を模した大樹。

 人間でいうところの口にゴブリンを咥えたまま、無数の根っこが集まって作られた足で、一歩ずつゆっくりとコチラに近づいてきている。


 (アーチン)級の中でも特に厄介なことで有名な魔獣『樹虚人トロール種』だ。


 気配が極めて木々に近いせいで、接近に気付くのが遅れてしまった。

 今の状態だと、下手に逃げるより、戦う方がずっと安全だろう。


「……魔獣が出たのか?」


「はい、トロールです」


 ハジュン様がスプーンを自分の口へと運び、カップを地面に置いた。

 それから目をつぶり、僕に問い掛ける。


「先ほどのゴブリンに似た気配もするが……まさか、トロールに喰われたのか?」


 トロールが口に咥えていたゴブリンを一気に呑み込んだ。

 その際に一瞬見えたゴブリンの上半身には、片腕が無かった。


 まず間違いなく先ほどのゴブリンだろう。

 魔獣は魔力マナの塊だから実体を持たないものの、逆を言えば、他者の魔力マナを取り込める存在にとっては、何よりのご馳走になる。


 魔獣が他の魔獣や特殊な魔術師に食べられる例は、珍しい話じゃない。


「今、ゴブリンが一匹呑み込まれましたけど……きっと他のゴブリンですよ。気にせずに戦いましょう、ハジュン様」


いな――この気配は他のゴブリンのモノではない。気を遣わなくとも結構だぞ、ギア」


 そう言ってハジュン様がトロールの方へと向き直り、真っ直ぐに指差した。


「トロール、私の言葉が通じるか? 私の警告に従うなら危害は咥えない。今すぐにどこかへ立ち去れ」


 ハジュン様の言葉に聞く耳を持たず、更に一歩近づくトロール。

 魔獣は知性がある種と無い種の差が激しいものの、人型を模しているにも関わらず、知能は随分と低そうだ。


 トロールを指差していたハジュン様の指が二本となって、静かに振りかぶられる。

 普段は優しさに満ちた群青色の瞳から光が消え、冷たい殺気の色が滲む。


 ずっと周囲から聞こえていた虫や風の音がピタリと止んだ。


「最後の警告だ……消えろ」


「33333333333333l!」


 トロールが理解不能な唸り声をあげ、こちらに向かって駆け出してきた。

 巨体に似合わず、動きが素早い。あっという間に僕らとの距離を詰めていく。


 しかし、ハジュン様との距離を詰めるのは、自殺行為だ。


「聖剣――グラムス=レイブ」


 ハジュン様がトロールに向かって、二本指を横一線に振り抜く。


 次の瞬間、トロールの胸から上が切断され、勢いよく森の中を転がった。

 地に残された下半身も、しばらく行き場を失って歩き回っていたものの、すぐに地面に転がったまま動かなくなる。


 自身の体内に宿る聖剣を、具現化もせずに魔獣を瞬殺。

 魔術耐性マナガードなどまるで意味を成さない。


 世界の常識すら否定し、囚われないからこそ、ハジュン様は勇者なんだ。


「……あれは」


 トロールの下半身の切断面から、何かが這い出てきていることに気付いて、ハジュン様の手を引いて近づいた。


 這い出てきていたのは、やはり先ほどの隻腕のゴブリン。

 トロールに咀嚼する歯が無く、丸呑みにされたことが功を奏したらしい。


 僕がトロールの中から引っ張り出してあげると、ゴブリンは混乱した様子で目をパチクリとさせ、僕とハジュン様の顔を見比べる。


 それか「7#4^/l<5」と聞き取れない言葉を発して、森の奥へと消えていった。


「……今ゴブリンが口にしたのは、感謝の言葉だろうか?」


「きっとそうですよ。世界には、分かり合える魔獣もいるのかもしれませんね」


「大半は、トロールのように戦いを避けられないモノばかりだろうがな……私の理想とする『誰もが平等な世界』への道は果てしないよ」


 そう語るハジュン様の目は悲しげだった。


 戦いのあとは、いつもこうだ。

 魔獣相手とはいえ、他者の命の否定は、ハジュン様にとって何よりも避けたい行為。

 それでも誰かを守るために、勇者として、全力で戦わずにはいられない。


 世の人々には知られていないけれど、ハジュン様は世界最強の勇者である前に、世界で最も優しい心の持ち主なんだ。


 だからこそ、この人を守り続けたいと、僕は思う。


「……どこまでも付き合いますよ、ハジュン様」


 僕の呟きに気付いてか気付かずか、ハジュン様が僕の方を向き直り、破顔する。


「さて、食事を再開するとしようか。今度こそギアに『あーん』をするぞ」


「え……? アレ、まだやるんですか? 今日は、その、やめにしません……?」


「いいや、やめない。私は転生前から、ああいう恋愛っぽいことに憧れていたんだ。もし恥ずかしいなら、ギアが私に『あーん』をしてもいいぞ?」


「むむむ、無理です……! そっちの方が余計に恐れ多い!」


 ――翌朝、幌馬車から出た僕とハジュン様は、焚き火のあとの横に、たくさんの木の実と花が置かれていることに気付いた。


 それは恐らく、ゴブリンからのお礼の品。

 初めて受け取る魔獣から贈り物を目にして、思わず二人で笑い合うのだった。

 



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