第0章 20話『円卓会議』
僕はイルザさんの肩を借りて城の廊下を進んでいた。
まだ身体の傷は塞がりきっていないが、居ても立っても居られない。
僕の前を行くハジュン様も険しい表情をしている。
目的の会議室までたどり着くと、ハジュン様はノックもなしで扉を開いた。
「夜明けまで行動は控えるとはどういうことだ?」
円卓の置かれた大部屋にハジュン様の声が反響する。
円卓に座っているのは、初老の大臣たちや銀の鎧をまとった騎士団の隊長格、そして腕を組んだザイン叔父様。
ザイン叔父様はハジュン様を一瞥すると、円卓に敷かれた地図に視線を戻した。
「勇者ハジュンよ、今は作戦会議中だ。あとにしてもらいたい」
「今は一刻を争うというのだ!
ヌイは今も一人で、V級の群れと戦っているのだぞ!」
珍しくハジュン様が声を荒げて叫んだ。
耳にするだけで冷や汗が滲まんばかりの覇気。
ヌイが見回り中にV級と遭遇したと耳にしてからこの一時間、ずっとこの調子だ。
僕も気持ちは同じなだけに胸が痛い。今すぐにでも、ヌイを助けに行きたい。
「ヌイの率いる一番隊の騎士たちの話では、V級は少なくとも三体と聞いておる」
初老の大臣が立派な顎髭を撫でながら語る。
「V級が三体ですぞ? いくらハジュン様やザイン王子であろうとも、闇雲に突っ込んでは全滅しかねぬ戦力。入念な作戦を立てるべきでしょう」
「蛮勇と無謀を履き違えるなよ、勇者ハジュン」
ザイン叔父様がようやく地図から視線を上げ、ハジュン様を睨みつけた。
「勇者が訪れているこの期間に、騎士団の筆頭戦力である炎帝が孤立したタイミングでの夜襲。それもV級三体同時に、だ。
罠に決まっているだろうが、どこまでも阿呆な奴め」
地図に自らの手のひらを叩きつけて、叔父様は言葉を続ける。
「間抜けにも分かるように解説してやる。
このイーゼンブルク城は、城壁の周りに深淵の森が広がる自然の要塞だ。
しかし、侵入者を惑わすため意図的に複雑化された森は、我々にとっても戦闘を妨げる迷宮と化す。夜間では敵の目視すら容易でない」
更に叔父様はペンを握り、地図上の木々の間を縫うように三本の線を描いた。
城門の前から伸びた三つの線は森の中の一点に集まり、大きな点となる。
点が描かれたのはヌイがV級と遭遇したという場所だ。
「森の地形上、目撃箇所から城に接近するまでの道は三つ。
今無策で森に入り、誤った道を選んで敵と入れ違いとなれば、城を危険に晒すこととなる。
そして十中八九、これは勇者をおびき寄せるための罠だ。城門付近に全員で固まり、迎え撃つのが最善だろう」
冷たい物言いながらも簡潔に作戦の趣旨を伝えるザイン叔父様。
別に叔父様はヌイに冷たく当たっているワケではない。単に大局的な判断を下しているだけだ。王子の立場から、最も被害の少ない作戦を優先しているんだ。
そんなことはわかっている。
わかっているが、じっとなどしてはいられない。
「なるほど、ならば私とギアだけで打って出よう。
ザイン王子の部隊は城門前に陣取っていればいい。
私たちが遭遇しなければ、私たち以外の全兵力を持って対抗できる」
ハジュン様が僕とイルザさんを連れ、会議室から出ようと踵を返した。
しかし扉を塞ぐように、城の兵士たちが立ちはだかる。
「友人の窮地なんだ、どいてくれ」
「先ほどの話を聞いていなかったのか?
これは貴様をおびき寄せるための罠だと言ったはずだ。
勇者を孤立させることが敵の目的ならば、どうなる?
敵の集中攻撃を浴びて嬲り殺しに遭うかもしれないぞ」
叔父様の言葉に円卓の大臣たちも同調する。
「勇者を危険に晒したとなれば、イーゼンブルク国の権威は地に堕ちますぞ?
その責任は一体誰に取っていただけるというのかな?」
「勇者様ならば、個人的な感情ではなく国単位で物事を判断してくだされ。
すでに多大な損害が出ておるのです。
これ以上の財政圧迫は勘弁してもらいたいものですな」
「たかだか一つの命、それも人間もどきの妖精のためになど――」
「お前たちが私を議論るな」
騒然としていた会議室の空気が凍りつく。
いつの間にか、ハジュン様の手に聖剣グラムス=レイブが握られていた。
その切っ先が向けられているのは、円卓のザイン叔父様。
群青色の光をまとう聖剣の威圧感に、大臣も騎士たちも言葉を失った。
「すまないな。
あまりにときめかない会話だったから、斬り込ませてもらったよ。
多数派が少数派を黙らせる光景には、前の世界でウンザリしているんだ」
言いつつ、ハジュン様は聖剣を何度か振ってみせた。
大臣たちの悲鳴が響く。先ほどまでの威勢は欠片も見られない。
圧倒的な英雄の力を前に屈している。
ザイン叔父様が酷く愉快そうに、声を押し殺して笑う。
「武力行使、か。勇者が聞いて呆れるな。
世界を恐怖で染め上げた魔神の手口と変わらんぞ」
「否、正論を覆してこその勇者だ。
安全策しか語れぬ者に、私を止める術など無いと知れ」
ハジュン様がグラムを扉のない壁に二度振り抜く。
壁に三角形の穴が生まれ、外へ続く通路が創り出された。
兵士たちが慌てて立ち塞がろうとするけど、ハジュン様の一睨みで硬直。
僕らを止められる者はもう会議室には誰もいない。
「待ちたまえ、ハジュンくん、ギアフリートくん」
そこで会議室に、長髪の青年と仮面姿のメイドが入ってきた。
長い金髪を後ろでまとめ、銀縁の眼鏡をかけてはいたが、その美貌には見覚えがある。
一週間前の選考会で僕を応援してくれたという、アルトさんだ。
「キミたちの力ならば、強行策でも十分に通じるだろう。
しかし失念。魔獣が通りうる道は三つもあるんだ、
せめてあと一人、助太刀が必要ではないかな?」
アルトさんが指を一つ鳴らした。
すると、隣の仮面のメイドが魔術で瞬く間に、その手の内へ鋼鉄の槍を創り出す。
アルトさんは槍を手にし、美しい軌跡を描きながら振り回してみせた。
「このアルトゥール・フォン・バイエルンも、微力ながらキミたちに協力しよう」
「アルトゥール王子、何をおっしゃるのです!」
円卓の大臣の一人が、身を乗り出して怒声をあげる。
「あなたはバイエルン国の王子、大切な客人ですぞ!
戦いへの参加などやめてくだされ!」
「アルトゥール王子って……あ、あの『風槍』で有名な?」
僕は大臣の言葉に驚きを隠せなかった。
アルトゥール王子と言えば、隣のバイエルン国と僕らのイーゼンブルク国の戦争を終わらせた英雄だ。
魔導騎士としての実力が高いだけでなく、政治的手腕も評価が高い。
暴君であった先代の父を隠居に追い込み、国の実権を握った現在は、誰もが当然の権利を等しく得られる国を目指して改革中だという。
「我は元々この国に迫るV級の脅威を取り払うために訪れたんだ。
この状況で黙って見ていることなど、できるワケがない。
勇者ハジュンに協力させてもらおう」
そう語るアルトゥール王子は悪意を感じさせない、真っ直ぐな目をしていた。
こんな素敵な人が味方になってくれるなんて、思わず胸が熱くなる。
「なるほど、キミはそういう奴だったか」
ハジュン様が値踏みでもするようにアルトゥール王子を見つめた。
王子は目をそらさず、真摯な表情で見つめ返した。
「我は先日ギアフリートくんが正体を知った際、愚かな発言をしてしまった。
信用できないのもわかる……だがあの発言の贖罪の意味も込めて、全力で戦う所存だ」
「否、信用するさ……アルト、ぜひあなたに手伝って欲しい」
ハジュン様とアルトゥール王子は握手を交わした。
円卓の大臣たちが予想外の展開にどよめきだし、視線を右往左往させている。
冷静なのはザイン叔父様だけだ。
叔父様は周囲を見渡し終えると、周囲のざわめきを掻き消すがごとく、思い切り円卓に手のひらを叩きつけた。
「狼狽えるな、烏合の衆ども。そこの勇者が単騎で特攻するならまだしも、アルトが加わるなら話は別だ。十分に戦術として成り立つ」
ザイン叔父様は再びペンを手に取ると、先ほど書かれた三本の線の内、真ん中と左の線の横に似顔絵を描いていく。
それは、特徴を端的に表したハジュン様とアルトゥール王子の顔だった。
「ハジュンは左の道から、アルトは中央の道から進行し、魔獣と遭遇した際には上空に魔力を放出し合図を送れ。
この二つの道は距離もさほど離れていない。
緊急時には合流することも難しくはないはずだ。
もしどの道でも遭遇しなかった場合は、残る一つの道から戻ってこい」
城門の前には、ザイン叔父様自身と、多数の兵士たちの似顔絵。
少し間の抜けた絵ではあるけれど、伝えたいことは容易に想像できる。
「そして残る我々は三本の道の到達点、城門へ続く道にて防衛線を張る。
ハジュンとアルトが殺し損ねた……あるいは後ろから追い立ててきた魔獣を確殺するワケだ。
この作戦ならば、リスクは最小限に抑えられるだろう」
「じゃ、じゃあ騎士団の皆さんも協力してくれるんですね」
僕は思わずイルザさんの肩を借りるのをやめて、円卓に身を乗り出してしまった。
ザイン叔父様は舌打ちを打ちつつも、首を縦に振った。
そして立ち上がり、勇ましく宣言する。
「全ての騎士に伝令せよ!
半刻後に、一番隊隊長クロゥネウイの救出作戦を決行する!」
「素晴らしい! 流石はザインだ、話が分かる!」
アルトゥール王子は聞くが早いか、メイドのミュールさんの手を引いて、会議室から飛び出していった。
ザイン叔父様は少々呆れ顔をしつつも、会議室の騎士たちへの命令を続ける。
「二番隊から六番隊は半刻以内に城の前に集合せよ!
七番隊から十番隊は出撃可能な状態で待機だ!
無謀にも我が国に這い寄りし魔獣どもを、明朝までに確殺するぞ!」
ザイン叔父様の一声で、円卓の騎士たちが跳び起きたように素早く行動を開始した。
本当に半刻以内には大勢の騎士たちが城門の前に集まるのだろう。
僕にはとても真似できない統率力。カリスマ性。やはり、叔父様は僕の憧れの存在だ。
「何を見ている? 劣等種」
不意に叔父様から睨めつけられた。
以前までなら竦み上っていた場面だけれど、今は目を反らさず、視線を交わすことができる。
叔父様への罪悪感よりも、叔父様と任務を一緒にできることの喜びが勝っているんだ。
「……少しはまともな顔つきになったか」
「えっ」
ザイン叔父様はすぐに視線を反らし、僕の隣のハジュン様とイルザさんに向き直る。
「イルザ、貴女には城内に残り、医務室で一番隊の負傷者を治癒してもらいたい。
もし仮に俺様が窮地に陥った際には、代わりに騎士団を指揮してくれ」
「あらあら。こんな可愛いだけのおばさんに頼むのは、筋違いではなくてぇ?」
「フン……『奈落の果ての魔女』と呼ばれた貴女が、どの口でほざく。
どうせ今の身体では、ハジュンとギアフリートの進軍には付いていけまい。
有事の際の切り札とさせてもらうぞ」
翡翠色のフードの奥でイルザさんが陰のある微苦笑を浮かべた。
彼女の過去に一体何があったのか、僕には想像することもかなわない。
イルザさんは僕とハジュン様の頭を撫でると、ひらひらと手を振りつつ会議室を去った。
「勇者ハジュン。分かっているであろうが、敵は十中八九、貴嬢を狙ってくるぞ。
少なくとも三体はいるというV級どもを相手取り、勝てる道理はあるのか?」
「道理を否定してこその私だ」
そう言ってハジュン様は、先ほど穴を開けた壁へ聖剣を軽く振り抜いた。
すると、穴など初めから存在しなかったかのごとく、壁は一瞬で無傷の状態に戻った。
「私が行使する能力『否我掌握の理』は、起きた事象すら否定し、なかったことにする。
世界の法則すら斬り捨てるこの力の前に、超えられぬ壁などないさ」
「フン……せいぜい反動でくたばらんことだ」
「平気だよ。今の私には、最高の相棒もいるからな」
そう言って、ハジュン様が僕の手をそっと握ってくれた。
ハジュン様の体温を感じて、怪我の痛みが和らぐ。
勇気が湧き上がり、血液が湯だつ。
勇者とは思えないほど小さな、子どものような手を、僕を優しく握り返した。
僕はもう、勇者様に憧れているだけの未熟者ではない。
勇者様の相棒――ハジュン様を守る盾なんだ。
僕とハジュン様は手を握り合ったまま、ザイン叔父様に続いて会議室をあとにした。
長い赤絨毯を抜け、蝋燭の照らす階段を下りていき、玄関ホールにたどり着く。
ホールから外に出ると、城と城下町とを結ぶ大通りに、騎士たちが集まり始めていた。
パレードを彷彿とさせる美しい隊列を成した、数百人の騎士たち。
僅かな時間でこれほどの隊列を創り出すなんて、流石は叔父様だ。
「ギアフリート、受け取れ」
叔父様が僕に真っ赤な兜を投げ渡した。
騎士団に所属する際に与えられて以来、僕が昔からずっと愛用してきた兜だ。
先日の戦いで壊れたものと思っていたけれど、修繕しておいてくれたなんて。
「かつて俺様がこの兜を貴様に与えたのは、戦場で素性を隠させるためだった。
イーゼンブルク国にとって貴様は、世に知られてはならない忌み子だ。
今でもその考えは変わらん」
叔父様の手が僕の肩をそっと叩き、僕にだけ聞こえる声量で囁く。
「だがこれからは……貴様という男を知らしめるために、この兜を着けていけ。
その深紅の兜を目にすれば、敵が恐怖し、味方が歓喜する戦鬼となるのだ。
危うさも有するハジュンを貴様が御してみせろ。
期待しているぞ、ギアフリート」
――期待しているぞ。
叔父様の言葉が胸の中で何度も反芻し、カッと目頭が熱くなった。
何とか返事をしたけれど、きっと言葉にはならなかったと思う。叔父様が僕に期待してくれているなんて、何年ぶりだろう。
僕は溢れ出そうな涙を隠すように兜で顔を覆った。
「ザイン叔父様、僕、頑張ります……頑張り、ますから」
「……呼び間違えるな、俺様は王子だ。まったく、成長しない豚め」
ザイン叔父様が僕から離れて、騎士団の元へ向かっていく。
僕とハジュン様は二人きりとなった。
「初めてキミと出会った時に着けていたから、兜を着けた姿の方がしっくり来るな」
「騙し続けていてごめんなさい。あの時の僕は、素顔を見せることが怖かったんです」
「今は怖くないのか?」
悪戯っぽくハジュン様が笑う。
僕は兜の前面を開き、微笑みを返した。
「はい。世界で一番尊敬している人に、肯定してもらえましたから」
その時、ザイン叔父様が進軍の準備の完了を高らかに告げた。
ザイン叔父様を先頭にして、一匹の大蛇のごとく統制された軍隊が、大通りを進んでいく。
「さぁ、私たちの初陣だ。
最高にときめく成果をあげようじゃないか」
「はい。無事にハジュン様を守り抜いて、必ずヌイを助け出します」
僕とハジュン様は再び手を握り合って、軍隊のあとに続いた。