第1章 15話『僕らは魔獣として産まれた』
ある人里に、奇妙な魔獣――サキュバスの女性が暮らしていました。
そのサキュバスは人間が大好きで、人間との共存を望んでいたそうです。
里でも一番の腕自慢の男と恋に落ち、遂に彼の子供を身ごもったサキュバスは、大層喜びました。
自分の中に人間の赤ん坊が宿っている。
人間が大好きな彼女にとって、その事実がたまらなく嬉しかったのです。
人間と魔獣のハーフ『魔人』は大体の場合、雄の魔獣が人間を襲った結果、産まれます。
魔獣側が人間を愛し、人間との子供を産むなど、とても珍しい出来事でした。
そう……前例に乏しい出来事だから、サキュバスは知らなかったのです。
魔獣から産まれる子供は、通常の魔人よりもずっと、魔獣としての血を色濃く受け継いでしまうことを。
サキュバスが双子の赤ん坊を産んだ時、赤ん坊の泣き声より先に、産婆の悲鳴が響きました。
その双子は生まれながらにして、すでに魔術耐性をまとうほど魔獣の血が濃かったのです。
母親そっくりの翼を生やし、特異な魔力量の証拠である鮮やかな髪色をした我が子の姿を見て、最初にサキュバスが漏らした言葉は――
「……気持ち悪い」
その後、サキュバスが我が子に興味を失い、最悪の店に引き渡すまで、時間はかかりませんでした。
……以上が、僕らの産まれた時のお話です。
ふふっ、まったく酷い話ですよね。
その後、我が子への残酷な仕打ちを責められたサキュバスは、人間への興味を失って、世話になった人里を滅ぼしてしまったそうですよ。
結局のところ、そのサキュバス――僕らの母にとって人間は、自分の望むままに愛でられる、都合が良いペットに過ぎなかったんでしょう。
さて、続きを話しましょうか。
僕とティプ・ケルが入れられたのは、一言で言えば……
『魔獣の虐待』を楽しむための専門店です。
僕とティプ・ケルは、物心がついた頃にはその店にいて、死なない程度にいたぶられ続けてきたんですよ。
母さんの顔なんて知らないし、今話した母さんの顛末も、店のオーナーが酔った時にゲラゲラと笑いながら話していたものです。
――ハジュンさん、そう興奮なさらないでください。
ギア、ハジュンさんをなだめてもらえますか?
……僕らのために怒ってくださって、ありがとうございます。
初めて耳にすれば、憤ってしまうのも無理はありませんよね。
でも意外と需要がある店なんですよ?
この世界には、魔獣を心の底から憎んでいる人が少なくありませんから。
僕らサキュバスは体格が人間と変わらないし、子供なら目隠しさえしておけばゴブリンよりも弱いくらいなので、格好の獲物だったんでしょう。
実際、僕とテル・ケルはその店の人気商品でした。
お客さんがつかなかった日なんて無いし、大怪我を負ってもオーナーが治癒魔術を使ってくれる高待遇です。
人気が無いせいで、怪我をしたまま檻に入れられて放置されて、そのまま死んでいった子たちも居るから、当時は「僕らは幸せな方だ……これ以上の高望みはしちゃいけない」と思っていましたよ。
だけど同時に、察していました。
成長した魔獣ほど脅威な存在はいません……生殖機能が発達し、魔力の全盛期を迎える前には必ず処分されてしまうと、理解していたのです。
ただ恥ずかしながら、、当時の僕はその未来に恐怖するどころか、むしろ希望すら感じていました。
だって、死んでしまえば、毎日痛い目に遭うことも無くなる。
苦しい毎日が終わりを告げますから。
……ギア、そんな悲しげな顔をしないでください。
大丈夫。今の僕は、ちゃんと死にたくないって思えていますよ。
元々は、人間に一矢報えたら死んでもいいかなって思ってたんですけどね。
あなたのおかげです……幼い頃にギアと出会えていたら、また違う運命を歩めていたかもしれません。
そう運命が変わって――あの日、初めてヒトを殺さずに済んだと思います。
その日を迎えるまでに兆候は見え始めていました。
一番分かりやすいのは、僕とテルの目を塞ぐ目隠し用の拘束具が、より頑強なものに変えられたこと。
特殊な鍵が無ければ決して開かない仕様で、僕らサキュバスの能力への不安の表れに他なりません。
その他にも態度がよそよそしくなる、無視をされる、理由もなく殴られるなど、とにかく理不尽な扱いを受けることが多くのなったのです。
そんな状況で……最悪の事態が起こりました。
妹のテルが初潮を迎えてしまったのです。
それは、テルがサキュバスとして成長し、人間の手に負えなくなることの前兆。
その日の内に、テルは別室に連れて行かれ、僕ら兄妹は離れ離れとなりました。
テルが連れて行かれた当初は「分かっていたことだ」と自分に言い聞かせて、なんとかやり過ごそうとしましたが……客からの指名で虐待部屋へと向かう途中、聞こえてしまったのです。
「お兄ちゃん、助けて」と、僕に助けを求めるテルの声を。
その瞬間、長年の虐待で空っぽの虚無が広がっていた僕の胸の奥に、真っ赤に燃える炎のごとく苛烈な、殺意と敵意と復讐心が芽生えました。
そして復讐のために行動開始。
普段通り、乾いた血でドス黒く変色した虐待部屋に入ると、待ち焦がれていた様子の客に抱きつき、耳元でボソリと囁きました。
「また来てくれたんですね……僕も会いたかったですよ」
感じ取れる魔力で、待っていた客が自分にベタ惚れなのは把握済みです。
最近は、身体に触れたり、平和に世間話したりするばかりで、虐待の時間がなくなっていたから、僕に気があることも察していました。
ハッキリ言って、サキュバスのカモですよね。
「僕、誰かを好きになるのって初めてなんです……こんなにも胸がドキドキして、切なくて、苦しくなるものなのですね……早く自由になって、この目隠しを外して、初恋の相手の顔を、見てみたいな」
寂しげに口を歪ませて、うっすらと目から涙を伝わせる。
男性をたぶらかせるのが上手なテル直伝の演技。
常連客は僕が直接言葉にするまでもなく、自らの意志で店から鍵を奪ってきて、僕の目隠しを外してくれました。
そこからは……もう楽勝でしたよ。
能力で操った常連客を利用して虐待部屋から脱出し、テルが運ばれた部屋に直行。
道行く途中で男の従業員や客を次々と魅了していき、五分もかからず、操られていないのはオーナーのみとなります。
店にトドメを刺すべく、オーナーの部屋の扉を開きました。
するとそこに広がっていたのは――だだっ広い部屋の中心にベッドが置かれ、両手両足を拘束された状態で血まみれのテルが寝かされている光景。
ベッドの前には剣と鞭を手にしたオーナーが立っていて、随分とご機嫌そうに笑っていたのを、よく覚えています。
「ハハハッ! まだまだ楽しませてくれよ!
私が満足したら、ひと思いに殺してやるからな!」
得意げにおぞましいことを語るオーナーでしたが、僕がその顔を覗き込んだ途端、顔が真っ青となりました。
サキュバスである僕が、目隠しが外れた状態でやってきた意味を、ひと目で理解したのでしょう。
聞くに耐えない命乞いの言葉を口にしていましたが……ほとんど覚えていません。
覚えているのは、最終的に「ここまで育ててやった恩を忘れたのか!? 恩知らず!」と、逆に怒っていたことだけ。
その上で、テルを人質にして交渉しようとまでしてきたので、僕は咄嗟に指から魔力の塊を飛ばして動きを止めようとしました。
すると……僕の放った弾丸は、運悪くオーナーの心臓を貫通。
胸の傷口から信じられないほど多量の血が流れ、床が真っ赤に染まっていったのです。
血の海の中を歩く内に、取り返しの付かないことをした実感が、ジワジワと湧き上がりました。
オーナーが遺した剣で、自分の首を掻っ切ろうと思ったほどです。
ただそこで、状況をまだ理解できていないテルが小声でずっと「ごめんなさい」「もうイジメないで」と繰り返し呟いていることに気付いて、ギリギリで踏み留まれました。
テルの味方はこの世界に兄一人だけ。
こんな醜くて残酷な世界に、テル一人を置き去りにはできない。
そして兄妹二人で店から逃げ延びて、僕が傷つくことのない理想の国を作れるよう、努力を続けてきたんですよ。
……なんのことは無い。
結局のところ、僕らは自分の居場所が欲しかっただけなんでしょうね。
だって、僕が能力で操った男たちばかりの国でひっそりと暮らすより、こうしてギアたちと一緒に食事を摂る方が、ずっとずっと幸せなのだから。
◆
「……長くなってごめんなさい。僕らの生い立ちについての話は以上です」
そう言って、ティプ・ケルが深々と頭を下げた。
その壮絶な過去に僕は言葉を失い、ウツクシィーさんは涙と鼻水でグチャグチャになった顔をハンカチで拭いている。
ハジュン様は、隣に座っていたテル・ケルを抱き寄せて、嫌がる彼女を力ずくで抱きしめていた。
「苦労したんだな、テル・ケル……これからは、もしお前を傷つける者が現れた時は私を呼べ。
一瞬で存在ごと否定してやるからな」
「あ~~~~~っ、もう! うっとうしいってばぁ~!」
そう言ってテル・ケルの青い頭をゴシゴシと撫でるハジュン様の手を振り払って、テル・ケルが頬を膨らませる。
「昔の話だから、そんな気にしないでよ!
てか、今ならどんな男だって、一瞬でアタシのペットにできちゃうし!」
「テル・ケル、無理するな。
過去のトラウマが原因で、人間をペット扱いしようとしてしまうのだろう?
もっと素直になれ……もっと年相応の、素直な良い子になっていいんだ」
「いや、男をペット扱いするのは単なるアタシの性癖だから。
過去は関係無し。演技でも無し。今のアタシ、完全に素」
テル・ケルが本気のトーンで語り、ハジュン様を落胆させる。
ハジュン様はああ見えて、幼い子供が大好きだから、きっと甘えて欲しかったんだろうなぁ。
「ワタクシは、魔獣を虐待する店があるなんて知りませんでしたわ……まだ存在していますの? 残っているなら、すぐに滅ぼしませんと」
「僕らの暮らしていた店は逃げてくる際に建物ごと滅ぼしました。
でも恐らく、どこの国でも一つや二つ、あると思いますよ」
「イーゼンブルク国にも昔はあったって聞いたことがある……僕の叔父様の気まぐれで、取り潰されたらしいけど」
「そ、そんなにありふれたモノですね……あまりにも美しくない話ですわ」
「……そうですよね。あまりにも、醜い話ですよね」
溜め息をつき、自分の右手の人差し指を、じっと見つめるティプ・ケル。
その目は先日のテル・ケルと同様に、昔戦場を駆けていた頃の僕と同じ、絶望に塗り潰された色をしている。
「今でも、オーナーを殺した時の指の感覚が忘れられません。
アレからはまだ、一人も殺してないんですけど……命を奪う感覚が、指にこびりついて離れないんです」
ティプ・ケルの気持ちは痛いほどよく分かった。
誰かの命を奪ってしまった感覚は、どれだけ時が過ぎたとしても、決して消えない。
同じ感覚に苦しんでいた者として、せめて少しでもそのツラさを、軽減してあげたいと思う。
「ティプ・ケル……41。これがなんの数字かわかる?」
「41?」
急に訊ねられて、慌てて考え始めた様子だったけれど、答えは出ない。
僕は正直に答えを告げる。
「戦場で僕が直接殺した人間の数だよ。ティプ・ケルとは比べ物にならないよね?」
「え……!? 41人も、ギアが……?」
信じられないと言った顔のティプ・ケルの元に歩いていって、殺した感覚がこびりついたという指ごと、その手を握る。
「きっと一生……誰かを殺した感覚が消えることは無いと思う。
ティプ・ケルも、僕も、一生苦しみ続けることになるはずだ。
でもね……魔獣の血が流れる僕らでも、どれほど血濡れた手でも、誰かの手を握ったり、誰かを救ったりすることはできるんだよ」
昔、戦場で疲れ切った僕を、母さんがそう言って励ましてくれた。
全てを諦めて暮らしていた僕の手を、ハジュン様が引いてくれた。
苦しい記憶が手にこびりついて離れないなら、何年かかってでも、何度失敗を繰り返してでも、優しい記憶で上塗りしていけばいい。
「正直に過去を話してくれてありがとう……ティプ・ケル。
今度は、僕の罪を語る番――」
その時、そう遠くない距離から、勇ましい嘶きが響いてきた。
更に、今この場で感じ取れるはずの無い、とても馴染み深い魔力を感じ取る。
ハジュン様の全てを包み込む海のような魔力とは真逆の、天空から降り注ぐ雷槌のように刺々しい魔力。
これほど強烈で特徴的な持ち主は一人しかいない。
「ザイン……叔父様?」
イーゼンブルク国の王子にして、国内最強の魔術師――ザイン叔父様が愛馬と共に近づいてくるのを、感じ取らずにはいられなかった。