第1章 12話『男性サキュバスが支配する国③』
「くっ……! ナメないで、ください……!」
ティプ・ケルの足の向きが変わった。
――魔弾が来る!
気付くと同時に身を屈めて、魔弾を回避。
「僕の足しか見ていないのに、なぜ回避できるんです……!?」
ティプ・ケルが動揺している。
格闘術の達人なら、足の動きさえ見ていれば重心の移動を把握し、大体の行動が読めることを知らないんだろう。
ここまでの戦いで、魔弾と能力頼りなことはわかった。
やっぱり付け入る隙があるとすれば、格闘術の差だ。
「くぅ――」
また足の向きが変わり、重心が下がるのが見て取れた。
踏ん張りを強めたということは、無理をしてでも魔弾を連射している証拠だ。
僕に向けられた手を跳ね上げて、手のひらをティプ・ケルの胸に当てる。
「魔勁ッ!」」
衝撃を逃さないよう地面を蹴りながら魔勁を放った。
先ほどは弾かれたけど、今度は手応えあり。
ティプ・ケルが背後の壁に深くめりこみ、衝撃の大きさを物語る。
「ギ、ア、フリートォ……!」
ティプ・ケルが怒りの声を発しながら指を鳴らした。
すると、数えきれないほどの男性が駆けつけてきて、数の暴力で僕を無理やりティプ・ケルから引き離してしまう。
「……この数は、相手にできない」
ハジュン様の血液を飲んで魔蝕を発動し、男たちから力ずくで逃れて、屋根の上に跳び乗った。
ところが、屋根の上にも男が待ち受けていて、息をつく間もなく襲ってくる。
どこに行っても逃げ場が無い。
まるで、街そのものが敵になったみたいだ。
これが、魔獣『サキュバス』の本気の能力か。
「ふぅ……そろそろ諦めたらどうですか?」
ティプ・ケルが僕の前へと飛来し、前髪を掻き上げながら溜め息をついた。
チラリと見えた顔は、先ほどの僕の打撃によって頬が膨れ上がり、唇から血が垂れている。
「もっと男前になったね」
「ええ、おかげさまで。
……たっぷりお礼をしてあげますよ」
表情こそ笑顔なものの、寒気がするほどの殺気を感じる。
もう魔蝕は一度しか使えない。
どう時間稼ぎをしようか。
「ティプ・ケル、キミは随分とこの街に馴染んでいたようだけど……支配することに後ろめたさは覚えないのか?」
「雑談に見せかけた時間稼ぎですか。
乗ってあげたいところですが……確実な勝利のために拒否します」
ティプ・ケルが僕へと向けた手のひらから、魔弾より大きな魔力の塊が放たれる。
咄嗟に横っ飛びで回避。
空を切った魔力の塊は後方の家屋へとぶつかり、二階建てのレンガ造りの建物を一撃で粉微塵にしてしまった。
「魔獣の血が流れる同志ですし、殺したくなかったので魔弾のみにしていましたけど……仕方ありませんね。
魔砲で跡形もなく消し飛ばしてあげますよ」
当初肉弾戦を控えていた僕への意趣返しとばかりに、挑発するティプ・ケル。
あんな威力の技を手足に喰らえば、確実に千切れてしまう。
いくら魔蝕でも千切れた手足までは復活しないから、そうなれば一巻の終わりだ。
「出し惜しみ、している余裕は無いね」
残りのハジュン様の血液をすべて飲み干した。
全身の魔力をみなぎらせ、盾を構えて、攻撃に備える。
そしてハジュン様の姿を思い浮かべながら、ティプ・ケルに向かって吠えた。
「来い、ティプ・ケル! 僕は『勇者の盾』だ……!
どんな攻撃だって、耐えてみせる!」
「無駄な足掻きですよ……! 魔砲ッ!!」
再びティプ・ケルの手のひらから魔砲が発射。
あまりの風圧で、周囲の男たちは枯れ葉のように吹き飛んだ。
直撃すれば即死だ。
でも盾で素直に受けても防ぎ切れない。
それなら――
「魔力強化――盾!」
盾に魔力を込めて強化し、先ほどと同様、斜めに構えて受け止めた。
触れただけで吹き飛びそうになる魔力。
盾を持つ指の骨がきしみ、激痛が走る。
歯を食いしばって痛みに耐え、盾にかかる衝撃を受け流した。
「ぁぁぁぁああああッ!」
叫びつつ魔砲を弾き飛ばした。
しかし間髪入れず、次々と魔砲が飛んでくる。
「みっともない足掻きはやめましょうよ……!
何事も諦めが肝心ですよ!」
「諦めて、たまるか……!」
無我夢中で盾で次々と魔砲を弾き続けた。
途中、衝撃で指の骨の一部が砕けてしまったけれど、魔蝕で治るまでの間、盾の端に噛みついて足りない力を補強。
手の出血は服で拭い取り、足の痙攣は気にせず、一瞬たりとも隙は生まない。
力の限り、とにかく魔砲を防ぎ続けた。
「ハァ――ハァ――しぶとい、ですね……」
遂に魔砲が止んだ。
魔蝕の効果はとっくの昔に切れていて、手も足も限界寸前。
その事実を悟られないよう、平然とした顔で盾を構えたまま、ティプ・ケルに近づいていく。
「何度やっても無駄だよ、ティプ・ケル。
国を支配しようだなんてバカなことは、もうやめるんだ」
「バカなこと……?」
顔色を変え、フルフルと震え出すティプ・ケル。
「何も知らない部外者が……! 勝手なことを言うなァ!!」
次の瞬間、突然ティプ・ケルが飛び掛かってきて、屋根の上に組み敷かれてしまった。
更に僕の腹の上へと伸し掛かり、白い指で首を絞めてくる。
僕より細く、小柄にも関わらず、跳ね除けられない。
なんて凄まじい力と執念だ。
「こんな醜い戦い方は嫌だけど……もういい。
どうせ男なんて、サキュバスの僕の前じゃ、みーんな奴隷になるんだから……」
ティプ・ケルの指が僕の頬を掴んで、強引に目線を自分と合わせようとする。
目を合わせて、恋惑で操る気か。
懸命に抵抗を試みるものの、魔蝕が切れた反動で、力が入らない。
このままじゃ、ティプ・ケルと目が合ってしまう――
「ん……?」
その時、頬に水滴が落ちてきた。
見れば、ティプ・ケルの頬を涙が伝い、僕に滴っている。
目は見えないものの、表情が酷く歪んでいるのは間違いない。
「ティプ・ケル……泣いてるのか?」
「は……? 何を、言ってるんだ……?」
無自覚の涙だったのか、僕の問いに狼狽えるティプ・ケル。
しかし、すぐに涙を拭って、再び僕の頬を掴む手に力を込めた。
「男なんて……男なんて、みんな奴隷なんだよ……!
支配するのは僕だ……もう誰も、僕らを汚させない!」
もはや表情に優雅さなど欠片もなく、乱暴に、なりふり構わず僕を支配しようとしてくる。
その様子を見て、僕の脳裏にぼんやりと不思議な光景が浮かんだ。
それは――明らかに僕の記憶には無い光景。
仄暗い小屋の中で、青い癖っ毛の幼い少年が、自分を抱きしめてくれている。
そして耳元でこう囁くんだ。
「大丈夫……テル・ケルには指一本触れさせないよ。
お兄ちゃんが、守ってあげるからね」
「その、言葉……」
ティプ・ケルの手から力が抜けた。
どうやら僕は無意識に、記憶で聞いた言葉をそのまま口にしてしまっていたようだ。
僕の言葉を耳にしたせいか、ティプ・ケルは青ざめた顔で僕から離れ、頭を押さえて座り込んでしまう。
「なんで、お前が僕の過去を知ってる……?
まさか、誰かが吹聴してるのか……?
うっ、うううぅ……ううううううう……ッ!!」
ガリガリと頭を掻き、全身を震わせるティプ・ケル。
明らかに様子が変だ。
もはや、戦いどころじゃない。
「ティプ・ケル、一体どうしたんだい?」
僕は心配になってティプ・ケルに声をかけようとした。
ところが、ティプ・ケルが全身から発する魔力で弾き飛ばされ、近づけない。
「近寄るな……醜い男が……! 僕たちに近寄るなぁぁぁぁッ!!」
ティプ・ケルの叫びに呼応したかのごとく、街中から響く獣じみた咆哮。
これまでと比較にならない数の男が屋根の上によじ登ってきて、周囲一帯が男で埋め尽くされてしまった。
男たちの表情はティプ・ケルの怒りを体現するかのように、激しく歪み、飢えた野獣を想わせる。
あんな状態が続けば、操られた男たちだって無事じゃ済まない。
早く助けてあげないと。
「覚悟しろ、ギアフリート……! もうキミを奴隷にすることにはこだわらない!
触れちゃいけないものに触れたキミは確実に始末する!」
相手の戦力は無尽蔵。
周囲一帯を敵で埋め尽くされて、逃げ場は無し。
頼みの綱であった魔蝕も、もう使えない。
それでも、僕は最後の最後まで諦めず、ハジュン様を待ち続ける。
「ハジュン様は必ず来てくれるさ……今までだって、どんな時だって、あの人は不可能を可能にして来たんだから」
そう僕が口にした時――遠くの空で何かが輝いた。
その何かは徐々に輝きを増して、大きくなっていく。
「まさか……」
いや、きっとそうだ。
金色の輝きがハッキリと輪郭を現すに連れて、期待は確信へと変わる。
輝きの正体は、金色の鎧をまとって飛行するウツクシィーさんと、その背中に乗るハジュン様だった。
「待たせたな、ギア」
ハジュン様が僕の隣へと飛び降りてきた。
ウツクシィーさんは僕に軽く手を振ると、そのまま街の外へ飛び去っていく。
「勇者、ハジュン……! なぜ、戻ってこられた!?
戻ってくるなんて、不可能だったはずだッ!!」
固まっていたティプ・ケルが動き出し、ハジュン様に向かって魔砲を発射。
ハジュン様は魔砲に手をかざし、軽々と無効化してみせた。
「否――不可能など無い。
不可能を可能に否定てこその、私だ」
ハジュン様が僕に向き直り、アゴを引き寄せて唇を奪った。
そのキスで魔蝕が発動して、限界間近だった肉体が息を吹き返す。
血で染まった僕の鎧に指を添わせつつ、ハジュン様は悲しげに目を伏せ、僕にだけ聞こえるよう囁きかける。
「……随分と無理をさせてしまったようだな。
私がドジなばかりに、本当にすまなかった」
「相手が一枚上手だったというだけです。
僕の方こそ、罠に気付けず申し訳ありません」
「ふふっ、この戦いが終わったら二人で反省会をしようか」
そして僕らは手を繋ぎ、二人でティプ・ケルと向き合った。
「ティプ・ケル、お前の負けだ。
お前が作り上げたこの歪んだ国は――私が否定する」」