第1章 11話『男性サキュバスが支配する国②』
狭い路地で一人、ティプ・ケルと対峙することになった僕は、冷静に周囲を伺う。
左右に建ち並ぶのはレンガ造りの家屋の壁面。
カーテンの閉められた窓が見えていて、その奥に人の気配がチラホラ。
地面の石畳には、うっすらと何か文様が彫られていて、魔力の残滓が感じられる。
なるほど。先ほどの発光は魔術によるものか。
恐らく、この路地全体を囲うほどの大きな術式が彫られていたのだろう。
あまりにも大きすぎて、一部を見ただけじゃ術式だと気付けなかったんだ。
「単純な攻撃ならハジュンは防げたはず……恐らく、どこか遠くに転移する魔術だろうね」
近くにいれば、ハジュン様なら時空間否定で一瞬で戻ってこられるはず。
その気配すら感じられないということは、よほど遠くに飛ばされたんだ。
術式が大掛かりなのは、僕らに内容を悟られないためじゃなく、遠くに飛ばすためでもあったのか。
「観察は済みましたか?」
ティプ・ケルが訊ねつつ、少し垂れてきた青空色の前髪を掻き上げた。
「聡明なギアフリートさんなら、自分たちがどんな罠にハメられたかお気付きでしょう。
そして、なぜ勇者ハジュンに魔術が通じたのかもね」
「ハジュン様の『自動否定』は、悪意の無い攻撃には発動しない。
例えば、操られて自分の意識の無い人たちによる魔術ならね」
「ご明察。噂通りの鋭さです」
魔術の発動前に指を鳴らしていたのが、恐らく合図。
アレでサキュバスの能力『恋惑』で操っている男性たちに、転移の魔術を詠唱させたんだろう。
「サキュバスならではのハジュン様対策だね。
テル・ケル同様、ハジュン様の能力の弱みをよく理解しているよ」
「ふふっ、当然ですよ。この国で僕を止められるとすれば、ザイン王子か勇者ハジュンくらいなものですからね」
再びティプ・ケルが指を鳴らすと、両脇に見えていた壁面の窓が開き、虚ろな目をした男たちが出てきた。
男たちの手に握られた。最も扱いやすい棒状の杖の先端が、僕へと向けられる。
「さっき魔術を使ったのは、この人たちか」
「さぁ、奴隷たち、遊んであげてください」
杖から炎、風、水、土といった四大属性の魔術が放たれた。
その攻撃を盾で受け流し、男たちのアゴに打撃を加えて、意識を奪い取る。
これくらいの人数なら、テル・ケルの時と同様、脅威にならない。
問題は眼の前のティプ・ケルが、どれほど強いか、だ。
自分の操り人形たちを倒されたのに、ティプ・ケルは余裕の態度を崩さない。
「ふふっ、一瞬で六人の奴隷を無力化してしまうとは。
報告通り、僕らサキュバスの奴隷対策はバッチリですね」
言いつつ、もう一度指を鳴らすティプ・ケル。
すると、今度は屋根の上から男たちが飛び降りてきた。
人数は先ほどの倍以上。
さらに今度は杖だけでなく、剣や盾を手にした者までいる。
「ですが、無駄な努力ですよ?
なんたって、この街の男のほとんどは僕の奴隷……一人で倒し切れる人数じゃありません」
「倒し切る必要なんて無いさ」
僕は首から下げた小瓶の蓋を開け、その中身を少し舌の上へと落とした。
その中身はハジュン様の血液。
『魔蝕』が発動して、全身に力がみなぎる。
「僕の仕事はハジュン様を支えること。
ハジュン様が戻ってくるまで、耐え抜けばいいだけだ」
「ハハッ、何を言ってるんですか。
戻ってこられる距離に転移させるはず無いでしょう?」
ティプ・ケルが僕を指差すと、一斉に男たちが襲ってきた。
魔術と斬撃を盾で防ぎ、打撃で無力化。
いつまで戦いが続くか分からないので、最小限の力で戦う。
ただ、四方八方からの攻撃には対応し切れず、どうしても負傷は避けられない。
「僕を忘れないでくださいね……魔弾♥」
ティプ・ケルの人差し指から魔力の弾丸が放たれ、右足を撃ち抜かれた。
態勢が崩れた隙に、周囲の男たちに全身を滅多打ちにされてしまう。
「水の理――水牢……!」
殴られながらも手でなんとか術式を描いて、詠唱。
地面に水が広がり、男たちの身動きを封じた。
「魔勁ッ!」
その隙に、男たちの頭部に魔力を込めた打撃を放って、全員気絶させる。
「ハァ――ハァ――」
撃ち抜かれた右足が回復すると同時に、魔蝕の効果が切れるのを感じた。
ハジュン様の血液にも限りがあるから慎重に戦わないと。
「十五人の奴隷でも足りませんか。
次は、三十人の奴隷を呼んでみせましょう」
ティプ・ケルが演技がかった所作で拍手しながら言った。
先ほど軽く撃った魔力の弾丸だけで、テル・ケルより数段上の、防御不能の威力。
まだまだ彼は実力の一部しか見せてはいない。
なら今、僕がすべきことは決まっている――。
「魔力強化――脚」
脚を強化して、屋根の上に跳躍。
そのまま一気に屋根の上を全力で駆けて、逃走を図った。
屋根の上にはティプ・ケルが待機させていたと思われる男たちが見えたものの、相手にしない。
とにかくティプ・ケルから距離を取ることが最優先だ。
「勇者の盾がこれほど臆病者だとは、情報にありませんでしたよ」
声がした方を見ると、ティプ・ケルが背中に翼を生やして飛行し、僕の隣に並んでいた。
間髪入れず、白い指先が僕に向けられる。
「魔弾♥」
その指先から魔弾が発射。
咄嗟に身をかがめて回避し、無防備なティプ・ケルのへそに手のひらを当てた。
「魔勁!」
手のひらから放出した自分の魔力で、僕の方が跳ね飛ばされてしまう。
魔力を受けたはずのティプ・ケルはたじろく様子すら見せない。
魔術耐性を破れなかったか。
「魔弾♥」
着地場所に向かって、ティプ・ケルが魔弾を発射してきた。
回避は不可能。
盾を斜めに構えて、魔弾を受け止める。
魔弾の衝撃で手がシビれたものの、なんとか受け流すことができた。
「……盾しか持っていないのは、それだけ盾の扱いが上手いからですか。
初めての情報です」
「攻撃するのは性に合わなくてね、だからハジュン様の盾を自称しているんだ」
「ふふっ、気が合いますね。僕も本当なら戦いなんてしたくないんですよ」
語りつつ、ティプ・ケルが指を鳴らした。
すると瞬く間に、屋根の上に男たちがよじ登ってきて、僕を取り囲んでしまう。
「だから、こうして奴隷たちに任せるんです。
自分の手を汚すなんて、みっともなくて、ナンセンスですよ」
「みっともないことが悪いことか?」
言うが早いか、僕は小瓶からハジュン様の血液を舌に落とし、ティプ・ケルに背を向けて逃走。
今度は魔蝕で最大限強化した状態だ。
これなら流石にティプ・ケルでも――
「みっともないのは悪ですよ」
すぐ耳元でティプ・ケルの声がした。
振り返る間もなく魔弾で肩を撃ち抜かれて、屋根から下の広場へと転がり落ちた。
「みっともないのは悪……! 悪! 悪ですよ!!」
態勢を整える間もなく、頭上から魔弾が降り注ぐ。
盾で防御を試みるものの、防ぎ切れず、何発か身体に着弾。
傷が回復して、早くも魔蝕の効果が切れてしまった。
マズい……。
このままでは、すぐにハジュン様の血液が失くなって、ジリ貧だ。
「ふふっ、醜いですね……ああ、みっともない」
フワリと優雅に、僕の前へと降り立つティプ・ケル。
その顔は余裕に満ちあふれ、汗すら流していない。
「女性の体液で強くなる……醜くも恐ろしい能力ですよね。
ですが、それも男性の僕の前では無力だ」
語りながらティプ・ケルは自分の目を指差した。
目を合わせると能力がかかってしまうから、つられないように注意する。
「その上、僕の能力はあなたに有効です。
勝ち目など無いから、もう諦めたらどうですか?」
「……ああ、諦めることにするよ」
ハジュン様の血液で改めて魔蝕を発動。
発動できるのは、恐らく残り二回が限界だろう。
これ以上は、下手に負傷できない。
もう、諦めがついた。
「ティプ・ケル、キミを傷つけずに倒すことを……諦めるよ」
心の中で「魔術強化――瞬」と呟き、地面を全力で蹴った。
盾を構えた状態でティプ・ケルに突撃。
不意を突かれたティプ・ケルは避けきれず、正面から体当たりを受けた。
「がっ――」
ティプ・ケルの口から悲鳴が漏れる。
全身を強化して一気に加速する『瞬』に魔蝕での身体強化まで加えた動きは、流石に捉えられなかったらしい。
この戦いで、初めてティプ・ケルが余裕を失った。
攻めるなら今しか無い――
「魔術強化――瞬ッ!!」
更に全身を強化して速度を早め、ティプ・ケルの全身に拳を打ち込む。
魔蝕で強化された状態でも全身が痛むほどの負荷。
それでも、拳を止めない。
ティプ・ケルを殴りながら、家の壁面に向かって、一歩ずつ前進。
壁に張り付けの状態として、更に殴打。殴打。殴打。
ティプ・ケルの魔術態勢で拳が焼き付くものの、そのまま殴り続ける。
「やっぱり格闘術の心得は無いようだね……!
格闘術は! みっともなく泥くさく訓練しないと! 身につかないんだよ!」
「ギア、フ――ぐぁッ!」
余裕の無いティプ・ケルの悲鳴が漏れ聞こえた。