第1章 1話『僕はオーク』
酒場に足を踏み入れると、店中から一斉に、侮蔑と畏怖の混ざった視線を向けられた。
その視線はもちろん醜い容姿の僕に向けられたもので、予想通りの反応過ぎて苦笑してしまう。
「どこに行っても僕は嫌われ者だな」
「ギア……あの客たち、全員斬り捨ててやろうか?」、
僕の隣で、フードを目深にかぶった少女が怒気を発する。
それだけで、店内の空気が変わるほどの圧が生じ、客の中には椅子から転げ落ちる者まで現れた。
「ハジュン様、僕なら平気ですから落ち着いてください。
正体がバレたら作戦が台無しですよ?」
僕が小声で諭すと、少女は落ち着きを見せ、怒気を静めた。
周囲の客たちの中にどよめきが広がるものの、事態を飲み込めていない。
まさか、僕より頭二つ分は小さい子供のような少女が、店内の空気を変えただなんて思わないだろう。
ハジュン様と一緒にカウンターに座り、カウンターの奥でグラスを拭いていた初老の男に「アイスミルクをふたつ」と注文した。
白髪のオールバックに、額に刻まれた深いシワ、口元の長いヒゲ。
情報通りの外見。例の男に間違いない。
僕の注文にいぶかしげな表情を浮かべ、まるで僕を値踏みするようにジロジロと見つめてきた。
「……酒ではないのですね」
「老けて見えますか? ふふっ、こう見えても僕、未成年なんですよ」
「これは失礼しました。外見もそうなのですが……何よりお客様は、相当な場数を踏んでいるものとお見受けしますので」
さすが、冒険者たちに依頼を仲介するギルドの管理人だけあって鋭い。
ハジュン様の機嫌も悪いし、早く要件を済まさないとボロが出てしまいそうだ。
「この店では、イーゼンブルク国からの依頼を仲介してくれるそうですね。僕も冒険者をしているのですが、何か依頼を見繕ってもらえませんか?」
「やはり、冒険者様でしたか。どのような依頼を希望されますか? 今ですと、魔獣の討伐と、要人警護の依頼がございますが」
「面白い冗談を言いますね。この顔で、要人警護は無いでしょう」
店主がカウンターの上に置いたミルク入りのジョッキに、自分の顔が映り込む。
土色の肌に、ざらついた髪、まぶたが薄く猛禽類のように鋭い目、岩石のように頬張った輪郭に、口から突き出た二本の牙。
自分の中に混ざる魔獣――『オーク』の血が色濃く表れた容姿だ。
幼い頃に自分が人間じゃないことを思い知った時の悲しさは、今でもよく覚えている。
人間しかいないこの店に僕のような魔人が現れれば、他の客たちから警戒されるのも当然だろう。
「僕は見ての通り武闘派なので、魔獣の討伐の依頼を受けたいですね」
「でしたら、U級の魔獣を十体倒す依頼などいかがでしょうか。お客様なら、苦もなく倒せる相手かと思いますよ」
「……ああ、それはいいですね。ぜひ受けさせてください。
依頼人さんは、どちらの村に?」
「ここからすぐのザクセン村です。地図を描いて渡しますから、そちらを頼りに向かってください」
――ザクセン村か。
目当ての情報は聞き出せた。
ここからは、もう正体を隠す必要も無い。
「マスター、少しよろしいですか?」
カウンター奥の部屋に引っ込もうとした店主を呼び止めると、怪訝そうな表情を浮かべた。
「今引き受けた依頼も、イーゼンブルク国から紹介されたものなのですよね?」
「……当然でしょう。国家公認の依頼以外を冒険者に仲介するのは、法で禁じられていますから」
「ですよね。法外な依頼料を設定したり、ありもしない架空の依頼で冒険者を惑わせたりする人も現れますから」
僕の言葉に店主のこめかみがピクリとする。
動揺を隠し切れていない。
この店が違法行為に及んでいるのは把握済みだから、当然の反応だ。
「冒険者にしては随分と国内事情にお詳しいですね。何か、イーゼンブルク国との繋がりでもおありで?」
「ああ、名乗るのが遅れました」
そう言って、僕は腰に吊り下げていた深紅の兜をカウンターの上に置いた。
兜を見た途端、店主の顔が青ざめる。それも当然だ。
今やイーゼンブルク国の住民で、この兜を知らない者はいない。
「僕はギアフリート・フォン・イーゼンブルク=ゼファー。
イーゼンブルク王の息子です……違法の依頼を流していた罪で、あなたを断罪します」
「お前、まさか『勇者の盾』か……!」
店主が慌ててカウンターに拳を叩きつけた。
すると、僕の目の前のカウンターが形を変え、内部に敷き詰められた小さな大砲の群れが露わとなった。
「術式の気配――大砲型の杖か!」
「今さら気付いても遅い! 死ね!
火の理――火球ッ!」
すべての大砲が同時に火を吹いた。
咄嗟にハジュン様をかばうようにして立ち、背中の盾を取って構える。
球状に凝縮された炎が僕に襲いかかり、鎧を砕き、肉を焼く。
それも一発じゃなく、次々と。
熱い。痛い。熱い。痛い。熱い――。
熱と激痛の波状攻撃によって、悲鳴をあげる肉体。
だけど、ただ、それだけだ。
ハジュン様を守るためなら、僕はいくらでも耐えられる。
耐え続けること数十秒。
術式が焼き切れたのか、とうとう大砲から炎が出なくなった。
出血はしているけれど、四肢は十分動く。
盾を下げて、手足の血を拭うと、カウンターの奥で愕然としたマスターに近づいていく。
「もう、終わりですか?」
「バ、バカな……!
どんな魔獣だって倒せる最新式の杖なのに!」
「オーク種は全魔獣の中でも随一のタフさですから。
その血が流れている僕もタフなんですよ」
逃走を図ったマスターの腕を掴んで、逃さないようにする。
それでもマスターは往生際が悪く、周囲の客たちに向かって、大声で叫んだ。
「ぼ、冒険者の皆さん! オークに襲われています!
どうか助けてください! 報酬は言い値で払いますから!」
店主の要請により、店内にどよめきが広がる。
ただ、瞬く間に、冒険者たちに取り囲まれてしまった。
確かに、傍目から見ると僕が悪者にしか見えないだろうから、仕方ないか。
「皆さん……僕は勇者ハジュン様の相棒、ギアフリートです。
国家の依頼を受けて、その店主を懲らしめに来ました。
皆さんと戦う理由は無いので、引いてもらえませんか?」
僕の言葉を聞き、冒険者たちは嘲るように笑った。
「お前が勇者様の相棒? 寝言は寝て言え!」
「事情は知らねえけど、オークは俺たちが退治してやるよ!」
「マスターの魔術でだいぶ負傷してるんだ!
これだけの数でかかれば、楽勝だぜ!」
確かに、流石に血を流しすぎたから、長期戦は厳しい。
どう戦うべきだろうか。
「ギア、少しかがめ」
戦いを見守っていたハジュン様が語りかけてきたので、言われた通りにかがむ。
すると血がつくのも気にせずに、僕の顔を引き寄せ、自らの唇を重ねた。
そのキスによって、僕の全身の傷は瞬く間に塞がっていき、周囲の冒険者たちが悲鳴に近い驚きの声をあげる。
「な……どうして、無傷に……」
「オークは異性の体液を摂取すると、回復力と身体能力が向上するんですよ」
本来、魔術を使用するには、世界の根源と自分とを結ぶ道……術式が必要だが、僕のような魔人には種族それぞれに、術式不要の力がある。
今発動したのがオークの能力『魔蝕』。
異性の体液が発動条件という、オークが嫌われる最大の原因となっている力を目の当たりにして、冒険者たちは明らかに動揺していた。
「うろたえるな! これほどの人数がいれば、必ず勝てる!」
冒険者の一人――額当てに鎧、マント、さらに剣という、如何にも勇者な見た目の男性が、僕に剣の切っ先を向け、威勢よく言葉を続ける。
「正義は必ず勝つと信じるんだ!
醜いオークに人間が屈するなど、決してあってはならない!」
「う、うおおおぉーーーーー!」
勇者風の青年の言葉で冒険者たちが湧く。
僕は悪事を止めに来た側だというのに、世知辛い。
一般人を傷つけたくは無いけれど抵抗しなくちゃダメかな……と、考えていたその時――
「――貴様、今“私のギア”を醜いと言ったか?」
怒気の込められた声を隣のハジュン様が発した。
マズい――と思う間もなく、ハジュン様はフードを脱いで、自らの姿を晒す。。
東方より伝来した花『桜』を想わせる淡く美しい長髪に、本人曰く『セーラー服』と呼ぶらしい特異な衣服をまとったその姿は、見間違えようも無い。研ぎ上げた刃のように鋭い目と、その奥で輝く群青色の瞳、新雪を思わせる純白の肌。まるで作り物じみた美しさだ。
その姿を目にした客たちは、ある者は目を大きく見開き、ある者はその場に膝をつき、ある者は額を床にこすりつけた。
世界を救うために生まれた最強の英雄――
勇者ハジュン様が姿を見せたのだから当然の反応だ。
「もう一度言うぞ。
お前は、“私のギア”を醜いと言ったか?」
勇者風の男に詰め寄り、ハジュン様が改めて言った。
勇者風の男は慌てて目をそらし、周囲の冒険者たちを指差して、「アイツに言えと言われました!」と情けない声で叫んだ。指をさされた冒険者は動揺して、また別の者を指差して「いいや、アイツです!」と責任転嫁をする。責任転嫁された者はまた別の者を――と、あまりに不毛な責任のなすりつけ合いが終わらない。
その様子に、ハジュン様は余計に苛立った表情となって、「もういい」と小さく呟いた。
「お前たちの醜悪さを許容できるだろうか……いいや、できない」
そう言ってハジュン様が、手を横一線にサッと移動させる。
同時に周囲の冒険者たち――のみならず、酒場の建物にすら、切れ込みが入った。
建物の上半分が、冒険者たちの上半身が、ズルリとずり落ちていく――。
「否――何も斬れていない」
しかしハジュン様の一言で、斬られたはずの建物と住民が、元の無傷の状態へと戻った。
何が起きたか理解できない冒険者たちは、自分の胸元に触れて、無事を確かめている。涙を流す者、ただ震える者、失禁する者、それぞれ反応は違うものの、もはや誰一人戦意は感じられない。
困惑するのも当然だ。
ハジュン様だけが持つ勇者としての能力『否我掌握の理』。
あらゆる事象を否定し、無かったことにしてしまう力を体感すれば、彼女には決して勝てないと悟らざるを得ないだろう。
「理不尽に傷つけられる苦痛は理解できたか? 理解できたなら、私の相棒ギアフリートを……二度と嘲るな」
ハジュン様が可憐な容姿とは不釣り合いなほど鋭く睨みつけ、冒険者たちを跪かせてしまう。
生まれてから、ずっと否定され続けてきた僕の存在を、肯定してくれたのがハジュン様だ。
「ハジュン様、ありがとうございます。
でも、その辺りにしておきましょう。
力を無駄に使うのは、控えるべきですから」
「……そうだな。
能力は使わないと事前に約束していたのに、すまない。
さて、国家の目を欺いて小金を稼ぐ悪党を懲らしめるとしよう」
ハジュン様が僕に微笑みかけ、カウンターの奥で固まったままの店主に視線を向ける。
「罪人であるキサマは、斬ったあとに蘇生させるつもりは無いが、抵抗するか?」
店主はぶるんぶるんと顔を横に振り、降伏。
ハジュン様に完全に屈服し、とある者からの依頼でザクセン村に冒険者を向かわせていたことを、正直に告白した。
「では店主、ザクセン村に向かうから、お前の雇い主に連絡をしろ」
「え……?」
店主が固まる。罠だと分かっている場所に向かうなんて自殺行為だと考えているのだろう。
だけど、ハジュン様にはそのような心配など無用だ。
「ザクセン村に行けば、お前の雇い主の手がかりに掴めるだろう? 雇い主を捕まえるのにちょうどいいじゃないか」
にべもなくそう言い切るハジュン様に、僕は惚れ直した。
誰かを救うためなら、危険に迷わず飛び込んでいく。
それが、僕の主様にして世界最強の勇者――ハジュン・ナナセという人だ。
店主がカウンターの奥に置かれた箱状の魔導具――電話に触れて、雇い主に連絡するのを見届けると、ハジュン様は僕の手を取り、店の出口へと向かった。
置いていかれないよう、僕はハジュン様の隣に並び、歩を合わせる。
入ってくる時は軽蔑の目を向けていた客たちが、今は畏敬の視線を僕らに向けている。
もちろん、それは僕ではなくハジュン様に向けられたものだけれど、それでも誇らしい。
この人と並んで歩けるだけで、僕は幸せなんだ。
「……ギア、怪我は大丈夫なのか?」
店を出たところで、ハジュン様が隣の僕にだけ聞こえるよう訊ねかけた。
店の外には街灯がなく、今宵は月明かりも薄いので、表情は見て取れない。
ただ、その優しい声音だけで、僕を本気で心配してくれていることは伝わってくる。
「ええ、大丈夫です。ハジュン様からもらった血で『魔蝕』を使いましたから」
「そうか。なら、いい。だが……無茶だけはしてくれるなよ? キミはいつも、頑張りすぎてしまうからな」
「……はい。ありがとうございます」
村の郊外に停めた幌馬車に向かって、ハジュン様と二人で、雑草だらけの道を歩いていく。
夜闇にリンリンと響く虫の音色に、二人分の足音、握った手から伝わる体温。
この穏やかな心休まる時間が、これからも続くことを僕は願った。