✧29. 物理法則なんてもういいから
「もう用済みね」
あたしは動かなくなった小人をポイ捨てして、そしたら何かの違和感に気づいた。
「あれ? なんか……」
いつも虫を捨てるのと同じ感覚で投げたけど、何か違う気もする。恐らく落下時間だ。普段なら一秒足らず地面に着くはずだけど、今のはちょっと時間がかかる気がする。
そして2-3秒くらい経ったら小人は地面にぶつかって……その小さな体から真っ赤な液体が飛び出てきて、その辺りの地面が赤色の染みになった。
「え!?」
落下速度は遅く見えるのに地面にぶつかる時の激しさは意外と甚大だ。
「どうしたの? 恵美沙」
あたしが困惑しているところを見て麻理味が声を書けてきた。
「いや、なんか今捨てた小人を見て距離と高さに違和感があるなって。」
「あ、それはわかる。感覚の違いってことね。これはこの町と人間がミニチュアではなく、私たちが本当に巨人だという証拠だよ」
「どういうこと?」
「私たちにとってこれはただ1メートルくらいに感じるけど、小人にとってこれは30メートルほど高いよ? 10階のビルくらいだ。こんな高さで落ちたら当然こうなるよね」
「確かにそうだな」
「落下の時間だって高いほど長いのは当然ね。物理学の授業でも学んだよね? 簡単な自由落下の方程式によると、t=√(2h/g)だよ。tは時間で、hは高さで、gは重力加速度。だから高さhから地面まで落ちる時間tは高さhの0.5に比例する。だとすると30倍の高さだと5倍くらい時間かかるね」
「……えーと。ごめん。よくわからない。あたしは麻理味みたいに頭がよくないから」
あたしと全然違って麻理味が勉強もできて優秀な生徒であることはあたしもよくわかっている。遊ぶ時でもこんな難しいことを考えるのは麻理味らしい。けどあたしはそんなことできないから勘弁して欲しい。特に『物理学』なんて聞いた時冷や汗をかいちゃう。大の苦手だから。
「要するに、物質の動きを決める物理法則の違いのことを意識しておいた方がいいってこと」
「そうか。なんか難しそう」
「まあ、特に意識しなくても、いろいろ試していくとどんどん慣れていくはずよ。何とかなるだろうね」
「そうだよね。それに今あたしが現実世界みたいな感覚で動いて、周りを見なければ自分が大きいだなんて全然気づいていないし」
あたしは手足を動かしてみながらそう言った。やっぱり動きが普段より遅いとは感じない。
「それはね、実は私たちにだけ物理法則は違うからだよ。体のスケールに合わせて違和感がないようにね」
「ほー? そうなの?」
「うん、ここは現実とよく似ているとはいってもコンピューターの中の世界だからね。物理法則を含めいろいろコンピューターでコントロールしているからこういうことは簡単だよ」
「すごいね」
よくわからないけど、簡単にいうとご都合主義と考えてもいいでしょう。
「そもそも、もし現実世界で人間を巨大化させたらこんな簡単な話ではないはずよ」
「確かにそうだよね」
アニメとか特撮とかよくこんな場面が見えるけど、あれも何かの物理法則の換算が加わるだろうか?
「例えば体の重さね。30倍サイズになると体重は30の3、つまり27000倍になるよ。恵美沙みたいな女の子でも、20キロだったら……」
「あたしはそこまで軽くないよ!」
「ただ例えるだけだよ。だって恵美沙は私にも体重のこと教えてくれないもの」
「だとしても20キロだなんて……。幼児ではあるまいし」
確かに高校生にしては比較的に軽いとはわかっているけど。あたしは気にしているのに。軽さは弱さでもあるから。この小さくて軽い体の所為で誰かとぶつかったら飛ばされてしまう。
「では40キロ?」
「これも買いかぶり過ぎだけど」
「37キロ?」
「それは……。待って! なんで体重当てゲームになったの?」
この流れだとあたしの体重は麻理味に知られてしまうだろう。そう簡単に騙されるあたしではないぞ。
「えへへ。もう少ししたら恵美沙の体重を知るところだったのに残念」
「もう……」
麻理味だって自分の体重をあたしに教えてくれいのに。知られたくないのはお互い様だよね。
「てか今話は脱線してない?」
「あ、そうだった。では37キロ(仮)にしよう。その場合27000でかけたら……えーと……999000キロ、大体100万キロ……つまり1000トンくらいになるよね」
二桁の数字のかけ算をすぐ頭の中で行えるなんてすごい! あたしにはできない芸当ね。いや、それよりなんかとんでもない数字が出た気が……。
「1000トン……あまり想像できない重さね」
トンという単位が出る時点ですごいと思うのに1000だなんて。
「そうね。地球の一番大きい動物であるシロナガスクジラでも200トンくらいだよ。だから恵美沙はそれの5倍くらいあるね」
「そんなに……!」
これは嬉しいべきかな? 軽すぎることは嫌だけど、あたしも一応女の子だから、重いと言われるとやっぱりこれも嫌かな。なんか複雑な心境だ、と自分でも思う。
「今の私たちはクジラでも両手で運べそうだよね」
「……」
そう言われて自分が小さなクジラを両手で抱えている自分の姿が頭に浮かんできた。
「麻理味も1000トン以上だよね?」
「それはまあ……。もちろんそういうことになるね」
はにかみながら麻理味は返事した。
「まあこんな感じで、こんな重い体で私たちがこんなに素早く動けるなんて普通に考えると無理があるよね? ほらこんな風に」
言い終わったら麻理味は走り出した。本当に普段と同じように走っているように見えるね。
「確かにそうかもね。てか待ってよ!」
あたしは麻理味に追いかけようとしたけど、そもそもあたしより麻理味の方は体が少し大きくて運動神経もいいし、況してや和服を着ているから走りにくい。軽そうなワンピース服を着ている麻理味とは全然違う。
それにしても麻理味の通った道はメチャクチャになっているね。建物も小人も馬車も、彼女の巨大な足の下敷きになったものはもちろん全滅だ。走るだけで町にものすごい被害を与えてしまう美少女……本当に素晴らしい光景だな。
彼女みたいに早く走れないけど、とりあえずあたしが手で着物の裾を捲りながら早足で彼女を追っていく。




