#2. お姉ちゃんはメイドさん
物心が付いた頃から母はすでに他界して、私は父と二人で暮らしていた。
しかし5年前のある日、私が10歳の時に、父はある商人の護衛の依頼を受けて、しばらく町の外に出ることになった。
「父さん、また危険な仕事を受けたでしょう?」
父が出発する前の朝、幼い私は不安気に言った。
「まあ、いつものことだ。すぐ帰ってくるさ」
冒険者だった父は戦闘能力が高くて時々馬車の護衛も務めて、しばしば町の外へ出て、その時私が留守番ということになった。だからこれは初めてではない。時々父は怪我をして帰ってきて心配させられたこともある。
「そうだ。これを渡そう。お守りだ」
そう言って父は指先サイズくらいの小さな群青色の石をくれた。宝石と呼べるほどであるかどうかわからないけど、不思議なオーラがこの石から出てくる気がする。
「お守り?」
「ミウリラが困って絶望だと感じた時に奇跡を起こして救ってくれるんだよ」
「奇跡……? ただの石なのに?」
「違う。ただ普通の石ではないぞ。あ、もうそろそろ行かないとね。では……」
「うん、気をつけてね。お父さん」
父は時々外から変なものを持ち込んでくる。あの石もそうだろうけど、どこから見つけたものなのか教えてもらっていない。本当に奇跡を起こせる力があるかどうかも疑わしい。なんで父はあんな時に渡したのかもわからない。でも、なんかまるで自分がこの後もう渡す機会がないとわかったような……。
そう。あれは私が父と交わした最後の会話だ。
その後父が途中で遭遇した最強の怪獣と戦って人を守って命を落としてしまったと聞いた。
命の恩人の恩返しのために、父に守ってもらった商人……今の私の御主人様は、孤児になった私を引き取って、メイド……つまり使用人を務めさせてくれた。
御主人様はこの町でも有名なお金持ちで、4階建ての大きな屋敷を持っている。そしてあれからここは私の居場所となった。
そんな御主人様はアリレウという一人娘がいて、その子は私より3歳年下で、あの時はまだ7歳だった。とても可愛らしいお嬢様だけど体が病弱で、いつも屋敷の中に籠ってあまり外に出られない。私はそんな彼女のお世話をする侍女を務めさせてもらった。
「アリレウお嬢様、はじめまして。私はミウリラと申します」
「ミウリラ……お姉ちゃん?」
初めての会話でいきなりお嬢様から『お姉ちゃん』と呼ばれて、私は困惑した。
「いいえ、私は使用人です。普通に呼び捨てしてください」
「お姉ちゃんじゃ駄目なの?」
「それは……はい。もうしわけありません」
「やだ」
「え?」
「やっぱりミウリラお姉ちゃんと呼ぶ。お姉ちゃんでいい。私の姉になって欲しい」
「でも、お嬢様……。お言葉ですが」
「そんな呼び方も嫌かも」
「え? ではどのような呼び方を?」
「お姉ちゃんだから普通に名前、アリレウでいい」
「そ、そんな……。アリレウお嬢様を呼び捨てするなんて」
身分から考えるとやっぱりいけない気がする。
「呼んでくれないの?」
彼女は不満で泣きそうな顔になった。そうされるとやっぱり断りづらい。
「わかりました。では僭越ながらそう呼ばせていただきます」
「そんな堅苦しい喋り方も変。私のお姉ちゃんでしょう」
「あ、はい、そうですね。ううん、そうね」
「これでいい。これからよろしくね。ミウリラお姉ちゃん」
「はい、頑張ります。お嬢様」
「呼び方! それと敬語は禁止!」
「あ、つい。わかった。頑張るね。アリレウ」
ただの使用人のつもりで接した私だけど、彼女に慕われて『お姉ちゃん』と呼ばれる存在になってしまった。後で知ったことだけど、アリレウは実際に私と同い年の姉がいたけど事故で亡くなったそうだ。だから私に実の姉の面影を重ねただろう。
この屋敷で私の立場はただのメイドであることに変わりはないけど、アリレウと一緒にいる時だけ私は『姉』という役目もある。
ここでのメイドとしての生活はいろんな仕事があって大変な時もあるけれど、いつも着ているメイド服が可愛くて私は結構好きだし。何より私は元気に生きてきて、つらい時もアリレウの笑顔は私の癒やしだ。
彼女は時々我儘で困らせることもあるけど、私が諌めたらちゃんと聞いて反省してくれた、物分りのいい子だ。
だから私は誓ったんだ。死んでも絶対アリレウを守るって。侍女としてでも、姉としてでも。
あれからもう5年が経って、今になった。
回想はここまでだ。今はもう目の前に起きている現実と向き合おう。
いきなり現れた巨人の女の子の襲来で、今私たちの命に危機が迫っている。
早く避難しなければならないとはわかっている。だけど体が弱いアリレウは屋敷から出ることすら難しくて、どこかへ逃げられる気はしない。
屋敷の人はすでに私たちを見捨てて逃げて去っていった。気の毒だが、人間はみんな誰も自分の命は一番大事だよね。
だから今ここには私とアリレウ二人しか残っていない。この屋敷とアリレウを守れるのは私しかいない。
幸い御主人様と婦人は今この町にはいないから今回の被害者にはならなくて済むだろう。しかし屋敷も愛娘を失うことになったら死ぬよりも悲しむに違いない。
だから私は絶対この子を守って見せる。と、考えつつも、こんな状況で自分なんか何もできないともわかっている。
目の前の侵略者は魔術師や騎士でも手に負えない相手だ。況してや私はただのメイド……普通のか弱い女の子で、魔法も武器を使う技術も持っていない。そしてあの巨人みたいに巨大な身体を持っているわけではない。
巨大な………体……か。なんかいいよね。
あの巨人は見た目は私と変わらない華奢な女の子のように見えるのに。むしろ同じサイズだったら私より弱いかもしれない。負けるのは体の大きさだけだろう。いや、可愛さも負けるだろうけど、それは今の話とはあまり関係ない。
美貌の上にあんな巨体、ずるいよね。私だってできればあのように……って、私今何ってことを? あんな化け物に私が?
彼女はなんであんなにでかいのかわからない。どこから来たか、私たちと同じ人間かどうかすらわからない。
でも今こんなこと考えても意味ないよね。
とはいっても、今物事を考えることしかできることはない。こんな状況で奇跡とか起きない限り絶体絶命だよね。
奇跡……か。
私は自分の右手の中指に嵌めている指輪を見つめてふと思い出した。これは父がくれた石から作られた指輪だ。『奇跡を起こしてくれる』っていう石。私にとって父の形見でもあり、安心させるお守りでもある。
今思えばやっぱりこんな小さな石は奇跡とか引き起こせるわけないよね。更にあんな巨人に対抗できるほど大きな奇跡なんて……。
それでも私は心の中で願った。
神様でも、悪魔でも、私に奇跡を送ってください、って。