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復讐の始まり

 勇士決闘の続きになります。 


 第五章



「ちょっとまったー!」



 と、声がかかったのは、もはや怯えて身動きも出来ない織恵の、胸部の革鎧を引っぺがした時だった。


 豊かな胸の先を隠す一枚の白布が酷く扇情的で、ボガートは興奮に、熱い鼻息を吹いていた。


「なんだ!」楽しみを邪魔されたボガートが振り向くと、白いローブの奇妙な女が、立っていた。


 女は美しかった。白いが血色のいい肌、高い鼻、薄い唇、金色の髪。美貌では懸想している異世界娘より上だ。


 だがどこか不自然だった。若木のように性差を感じさせなく、どこかこの世の者と乖離している感覚がある。


「女の子にー酷いことをしてはダメー」 


 ボガートは醜い顔を歪めて舌打ちした。目の前の美女が誰だか知っている。


「失せろ! ミュルダール」


 ミュルダール……異端の魔法を会得した、ハーフエルフの女だ。年齢は確か四〇〇歳だが、どう見てもまだ少女だ。


「NO~、見過ごせなーい」


 馬鹿にされているように思えて、ボガートは立ち上がった。当然、戦斧は手にしている。


 隙を見られて異世界の女に逃げられたら堪らない。


「見過ごせない、で大怪我したくないだろ? それともお前も俺の子が欲しいのか?」


 下品な笑い。しかしミュルダールは無表情に肩をすくめる。


「あんたの気持ちもどこか分かるよー、ボガートでしょ? オークの血を引くー。私もハーフエルフだからねー、だけどそれとこれとは別なんだなー。私の長い耳は女の子の悲鳴には敏感なのよー」


 ミュルダールは木の杖を持ち上げる。


「魔法で苦しみたくないならー、消えなさいなー」


「てめえ、俺とやろうってのか? 見ず知らずの女のために!」


「そだよー、それが私だー。それにー理由はあるんだよー」


 ミュルダールのほわんとした表情が引き締まる。


「勇士決闘ー、あんたもー私もー名前が挙がっているのよねー」


「馬鹿な! あんな下らねえ話に乗るのか?」


「勿論ヤだー、でもーあんたがー女の子を襲うならー話はべつー」


「どうしても下がらないってんだな?」


「……………………」



「何黙ってんだ!」



「……は! ごめーん、違うことー考えていたー」


「馬鹿にしているだろ?」


「うん♪」


「そうかよ」


 ボガートは決心した。この煩いハーフエルフを黙らす。


 イマイチ肉感的ではないが、美女であることは変わらない。上手くいけば妻が二人になる。


「そこの子ー」


 びくり、と放心状態の織恵が震える。


「あんたはー今から見届け人ー。どっちがー勝つか見ててー」


 細木織恵の瞳に、光が戻った。


 オークの血族ボガートVSハーフエルフのソーサラー・ミュルダール。



 ボガートはミュルダールを前にして、痺れるような緊張を味わっていた。


 彼は戦士としてなら他の誰にも遅れを取るつもりはなかった。実際、常にどんな強者も、オークの腕力の前に叩き伏せてきた。


 だが相手は魔法使い(マジック・ユーザー)だ。


 古代魔法帝国の破滅的な終焉から異端とされ、忌避されてきた、魔法の使い手。


 そんな敵を相手にするのは初めてだ。


 ただし過度に怯えてはいない。


 ボガートはまた、魔法使いの弱点も心得ていた。


 ……集中だ。奴らは魔法をかけるために精神を集中させなければならない……その隙に……。


 手の中で主張している使い込んだ戦斧は心強い相棒だ。それに胸の前と後ろを挟み込んで着る鉄鎧と、鎖帷子も頼りになるはずだ。


 ボガートは敵の一瞬の瑕疵も見逃さないように、目を細めた。


 ミュルダールはどこを見ているのかぼけーとしている。



「あしっど・しゃわー!」唐突だった。



 ミュルダールが掌を向けると、液体がボガートの胸鎧に跳ねる。


「な! うおおおお!」


 凄まじい熱さを感じてボガートは吠えた。吠えて踏み込み、ミュルダールに斧を振り下ろした。


 ひょい、とそれで出来た風にでも飛ばされたかのように、ハーフエルフは軽々と跳ぶ。


「何だと!」ボガートは己の迂闊さに歯がみした。


 相手の態度はもう戦闘中の物だった。何を考えているか判らないのは、激しく考えているから。ぼけー、としているのは集中しているから。


 全てミュルダールが戦いの為に、生み出した技なのだ。


「はあ」とため息みたいな息を吐き、またミュルダールがぼうっとなる。


 ボガートはもう騙されない。


 先程の魔法はどうやら酸を飛ばしたらしい。胸鎧は無惨に穴だらけになり、下の鎖帷子の鎖も切れている。 


 だが、相手は薄いローブと木の杖しか持っていない。彼の自慢の大きな鉄の戦斧さえ当たれば、それで終わりだ。



 当たれば。



 ボガートは戦斧を振り上げると突進し、何度もミュルダールに攻撃した。


「おらー! おらおらおら!」


 余人なら数秒も持たないだろうが、ミュルダールはふわふわとジャンプして、致命の一撃をさらりさらりとかわした。


「ういっち・あろー!」 


「ぐわぁ!」ミュルダールの魔法である青い電撃を受けたボガートは、全身から煙をだして片膝を突く。


「やめなーい? 今なら許すよー。女の子をー置いて逃げなさーい」


 杖に寄りかかりつつミュルダールが口を開く。確かに戦いにしては一方的だ。


 今までは。


 ──へへへへ。


 内心ボガードは笑った。敵の出方が判ったからだ。


 相手は身軽さを利用して戦斧の一撃を跳んで回避している。その間に精神を集中して、魔法を繰り出す。


 ──てめえは俺を侮った。ミュルダール!


 ボガートは必死の体を作り立ち上がると、慎重に斧を上げた。


「どりゃぁぁぁ!」裂帛の気合いを込め、再度突撃する。


 一気に近づき戦斧を横に薙ぐ。案の定ミュルダールは空に逃げた。


「今だ!」


 ボガートは怒鳴ると、ミュルダールの着地するタイミングを見計らって斧を振った。



 ──勝った!



 ボガートは両断されるミュルダールを見て、唇を歪めた。


 だが、それは幻だった。


 ハーフエルフは下りてこなかった。


「ふぇざー・ぼでぃー」声は上空から聞こえた。「A~nd、らいとにんぐ・あろー!」見上げたボガートの顔面に、雷の矢が突き刺さる。


「ぎゃあああ!」ボガートは顔を片手で覆い、もう片手で斧を辺り構わず振り回し、周囲の瓦礫を破壊して、散らかした。


「あああー、被害甚大ー。しょうがないなぁー。殺そー」


 ミュルダールの焦りの声が上がる。ようやく着地した彼女は、冷ややかな眼光を向けていた。


「ま、待てよ……判った。この女は諦める……だから……」


 ボガートは命乞いしようとした。嘘だ。それで場をやり過ごして隙を見て、反撃しようと考えた。


「ふぁいやー・ぼーるー!」



 ボガートは自分の致命的な失態に青ざめた。


 敵の回避の跳躍に合わせて攻撃する。考えはよかった。だがソーサラーには落下速度を遅くする、手品みたいな魔法があったのだ。



「ふぁいやー・ぼーるー!」



 その声を聞いたと時、彼は敗北と死を悟った。


 手には長い間、共に敵を屠ってきた戦斧がある。常に彼の側にあり、彼の期待に必ず答えてきた唯一の物だ。しかしそれは今全く役に立たない。



 ──お前もか?



 ボガートは戦斧に語りかける。



 ──お前も俺を裏切るのか?



 脳裏に彼を非難するギメラと、彼を愛さなかった母の姿が、浮かぶ。


 ──俺は……ただ……誰かに……近くに……。


 強力、凶暴な炎がボガートの体を一瞬で包んだ。


 悲鳴もなかった。ボガートは炎の中で息が出来なかったのだ。彼はその場に転がる暇もなく、真っ黒に炭化した。


 ボガートは自分が敗北して死んだと、自覚さえなかった。


 彼は遂に、誰にも愛されず、誰をも愛さず死んだ。



 オークの血族ボガートVSハーフエルフのソーサラー・ミュルダール。ミュルダールの勝ち(魔法激強)




「魔法使いとー一対一でー戦っちゃー、ダメだってー」 


 ミュルダールの呟きで、織恵は我に返った。


 ボガートとミュルダールの戦いの一連は、勿論見ていた。しかしどこか別世界の出来事のような感覚だった。


 ボガートに襲われかけた心理的なショックと、そんな野蛮で強い男をあっさりと倒してしまった、美しい少女はどこか幻想じみていた。


 だが彼女の小刻みに震える肩に置かれた手は、温かかった。


「大丈夫ー? 私はーミュルダール。ソーサラーをやっているわー。酷いカッコだねー」


 は、と織恵は我に返る。ボガートに剥かれ、上半身は胸に巻いた布だけになっていた。


「その布、なぁにー?」


 ミュルダールは織恵の胸を目にし、無邪気に訊ねる。


「ええと……」織恵は顔を真っ赤にして答えた。


「この世界のブラが高いので、その代わりに、あの」ここでようやく自分が助けられたと、思い至る。


「あ、ありがとうございました!」


「いいのよーいいのよー、でもーその布なんかおしゃれー。私もやってみよー」


 ミュルダールはブラジャーの代役にした布に、何だか感心している。


「それとねー」


 彼女の惚けた表情が真剣になる。


「魔法使えるならー、相手にーびびったらダメだよー。落ち着いていけばーあの程度すぐー眠らせてー終わりだからー」


「……はい」


 織恵は羞恥に頬を熱くし俯く。確かにボガートへの恐怖で何もできなかった。自衛の魔法は覚えていたのに、助けを呼ぶのが精々だ。


 しかし、いつからミュルダールは、この場面を見ていたのだろう。


 疑問がわいたが問えなかった。


「織恵ー! どこにいるー!」と白矢の声が近づいてきたのだ。


「ここよ」


 あまり大きな返事ではなかったが、届いたようだ。しばらくして、剣を抜いた白矢が駆けつける。


「あ……」と彼はしばらく凍りつく。


「あ!」と織恵も凍りつく。


 まだほぼ半裸だった。ボガートに無理矢理外された革鎧を、装着していない。


 悲鳴が喉までせり上がったが、白矢が怒りに顔を赤くしたのでそれどころではない。


「何をした! 貴様、織恵に何をした?」


 彼の視線の先にいるのは、ぼんやりとしたミュルダールだ。


「答えろ!」


「違うわ! 白矢!」彼が斬りかかるから、その前に織恵は飛び出す。


「この人……ミュルダールさんは私を助けてくれたの!」


 織恵は真っ黒の炭の塊になったボガートを指す。


「え」と白矢の動きが止まる。


 はらり、と織恵の胸に巻いてある布が、落ちた。


「きゃぁぁぁぁ!」彼女は両手で体を抱くように隠し、しゃがみこむ。


「白矢のエッチ! 最低!」


「そうだそうだー、女の子の体をー無遠慮に見るなー」


 どうしてかミュルダールが織恵に追従して、白矢を責めてくれる。


「大体遅いよ! 今頃!」


「このノロマー! この子はー私が助けちゃったもーん」


「本当に危なかったのよ!」


「私にー感謝しろー」


「……ミュルダールさん」


「なにー?」


 相変わらずどこを見ているか判らない、ぼうっとしているミュルダールに、織恵は軽い頭痛を覚える。


「何だかややこしいです」


 ミュルダールは背後を振り返り見回し、


「……私がー? ……ええと」と心底意外そうな顔になる。


「……私は織恵です、細木織恵。とても助かりました、あなたは恩人です。ありがとうございます、この恩は忘れません」


「ねーねー、オリエちゃん。もしかしてー話しを畳もうとしていないー? 私を追い払おうとー」


「いえ……そんな」


 ミュルダールが、ぷうっと膨れる。


「酷いなー、近頃の若い子はー、ん?」


 づかづかと歩いて唖然としている白矢の顔を、のぞき込む。


「レイキ! ……違う、でも、似てる、似てるなー」


 織恵は不安になる。白矢を見つめるミュルダールは嫌に真剣だ。


「あなたー、お名前はー?」


「ああ、ええと、白矢です、皆部白矢」


「そー」ミュルダールは頷いて続けた。


「いいー、女の子はー一人にしたらダメよー。特にーこの世界はー、危険よー」


「は、はい」


 ミュルダールは初めて笑みを浮かべた。同性である織恵がはっとするような、魅力的な微笑みだ。


「よろしいー、じゃね♪」


 白いローブをはためかせて、ハーフエルフのソーサラーは去った。


「何だろう? あの人」


 やや頬染めてぼんやりとしている白矢に織恵は飛びついた。


「怖かった! ……ほんとに……きてくれてありがと」


 白矢の胸の鎧に頬を着けて、織恵は泣き出した。


「あ、ご、ごめん。全力で急いだんだけど、色々あって……」


 白矢は何か誤魔化しているが、半分計算で抱きついた織恵は、脳裏にミュルダールの端正な姿を思い出し、彼に回している腕に力を込める。


 女の勘が黄信号を灯らせていた。



 マドッグ自分の家に帰れたのは真夜中だった。


 冒険者ギルドに応援を呼んで、ルベリエの遺体を埋葬して貰ったのだ。ギルドの面々視線は冷たい。何せ数時間前レイチェルについて頼んだばかりだからだ。


「仲間殺し」とマドッグを非難する密かな嘲罵は、届いていた。


 だがマドッグの気分はそんなに悪くはなかった。彼はもう冒険者ギルドから、離れるつもりだった。


 ──今度こそ真っ当な生き方をする。


 それについて彼は少し調べた。


 鳥刺しも提灯持ちも当然、楽な仕事ではなかった。


 鳥刺しは鳥を捕まえるための罠や、トリモチについて学ばなければならない。提灯持ちにはランタンがいる。


 正直、賃金なども大したことがない。


 だが少なくとも妙な諍いに巻き込まれる事はないし、命を張る必要もない。


 ──ソフィーに伝えよう。もう危険なことはしないと。


 上機嫌でマドッグは家の扉を開いた。


 途端、剣呑な雰囲気が覆い被さってきた。


 真っ暗なのだ。本来ならソフィーが獣臭い獣脂の蝋燭に火を灯して、待っていてくれる筈だ。


 さらに……なにか生臭い。はっきり判る血の臭いだ。


 マドッグの上機嫌は吹き飛び、大きな不安に襲われた。ソフィーも見えない。


「ソフィー! どこだ? ソフィー!」


 震える手で火打ち石を打ち、テーブルの上の蝋燭を手に取り火を灯す。


 誰もいない……誰かが暴れたような跡……否! ソフィーが倒れていた。



「ソフィー!」マドッグが慌てて駆け寄ると、ぐにゃりとした何か肉塊を踏んだ。



「ソフィー!」彼女のスカートは血まみれだった。



 蝋燭の光に照らされた顔は白よりも青く、目の下は黒いクマで翳り、マドッグは先程見たレイチェルとルベリエの死体を、思い出し身震いした。


「ソフィー! おい」


「ううう……」


 浅い呼吸の中から、か細いうめき声が聞こえた。


「ソ、ソフィー」マドッグは微かに安堵した。彼女は生きている。


 だがその生命の灯火は、もう消えかかっているように見えた。


「待ってろ!」


 マドッグはソフィーを優しくベッドに運ぶと、家を飛び出した。


 行き先は街の中心にある大聖堂だ。


 そこには地母神エルジェナを信仰する聖職者達がいる。どんな病気もたちどころに治る


「奇跡」を授かった、大司教ドミニクスもいる。


 マドッグは闇のサイレスの街を駆けた。駆けた。駆けた。石畳を蹴り、逃げ遅れた太ったネズミを踏みつけ、とにかく大聖堂へと向かった。


 大聖堂は夜なのにぼうっと明るい。周囲にかがり火が灯され、決して消されることはないからだ。


 マドッグは街一番の建物である、尖った屋根の大聖堂へと突進した。


「何者だ!」と扉の前で槍が交差し、彼は止められる。


 大聖堂を守る神殿騎士だ。


「頼みます!」マドッグは叫んでいた。


「ソフィーを……妻を助けて下さい! 様子がおかしいんです」


 だが跪くマドッグに、神殿騎士達は残酷だった。


「もう時間が遅い、明日にしろ」


 マドッグは激して、神殿騎士の一人の胸ぐらを掴んだ。


「それでは遅いんだ! ソフィーが死んじまう!」


「貴様! 無礼なことを」


 もう片方の神殿騎士は一瞬たじろいだが、すぐに槍を構える。


「お待ちなさい」その声がなかったら、マドッグは槍で刺されていただろう。


 野太い声が、彼を救った。


「彼は家族を救おうと必死なのですよ」


「ブローデル様」


 神殿騎士達が槍を上げて直立する。


 マドッグが振り向くと、見た顔があった。この間の戦にも出てきた癒やし手だ。


 恰幅のいい体型に大きな穏和な顔。それをさらに印象づけるもじゃもじゃの髭面。彼こそ勇士決闘にも名が上がった、聖職者ブローデルだ。


「頼みます! 助けて下さい」


 マドッグはブローデルの司祭服に、すがりついた。


「喜捨は出来るのですか?」


 地母神エルジェナの奇跡を頼るにはそれなりの喜捨が必要だった。大司教ドミニクスには、それこそ大金貨数万枚が必要だ。


 しかし一介の司祭であるブローデルの癒しには、そこまでかかるまい。


 マドッグは脳裏にレイチェルを倒した金貨を思い描く。ルベリエは少し使ったようだが、まだ殆ど手を着けていないはずだ。


「あります……少なくとも普通金貨一五〇枚以上」 


「少し待って下さい」ブローデルは空を仰ぐ。


「地母神様に是非を伺ってみます」


 目をつむり、ぶつぶつと何か呟く。すぐに目をかっと見開いた。


「判りました! 地母神様は助けろとの仰せです」 


 マドッグは涙を流し感謝し、ブローデルを家へと案内した。


「これは……」


 ブローデルはマドッグの家に入るなり、眉を潜めた。


「どうやら急がなければならないようです。ここには死の気配があります」


 急いで彼はベッドのソフィーに、近づいた。


 祈るようなマドッグの前で、まさに地母神への祈りを捧げる。


「慈悲深きエルジャナよ、どうかこの者の傷を癒やしたまえ」


 ブローデルがソフィーに向けた掌が、光る。


 ソフィーの呼吸が大きく、規則正しくなっていった。


「ああ」マドッグは腰の力が抜けるのに耐え、ソフィーの傍らに寄る。


「ソフィー……」


「……マドッグ」ソフィーの瞼が弱々しく痙攣し、だがそっと開かれる。


 と、彼女の目に、見る見る涙が堪っていく。


「ごめんなさい……マドッグ……ダメだった……ごめんなさい」


 マドッグは意味が分からなかった、何故、彼女は謝るのか。しかしすぐはっとした、彼女の膨らんだ腹部が平らだ。



「こちらの赤子はダメですな。産まれるのが早すぎた」



 ブローデルの言葉に振る帰ると、先程彼女が倒れていた血溜まりに、赤黒い塊があった。



 知らずにマドッグが踏んでいたモノだ。


「ああああ」マドッグは闇に落ちた。


 子供だ。それはマドッグとソフィーの子供だった。


 ソフィーは流産したのだ。


 恐らく原因は病だろう。


 マドッグは子供を楽しみにしているソフィーの微笑みを思い出して、その場に這い蹲った。



 慟哭。



 ──また子供を、子供を失っちまった! 家族をまた失った! 俺のせいだ……決闘なんかほっといてソフィーに着いてやるべきだった……俺は馬鹿野郎だ!


 暗黒の中でマドッグは足掻いた。足掻いて足掻いて苦しみに耐えた。奥歯は軋み口内に血の味が広がる。


「……マドッグ……ごめんなさい……ごめんなさい」


 ソフィーが譫言のようにまだ謝っている。マドッグは渾身の力を込めて、自分の体を持ち上げた。


 全力で微笑を作る。


「大丈夫だ……ソフィー……こど……子供は……また作ればいい、そうだろ? ……俺達には時間はいくらでもある」


「……マドッグ」ソフィーがむせび泣き始める。


 マドッグは魂が握りつぶされるのを感じながら、彼女の手を取った。


「よろしいか?」


 様子を見ていたブローデルが、控えめに話しかけてくる。


「なんでしょう?」


「……少しこちらに」


 マドッグは後ろ髪引かれながら、彼について外に出た。


「奥方の傷と血は戻りました……が、私の奇跡はあくまでも傷を治すだけです。病の方は……」


 ブローデルは言いよどんだが、マドッグには判っていた。


 そもそも癒しの奇跡さえ庶民が簡単に受けられる類の物ではない。一度につき法外な寄付がいる。


 今のマドッグには幸運にも払える金があった。


「……わかりました」


 マドッグは答えた後、犬歯をむき出した。飛びかかる狂犬のように。


「ブローデル殿、明日今回の金貨を渡します……が、その後決闘をして下さい」


「決闘?」ブローデルの眉根が寄る。


「勇士決闘ですかな? マドッグ殿」


 どうやらブローデルはマドッグが決闘相手だと、知っていたらしい。ならば話は早かった。


「そうです」


「お待ちなさい、エルジェナに伺ってみましょう」


 ブローデルは目をつぶる。答えは簡単に出た。


「よろしい、女神もそれを望んでおります、しかし明日は忙しい身、明後日はどうでしょう?」


「では、明後日街の外で」


 マドッグはブローデルに、詳しい場所を示した。


「わかりました……では、これで」


 ブローデルは深々と頭を垂れると、背を向けて歩き出す。


 ──これしかねえ。


 マドッグは、戦いから身を引くはずだったマドッグは、決心していた。


 ──決闘だ。勇士決闘だ。それで金を稼ぐんだ……ソフィーの治療のために薬を買わなければならないし、浴場で医療も行わなければならない。


「それに」


 黒一色に塗りつぶされたマドッグの瞳は、遠く浮かぶ大聖堂を睨んだ。


「もしもの時は決闘者を皆殺しにして賞金を貰い、大司教ドミニクスの奇跡でソフィーを治すんだ……そうだ、ソフィーのために皆殺しだ」


 マドッグの瞳は闇の中でぎらぎらと輝いた。



「いい白矢? ここにいてね、それから絶対にしている間扉を開けないで。もし開けたら私舌を噛んで死ぬから」


 共同トイレの木で出来た粗末な扉の前で、細木織恵が何度も念を押す。


「ああ、判ったよ織恵」


 皆部白矢はうんざりした顔を隠して頷く。


「それから、臭いも嗅いじゃダメだからね……いい?」


「はい、判りました」


 織恵は扉を閉め、白矢はため息を吐いた。


 あれから……トイレを探しに出た織恵が襲われかけてから、彼女は変わった。まず「皆部君」だったのが昔の「白矢」に戻った……はどうでもいい。


 彼女は一人でトイレに行けなくなっていた。だが部屋のおまるは絶対使用せず、こうしていちいちトイレに白矢を伴うようになった。


 まあ、かなり恥ずかしいのだろう顔を真っ赤にしてだが、白矢は困ってた。


 どういう顔で待っていいか判らないし、毎回完全武装を要求するので、酷く疲れた。


 ──仕方ないか。


 白矢は頷く。何せあのボガートとか言った大柄の男に襲われたのだ。


 間一髪ハーフエルフののソーサラーに助けられたそうだが、もしミュルダールがいなかったら、と考えると汗が噴き出す。


 織恵がえらく弱気になったのも、年頃の乙女の心の傷だ。せっかく街にある浴場にも行けないくらい。


 で、さらにミュルダールも、悩みの種だった。


「あ! いたー♪」



 噂をすれば影、聞き覚えのある声が背後で上がった。


「おーい、ビャクヤー。何してんのー?」


 ミュルダールだ。


 彼女は嬉しそうに白矢に駆け寄ると、美しい顔を寄せてくる。


「トイレー? ねーねーねー」


 何故かあの事件以降、ミュルダールはよくこうして白矢に親しく話しかけてくる。一日に何度もだ。


 恐らく探し歩いているのだろうが、何を考えているかさっぱり判らない。


 さらに……



「ねえねえー、決闘しよ♪」



 とデートしよ、の感じで決闘を要求する。


 勇士決闘など全く興味のない白矢だから、


「遠慮します」で逃げるが、するとミュルダールは拗ねる。


「……誰だっけなー? 大事なー恋人をー助けてーあげたのはー」


 と当てこする。


 白矢は頭が痛い。


「しょうがないんだよー、王様のー命令だからー」


 ミュルダールは悪魔のように囁く。


 白矢は変わらず茫漠とした表情のミュルダールに、向き直る。


「ミュルダールさん、俺は決闘なんて馬鹿らしいと思っています」 


「私もー」


「ならどうして誘うんですか?」


「君とならー楽しそー」


 こいつさては言葉が通じないな。白矢が疑いの目を向けると、ミュルダールは脇腹を押さえる。


「い、いたー、ボガートとのー戦いでー受けた傷がー。いたいんだよー……あーあ、誰のーためだっけー?」


 ──もー。


 白矢はわざとらしいミュルダールに苛ついた。


「ねーねー、決闘しよーよぅ、痛くーしないから、先っちょだけー」


「嘘でしょそれ……」と突っ込みながら、こめかみを押さえる。


「……判りました……でも命の遣り取りはなしですよ」


「わーい♪」ミュルダールは子供のように飛び跳ねる。


「じゃー、今日のー夕方町外れねー。後、恋人さんにはーナイショー」


 ミュルダールは見とれてしまうようなウインクを残すと、そそくさと歩み去る。


 ふー。と白矢は肩を落とす。


 ──どうしてこんな事になったのやら。


 と、共同トイレの扉が開き、織恵が羞恥に頬を赤くして出てきた。


「何もなかった?」


 勘のいい彼女が訊ねるが、「別に」と答えるしかない。


「それよりもたくさん出た?」


 白矢の顔面に、織恵のグーパンチが炸裂した。


「るんるん♪」


 ミュルダールは足取りも軽く、街を歩いていた。何せ楽しい予感に満ちているのだ。


 サイレスの街は汚く、正直ミュルダールは歩くのも嫌だったが、今は違う。


「おい、あいつハーフエルフだぞ?」


「薄汚い冒涜の子め!」


「あの格好、異端じゃないのか?」


「異端審問官は何をしてやがるんだ」


 ミュルダールが歩くと、こそこそと悪意の花が咲く。だが慣れた物の彼女は、それらを履いているブーツで一蹴すると何事もなく「るんるん♪」と歩を進めた。


 人間とエルフ、ドワーフ、ハーフリングはこれでも昔は、仲がよかった。


 それこそ、その間の子も珍しくないほどに。


 昔と言っても三千年前だが。


 そう、三千年前。人間は大きな過ちを起こした。



 古代魔法帝国。



 この世界の誰もが知っている歴史で、トラウマだ。


 かつてアースノアは、人間とエルフにより統一されていた。強大な魔力でだ。


 古代魔法帝国の魔道士達は、幾多の今は失われた強力な魔道を操り、世界を手中に入れていた。


 神に近い存在であるドラゴンやハイエルフさえ、支配していたほどだ。


 だがそう言った文明にありがちだが、巨大な力を持った人々は驕り高ぶり、この世の何でも自分の思うとおりになると、信じ始めた。



 神になったつもりだったのだ。



 結果、三千年前の大破壊。



 これには異説がある。古代魔法帝国の皇帝が本当に神になろうと、高位の魔道士達と儀式を行った結果とか、一人の野心を持った魔道士の暴走とか、とにかく古代魔法帝国の首都があった大陸は、一夜にして海中に没し、神の怒りにより二つあった太陽の一つは消えた。


 それにより起こるようになったのが『死の冬』だ。


 元々冬は何も出来ない。


 鎧が冷たくなるので戦も出来ず、漆喰が乾かないので建物も建てられず、当然農業も休みだ。


 だが死の冬はそんな生やさしい物ではない。


 凍る。大陸の三分一までが固く凍りつく。それにより毎年凍死者が出て、人間もエルフやドワーフも、何も出来ず家に引きこもる。


 アースノアは季節の半分が停止の時期になり、文明は停滞した。



 神が世界を見捨てたからだ。



 それを人間はエルフのせいにし、エルフは人間のせいにし、ドワーフやハーフリングは無言で背を向けた。


 世界の種族達の深刻な対立である。


 各種族の異種族に対する嫌悪は根深く凄まじく、交流どころか、顔を合わせれば暴力ざたになる。


 ミュルダールのようなハーフエルフ達は、一瞬で姿を消した。


 中には迫害され、人知れず殺された者もいるはずだ。


 だが彼女は平気でにこにこ街を歩く。一片も恥じる事がないからだ。


 ミュルダールの父は人間で、母はエルフだった。


 二人とも風変わりな人だった。そうでないとこのご時世エルフと人間は結ばれない。


 父は戦士……へっぽこ戦士で、母は昔の知恵から、人間が『異端』と恐れる魔法の使い手だった。


 戦士の父だが冒険者には向いておらず、迷宮のアラームと呼ばれる罠にひっかかり、多数のオークやトロールからネズミのように逃げている所に、母と出くわした。


 母は魔法でそれらを一掃し……なんやかんやで、二人とも恋に落ちた。


 当然、両者の関係者はその付き合いに激しく反対した。エルフと人間なんて彼等にはあり得なかった。


 だから二人は親しい者との縁をすべて切って、結婚した。


 誕生したのがミュルダールと、妹のシャナだ。


 ミュルダールは万事呑気で、細かな妹に叱咤されて成長した。


 二千歳を超えていた母から魔法を学び、その才はあったのか、名うての魔道士となった。


 彼女が人里に下りたのは、父が死んだからだ。


 あっと言う間だった。


 ほぼ寿命のないエルフと、二千年は生きるハーフエルフにとって、百年足らずの人生など一日のような物だ。


 父は老い、ミュルダールとシャナと妻を心配しながらこの世を去った。


 ミュルダールが人里に興味を持ったのは父の影響だ。父はどこか抜けていたが、いい人だった。


 娘二人に母に内緒で少し悪い遊びを教えたり、イタズラで母に滅茶苦茶怒られているミュルダールを涙目で庇ったりと、他のエルフの舌の上の人間とは明らかに違っていた。


 ミュルダールは、人間に慣れていたのだ。


 彼女が旅立つのを母と妹が複雑な表情で見ていたが、ミュルダールは生来ののほほん機能を発揮して「大丈夫、大丈夫」と、出て行った。



 あまり大丈夫ではなかった。



 彼女が思っていたよりもエルフに対する人間の心証は悪く、彼女は散々差別され、陰に日向に悪く言われた。


 流石のミュルダールも、心が折れそうだった。


 そんな時に『彼』に合った。


 ミュルダールが旅立ってから 二百年経過し、彼女も少し荒んでいた時期だ。


 レイキ……その黒髪と黒い瞳の少年は、そう名乗った。オークに襲われた村の、ただ一人の生き残りだった。


 そう少年だ。彼女が出会った時、まだ彼は八歳くらいだった。


 レイキはオーク達に復仇を誓い、その年で冒険者になろうとしていた。


 ミュルダールは慌てた。どんなに彼に自信と信念があろうとも、それは無理だ。


 だから彼女は少年の後見人になった。


 レイキはかつての父と同じく、エルフに偏見を持たない少年だったので、二人は意外といいパートナーになった。


 最も、しばらくミュルダールは母親役、次には姉役を演じなければならなかったが。


 レイキはすくすくと成長した。細い腕には筋肉がつき。背は植物のようににょきにょき伸び、顔つきもすっかり大人になった。



「結婚して欲しい」とレイキに告白されたとき、ミュルダールの目は本当に飛び出しそうになった。



 今まで子供、もしくは弟として接してきた少年……青年に、いきなりプロポーズされたのだ。


 驚愕の後、ミュルダールはしばし考え受け入れた。


 考えたら、彼女もいつの間にか彼を愛していた。


 二人の生活が始まった。


 楽しかった。毎日がびっくり箱みたいで、常に温もりに包まれていて。


 まるで父が生きていた頃のようだった。


 だがレイキはやはり、人間だった。


 ミュルダールの前で、彼は時間を少しずつ失い、色褪せていった。


 ミュルダールは彼の子供が欲しかった。彼の何かを残したかった。


 それは適わず、レイキはある日病にかかり、そのまま彼女の元から消えた。


 ミュルダールは嘆き悲しんだ。世界の終わりをはっきりと感じた。彼女の前にそそり立ったのはあまりにも大きな恐怖だ。


 この先何百年も、彼のいない世界を生きていかねばならない。


 ずっとずっと、もうレイキに会えないのだ。その温もりに触れられないのだ。どんなに待っても、どんな努力をしても。



 地獄だった。



 だから決めた。



 ミュルダールはアホになろうと。アホになれば何も考えなくて済む。アホになって享楽的に生きるのだ。 


 今の、ぼんやりして何を考えているか判らない彼女になったのは、悲しみを誤魔化すためだ。


 どういう訳だか、それによって魔法での戦いが有利になったが、そんなのはどうでもいい。


 彼女はアホだ。愛する者を考えまいとする、自らの孤独を忘れようとするアホなのだ。 そんなアホの前に現れたのが、皆部白矢だ。


 彼自身は知らないだろうが、白矢はレイキにそっくりだった。


 顔かたちではない。どこか自信のなさそうな目や、優柔不断そうな言動が、レイキの生き写しだった。


 アホはすぐ飛びついた。


 夫レイキを失って百年。久しぶりに心が浮き立つのを感じる。


「はああー」とミュルダールは熱い吐息を吐く。


「あの子をー可愛がりたいなあー」


 それが決闘の理由だ。ミュルダールには経験に裏打ちされた作戦がある。


「うふふふふー」と不意に笑い出し、彼女の周囲の人々を氷りつかせた。 



 皆部白矢は借りた宿の一室で悩んでいた。


 ベッドにはすっかり臆病になった細木織恵が寝ていて、「喉が渇いたよー」とか「お腹がすいたよー」とか要求してくる。


 ──どうしよう。


 そもそも白矢達が仲間から離れて旅に出たのは、死を超越した者に会うためだ。なのに織恵ときたら、ベッドで我が儘放題になっている。


 しかも彼はミュルダールとの決闘を控えているのだ。話せば、当然凄い勢いで反対されるだろう。


「あのー、織恵」白矢はボロを出さないように話しかける。


「なにー?」 


 織恵はどこかほわんとした、返事を返す。


「俺は今から少し情報収集に出ようと思うんだ」


「何の?」


「何のって、死を超越した者の」


 織恵はようやくベッドから半身を起こす。



「……無理だよ」



 白矢は驚いた。織恵が真剣な顔で、否定したのだ。


「何言ってんだよ、俺達はその為に……」


「この世界は危険なのっ!」らしくなく彼女は、大きな声を出す。


「でもそれじゃあ皆の元へ帰れないし、元の世界にも帰れないよ」


 織恵はぷうっと膨れて、またベッドに横たわる。


「……わかったよ。でも白矢、ちゃんと装備は整えてね、油断しないで……て、私も行こうか?」


 白矢は慌てて手を振る。


「大丈夫だよ、余計な諍いは起こさない。織恵はここで休んでいて」


「うん?」織恵の眉間に皺が寄る。


「何か隠してない? 白矢」


 恐るべし幼馴染み……白矢は背中に汗を掻いたが、顔には出さなかった。


「隠してないよ……ほら、鎧は必要ないから置いていくから織恵は待ってて、夜には多分帰ってくる」


 織恵は納得していないようだが、不承不承頷いた。


「判った、早く帰ってきてね……私のトイレもあるし」


「ああ」


 白矢はミュルダールとの決闘の場に急ぐ。



 ほぼ時間通りに二人は町外れ、二人が初めて出会った場所に訪れた。


 ハーフエルフのソーサラー・ミュルダールVS異世界人戦士・皆部白矢。


「わーい♪」


 ミュルダールはこれから行われる事が何か判っているか、謎の機嫌のよさだ。


「決闘てよく判らないんですけど、見届け人はいいんですか?」


 白矢が辺りを見回しても廃墟しかなく、他に人影はいない。


「いいのよー、この子がーいるからー」


 ミュルダールは崩れた建物の上を、指した。


「えっ」と白矢は声を出してしまう。そこにいたのは金色の目のフクロウだ。


「あのー」


「大丈夫ー、この子はー使い魔だからー」


 勿論、大丈夫ではない。完全なルール違反だ。


 しかし勇士決闘を初めてやる白矢は「そういうもんか」と、納得してしまった。


「いいですか、命のやりとりはナシですよ」


 その白矢の認識がそもそも間違っている。勇士決闘は突端から成り立っていなかった。


「はーい」ミュルダールは何を考えているか判らない。


 白矢は残念な事にこの世界で人を殺している。望んでではない。襲ってきた盗賊に応戦している内の、出来事だ。


 最初、彼は倒れている人間に呆然とした。次にそうしてしまった自分を嫌悪した。ゴブリンやオークは明らかに人とは違う。


 どこかそんな線引きをしていた彼だが、足元の人間からは言い訳が、浮かばなかった。


 しばらくは罪悪感で引きこもり、悪夢にうなされ、食事も喉を通らなかった。


 盗賊の襲撃は続いた。白矢は剣を振るい今度は二人殺した。


 今度は何事もなかったように受け入れ、そんな自分に恐怖した。



 人を殺したのだ。



 彼は密かに悩んだが、この世界に生きる宿命として同様の事態が何度も起こり、もう人間の死体に過度な反応をしなくなった。


 だが勘違いはしていない。


 皆部白矢は人を殺すのが嫌だ。


「でもねー」ミュルダールは片目をつぶり、白矢をドキリとさせる。


「女の言うことをー簡単にー真に受けたらーダメよー」


「え?」


「勇士決闘はー相手がー死ぬまでー終わらないのよー」


「そんな! 話が違います!」


「女の話しはー毎日違うのよー」


 白矢はここでミュルダールに嵌められたと悟った。ぼんやりとしている風のミュルダールは、遙かに考えていた。


「ちょっと待って下さい!」


 白矢は焦った、だがミュルダールはもう木の杖を構えている。


「さあー、楽しいー決闘をしましょー」


 白矢は盾を構えた、もう仕方ないのだ。わざと敗北するほど彼も人は出来ていない。


「うふふー」ミュルダールは笑う。


「鎧はー着てこなかったのねー」


 そう、白矢は鎖帷子とキュイラスを織恵の元に置いてきた。彼女へのアリバイとしてだけではない。あの後、ボガートの死骸をよく観察した。


 結論として、魔法には鎧など無意味、だ。


 ボガートの鉄鎧と鎖帷子は、どんな魔法を受けたのか半分溶けていた。


 魔法は避ける物……白矢はそう判断して、今回ただの麻の服だけでやって来た。


 ルベリエとやらとの決闘で穴だらけになった木の盾は、一応持ってきている。盾は実はあまり便利な物ではない。


 彼が元の世界で好んでやっていたドラゴン○エストでは重要な装備だが、実際装備すると、こんな邪魔な物はない。かさばるし重いし視線も遮る。


 それでも手にしたのは、魔法の一撃でも防げるかと、期待したからだ。


「ふんふーん」


 ミュルダールはぼけっとした顔で鼻歌を歌っている。何を考えているかさっぱり判らない。



「さんだーうぃっぷー」突然だった。



 呆けていたミュルダールが、不意に、魔法を唱えたのだ。


 白矢は咄嗟に盾でギザギサの光を受けた。盾が粉々になり後方に吹っ飛ぶ。


「うまいうまいー」きゃっきゃっとミュルダールが拍手する。


「く」白矢は奥歯を噛みしめた。


 馬鹿にされている。相手は本気になっていないと悟る。


 だが盾は破壊され、残るは魔力を帯びたバスターソードだけになった。


 このバスタードソードは彼がまだ級友達と共にいた時、加藤勝と岡部伸次郎を犠牲に、鎖の悪魔からぶんどった物だ。


 かなりの魔力がかけられた剣らしく、鑑定に出した折、街で評判になり金貨の袋が沢山積まれた。


 売らなかった。


 それどころではなかった。彼等は友達を二人も死なせてしまった。


 だから剣を有効活用しなければならなかった。


 白矢がそれを与えられたのは、重要な任務を一人引き受けたからだ。反対に述べると、仲間達の餞別は、それだけだった。


 とにかく白矢はそのバスタードソードを切り札として、今まで生き抜いてきた。


 魔法の剣……それは凄まじい物だった。


 普通ならどうやっても切れないような鋼鉄さえ、紙のように切断する。鉄の装備が多いこの世界に置いて、一方的なアドバンテージを得ていた。


 相手が戦士なら、だ。


 白矢はバスタードソードを両手で持った。ロングソードとバスタードソードの違いは、片手で持つか両手で持てるかだ。


 バスタードソードは柄も長く、両手で安定して構えられる。


 丁度、白矢の故郷の日本刀みたいだ。


 ぼー、とミュルダールは空を見ている。


 もう騙されない。彼女のその態度はフェイクだ。ああして明後日の方向を眺めながら次の戦術、次の魔法を唱えている。二人ともそうだ。


「え!」白矢は異常に目を見開いた。


 ミュルダールが二人いる。


 同じ背格好で同じ顔で、同じ体勢。


「くそっ」当然魔法だ。再び彼はミュルダールの術中に陥ったのだ。


 もう我慢できなかった。


「やりますよ! ミュルダールさん」


 白矢は怒鳴ると手近な彼女に斬りかかった。だがなるべく大怪我しないように一歩引いて。



「はずれー」



 どこからかミュルダールの声が聞こえ、白矢が攻撃した方は消えた。


「ならば!」


 間髪入れず、もう一人に剣を振るう。


「そっちもーはずれー」


 ミュルダールののほほんとした宣告が響き、二人のミュルダールはいなくなった。


「は?」白矢は立ちつくす。何が何だか判らない。


「本物はーこっちでしたー。いりゅーじょんの魔法ー」


 ミュルダールは楽しげに廃墟の一つから、にゅっと顔を出した。


 白矢は苛立つ。


「何してんですか? さっきから! 俺を馬鹿にしているんですか?」


 白矢の怒声に、ミュルダールは思案顔になる。


「だってー君だってー、私がーあまりー傷つかないようにーしているじゃないー」


 彼女は見抜いていた。白矢が手心を加えていたと。


「それはだって、俺は女の人は……」


「うんうん」ミュルダールは機嫌よさそうに何度か頷く。


「君はーいい子だなー。どうしよっかなー」


 ミュルダールは唇に人差し指を当てる。


「もしかしたらー殺さなければならないかもー、と思ってたけどー」


「……なら、やめましょう」


 白矢は脱力して提案した。これ以上はアホらしい。


「うーん、そう言うワケにもー、いかないんだー」


 ミュルダールは思案顔で答えると、つと白矢の目を見る。


「ねえー、オリエちゃんとどこまで行ったー」


 突然の質問。白矢は泡を食う。


「ど、どうしてそんなこと!」


「いいからー、大事な話ー」


 白矢は俯く。どこまでと訊ねられても、彼女はただの幼馴染みで、信頼できる仲間だ。


「ふーん」ミュルダールは白矢の内心を読んだのか、大きく頷いた。


「ならいっか」


 と彼女は両手を天に向けた。


「あいす・すとりーむー」


「しまった!」


 白矢は、敵の前で棒立になっていた己の迂闊さに泣きそうになるが、もう遅かった。


 ミュルダールの立っている場所から白矢のいる所まで白い氷が出現し、彼は頭を残してそれに飲まれた。


 冷たい氷の中、白矢は身動き取れない。


「私のー勝ちー」


 ミュルダールは大して感激してないようだ。ただとことこと、指一本動かない白矢に近づく。


「ほらー、魔法使い相手にー油断したらダメだぞー」


 白矢は怒りの目で彼女を睨む。


「こわいなー、しょうがないじゃないー」


「俺をどうするつもりですか?」



「決闘はー、私の勝ちねー」



 ミュルダールは自分が勝利すると判っていた。敗北など微塵も考えていない。


 まあ、そもそもこの人のいい少年は負けても見逃してくれる、とは思っていたが。


 とにかく当初の予定通り勝った。圧勝だ。


 どうもこの世界の人々は魔法を異端と決めつけた時から、魔法に対する防備を失っている。ボガートとかもそうだ。


 魔法使いと戦う時はもっと間髪入れず攻めねばならない。魔法使いが精神を集中する余裕を与えてはならない。


 しかし白矢もボガートも、その他彼女が相手にしてきた敵達も、何故か魔法使いと向かい合い、正面から戦おうとする。 


 こちらが第一撃を繰り出すまで、それこそぼけっと待ってる。


 ──しょうがないなあ、


 ミュルダールは嘆息しながら毎回圧勝している。


 その後は大概殺している。手品の種明かしは一度きりなのだ。 


 だが今回の目的は違った。


 ミュルダールは、氷りづけのビャクヤをしげしげと見つめ、熱く呟いた。


「やっぱり似てるなー」


 彼女の元夫だ。


 ミュルダールはこれで四〇〇歳だ。ハーフエルフはエルフよりは短いが人間などより余程長命だ。


 だからこそ魔法の達人になったりする。


 だからこそ、人間の男の心理を知悉している。


「ねえービャクヤー」


 ミュルダールは彼の耳に囁いた。アホの血が疼く。



「この決闘ーチャラにしないー?」



「え?」案の定ビャクヤは驚く。


「私ねー、最近夜がさみしーの……君が私とー一晩共にしてくれたら、決闘忘れたげるー」


 ミュルダールはビャクヤの温もりが欲しかった。欲しくなった。昔の夫に似た少年に愛されたい。アホな行為だとしても。


「そ、そんな!」


 ビャクヤは耳まで赤くなる。


「出来るわけ無いです」


 だが彼の目にちらちらと欲望の火が灯っている。仕方ない、ミュルダールは知っている。この位の年頃の男の子は、女の子への興味で一杯なのだ。


「いいじゃないー、君、恋人いないんでしょー」


「でも……」


「オリエちゃんもー、あなたをーどう思っているかーわからないんでしょー?」



「それは……」



「たった一度だけー、お願いー」


 ミュルダールは深々と頭を下げる。


「私をー、助けてー、欲望に負けそー」


「あああ、あの」


「それともー」彼女の目が鋭くなる。


「決闘続けるー」


 ビャクヤは何か考えている。頬を染めながら。


 このまま決闘を、など不可能だ。もう彼は負けている。


 ミュルダールは彼の内心を完璧に見抜いていた。理性と欲望が戦っている。密かに首元に息をふーとする。



「二人だけのー、ナイショにーするからー」



 ビャクヤの頭ががくっと垂れた。落ちたのだ。


「うふふー、宿屋はー私のおごりー」


 こうしてビャクヤとミュルダールは、一夜を共にすることとなった。



 ハーフエルフのソーサラー・ミュルダールVS異世界人戦士・皆部白矢。ミュルダールの勝ち(童貞の白矢は、経験豊富のミュルダールにより何度も昇天)




 皆部白矢は女の柔らかな体と、酸味のある味と香りを知った。 


 欲望に簡単に負けた自身を恥じつつ宿を出ると、朝日が妙にギラついていた。


 背後のミュルダールは、当然のように彼に寄りかかる。


「うふふー、けっこーがんばったねー♪」


 白矢は赤面するしかない。


 だがここで彼は衝撃を受けた。


 朝の人通りの中に一人の少女を見つけた。


 細木織恵だった。


 彼女は問うような視線で、二人を見つめている。


「あらー、オリエちゃんーおはよー」ミュルダールは明るく挨拶する。


「昨日のビャクヤはよかったよー……やっぱりー若いっていいよねー。いろいろ教えたげたー」


 ミュルダールは余計な一言をつけ加えて、白矢は冷や汗をかく。


 織恵は俯き、目元が陰に隠れる。


「……心配したのに」ぽつりと呟く。


「夜になっても帰ってこないから、怖いのを我慢して探してたのに」


 織恵の声は南極の風のようだ。


「うふふー」万事無責任なミュルダールは気配を察した。


「じゃねー、ビャクヤー。また機会がーあったら」


 ミュルダールはローブを翻して、朝の喧噪の中に消える。


「………………」


 そうなると表情が見えない織恵と、対面したままだ。


「……来て」


 織恵が口を開くが、よく聞こえなかった。


「な、何? 織恵」



「来なさいっ! 皆部君!」



 絶叫だ。しかもまた「皆部君」に戻っている。


 踵を返して歩き出す織恵を、とにかく白矢は追った。


「あのー、織恵、さん」


 彼女は答えない、振り向きもしない。


「これは仕方なかったんだよ……そのー、決闘で負けちゃって……」


 反応無し。


 白矢は肩を落とす。彼女は酷く怒っているようだ。どうしてかは判らない。


 周りを確認すると、どうやら二人が泊まる宿に向かっているようだ。


 ──説教でもされるのかな。


 だが織恵は宿には入らなかった。その背後を流れる川まで、彼を誘導する。


「ええと」白矢は緩い川の流れを見つつ、困惑する。


「入って」織恵は感情のない声で命じる。


「ええ」と白矢が怯むのも無理はない。


 この川は街の人々が汚物を投げ込む場所であり、実際かなり汚れている。糞尿や食べ残し、時には死体も流れている。水に入るなら浴場が、この街にはある。


「でも……」白矢が躊躇すると、織恵はようやく顔を上げた。


 太陽のような熾烈に光る目だった。それでいて霜が降りたように、冷えている。



「入りなさいっ!」



「は、はい」白矢は服を脱ぐと、麻製の男性用下着姿になり、いやいや川に入る。


「う」吐き気がこみ上げる。


 川は臭かった。アンモニア臭や糞の臭いに怖気が走る。



「体を洗いなさい。皆部君」



 織恵は高飛車に命令する。


「だって」洗うのは無理だ。川が汚すぎる。白矢は流れる猫の死骸を見ながら、抗弁しようとする。



「洗いなさいっ! あの女の臭いを消しなさい!」



「は、はい」織恵に怒鳴られ、しばらく白矢は川で体を洗う。


「もっとちゃんと!」檄が飛ぶ。白矢は首を竦めた。


「綺麗になるまで上がらせないからね!」


 織恵は厳しく命令する。


「判ったよ」と白矢がげっそりすると、何か声が聞こえた。


「え?」振り向くと、織恵が泣いている。


「うう、酷いよ、ううう」


 顔を歪ませ、涙でぼろぼろだ。


「織恵! どうした?」


 慌てて白矢が近づくと、彼女は一歩下がる。



「近寄らないで! 汚い!」



 肩を抱こうとした白矢の動きが、止まる。



「あんな女の臭いや汗で汚れた白矢は汚い! 汚いのっ!」



 織恵はその場にしゃがみ込んで、号泣した。

 


 太陽は中天にさしかかっていた。


 マドッグは市壁の外、南の街道から少し外れた場所で、男と向かい合っていた。


 ブローデルだ。


 彼は妻のソフィーの命の恩人だ。常のマドッグなら助ける事はあれ、戦いはしなかっただろう。


 だか仕方がない、


 ブローデルも勇士決闘の当事者の一人だ。


 マドッグは敵を詳しく値踏みした。


 武器は棘がついた鉄球を木の柄に着けたモーニング・スター。これは聖職者が刃を敬遠するからだろう。


 鎧は高価そうな鎖帷子と、ルベリエが使っていたようなラメラーアーマー。


 ──これは結構きついかもな。


 マドッグは内心そう考えた。


 彼の装備はただのロングソードとハルパー、鎧は革製だ。


 異世界人の魔法の剣ならいざ知らず、鉄の板を何枚も重ねたラメラーアーマーをロングソードで突破するのは、難しそうだった。


 ──だが!


 マドッグの脳裏にいるのはソフィーだ。


 流産してすっかり生気がなくなった最愛の妻。


 ──待ってろソフィー。


 マドッグはロングーソードを鞘から抜いた。とにかく勝たねばならない。


「うむ、よろしいかな」


 ブローデルもベルトにぶら下げたモーニング・スターを手に取った。


「地母神の名にかけて」


 決闘の準備が整う。見届け人は、ブローデルが連れてきた弟子の一人だ。


 地母神の聖職者ブローデルVSローグ・マドッグ。



「うん?」



 ここでマドッグの嗅覚、危険を察知する経験からのそれが、きな臭さを感じた。


 どうしてか見届け人がそわそわとマドッグに視線を走らせている。


 ──何だ?


 マドッグはブローデルと言う強敵の前なのに、妙に見届け人が気になった。


「では!」


 だがいつまでも見届け人を思ってはいられない。ブローデルが突進したのだ。


「ちっ」と舌打つと、応戦するためにロングソードを上げた。


「ちょっとー待ったー」


 不意に声がかけられたのは、まさに両者の武器が火花を散らす直前だった。


「な、なんだ!」マドッグは素早くブローデルから離れると、声の方向に頭を巡らせた。


 何もいない。


「ここだよー」


 再び甲高い声が上がり、その方向に視線を向けると一羽のフクロウがいた。


「お前は?」


 目を丸くして固まっているブローデルの代わりにマドッグが問うと、フクロウは頭を半回転させる。


「私はーミュルダールのー使い魔だよー」


「使い魔?」聞いたことはある。異端の魔法で従えた動物だ。


「おお、何たることだ異端とは!」


 ブローデルは嘆くが、マドッグは苛立つ。これから生死をかけた決闘があるのだ。


「何のようだ? ミュルダール。俺達は決闘の最中だぞ!」


「それだよーそれー」


 フクロウは金色の目に、二人の決闘者を写す。


「この決闘ってー、無意味じゃないー?」


 何を今更。マドッグは思ったが、口には出さない。こればかりはミュルダールが正しいからだ。


「だからさー、それについてー話し合おうとー思うんだー」


「残念ですがそれは出来ません。私は地母神エルジェナの神託を受けています」


 ブローデルがようやく反論できる状況になる。


「決闘のー是非についてだよー。このまま意味なくー殺し合いは嫌だねー。地母神様もーそれはー望んでいないんじゃないー?」


「その必要はない」


 マドッグは斬り捨てた。彼には必要なのだ。決闘で得られる賞金が。


「ふーん」フクロウは一度ばさりと翼を広げた。


「ならー私はー他国にー逃げちゃおー。決闘はーそれでー永遠に不成立ー」


「ちょっと待て」さすがにマドッグは焦った。そうなれば賞金どころではない。


「だからさー一度みんなでー腹を割って話そうよー。いい方法がーあるやもー」


 マドッグは懐疑的だ。だがミュルダールに去られるのは、避けたい。


「判った」彼は剣を下げる。ブローデルはまだ迷っているようで、髭を掻いている。


「判りました。では地母神にお伺いを立ててみましょう」


 ブローデルは目をつぶり、ぶつぶつ呟く。



 かっと突然目を見開いた。



「判りました! 地母神様もそうしろとの仰せです。従いましょう」


「で、どこで話し合う?」マドッグは構わず話を進める。


「王様のー手前、あまりー目立ちたくないからー、近くのーベルーガ要塞跡はー?」


「いいだろう、時間は?」


「今日の夜ー」


 マドッグはブローデルに視線を走らせる。彼は地母神の意見に忠実なようで、もうモーニング・スターを腰に戻していた。


「わかりましたぞ。ミュルダール殿。貴殿がそうしたいというのであれば、とくと話し合いましょう」


「ああ、そうだな」マドッグはため息を吐いた。


「よかったー、うれしー」


 ぱたぱたとフクロウが羽根を動かす。


「じゃあーおまけでー教えちゃうー」


 使い魔はどうやら魔法使いの性格を受け継ぐらしい。フクロウはミュルダールの様子にそっくりだ。


「マドッグー、気をつけてー」


「何」マドッグが眉を潜めると、フクロウは空に飛び立つ。


「騎士達がーあんたをー探し回っているよー」


 その言葉を残し、ミュルダールの使い魔は去った。


「との事らしいので、ここはこれまでです。また会いましょう」


 ブローデルは見届け人を連れてさっさと街へ帰っていった。


 一人残ったマドッグは思案する。


 ついに来た。騎士達の目的はルベリエが彼を騙って殺したベルリオーズの復讐だろう。ベルリオーズの親族がこの街まで訪れたようだ。


「全く」マドッグは肩を落とした。この事態を恐れてルベリエは謀ったのだ。


「お前の後始末は大変だぜ、ルベリエ」


 マドッグは一人ごちると、ブローデルの後を追うわけではないが、サイレスの街へ足を向けた。


 地母神の聖職者ブローデルVSローグ・マドッグ。勝敗無し(水入り)



 立ち止まったのはサイレスの街の市壁のすぐ近くだ。


 振り向くと、整備された街道と森がある。


 ふう、マドッグは息をつき、次の瞬間、腰の短剣を超速で抜き投げた。


 びぃぃーん、と木に刺さった短剣が振動する。


「おいおい、盗み見は趣味じゃないって、前に言われたろ?」 


 マドッグが声をかけると、緑の葉で何十にも隠れた木の枝から、一人の青年がすらりと着地する。


 いつだったかのエルフ、ヘイミルだ。


「これは申し訳ありません」相変わらず慇懃に礼をする。


 ──なるほど……。


 数日前のレイチェルの気持ちが分かった。


 確かにこのヘイミルとか名乗ったエルフは剣呑だ。


 改めて見直すと、切れ長の目に刃物の気配がある。


「どうした? 木の上で、獣にでも襲われたか?」


 マドッグの言葉にヘイミルは微笑む。



「ダーソンの砦……行かれなかったようですね?」



「ああそれか……」マドッグは苦い顔になる。


 実はサイレスにも近い砦で傭兵の募集があった。混沌の勢力の動きについて見逃せない状況にある、そうだ。


 行かなかった。


 マドッグだけではない。


 サイレスの街からは、ほとんど傭兵は出なかった。 


 理由は、名を上げた者がどうなるか、マドッグたちが身をもって広めたからだ。


「ダーソンは落ちました」


「そうかい」


 マドッグにはそれしかない。もはや彼には決闘しかないからだ。


「そうですか」ヘイミルはリュートの弦をひと撫でし、規則正しい音を鳴らす。


「で、それが?」


 マドッグの問いに、ヘイミルは首を振る。


「いいえ、それだけです。勇士決闘での戦い、期待しております」


 謎の笑みを残して、ヘイミルは背中を向ける。


 一瞬、その胡乱な背に襲いかかろうか、との欲求を覚えたマドッグだが、やめる。


 もう彼にはこの国など、どうでもよかった。



 白矢は身動きしない木の壁の前で、困惑していた。


 宿屋の扉だ。しかも彼が借りた織恵との部屋の。


「あのー」と何度目かの声をかけた。


「ミュルダールさんの使い魔が来て、決闘についての話しがあるらしいんだけど」


 ばたん! と扉が大きく鳴る。中の織恵が何かぶつけたのだろう。


 はあ。白矢はその場に座り込みそうになる。


 あれから織恵の機嫌は悪い……どころじゃない。泣きじゃくる彼女を宿に運ぶと、部屋に閉じこもってしまった。


 白矢が入ろうとすると「入らないで! 汚い!」と研ぎ澄まされた刃のような目で見てくるから、怖くて出来なくなった。


 食べ物は宿の夕食を失敬して運ぶが、扉は開かず仕方なく皿を扉の前に置いて、一声かける。


 次に見たときはなくなっているから、どうやら食べているようで一安心だが、姿は見せない。トイレにも出ないから、中でおまるを使っているのだろう。


 あんなに嫌がっていたのに……浴場にも誘ったが返事はなかった。


 ──そんなに俺と顔を合わせたくないのか……


 消沈する。


 確かにミュルダールとの一件は少し早まった。だがそうしないと殺されていたかも知れない……否、白矢は激しく頭を振る。



 負けたのだ、欲望に。ミュルダールの美貌に、誘惑に。



 白矢は激しく自責する。性に関しての自分の甘さにだ。そこに関して潔癖な織恵に正式に謝罪したい。欲望まみれの己を断罪して欲しい。


 だが今は約束が迫っていた。


「行ってくるよ……織恵」


 白矢は返事のない扉に、呟いた。



「しけた街だな」


 騎士コクトーのサイレスの街に対する心証は悪かった。仕方ない、サイレスはローデンハイム王国にある街の中で、一番大きい訳ではない。


「しかし、色々と面倒でしたな」


 騎士ミシュレは嘲るような口調で、これまでの感想を述べる。


「全くだ、何が都市貴族だ。我々騎士と同じ身分だと思っているのか? 思い上がりおって」


 コクトーはむっつりと答える。 


 サイレスの街は、有力者達に裁量を任された自治都市である。


 王国騎士と言えど、街の有力者・都市貴族と呼ばれる者達に、復讐権について説明しなければならなかった。


 コクトー達は予想していた。


 故にここら一帯の領主の息子である二人の若き騎士、ラリックとマンサール兄弟を連れて来た。なのに、街の有力者達の集まりである参事会は揉めた。


 マドッグ等という下層市民の冒険者についての是非ではない。街で騎士達の戦闘が行われるのに、皆難色を示したのだ。


 ラリック、マンサール兄弟が父からの特許状の無効を言い立て、ようやく参事会の都市貴族は黙った物の、街中の戦闘は許されなかった。


 コクトー達は激怒した。


 騎士は誇り高い。なのに都市貴族などと呼称する市民に、指示された。


 彼等は一様に腰の剣に手をやった。


 だが耐えた。


 自治都市は侮れない存在だ。裁判権も警察権もあり、市民軍もある。数人の騎士ではとても歯が立たない。


 仕方なく彼等は、サイレスの街での戦いを回避すると誓い、都市貴族達の元を去った。


 そんな経緯もあり、騎士ベルリオーズの復讐に来た騎士達は、鎧を着ていなかった。


 鎧は戦など戦うときだけ着用する物だ。今は普段の仕立てのいい服に身を包んでいる。


 ただし帯剣はしている。


「で、ベルリオーズ卿の仇、マドッグをどう探します?」


 熊のような体格の騎士アルランが、興味なさそうに周囲を見渡す。大都市ではなくとも人の数は多い。


 参事会で釘を刺された彼等は、まずマドッグを探さねばならない。


「ふん。どうせ冒険者だ、冒険者ギルドにでも行けば判る」


 コクトーは敢えて大きく肩をすくめた。



 その様子をもう一人の騎士であり、一行の中で唯一の女騎士・ユベールは冷ややかに見ていた。


 ユベールはベルリオーズの妹であり、従兄弟でしかないコクトー達とは一段上の存在だ。


 さらに彼女は野心を抱いている。


 兄の領地を我が物にしようとしていた。


 普通、女の兄弟に相続権など殆ど降りてこない。常に財産は男達かその妻が分けるのだ。


 ただ一つの例外を除いて。


 相続権のある妻が、修道院に入った場合だ。


 ユベールは張り切るコクトーを目にし、唇を歪める。


 彼の魂胆ははっきりしていた。亡き兄の妻ウィーダと再婚して、領地を手にしようと考えている。


 妻へ相続された財産は再婚した夫の物となる。


 コクトーはそれを狙っている。


 なぜなら、ベルリオーズの妻ウィーダとベルリオーズの従兄弟コクトーは、今熱烈な『宮廷風の恋』の真っ最中だ。 



「はっ」とユベールは嗤う。



『宮廷風の恋』などと美化されていても、本質は姦淫であり不倫だ。もしこの事実が表に出れば、ウィーダは自動的に修道院に送られ、コクトーは破滅する。


 そうなれば兄の領地は全て彼女の物となる……まだだ。兄には息子のエルンストがいた。


 しかし彼はまだ二歳で、ウィーダを追い払った後にユベール自身が後見人になればいい。



 事故はどこでも起きるし、毒蛇はどの繁みにもいる。



 ユベールはほころびそうになる口元を引き締めると、信用ならない騎士達の後に続いた。


 ベルーガ要塞はまだローデンハイム王国が戦乱の中にあった、百年前に建造された。


 強固な石造りでかつては名の知れた要塞だったが、今は役目を終え朽ちている。 


 戦は終わり、誰も顧みなくなり、手入れもされていない。


 だから、要塞跡、である。


 その過去の遺物に四人の男女が集まっていた。


 マドッグ、ブローデル、白矢、ミュルダール。


 彼等は木の屋根が落ち、青い月が見える中庭で、向かい合っていた。


「つまりあんたは決闘を辞めよう、と言うんだな?」


 マドッグは無精髭の顎に手をやり、ミュルダールを見つめた。


「そー、こんなのー無駄だよー」


 密かにマドッグは感心している。各人の姿だ。


 ミュルダールはソーサラーなので判らないが、ブローデルもビャクヤもちゃんと鎧を装備し、武器を下げている。


 勿論マドッグもだが、いつ戦いになってもいいように皆用意を怠らなかった。


 そうだろう、とマドッグは頷く。


 ここでいきなり決闘の可能性もあるからだ。


「私は反対ですな」ブローデルが幅の広い体から、低い声を出す。


「地母神に誓ってしまいました」


「でもさー」ミュルダールは諦めない。


「地母神様はー慈悲の神だよー、他の神様がー世界を見捨ててもー残ってくれたー、そんな女神様がー無意味な血を望むかなー」


「それは私への神託が間違っているとの事ですかな?」


 丸い顔を赤くするブローデルだが、ビャクヤが控えめに発言する。


「俺は決闘に反対です。大体、俺がここに来たのは決闘の為じゃないし、賞金も領地もいらない」


「だがな、もう始まっちまったんだ」


 マドッグは目を細めた。


「もう、ベルリオーズ、レイチェル、ボガートが死んだ。ここでハイ辞めました、は、あいつらに通じるのか?」


 皆、黙する。


 誰もがマドッグの言葉について、考えているのだろう。


「だけどさー」ミュルダールはややあって提案した。


「死んじゃったー人達は可哀相だけどー、これからー死ぬ人も可哀相だよー、辞めるべきだよー」


「無理ですな、地母神エルジェナの名にかけて」


 ブローデルが頑ななのでマドッグは少し、安心する。


 マドッグは決闘をしなければならない。愛するソフィーの為に、ここにいる全員を殺さなければならない。


「じゃー、私はー逃げちゃうよー」


 ミュルダールはひらひらと手を振る。


「ビャクヤくんもー逃げよー、一緒にー」


 いつの間にかミュルダールとビャクヤの仲が近くなっていると、マドッグにも判る。


「ええと……」そのビャクヤは何か気まずそうだ。


「そんな事をなら、ここでやっちまうだけだ」


 マドッグは犬歯をむき出す。だがミュルダールは何を考えているのか、ぼけーとしているだけだ。


「そもそも皆さんは、どうして決闘に拘るんですか?」


 マドッグとミュルダールの危険な対峙は、ビャクヤにより破られる。


「そんなにお金と領地が欲しいんですか?」


「欲しいね」マドッグは即答だ。彼にはソフィーがいる。


「私はただ地母神の神託に従うまでです」


「なら勝手にやってくださいよ、俺には目的があるんです」


「目的ってー?」ビャクヤにミュルダールが無邪気に訊ねた。


「仲間の蘇生です。死を超越した魔道士がこの近くにいる、と噂を聞きました」


「む」反応したのはブローデルだった。


「その話しなら知っておるぞ」


「え! 詳しく聞かせて下さい」


「……私を決闘で破ったなら教えよう」


「そんな!」ビャクヤが絶句し、マドッグはにやりとする。


「これで決闘する理由が出来たな異世界人……で、あんたはどうする? ここでやるか?」


 一連を見ていたミュルダールは、体を縮めるほど強く杖を握った。


「反対なのはー私だけー? うーん、逃げるとー言ったらここでだしなー、逃げられてもーあんたらー追いかけてくるんでしょー……もうー! これじゃあー私がー我が儘みたいじゃーん。はあ、判ったよー決闘したげるー……ばーかばーか」


「どうやら話はついたようだな」


 マドッグは決闘続行が決まり安堵した。肩から力を抜き、つと石壁を見る。


「まあ、そうと決まったわけだが、お客さんが来るようだから、それぞれ何とかしてくれ」


「はあー」ミュルダールは気分を害している。


「何それー、誰ー?」


「騎士様達だ、復讐のためにな」 


「何でーここがー判ったのー?」



「俺が冒険者ギルドに報告しておいた」



 マドッグの言葉に居並ぶ三人は、ポカンとなる。


「最初から俺達を利用しようとしてたんですか?」


「怒るなよ異世界人、誰かが通らないといけない道だったんだよ」


「でもー、騎士をー殺したのあんたでしょー?」


 ミュルダールの鋭い目に、マドッグは遠い目を返す。


「それも違うんだよなあ……俺も巻き込まれたのさ」


 彼はうんざりしながら剣を抜き、他の三人も武器を構えた。


「安心しろ、騎士は強くないって俺の知人が言ってたぜ……あくまでも知人がな」


 マドッグは皆に無視された。



 コクトーはベルーガ要塞跡を目の前にして、ほくそ笑んでいた。


 ──まさかいきなり強襲されるとは思っていまい。


 彼はマドッグ達を侮っていた。騎士らしく下層の民を軽蔑していた。


 後は襲いかかり殺し、敵の武器や防具の質のいい物は奪い、女がいれば犯す。


 コクトーもまた騎士の見本だ。


 彼が背後に目をやると、同様にプレートメイルで完全武装した五人の仲間達が、続いている。


 ただし彼はユベールを戦力として数えていない。


 ユベールは女だ。女の騎士などコクトーは認めていない。彼女がベルリオーズの妹でなかったら連れてこなかったろう。


 今も鎧を着ている姿に苛々している。


 ──女は男と結婚してればいいんだ。


 コクトーはユベールから目を背けると、手で合図した。


 放置され崩壊した要塞には穴が幾つも開いている。そこから一気に突入しようと言う作戦だ。


 ルベリエではないが、騎士は固い鎧で守られている。


 だから作戦も大ざっぱで単純だ。


「いくぞ!」コクトーが叫び、騎士達はマドッグ達を襲うために、要塞跡に踏み行っていった。



 騎士ミシュレは長身をかがめるようにして要塞内に入った。


 驚く。


 こちらを待っていたかのように、恰幅のよい男が武器を構えていたのだ。


 棘の着いた鉄球・モーニング・スターだ。


「地母神よ、我に勝利を」


 ブローデルはモーニング・スターを持ち上げ、ミシュレに迫った。


 ミシュレも素人ではない。


 戦やトーナメントでそれなりに鍛えてきた。彼は咄嗟に敵の一撃を受け止めようと剣を持ち上げたが、ブローデルは剣ごとミシュレの兜をぶっ叩いた。


 ミシュレの意識が遠のき、目が霞む。


 プレート・メイルは剣には強い。しかし打撃武器には弱かった。


 ブローデルはすかさず、モーニング・スターを横に振る。


 ミシュレの腹部の鎧は歪み、どぐっと棘が突き刺さった。


 彼は血を吐き、その場に片膝を着いた。


 ──話が違う!


 ミシュレは自信満々のコクトーに唾棄したかった。敵は戦闘に慣れた強者で、騎士達を待ち伏せしていた。


 彼も忘れていた。集まっているのはローデンハイム王国の中でも、有名な戦士達だ……だから勇士決闘に選ばれていた。


 ブローデルの鉄球がまた持ち上がる。


「ま、待て! 待ってくれ!」それがミシュレの最後の言葉だ。



 騎士アルランはソーサラーミュルダールに、目を細めた。


 彼女はハーフエルフだ、人間の肉感的な妖艶さはないが、美貌は人間の女以上である。


 アルランは鉄兜の中で舌なめずりをした。


 敵の女は犯す。それが騎士なのだ。特に相手が美女となると、やる気も出る。


 アルランは慎重に歩を進めながら、何を考えているのか明後日の方向を見ているミュルダールに近づいた。


 背後の二つの気配を思い出す。


 ラリックとマンサール兄弟だ。彼等はサイレスの街を含めた一帯の領主であり、自治都市であるサイレスのお偉方を黙らせる切り札として連れてきた。


 舌を打つ。



 邪魔だ。



 騎士と名乗っているが、ラリックとマンサールは戦に出た経験はないらしい。トーナメントでそれなりの戦果を出し、父の偉功で騎士に叙された。


「ラリック! マンサール! ここは二人でいい、一人はコクトーと合流しろ」


 アルランの熊のような巨体に隠れていただけの、ラリックとマンサール兄弟が不満を全身で表す。


 兜のバイザーの切れ目からそれを確認し、アルランの腹は熱くなる。


「早く行け! ハーフエルフの魔道士とはいえ女だ、三人かかりでは後々誇りが傷つく」


 アルランは背後で、兄弟がこそこそと言い争うのを聞いた。


 彼等も騎士だ、ルールは判っている。だから離れたくないのだろう。


 ハーフエルフの女など今は珍しい。それもすこぶるつきの美女だ。彼等とて犯したいはずだ。


「安心しろ。あの女は生かしておく、捕虜としてな。後で尋問すればいい」


 兄弟の諍いがなかなか終わらないので、アルランは優しい声音を作った。


 不承不承の雰囲気があるが、弟のマンサールが離れた。最後まで惜しそうに何度も振り返り振り返り。


 アルランは見送ると、ぼーとしているミュルダールに一歩踏み出す。


「いいかラリック」巨躯の騎士はラリックに命じる。


「敵に余裕を与えるな、あれはソーサラーだ。異端の魔法を使うぞ。しかし魔法には精神集中が必要だ、その暇を与えなければ勝てる……そうすれば」アルランの声が上ずる。


「お楽しみだ」


 意味が分かっているラリックは何度も頷いた。既に早くなった息づかいが聞こえる。


 ──興奮するには早いだろうに。


 アルランは若いラリックを内心嗤った。


「行け!」


 ラリックはアルランの命令通り、ミュルダールに突撃した。


 剣を抜き、致命傷を避けて斬りつける。


 ふわっとミュルダールの姿が消える。


「何?」アルランは声を上げ、周囲を見回した。


 ハーフエルフの女は、全く別の場所に立っていた。


「全くー、私は二人かー、面倒だな……て嘘ー。この程度のー幻術にかかる騎士なんてー相手にならないよー」 


「くそ!」


 アルランは激しい足音を鳴らして走った。


 この生意気なハーフエルフに、自分がただの女であることをタップリと教えなければならない。


 だがそのアルランの意識が不意に薄れた。


 何故か酷く眠い。どうして重い鎧を着て走っているか、判らない。


 眠気はミュルダールに近づくたびに強くなる。アルランはついに片膝を着いた。


 眠くて眠くて仕方がない。


 自分の領地に帰り、女奴隷とベッドに入りたい。とにかく眠たい


「ふぉーる・すりーぷー」


 ミュルダールの目には、珍しく嫌悪の輝きがある。


「あんたらはさー、女にはー何をしてもいいとー本気でー思っているんだねー」


 彼女は忌まわしい物からそうするように、顔を背ける。


「ビャクヤくんとはー大違いー」


「貴様ぁ!」


 意味の分からない、判ろうとしないラリックが再び飛びかかる。


 その瞬間、ミュルダールの前に炎の壁がそそり立った。


「うぉーる・ふれいむー」



 ラリックは怯む。凄まじい熱量だ。着ているプレートメイルはすぐに熱を持ちだした。


「……ねえねえー、黙ってー帰ってーくれなーい?」炎の壁の向こうから、ミュルダールが語りかける。


「正直ー、君達はー最低だけどー、殺すのはなー……て思っているんだよー」


「異端の魔女め!」


 ラリックはバイザーを上げ唾を吐くが、炎で一瞬で蒸発する。


「く、くそ」しばらく睡魔と戦っていたアルランがようやく復活し、炎の壁の無い方向か

ら彼女に向かう。


「しつこいなー、無駄なー努力ー」ハーフエルフがうんざりした風に呟く。


「うぉぉぉぉ!」侮辱されたと思ったアルランが切れた。もうとにかくミュルダールを力ずくで押し倒そうと特攻する。


 多少の攻撃は板金鎧が弾いてくれるはずだ。


 意外な方向から阻止された。


 何故か炎の壁の前でまごついていたラリックが、体当たりをして来た。


 がしゃん、と金属がぶつかる音が響き、アルランとラリックは倒れてもみ合った。


「何をするかっ!」アルランが突如ミュルダールを守ったラリックを一喝するが、ラリックの開けっ放しのバイザーから覗く目は、とろんとして意志を感じさせない。 


「あああ、ごっめーんー! 言い忘れたけどーお仲間にはちゃーむ・まいんどのー呪文かけてたー」


 しっぱいしっぱいー、とミュルダールは頭を掻く。


「ふざけるな貴様! もう殺してやる!」


「うーん」とミュルダールは唸る。


「この状態でーそれかー。ならー」


 ミュルダールの表情が呆けた。


 同時にアルランの体が重くなる。疲労と乾きが対で襲い、重い鎧をもう持ち上げられない。


「ぶらいと・ぼでぃー……どうー? 帰るー?」


 しかしアルランと魔法が解けたラリックは、共に憎しみの目で彼女を見上げた。


 はあ、とミュルダールは形の良い唇を開ける。


「ここまでー色々やられたのにー……なら仕方ないねー」


 ミュルダールの目が氷のように煌めく。


「さようならー、らいとにんぐ・ぼるとー」 


 ミュルダールの杖から雷が発せられ、鉄に囲まれた二人の騎士を直撃した。


 その前の段階で動けなくなっていたアルランとラリックは、電撃をタップリと味わい、心臓が焼きつくまで痺れた。


「……ふう」二人の騎士の死体の前で、ミュルダールは木の杖に寄りかかる。


「疲れたなー、殺したくなかったからー色々使っちゃったー」



 騎士ユベールのレイピアは、容易くビャクヤのバスタードソードに弾かれた。


 彼女が要塞跡で出会ったのは、まだ若すぎる少年の戦士だった。



 内心喜ぶ。



 ──勝ったも同然ではないか。


 だが勇士の一人にあげられたビャクヤは強かった。ユベールのどんな攻撃も易々とかわし、受け止める。なのに反撃はしない。


 彼女の騎士としての誇りは傷ついた。


「何故攻撃しない!」


 兜をしてないビャクヤの表情が曇る。


「私が女だからか!」


 敵の意図を察したユベールは怒り狂った。いつもそうだった。女だから騎士として認められるのにも大変だったし、相続権のために苦労している。


「舐めるな!」


 高い声で叫んで、ユベールは連続攻撃をかけた。こと剣に置いて彼女はそれなりに自信がある。『宮廷風の恋』とやらにうつつを抜かす騎士達の殆どは、剣の修練などしない。


 ユベールは違う。「女だから」「女だてらに」との言葉に抗うために、必死に自分を鍛えた。


 そこらの男の騎士などそれこそ相手にすらならない、と彼女は密かに誇っていた。なのに、目の前の少年は彼女の剣など大したものではない風に、当たり前に逃れる。


「いい加減にしろ、下郎!」


 ユベールは激した。彼女は勝たないとならない。勝って兄嫁のウィーダと従兄弟のコクトーの姦淫を告発する。


 それによってようやく彼女は領地を持った、本物の騎士となれる。


 騎士とは戦士ではない。領地を持った貴族だ。戦う貴族……故に高い武具と高い軍馬を手にしてねばならない。


 それには領地がいる。領民からの税がいる。馬と装備を整えるために。


 騎士とはとにかく金がかかる。


 ユベールは兄の領地が欲しい。父から相続したちっぽけなそれではなく、兄・ベルリオーズが治めていた大農園が欲しい。


 それがあれば誰も彼女を悪く言う者はいなくなる。むしろ男共を下僕のように従えられる。


 結婚前は父、結婚後は夫の、男の言いなりになり、反抗と言えば浮気ぐらいの貴婦人など真っ平だったし、器量が悪く男達に冷笑されてきた彼女は、有利な結婚も難しかった。

 ユベールは力で身を立てなければならない。 


 なのに第一歩を踏むための戦いに、苦戦していた。 


 敵の少年は優しげな面差しだが隙が無く、しかもこれが大問題だが持っている剣はかなりの魔力を帯びていた。


 勝ったら奪おう、と決めているそれはユベールの連撃に刃こぼれ一つせず、まだ十代半ばくらいの少年の筋力でも簡単に扱えるようだ。


 ユベールは奥歯を噛む。


 ──何故、私の欲しい物はいつも男の手にあるのだ!


 ユベールは兜をむしり取って足元に叩きつけた。体力の関係で息が苦しくなったのだ。


 プレート・メイルは不便で隙が大きい。ユベールは試行錯誤の中でその結論に達していた。


 相手が攻撃しないのなら、一番邪魔な兜は必要ない。騎士ユベールは知らずの内に相手を侮っていた。


「とぅ!」


 裂帛の気合いを込め、彼女はレイピアを突き出す。敵の装備は確認済みだ。所々板金の部分があるが、大半は鎖帷子である。突くレイピアには無意味だ。


 が、ビャクヤとやらは予想していたようだ。


 彼は魔剣でその一撃を防ぐ。


 かきーん。高い音と共にレイピアが折れた。ビャクヤの剣とのぶつかり合いで、かなり劣化していたようだ。



「あ!」眼前の敵が叫んでいた。



 ユベールが最後に見たのは、折れた自らのレイピアの切っ先が、自分に向かって飛んでくる光景だった。




「しまった!」



 ビャクヤはがしゃりと倒れたユベールを抱きかかえた。しかし折れたレイピアは彼女の右目に深々と刺さっており、ユベールはとうに事切れていた。


 呆然とする。女性を殺したくなかった。


「……違うのよー、事故だよー。気にしちゃダメよー」


 いつの間にかミュルダールが隣にいた。疲れた様子の彼女だが、彼の身を案じてくれた。


「ううう」白矢はその場に跪いた。


「すみません……ごめんなさい、ごめんなさい」とユベールの遺体に、何度も謝罪する。


「もうー、この子はー」


 ミュルダールは優しく彼を抱きしめて、有無を言わず唇を重ねた。


 細木織恵が判るはずがないが、二人は今夜も交わうことになる。 



 騎士コクトーは要塞跡の汚れた石の床を、走り回っていた。


 いつの間にか不機嫌そうな騎士マンサールが着いてきていたが、あまり気にしない。


 彼はとにかくマドッグを、ベルリオーズの仇を、討たなければならない。


 己の手で首を手に入れる。


 要塞内では戦いの、聞き慣れた音が響いていたが、いつの間にかそれらは止んでいた。


 コクトーはにやりとする。


 彼は騎士達の勝利を疑わなかった。勇士だか何か知らないが、賎民ごときに高貴な者が敗れるはずはない。


 騎士コクトーは本当に心から信じていた。実際は、彼の仲間が倒されていたのだが。


 コクトーはマドッグを探して、要塞中を見回った。


「よう、捜し物かい?」


 嘲るような声がかかったのは、コクトーが焦ってきた時だった。


 ──他の騎士に遅れを取ったか?


 杞憂だった。マドッグはマンサールを引き連れたコクトーの前に、自ら姿を現したのだ。


「あんたには礼を言うぜ、お陰で他の連中の手の内が判った」


「貴様がマドッグか?」油断無くコクトーは誰何する。


「ああ、そうだ。俺がお前が探していた、噂の騎士殺しのマドッグさ」


 コクトーはマドッグの挑発に乗らなかった。


 彼は別の事を考えていたからだ。


 ウィーダだ。


 ──ああ! 私のウィーダ!


 コクトーはマドッグを前にして歓喜に震えていた。


「ベルリオーズ卿の仇、討たせてもらう」


 だがコクトーの頭の中にはもうウィーダの姿しかなかった。


 騎士コクトーとベルリオーズの妻・ウィーダが出会ったのは、ずっと前だ。


 まだコクトーが従者にもなれない子供の頃、ウィーダはすでに社交界で有名な美少女だった。


 艶めく黒い髪に神秘の泉のような青い瞳、すっと通った鼻に厚めの唇。



 彼女の美貌は美神の最高傑作だと、コクトーは疑わない。



 父に連れられて見に行った貴族のダンスパーティで、一際目立つ存在だったウィーダに、コクトーは幼いながら強く憧れた。


 当然、当時からウィーダに言い寄る男は多かった。

 

 彼女は女神のような微笑みで男達の輪の中にいて、コクトーは自分の背が足りないことに、歯がみした。

 

 ウィーダが従兄弟のベルリオーズに嫁ぐと聞いた時、コクトーの心は嫉妬で拗くれた。


 ベルリオーズは、コクトーに剣の修行をつけてくれた親戚だが、親しみは一瞬で憎しみに変わった。


 美しいウィーダを妻にしたベルリオーズが、許せなかった。


 彼が王宮やらで『宮廷風の恋』を嗜んでいると知ると、憎しみは深まった。


 ウィーダがいるのに他の貴婦人と寝るなど、コクトーには納得できない。


 ちなみにその時、成長したコクトーにも縁談があった。彼も騎士になり、トーナメントや戦で、それなりの活躍をしていた頃だ。


 相手はユベール。ベルリオーズの妹だ。


 コクトーは一笑に付した。


 ユベールは赤い髪を男のように短くし、顔はそばかすだらけだ。そんな醜い女はごめんだ。むしろ彼は、市井の民のように、髪と同色の脇毛を抜かずに生やしているユベールを


『赤い腕』と呼んで仲間と嘲笑っていた。


 コクトーには至高神にも匹敵するウィーダがいる。


 だがそのウィーダはベルリオーズの子を産み、ますます彼の思慕から遠ざかった。


 ──ああ……


 と、だがその時を思うと、彼は神の采配に感謝する。


 出産したウィーダが体を休めるために選んだのは、コクトーの屋敷がある村だった。


 コクトーは勇んで彼女に挨拶をしに行き、彼女に騎士らしく忠誠を誓った。


 二人が男女の仲になるのは必然だった。


 ウィーダは奔放な夫の『宮廷風の恋』に傷ついていたのだ。ちなみにコクトーはウィーダの方の奔放で破廉恥な噂は一笑に付した。


 コクトーは神に感謝し、子をなして丸みを帯び始めた麗人を抱いた。


 そうなると彼は苦悩し出す。



 ウィーダを自分だけの物にしたくなった。



 だがその話しをすると、彼女は微笑むだけで何も答えてはくれなかった。


 しばしの月日の後、ウィーダとベルリオーズの子、エルンストは無事に育ち彼女がベルリオーズの城へ帰る事となり、コクトーは再び嫉妬の暗黒に落ちた。


 それからの彼は鬼になった。


 ベルリオーズからウィーダを奪う為に遊歴し、各地で行われるトーナメントには必ず出場した。


 騎士コクトーの名は、ベルリオーズほどではないが、それなりに知られるようになっていった。


 そんな折、ベルリオーズが死んだ。無様に賎民に殺された。


 コクトーは勇躍し、ベルリオーズの復讐を買って出た。ウィーダの熱い瞳を見つめながらだ。


 勇士決闘か何か知らないが、コクトーはコンモドゥス王に感謝したい程だった。


 ベルリオーズの仇を討てばウィーダとの再婚について、誰も異議を唱えないだろう。


 そうすれば彼は美しいウィーダと、ベルリオーズの所有していた広大な領地が手に入る。


 人生は大きく好転する。彼も自分に当てられた小さな領地では、騎士をするのも一苦労だった。


 そう、ベルリオーズの仇を討つ。


 ──ウィーダと自分のために。


 相手はもう目の前にいた。


 冒険者か何か知らないが、所詮賎民のマドッグだ。


 革鎧姿のマドッグは興奮に顔を紅潮させるコクトーと対照的に、乾いた目で二人の騎士を眺めていた。


「覚悟しろ! マドッグ!」


 コクトーは剣を抜き、共のマンサールにも剣を抜かせた。


 歓喜に震えるコクトーが踏み出す……踏み出そうとした。


 マドッグはあっさりとクロスボウを取り出し、レバーを引いて撃った。


 金属のボルトが、コクトーの腹に命中する。


「ぐふ!」コクトーは唖然とした。唖然としながら下を見て自分の血を確認した。


「……貴様、卑怯な!」


「はあ?」くくくとマドッグはせせら笑う。


「卑怯? これはルールのある勇士決闘じゃないし、お前らお得意の茶番の戦ではないんだぜ」


 騎士達の戦ではクロスボウや大弓は禁止されている。卑怯である、との理由だが、本当は、彼等のプレート・メイルもクロスボウや大弓には貫通されてしまうからだ。


「馬鹿なお話しだぜ」マドッグは肩を震わせた。


「お前らが戦と称するお遊戯にはルールがあるらしいが、本当の殺し合いにそんな物は存在しない。そしてこれは本当の殺し合いだ」


 マドッグはクロスボウの二射目を放った。


 コクトーの胸に突き刺さる。板金鎧など無意味だ。


「……確かに、勇士とされたベルリオーズは強かった。戦でよく目にしたさ、お前みたいな雑魚と違い、奴は戦いの本質を悟っていた……ただあいつもどこか騎士であることが抜け切れてはいなかった」ここで彼は言葉を切り、



「騎士は強いんじゃねえ! ただ硬いんだっ!」と叫ぶと、口元を緩めた。



「……と、俺の知り合いがずっと言ってたぜ……その通りだと思う」


 コクトーは深手の中、となりのマンサールに救援を求めた。だが経験の浅い若者は、がたがたと鎧の鉄を鳴らしている。


「私を殺すつもりか? 賎民よ」


「殺されないとでも思ったか? 騎士様」


 コクトーはマドッグの返しに慄然とした。彼は騎士は簡単に死なない物と、信じていた。


 敵に捕まっても大抵は身代金で済む。戦場では厚いプレートメイルが、武器を弾いてくれる。


 コクトーはトーナメントでは有名人だが、ベルリオーズのように本当の戦、混沌の勢力との戦いには参加していなかった。 


「……ウィーダ」今更唇から愛人の名がこぼれ落ちるが、実は遠い地で彼女は、次の愛人と愛を交わしている真っ最中だ……コクトーが知るよしもない。


「……わ、私を殺したら他の騎士達が復讐にやってくるぞ」コクトー自身苦労したのだが、声の震えは止まらない。


「生かしても同じだろ?」マドッグは冷ややかだ。


「な、仲間達が必ずお前を引き裂く!」


「仲間って誰だ? 連れてきた奴ら以外いるのか?」


 マドッグの問いにようやくコクトーは周囲を見た。いるのはブローデル、ミュルダール、ビャクヤの選ばれた勇士達……では彼の仲間の騎士達は?


「マドッグ殿、そなたのせいで私も騎士殺しになってしまった」


 ブローデルが顎髭を掻きながら非難する。


「まあまあ、そう言うな。ちゃんと考えてある」


 コクトーは絶望し、ようやく勘違いにたどり着いた。


 賎民とか貴族とか騎士とか王など関係ないのだ。戦いでは弱い者が殺される、それだけだ。


「待ってくれ……判った、お前達から手を引こう。私も少し頭を冷やす」


 マドッグは笑顔を引っ込め、真顔になる。


「誰が信じるか」三発目のクロスボウのボルトがコクトーに当たった。兜を被った頭を撃たれ、彼は二度と愛人に会えずに、冷たい石の床に転がった。


「お前の言うとおりだな、ルベリエ……騎士は奪うことに慣れすぎて奪われることを考えていない……」


 

 ミュルダールはビャクヤを抱えながら、たった一人残り、震えている若い騎士を哀れに思った。


「ねー、この子ーどうするのー?」


 だが答えは決まっている。 


 マドッグの視線が、先程から硬直しているマンサールに向く。


「わ、私は……関係ない! 元々戦うつもりはなかった! そもそも私の父はコンモドゥス王よりリキニウス公派なのだ……も、もちろん、身代金は払う。それでいいだろ? 貴様らを傷つけたわけでもない。そもそも私はこの戦いにも反対だった」


 ビャクヤの重さを肩に感じているミュルダールは、顔を険しくする。彼女は忘れていない、先程自分を強姦しようと勇んでいた彼の姿を。


「ふん」とマドッグは一蹴した。


 騎士は敵味方複数の領主と契約していて、こうして不利になると簡単に裏切る。だからミュルダールも彼を信じない。


「私の家からも復讐者が出るぞ! さすがの貴様らでも何人もの騎士を相手に出来まい!」


 マンサールは精一杯凄んでいる。


「国からー逃げちゃうもーん」とミュルダールが考えを軽く口にした。


「追う、絶対に逃さない、だから私を殺してはならない」


「ふう」とマドッグは頭を掻く。


「なあミュルダール」と彼は魔道士に尋ねた。


「こいつらの死体、身元が分からなくなるまでに出来ねえか?」


「出来るー。つまりはー消し炭にすればいいー。証拠隠滅ー」


「で、ブローデル。教会はそれでも復讐権を認めるかな?」


 彼は重々しく首を振る。


「かつて騎士達の復讐の連鎖は過激になりすぎましてな、今はエルジェナの慈悲、と言う法があり、確たる証拠と証人がいないと復讐権も認められません」


「決まりだな」


 マドッグが頷くと、若き騎士マンサールの目が大きく見開かれた。


「あーあー、かわいそー」ビャクヤを抱きしめるように支えるミュルダールが嘆いた。




 全ての後片づけが終わり、マドック達四人の勇士が、また一堂に返していた。


「これで騎士殺しはなしだ」


 六つ消し炭を要塞近くに埋めたマドッグは陽気に宣言した。


「あんまりー、いい気分じゃーないなー」疲労で顔色が悪いミュルダールが唇を尖らせる。


「とにかく、俺達はこれで決闘に専念できる」


「どうしても、やるんですか?」


 ビャクヤの問いに、肩をすくめて見せたマドッグは、


「やらないとお前はブローデルから情報を聞けないだろ? ミュルダール、だからあんたは俺とだ」


「はあー」ミュルダールは吐息し、「あんましー、あんたはー、好みじゃないのよねー」とそっぽを向く。


「仕方ないさ」マドッグはどこか投げやりだ。


「では、ビャクヤ殿。私の相手はそなたでよろいしか?」


「……はい」ビャクヤはしばらく唇を噛んでいたが、決心したのか頷いた。


「ミュルダール、決闘は明日の夕方、場所は南の街道だ。見届け人は俺が探す」


「はー、もー好きにしてー」


 ミュルダールはうんざりしたように、丸投げする。


「ビャクヤ殿」ブローデルは少し体をすぼめて詫びた。


「すまぬが、私には務めがある、決闘は三日後でよろしいかな?」


 彼等は何か言い合っているが、マドッグは密かに考えることがあった。


 かっぱぎだ。


 騎士達の大仰な鎧と飾りのついた剣は、魔法で燃やすのに邪魔だから外している。それを売ろうと彼は考えている。勿論、彼等がここまで乗って来た軍馬もだ。


 それらはかなりの額になるはずだ。普通金貨五〇〇枚が相場だろう。


 ソフィーにそれで『英雄的治療』に使う薬と、浴場で医療も施せる。ついでに新鮮な肉も、ライ麦ではないパンも買える。


 マドッグは、たった一人の家族であるソフィーを幸せにしてやれる幸運に、一人心が浮き立っていた。



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