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異世界転移者

勇士決闘、の続きです。


異世界転移キャラ登場です。

  第四章

 

 金属製の鎧はとても着たまま旅など出来ない。盾は大概木製か革製で、金属の盾は小さくて熟練しなければ使えない。さらに盾は重くかさばり、これも持ち運びに苦労する。

 

 皆部白矢みなべ びゃくやがこの世界で学んだことだ。

 

 彼はその時分の男の子がそうだったように数年前出たばかりの家庭用のゲーム機に夢中で、特に中世ヨーロッパをモデルにしたRPGは大好物だった。


 だがそのような世界に飛ばされ、嫌と言うほど思い知った。


 ただただ不便なだけだ、と。


 彼は木の盾を肩にかけ、鎧の入った袋を背負って肺を震わしながら歩いていた。 


「大丈夫? 皆部くん」


 一緒この世界に来た細木織恵ほそき おりえが心配そうに声をかけてくるから、無理に笑顔を作る。


「ああ、大丈夫。細木さんも足元に気を付けてね」


 白矢はあまり馴染まない牛の革のブーツを慮るフリをする。実は全然大丈夫じゃない。


 彼がこのアースノアで思い知ったのは、男の子は体力だ、との事実だ。


 RPGのドラゴンなんちゃらは適当に魔物をボコればレベルも上がり、移動なんて十字ボタンぽちっだが、現実は重い鎧やらを持ち運ぶのに少し歩いては休みまた進んで休みの連続だ。


 ならば着て歩いても、と考えると痛い目に遭う。


 白矢の鎧、板金と鎖帷子のそれはすぐに熱がこもり、着用し続ければ熱中症で倒れてしまう。


 鎧は戦場だけで着用、盾は偉いさんの物で『盾持ち』が持つ。


 それが常識だ。


「……あとどれくらいで帰れるのかな」


 織恵は大きな瞳を伏せる。


 仕方ない……と肩の痛みに耐えつつ白矢は頷く。もうこのアースノアとやらに飛ばされてから三ヶ月経つのだ。


 本来なら彼等は高校生になっている筈だった。


 三ヶ月前の中学校卒業式、その日彼等は世界の境界線を越えた。卒業式のセレモニーに教室から移動しようとした瞬間に。


 二人だけではない。


 昭和63年度北海道札幌西中学校の三年四組二八人全員だ。


 三年四組は神に『選ばれた』存在だ、と初めて出会ったエルフに告げられた。


 当然、最初は皆戸惑い途方に暮れた。だが札幌西中学校の三年四組の生徒は、幸運にも仲がよかった。当時社会問題になっていたイジメもなかったほどに。


 だから自然に何とかしようとの気運が高まり、彼等の冒険が始まった。


 来たばかりは本当に何も出来なかった。剣を持つ手は豆だらけになり、この世界に来た途端魔法を授かった者は呪文を間違え、散々だった。


 だが一ヶ月過ぎる頃にはそれにも慣れ、三年四組二八人は世話になった村人の助言通り冒険者ギルドに登録し、小さな仕事をこなしながら力を蓄えた。


 まだ一五、六の少年少女達だったが、彼等には二八人の数その物が有利に運び、多少の無理が利いた。


 そこまでで三年四組の幸運は尽きる。


 二ヶ月が経過し少し慣れてきた頃、ついに致命的な事態が起こった。


 簡単な依頼なはずだった。


 村の外れに出来たコボルドの巣を潰してくれ。


 コボルドとはは虫類と人間の間にあるような怪物で、何の用意もない村人には脅威だが一ヶ月間修行を積んだ武装した冒険者の集団には楽な相手だ。だったはずだ。


 実際、コボルドとの戦闘は楽だった。彼等は足りない力を、邪悪な知恵で補っているだけの怪物でしかない。


 二八人の数の暴力には耐えられない。 


 だがその巣……洞窟の深奥で三年四組は出会ってしまった。



 悪魔だ。



 炎を纏い、鎖で攻撃する地獄からの使者。


 激戦……皆部白矢はそこで死を覚悟した。それ程の相手だった。


 結局、悪魔は数に押され去っていったが、そこに二つの死体が残った。


 加藤勝かとう まさる岡部伸次郎おかべ しんじろう


 二人とも前衛で優秀な戦士とレンジャーだった。


 だからこそ二人は皆を守るために奮戦して……顔面と腹を引き裂かれて死んでいた。


「あ、あああ」誰が最初に声を出したのか、白矢は覚えていない。もしかして自分の喉から漏れたのかも知れなかった。


 訪れる愁嘆場。


 誰もが己の力のなさを呪い、他人を責め、二つの死体の前でパニックを起こした。


 どれぐらいの時が過ぎたか、ようやく洞窟が危険だと判断がつくようになった三年四組は、とにかく二人の遺体を布にくるんで移動した。


 一行は拠点にしていた村に戻り、何とか馬小屋の隅を借り二人を安置した。


 茫漠の時間が流れる。


 まさか自分達が死ぬ、死の危険があるとは誰も考えていなかった。


 白矢もだ。彼もそれまでどこか楽しい旅行気分で、今までの勝利が運だけだとは思わないでいた。


 結果……皆頭を抱えた。


「どうしたらいい?」


 その言葉が誰の口からも発せられた。


 とんでもない失態だ。二人は死んだのだ。このまま『使命』とやらを果たしても帰るにも二人足りない。否、そもそも生きて『使命』を果たせるのか。


 三年四組は荒れた。初めて喧嘩し衝突し、傷つけあった。


 全く無駄な時間だ。言葉では何も変わらない。


 だがここで一つの情報がもたらされる。気晴らしに街に繰り出した連中が聞きつけた。


「ローデンハイムに死を超越した魔道士がいるらしい」


 死を超越……それは死者を蘇らせる事では?


 皆はその報に食いついた。だが村人に確認するとローデンハイムは遠い、とても大所帯で行ける場所じゃない。


「加藤君と岡部君はここに置いたまま? 見て無くていいの」一部の女子の発言だが、これはもう旅はうんざりだと変換する。


 結局手を挙げたのは皆部白矢だった。


「まず俺が一人で行って情報の真偽を確かめよう」


 誰もが賛成した。そこに皆の本心があると見抜きながら、白矢は決意する。


 そこにもう一人加わるのは、彼が旅支度を終えた頃だった。


「一人じゃ危ないから」と主張したのは細木織恵だ。


 反対の声が多数上がる。特に彼女に内心惹かれていた男子生徒から。


 織恵は頑として譲らなかった。反対者達が折れる。


 実はここで皆部白矢は不安を感じた。


「なら俺も……」との声が全くなかった。


 ──もしかして三年四組はもう瓦解しているんじゃ……


 だが背中に不信感を持って旅は出来ない。


 全てを振り切って、皆部白矢と細木織恵は旅立った。白矢は戦士、織恵は吟遊詩人のクラスをこの世界に来た瞬間に与えられていた。


 旅は辛苦の連続だった。


 白矢が体調を崩したり、織恵が病気になったり。


 そもそも白矢も織恵も一九八〇年代の日本の少年少女に過ぎない。道も舗装されていない大自然の中を、重い荷物を持って旅するなんて初めての経験だった。


 二人は何度も食べ物に水にあたり、密かに吐いて密かに下痢を処理して耐えた。


 織恵は年頃の女性だったから月の物もあったが、「何でもない」と青い顔でバレバレの嘘をつき誤魔化していた。


 追い打ちをかけるように、大して渡されていない路銀は簡単に尽きる。


 仕方なしに二人は旅の方々で冒険者ギルドに顔を出し、楽な仕事を選んでこなしながら進むことにした。


 勿論、冒険者の常識、敵からのかっぱぎを行いながら。   


 傭兵として戦に参戦したのも路銀の関係だ。


 二人は知らないが、いつの間にかそれらの功績は人々の口の端に上り『旅をする異世界人』の噂は広がった。


 不幸なことに。


「街だよ、皆部君」


 織恵が弾んだ声を出し、白矢が顔を上げる。


 真ん中に川が入っていく市壁があった。今までの経験からその街がそれなりに大きいと白矢は判断する。


 となると宿もあり、運がよければ浴場もある。


 彼が気にするのは傍らの少女だ。


 細木織恵には感謝している。本当なら彼一人の旅の筈だった。


 そうだったら、とうの昔に白矢は街道の隅で朽ちていただろう。


 車も自転車もない徒歩の旅、特に戦いながらのそれは過酷だ。


 白矢は現代日本がどれだけ住み心地がよかったかを再認識した。


 まず買った食べ物を慎重に観察しなくてもいい。この世界の食べ物屋はいい加減で腐っていたり、何やらの菌が付着していたりと、彼等は散々な目に遭ってきた。



 最悪なのは、外れた時だ。



 駆け込む病院もないしトイレもない。道を外れて嘔吐するかしゃがむか二択だ。


 一人だったら元の世界とのあまりのギャップに精神が壊れていた。二人だったから支え合い看病し合い、何とかここまで来られた。


 だが、織恵は女の子だ。しかも思春期まっただ中の多感な少女だ。


 毎日シャワーで体を洗い髪を洗い、毎日清潔な水で、顔を洗い歯を磨く生活が常識だった少女に、風呂の少ないこの世界は酷いはずだ。


 細木織恵は文句は言わない。


 ただ黙って着いて来て、時には力を貸してくれる。


 彼女とは幼稚園からの幼馴染みだが、ここまで強靱であるとは思っていなかった。


 白矢と織恵は、ようやくたどり着いたサイレスの街の門を、わくくわくしながらくぐった。


 二人きりの旅は心細いし油断ならない。


 何度も危機に見舞われた。


 白矢は疑り深くなり、ずっと緊張感を持ち、張りつめてなければいけなかった。


 人のいる街がこんなに嬉しく感じるのは、彼等がこの世界に馴染んできた証拠でもあった。


「この街人が多いね、どんなお店あるのかな?」


 織恵がこんなに機嫌がいいのはしばらくぶりだ。彼女は早足で市場が開かれている広場に向かい、白矢は苦笑して追いかける。


「わあー、綺麗な服」


「お嬢ちゃん可愛いね! どうだい安くしとくけど」


「うーん……寸法合うかな……」


 唇に人差し指を当て考えるフリをする織恵は、やはり女の子だ。


 彼女は知っているはずだ。今見ているふりふりのドレスなんて買う余裕がない、と。


 そもそも買ったところでこの過酷な冒険の中のどこで使うのか、彼女は、女子の嗜みのウインドゥショッピングをしている。


 思わず活気の中にいる美しい織恵に目を奪われ口元を緩める白矢だが、織恵がこちらの様子にはたと気付いた。


 途端、楽しみなど無かったように無表情になり、つかつかと歩み寄ってくる。 


「……何も必要な物はありませんでした。よければ行きましょう皆部君」


 白矢は消沈する。いつからか彼女がこうして他人行儀な接し方をするようになった。あるいは、中学時代もそうだっただろうか。


 幼馴染みでずっと一緒の織恵は、昔は「白矢」と笑顔で呼んでくれた物だったが。


「……そうだね」


 白矢はもやもやを隠し、同意する。


 まだ太陽は頭上にあったが、広い街だ、迷っている内に夜になる、は勘弁して欲しい。


「宿屋をさがしましょう」


 織恵が平坦に提案するが、白矢は考えた。


「いや、まず冒険者ギルドに行こう。この街の概況が知りたい」


「そうですね」との織恵の返事を待ってから、白矢は視線を周囲に走らせた。冒険者ギルドの特徴的な看板を探すのだ。


 すぐに見つかった。


 これは驚くべき事だ。冒険者とは仰々しい名ばかりの存在であり、実態は碌に職にも就けないつまはじき者ばかりだ。


 この世界に来て一番白矢ががっかりしたのは、冒険者の地位の低さと質だ。


 一攫千金を夢に……何て甘い台詞を吐いているが、実態は追い剥ぎで、殺した怪物から装備を奪って売るのがメインな、どうしようもない職業だ。


 まあ、ギルドの依頼料だけではやって行けないのと、強力な魔物に対して人間はあまりにも無力なのが、原因なのだが。


 とにかく、立ち寄った様々な街の冒険者ギルドは小さく、所によっては衛兵詰め所にもなっていて、決して歓迎された風はなかったのだが、サイレスの街は違うらしい。


 二人がギルドの扉をくぐると、遠慮会釈ない視線が集まった。


 仕方ない、と白矢は諦めている。


 何せ二人は異世界人だ。この世界の平均的な人種とは異なる。最初は気にして神経質になったが、今や好奇の目にも慣れた。


「この街の状況を教えて欲しい」


 白矢は固い声でギルドの受付に話しかける。こういう情報の大切さは身に染みていた。


 受付の禿頭の男は、ぽかんとしながら白矢を上から下まで観察し、口を開いた。


「……あんた、ビャクヤかい? 異世界人の」


「そうだけど」白矢は眉間に皺を作る。


 最近、冒険者や傭兵として働きすぎたために自分の名前が広がっているとは自覚していたが、いきなり冒険者ギルドの者の口から出ると、警戒してしまう。


「こりゃあすげーや!」


 声は背後から上がった。


 振り向くと、今までただ見ていた冒険者達が興奮している。


「あんた、ここに来ちまったか」


「うん?」


「運が悪いなあ……可哀相に」


「どういうことですか?」


 訊ねたのは織恵だ。珍しい、彼女はあまり冒険者ギルドのごろつきと話したがらない。


「そうか、知らないのか」


 受付が何度も頷く。


「いいかい、この国では今、勇士決闘というものが行われているんだ……」


 彼は勇士決闘のルールと賞金、今の状況を白矢に伝えると、結んだ。


「つまり、他の冒険者があんたを狙ってくるんだビャクヤ、判ったかい?」


「な……」白矢は唖然とした。織恵も同様のようだ。


 彼が冒険者ギルドに登録して、今までこうして顔を出していたのは安心があったからだ。


 ごろつき達でも仲間内は手を出さない。そんな暗黙のルールが冒険者達には存在していた。存在していたはずだ。


「何ですかっ! それ」


 声を荒げたのは織恵だった。


「どうして白矢……皆部君がそんなことをしなければならないの?」


「俺達もよく判らんのだが、王様の思いつきらしい」


「何のために?」


「誰が一番強いかを知りたいんだろ」


 織恵はその答えに愕然としているが、白矢は呆れた。そんな下らない理由で冒険者同士を殺し合わせるのか。


「用心しろ、小僧」


 冒険者の一人が肩を叩く。

「この街にはマドッグって言う冒険者がいる……まあまあいい奴だったんだが、勇士決闘の件でどうにかなっちまって、恨みもねえ騎士を殺したり……今度は相棒のレイチェルも殺した」


 彼は忌まわしい話でも語るように、顔を歪める。


「ああ、俺もアイツにはがったりしたぜ。少し憧れていたんだがな」


 同様の頷きが冒険者達の中で起こるが、白矢はそれどころではない。


 つまり、マドッグとか言う奴に狙われる可能性大なのだ。


「早くこの街から出な、悪いことは言わない」


 ギルドの受付に哀れんだ目を向けられ、二人はその場を辞した。


「いったいどういう事よ!」


 織恵は荒れていた。


「どうしてそんな馬鹿なことを」


 彼女はぶつぶつと繰り返し、燃える瞳で白矢を見つめる。


「もうこの街から出ましょう! 余計な争いは無意味だわ」


 だが白矢はそんな織恵の顔を、じっと見つめた。


 白い顔に疲労の色がはっきりと出ていた。ここまでの野宿が応えている。あるいは数日前食べた果物でお腹を下したのもあるかもしれない。


「でも、今日くらいは宿に泊まろう」


 白矢は優しく提案する。


「…………」織恵は反論しようとしたのか口を開いたが、ややあって顔を背ける。


 無理をしては元も子もないのだ。


 白矢は街の真ん中を流れる川に沿って歩く。彼はもう経験として知っている。


 大体宿屋とは川沿いにあるのだ。……ある目的から。


 その通り、彼等はすぐに宿屋の看板を見つけた。


 木と石で造られた三階建ての建物で、一階は当然酒場になっているよく見る形の宿だ。


「あったね」しかし声をかけた織恵の表情は、優れない。


「そうね」と答えながら、じっと宿屋の外観を目でなぞっている。


 白矢はため息を吐いた。


 この世界に来て少女達が最も苦しんだのは至る所の不潔さだ。床は藁の敷かれている木造で掃除の気配もない。


 出てくる食器には前に使われた食べ物がついている。ベッドは干し草の上にシーツをかぶせただけで、それも一日横になると全身虫に食われて、かゆくて溜まらなくなる。極めつけはトイレだ。


 白矢は宿屋の汚れた木の壁を見つめながら、せめて中にトイレがあるように、と祈った。


 街の建物だとしても基本的にトイレは外だ。


 街の外れにある共同のトイレ……しかもそこは一九八〇年代の女子が泣くほどの有様である。


 ただ壺が置いてあり、その上の板に乗ってする。トイレットペーパーは運がよければ干し草があり、無ければ自分でどうにかする。


 しかも男女共用であり、途中で見知らぬ男が入ってくるなんてざらだ。

 

 臭いや衛生面については、記す必要がない。


 恐らく織恵はそんな地獄のようなトイレを思っているのだろう。ただそれについて多分ダメだと白矢は踏んでいる。


 こうして川を背にしているのだ。恐らく部屋に木で造られた桶形のおまるがあり、それにして川に放る仕組みだろう。


 当然、この仕組みが一番女の子に評判が悪い。何せ人前で排泄しなければならない。彼女らの矜持を切り裂く代物のはずだ。


 とにかく沈み気味の織恵を伴い、白矢は酒場へと入った。


 どんなベッドでも野宿よりはマシだからだ。運がいいと風呂がある事もある。


 まだ陽があるのに酒場の中は暗い。


 明かりとなる蝋燭がほとんど無く、光源は開けられた窓だけに等しい。目をこらし何とか様子を窺うと、数人の男が日も暮れていないのに酒を飲んでいた。


 よくある事だ。


 酒場の隅で目つきの悪い男達が、カードゲームに興じているのもよくあること。


 白矢は気にせず、しかし織恵を庇うように背にして酒場を進んだ。


 視線を感じた。だがお馴染みだから無視する。当然という顔をしていれば何とかなる物だ。


 だが今回は違った。



「見たことのねえ顔だな」



 笑いを含んだ野太い声と、太い足が彼等の行く手を遮った。


 白矢は視線を向け内心ぎょっとする。


 大きな、白矢よりも頭二つ分でかい巨人だった。体は筋肉でぱんぱんに張り、それを誇示しているのか、上半身は殆ど裸で下半身も腰だけに革の衣服を纏っている。


 だが何よりも彼の心を強く潰しかけたのは、男の顔だ。


 醜くかった。


 顔の造作とかそう言う問題ではなく、野獣と人間の間のように低い鼻は上がり、口はでかく、目は小さい。さらに下の歯の一本が長く尖り唇からはみ出していた。


「へ、どうした? 何をびびってやがる」


 恐らく白矢の内心を喝破したのだろう、男はまだ笑っているが目に凶暴な光が灯っていた。


 ──どうする?


 白矢は素早く周囲を見回した。


 酒場の反応は二種類、無関心と興味深げに何かを期待している目だ。 


 この世界に来てこういう輩に出会ったことなど、これが初めてではない。ここは昭和63年の日本ではない。どんな犯罪もやった物勝ちな意識が残る世の中だ。


 自分の身は自分で守る。暴力にはもっと大きな暴力で。


 白矢は無言で男を子細に観察した。自分が勝てる相手なのか。


 だがその前に男は織恵に、視線を移していた。


「ほー」と打って変わって上機嫌な声を出す。


「えらく別嬪な女を連れているじゃねーか。お前には不釣り合いだな」


 白矢は震える織恵を庇うように、一歩前に出る。


 彼女が目を付けられるのもこれが初めてじゃない。


 細木織恵は美少女だ。


 元いた世界でもクラスで一番人気のある女子生徒だったし、高校生から、何を考えているのか大学生からもラブレターを貰っていた。


 ぱっちりとした輝く大きな瞳に、高くも低くもない絶妙な鼻梁、小さな桜色の唇と天の川を宿した漆黒の髪……その時分ブラウン管の中で流行っていた、沢山の少女達が部活感覚で歌うグループなんかより、彼女一人の方が誰よりも学校で人気があったし、近所でも評判だった。 


 その魅力は異世界でも変わらなかった。否、彼女を狙う目はより多くなった。


 異人種であることが珍しいのか、旅の最中、立派な服を着た男に、いくらなら売ってくれるか? と何度も持ちかけられた。


 その度に無言で剣を抜き追い払ったが、今回はその程度で済むのかどうか。


「よう、お嬢さん。俺と遊ばないか? 楽しいことして俺の子を産んでくれよ」


 下卑たにやにやを浮かべて、男は立ち上がった。


「へへへ、鳴き声を聞きたいぜ」


 織恵は一五歳にしては発育しすぎている体型を隠そうと、白矢の背中に張りつく。


「それ以上の無礼は許さないぞ!」


 戦いを白矢は決断した。腰のバスタードソードの柄に手を置く。


「なんだとー? ガキめが」


 男も応じて手を彷徨わせるが、彼には武器がなかった。重い武器を酒場に持ってくる者はそうそういない。白矢の決断もそれを見越していた。


 男の顔がさらに醜く歪む。


「ち、武器がねー」


「で、どうする? 武器がないと逃げるのか?」


 ここで白矢が相手を挑発したのは激発を狙ったからだ。そうすれば武器使用は認められ、衛兵やらにも説明できる。


 現に男の顔はどす黒くなり、小さな目は血走る。


 が、白矢の策はすぐに破綻した。


「おいおい、ボガート、もめ事ならよそでやってくんな」


 酒場の店主が間に入ったのだ。


「若いの、おめえもだ」


 白矢は舌打ちした。これでボガートとか言う奴に退く口実が出来た。プライドを傷つけなくこの場を逃れられる。


「そう言ったことなら仕方ないな」


 ボガートは余裕と笑みを取り戻す。


「この借りは後で返すぜ、ビャクヤさんよ」


 白矢は仰天する。この男に名乗った覚えはないのだ。


「へっ、テメエ達アレだろ? 異世界から来た奴……俺はボガート、テメエと同じ勇士決闘に選ばれたモンだ」


 ボガートは下の牙をさらにむき出す。


「へへ、勇士決闘なんて興味なかったが、こんないい女が着いてくるなら別だ……今度会ったとき、楽しく決めようじゃないか。その女にはどちらが相応しいか」


「ふざけるな! それは関係ないだろ!」


「うるせえ! 俺は欲しい物は必ず手に入れる……力でな、女! 体でも洗ってな」


 もういいと白矢は斬りかかろうとしたが、背後から必死で織恵がしがみついていた。


「ダメ! そんな事をしたら衛兵に捕まっちゃうよ!」


 へへへ、と薄気味悪い笑みを残し、ボガートは去った。


 その背が消えてから織恵はぺたんとその場に跪き、震える肩を抱く。


「大丈夫か?」との白矢の質問に「う、うん」とは答えるが、彼は彼女を二階の宿まで運ばなければならなかった。


 最悪の出だしだった。この街にはあまり長居できそうにない。勇士決闘にボガート。座したままでいられる案件ではない。


 嘆息が止まらぬ白矢だが、街の宿はいい方で、二人の憂いが少し和らいだ。


 二人部屋の個室だ。


 この世界ではとても珍しい形式だった。


 普通の宿、彼等がこれまで通り過ぎてきた所は個室ではなく、ベッドが置いてある部屋に誰がいようと、通されるだけだった。


 だから相部屋など当たり前で、時にはベッドの数より泊まる人の方が多かったりした。正直これには参った。


 何せこちらには年頃の少女がいるのだ。しかもさっきのような厄介ごとが起こる見目麗しい娘と。


 白矢は相部屋になった男達に警戒して、碌に眠れなかった。


 それがもし旅の娘達でも、油断できない。


 今度は織恵がぴりぴりした。何せ彼女らは平気で部屋のおまるに大小便をする。もちろん局部を丸出しで。


 白矢はその気まずい瞬間と臭いにどうしていいか判らなくなり、どうしてか顔を赤くして怒る織恵に、部屋から叩き出された。


 不便な世界である。


 白矢は織恵を藁にシーツをかぶせただけのベッドに降ろすと、自分もそのとなりのベッドに腰を下ろした。


 ショック状態だった織恵だが、芯の強い娘である彼女は、すぐに何もなかったように立ち直り、ただ四角い穴だけの窓から街並みを見つめた。


「加藤君と岡部君……大丈夫かしら」


「うん、きっと大丈夫さ。このローデンハイムのどこかに死を超越した者がいるらしい。その人にあえば」


 織恵の顔がぱっと明るくなる。


「またみんな……二八人で旅が出来るのね」


「ああ、だからもう少しだよ」


 皆部白矢は倒れるようにベッドに転んだ。


 ただ体勢を変えただけのつもりだったが、いつの間にか彼は深い眠りに落ちていった。

 


 細木織恵は白矢が眠ってしまったのを確認すると、深いため息を吐いた。


 本当にこの男は女心が判らない。彼女は眠っている彼をたたき起こしてこんこんと説教をしてやりたい欲求に耐える。


 彼女に取ってこの世界は残酷だ。女の子にとっては。


「いつになったら帰れるんだろ」ぽつりと呟く織恵は、ここから先の頭痛くなる日常と、ここまでの黒歴史として忘れたい日々を思った。


 乙女の生命線である真っ当なトイレも風呂、シャワー、洗面所もなく、あるのはおぞましいほどに汚れて臭う、共同のする所……織恵はそこをトイレを認めない……トイレットぺーパー代わりの干し草があればいい方で、無ければ密かに繁みから千切ってきた葉っぱを使う……綺麗に拭えているとは思わない。


 道ばたには排泄物や生き物の死体が転がり、常に不快な臭いに悩まされる。だからせめて体を流そう考えるが、風呂や浴場はあったり無かったりする。


 大きな街には比較的に浴場施設はあるが、開いているのは朝で、性病の蔓延や風紀の乱れにより、施設も減少しているらしい。 

 

 地獄だ。

 

 問題はまだまだ続く、食事だ。食事は豆のスープか肉で、どちらも不味い。スープは水みたいで、肉は臭みを取っていないのか、とにかくワイルドだ。それを手づかみで喰らう。


 口元をべちゃべちゃに汚しながら、食べる。


 スープには木のスプーンがついているが、それも大概洗われていなく汚れている。


 お陰で何度食中毒になったか判らない、


 きっ、と織恵は、幸福そうな白矢の寝顔を睨む。


 一緒に行くと決めたのは一人では大変そうだったから……幼馴染みの情けだ。


 なのにこの男と来たら、乙女の見てはならない所に首を突っ込む。


 吐いている時や下痢や、生理の時はそっとしていて欲しい。


 心配してくれるのは嬉しいが「大丈夫?」とか覗きに来ないで欲しい。大丈夫なわけがないのだ。 


 同室の少女達が……年頃もあまり違わないだろう彼女たちの神経も判らないが……桶をトイレとして使っているのに、近くでうろうろそわそわしないで欲しい。


「それは見てちゃ駄目なところでしょ!」あの時は本当に殺意が沸いた。


 だから彼は感謝すべきだ。今生きているのは織恵が止まったお陰なのだから。


 二人の関係がどこかぎくしゃくしているのは、白矢の無神経に織恵が怒り狂っているからである。


「まあ確かに、こんな世界での女の子の扱いなんて判らないか」


 はあ、と彼女は再びため息を吐いた。


 暗澹たる気分になる。


 自分の口臭が判った。歯磨きしたい! と心から願う。そうじゃないと白矢ともあまり会話できなくなし、虫歯も心配だ。


 こんなはずじゃなかった。白矢の前では色々汚くて臭い彼女ではなく、綺麗でいい匂いの女の子でいたかった。なのにこの旅で絶望的にそれは崩れた。


 ──どうしてこんなことに……


 織恵は頭を抱えてベッドにごろごろ転がった。と足が何かに当たった。


 さっと彼女の顔が青ざめた。


 おまるだ。


 この宿は個室がある等、他の宿やりはマシだ。ただ、ほんの少し、些細な違いだ。


 宿の傍ら、窓の下には川が流れている。このおまるは部屋のトイレだ。ここにして川に投げる。


 織恵は身震いした。


 できるはずがない。例えする時白矢を部屋の外に出しても臭いはどうするのだ?


 細木織恵はオレンジに染まる空を窓から見上げ、共同トイレを探すことに決めた。



 という訳で細木織恵は宿兼酒場から外に出た。


 用心はしているつもりだ。何せこの世界は争いは絶えないし、女性の扱いは雑を通り越して乱暴だ。


 本来なら白矢を起こして……なのだが、トイレを探すのを頼むなど、思春期女子の誇りにかけて却下だ。


 ──一人で大丈夫よね?


 夕闇の中、織恵は一つ頷く。


 何せ彼女は、この世界に転移した時に、アースノアの神々からクラスを与えられていた。


 吟遊詩人……イマイチ強いのか弱いのか判らないが、魔法を少し使える。


 眠らせたり、動物と話せたり、植物を操ったり……そうだ! 戦いの中の仲間を勇気づけたり、傷も少しなら治せる!


 ──そうよね、そうそう……。 


 結局武器で殴り合う白矢達戦士より、幾分かマシなはずだ。


 織恵は鈍い白矢への憤りを傲慢さに変え、一人街を歩く。


 兎も角今は共同トイレなのだ。確かにアレはいちいち気分が悪くなる代物だ。だが部屋で桶にするよりは、万倍いい。


 だがうろうろする彼女はなかなか共同トイレを見つけられなかった。サイレスの街は全体的に斜めであり、石畳は敷いてあるが上ったり下ったりと、迷路のように訳が分からない。


 織恵は苛々しながら彷徨った。  


 彼女と白矢は幼馴染みだ。彼の前でお漏らししたこともある。が、それは幼い頃、ノーカンだ。一五歳にもなって繰り返したら舌を噛んで死ぬ。


 早く共同トイレだ。


 勇ましく歩く彼女がはたと我に返ると、そこはいかにも怪しい雰囲気が立ちこめる、町外れだった。


 今までの高ぶる感情で見えていなかったが、建物の様子が違う。


 立派な石造りだったそれらが、この近辺では半分崩れている木製の掘っ立て小屋だ。


 不意に危機を感じ、織恵は踵を返した。また宿に戻って探そう。


 しかし、そこには見たくない人物が立っていた。


 いつ見つけられたのか、薄い唇を舌なめずりしているボガートだ。



「これはこれはお嬢さん」ボガートはわざとらしく慇懃に一礼する。 



「俺の子供を孕みに来てくれたんだな」



 細木織恵は悲鳴を上げて駆けだした。

 

 嫌な予感は本当にある。


 実際、皆部白矢は飛び起きた。大きく見開いた目で辺りを見回す。


 宿の部屋、織恵はいなかった。


 ──いつの間に寝てたんだ?


 白矢は、うっすらとしか光の残っていない空を窓から見つめた。


 何か妙な感じがした。心臓がどきどきする。


「細木さん……」呟きは木の床に落ちる。


 彼女が心配だ。一人で出歩くなんて無謀すぎる。だがはやる気持ちを持て余すしかない。


 どこにいるかも判らない。


 白矢は何となく背負い袋から鎧を出し装着し、壁に立てかけた木の盾を手にしていた。


 戦士の本能だ。それは当たる。


 一匹のネズミが飛びこんできた。



「な!」と仰天する白矢に、灰色のネズミは叫ぶ。


「助けて! 西の町外れ!」


 十分だ。


 白矢はバスタードソードをひっ掴むと外に飛び出した。


 織恵の危機に駆けつけなければならない。


 なのにその白矢の前に、二人の男が立ちふさがった。


「情報通りだな、いたな……あんたが異世界人だろ?」


「どいてくれ! 急いでいるんだ!」


「そうはいかない」


 語りかける男は中年の口ひげの男だ。その傍らにいるのは目つきの鋭い二十代位の男で、左肩を怪我しているのか、真新しい包帯を巻いている。


「誰だ!」白矢の誰何に、口ひげの男が口を歪めた。


「マドッグさ」



 ボガートは着実に織恵を追いつめていた。


 彼に流れるオークの血が全身痒くなる程燃え、獲物の期待に目が大きくなる。


 そう、ボガートは人間とオークの血を併せ持っていた。 


 正確には父がオークで、母が人間の娘だ。


 彼はその醜さ故に、小さな頃から誰にも愛されなかった。


 実の母にもだ。


 そもそも人間とオークの恋が存在するか……否だ。オークは豚の顔を持つ野卑な化け物でしかない。


 

 だがどんな神の呪いなのか、全く容貌の違う人間と同じ美的感覚を持っていた。

 


 つまり人間の女を美しいと感じ、同族の女に嫌悪感を抱く。だからオーク達は常に人間の女に憧れ、渇望し、隙あればさらおうと企む。

 

 犠牲者がボガートの母だ。


 詳しい事は知らない。父がどこかの村からでも奪った女なのだろう。


 母はオークの慰み物となった。


 結果、ボガートが産まれた。


 母についての記憶は少ない。覚えているのは美しい顔が屈辱と怒りと絶望に歪み、憎しみの目で彼を見つめていた。



 次の瞬間に温もり。自害した母の首から出る鮮血がボガートを包んだ。



 その後、ボガートは父を殺して旅に出た。


 オークの汚泥のような世界は、人間の一面を持つ彼には耐えられなかった。


 だがオークの巣から離れた所で何が変わったろう。元来魔物の血が入った彼に人間は冷酷だった。


 職などなく、差し伸ばされる手もなく、彼は軽蔑され嫌悪され成長した。 


 オークは人間よりも体が大きく力も強い。忌避されるボガートが傭兵になったのは必然だ。


 戦いに勝てば、その時だけ仲間の人間から労わられ褒められる。


 ボガートは戦った。戦った。戦った。 


 冒険者として人々に危害をもたらすオーク集団を皆殺しにもした。その頃にはボガートの名は知られるようになり、自然と仲間が出来た。


 彼が目を奪われたのは、その中のオークの血が混じった女戦士だ。


 ギメラと名乗った女の人生は、ボガートとそっくり重なった。望まず産まれた子、自害した母、受け入れられない己。


 ボガートは彼女に惹かれた。例えギメラの容姿が人間から言わせれば醜くとも、彼にとってギメラは唯一の半身だった。


 それはいつだろうか、幾つかのオーク退治の後だ。


 ボガートはすっかり親しくなったギメラと酒を飲んだ。彼女は珍しく機嫌がよく大量の酒を飲み干した。恐らく倒したオーク達が意外に大量の財宝を隠していたからだろう。


 ギメラは杯を重ね、たき火の前で眠った。


 ボガートは眠るギメラを抱いた。それが必然だと思ったのだ。


 次の日、自分に起こった事態を知った彼女は、激怒した。



「醜いオークに犯されて生きて何ていられない!」止める間もなくギメラは自らの胸を短剣で突き、オークの血が混ざる血を吹きながら絶命した。



 唖然とし、絶望したボガートは再確認した。


 誰も彼を愛さないのだ、と。


 ならばオーク流を通すまでだ。気に入った女は犯す。愛されようと思う方がおかしい。


 そんな彼の前に、極上の娘が現れた。


 異世界から来たという、どこか今まで見た女とは違う美しい少女。ボガートは自分で考えている以上に織恵に惹かれていた。


 流れるような黒い髪、整ったどこか幼げな顔、滑らかな肌。


 ボガートにとって織恵は、堪らなく新鮮な果実だった。


 織恵の姿が不意に消える。見回すと街の市壁の近くの廃墟だった。


 ボガートの唇が笑いに歪む。どうやら向こうは隠れたつもりらしい。


 彼は上を向いた大きな鼻に皺を寄せて、辺りを嗅ぐ。


 ──へへへ


 すぐに判った。


 彼女くらいの年頃の少女は独特の匂いを発している物だ。ボガートはその甘酸っぱさを楽しみながら軽い足取りで進み、持っていた戦斧で傍らの木の壁を叩き壊した。


「ひっ」と隠れていた織恵が浅い息を吸う。


 彼女の怯えて見開かれた瞳の中に、凶悪に笑うオークがいた。


「安心しろ」ボガートはわざと落ち着いた低い声を出す。


「お前は俺の妻になるんだ。多少の我が儘は聞いてやる」


「い、いやっ!」


 ボガートは両手を伸ばして、怯える織恵の肩を掴んだ。


 自害されては適わない。まずは両腕を砕いて使えないようにしてしまうのが先だ。


 織恵の揺れる瞳に映る半オークは、醜かった。

  


 戦士ルベリエVS異世界人戦士・皆部白矢。




 ルベリエは未だマドッグを騙っていた。だがその当人も傍らにいる。


 作戦だ。勇士決闘を勝ち抜く為の。


 内心ほくそ笑む。どうしてか異世界から来た戦士は酷く慌てているようだ。


 ──が、これでいい。


 焦りは力を削ぐ。ルベリエは長い冒険者生活で学習していた。


 ルベリエは尚万全を期すために、相手をよく観察した。


 武器はバスタードソード。盾はオーク材で作られた本来弓兵が使うタージ。鎧はチェインメイルと上半身だけの板金鎧キュイラス。兜は被っていない。


 ──以外と考えている。


 ルベリエは異世界人は侮れない存在だと、感心した。


 そもそも野での戦いに重厚な鎧や鉄で補強された大きな盾など不要だ。彼自身が騎士ベルリオーズにやった通り、激しく動くと重さと暑さで戦いどころではなくなる。


 鎧も盾も大げさな物ではなく、最小限でいい。


 かく言うルベリエも、ベルリオーズを倒して得た金で金属板を連ねたラメラーアーマーと、その下にチェインメイルを買っていた。


「どいてくれ! 決闘は後で必ずやる」


 ビャクヤとやらが必死に訴えるが、相手の懸念を払拭してやる程ルベリエは優しくない。


 彼は右手にガントレットから直接伸びている剣・パタと、左手にはやはり手首を延長したような短剣・カタールを持っている。


 宿屋の関係者から、異世界人の装備を何となく聞いていた故の判断だった。


 両方とも構造上突きに強く、木の盾などすぐに貫く。


「用意はいいな?」


 ルベリエが訊ねると、異世界人は観念したのか、バスタードソードを構えた。


 ちらりと背後に視線を投げると、本物のマドッグが腕を組んで見ている。


 ──よし!


 ルベリエが突いたのはルールの穴だ。……一度勇士と決闘をした者ともう一度決闘をするときは一日あけること……だが勇士以外と決闘した後は……とは言われていない。


 ルベリエがまず決闘し疲労なり手傷などを与えてから、マドッグが出張り敵を倒す。どんな戦士も真剣勝負には神経と体力を使う。二連戦は堪らないはずだ。


 異世界人は無言で斬りかかった。


 簡単に右のパタで受けた。がりっと嫌な音と共にパタの刀身が削られる。


 ルベリエは目を剥いた。計算違いがあった。


 異世界人ビャクヤの剣が普通ではない。異常な切れ味……恐らく魔法のかかった魔剣だ。


 ルベリエの背中は痺れた。


 鋼鉄さえ切り裂く魔剣。その噂は聞いていた。昔、それに属する短剣も目にしたことがある。だがバスタードソードの大きさでの魔剣は、長い冒険者人生で初めてだ。


 ──こいつ!


 ルベリエはバックステップで相手の間合いから離れつつ、考えた。


 ──どうしてその得物を売らないんだ?


 魔剣は当然かなりの値がつく。バスタードソードとなると、普通金貨百枚どころではない。王侯や騎士達が、血眼で群がる代物だ。


 何せ奴らは固い、だからなかなか倒せない。そんな相手の防具をチャラに出来る。 


 かっぱぎが主な仕事の冒険者なら、とっとと売ってしまうのが筋な筈だった。


 ビャクヤが素早く間合いを詰め、剣を斜め上に一閃させる。


 ラメラーアーマーの金属板の数枚が簡単に吹き飛んだ。


「くそっ!」


 ルベリエは後退しつつ額の汗を拭おうとしたが、右手はガントレットの中だ。


 ──負けるわけにはいかない……騎士どもに目に物を見せてやらないと。


 歯を食いしばるが、虫歯でほぼ無い奥歯と腫れた歯茎が激しく痛む。


 ルベリエは実は本来、冒険者になる必要のない人間だった。


 彼は裕福な商家の長男として産まれ、ゆくゆくは父の跡を継ぎ、雇っている職人達を管理していればいい、恵まれた身分だ。


 だが彼が八歳の時、運命が変わった。


 ルベリエの住む街を収める領主が、下らないことで隣の領主と諍いを起こした。


 騎士達の群れはすぐにやって来た。


 領主は負け戦に街を見捨てて逃げ出し、となると勝った騎士達は騎士道精神を発揮した。


 街のいたる物を略奪し始めた。


 金目の物は勿論、個人所有の下らない骨董品、何もかも奪って……かっぱいで行った。


 それらが一段落すると、今度は騎士の高潔なる儀式が始まる。


 市民への虐殺と、強姦だ。


 騎士どもはそれが当然と言わんばかりに、ありとあらゆる女達に群がった。


 その中にルベリエの母がいた。


 彼の母はそれほど器量がよくない。太っていたし年も重ねていた。


 父が彼女を選んだのは愛とか呼ばれる下らない物ではなく、母の実家も大きな商家で財産を狙っただけだ。


 だから父には何人もの愛人と、その子供がいた。


 何故、見た目も悪い年増の母に騎士達が群がったのか、それが騎士道だからだ。母はルベリエの目の前で陵辱され、騎士達は笑いながら去っていった。


 人生の転換期だった。


 嵐が過ぎると、領主は帰り、何事もなかったかのように隣の領主と和解した。彼等の世界は平和その物だ。



 ルベリエの家は違う。



 愛など無かった癖に、騎士に犯された母を父は激しく罵った。父の罵声と母の泣き声がルベリエの日課になり、ある日母は泣かなくなった。


 しゃべらなくなった。動かなくなった。ただ起きて居間に行くとぶら下がっていた。



 耐えられずに首を吊っていた。



 父は何事もなく適当な理由をつけて葬ると、考えを変えた。


 美しい愛人に産ませた子を、後継者にしようと。


 その日からルベリエの立場は変わった。父の愛人とその息子が大手を振って彼の家をかっ歩し、どうしてかルベリエは愛人にこき使われるようになった。


 今まで無縁だった労働を、他の雇われ人と変わらず強制されるようになった。さらに雇われ人も今まで上にいたルベリエに、腹の中にため込む物があったのか、辛く当たった。


 ルベリエは彼等を憎んだ。ただ憎んだ。だがそれ以上に卑劣な騎士達を憎んだ。


 彼が家を飛び出し冒険者になったのは、野心があったからだ。


 冒険で名を挙げて、騎士達の悪行を断罪できる身分になろう。



 ガキの世迷い言だ。



 そもそも名を挙げた冒険者など皆無であり、騎士どもの馬鹿な夢である「王になった騎士」もお話だけにしかいない。


 社会はガチガチに造られていて、それを覆すなど不可能だ。


 ルベリエが悟ったのは、冒険者となってからしばらく経ってからだった。


 その時は何とも思わなかった。


 ルベリエはまだ若く、冒険者としての生き方も楽しかった。


 誰にも命令されず、誰にも強要されない。教会や領主に税を納める必要もない。眠っていたい時は一日中寝て、金が欲しければ冒険者ギルドで仕事を受け、敵の装備をかっぱぐ。


 彼は生まれはよかったから字が読め、法外な値段が書かれている依頼の羊皮紙も読めた。だから心配しなかった。


 いつか強くなったら強力で大きな魔物を倒して、一攫千金だ。



 ガキの世迷い言だ。



 ある時不意に目が覚めた。自分ではどう足掻いてもそんな怪物と戦えない。否、そもそも戦える人間などいないのだ。



 人間より遙かに大きなドラゴンやマンティコア、ジャイアントにデビル……勝てるはずがない。



 完全武装の騎士さえも軽く潰す連中に、そこまでの防具も揃えられない半端な冒険者が挑むなど、笑い話だ。


 冒険者としての楽しい日々は、一瞬で色あせた。


 大体冒険者がそんなに儲かる楽しい仕事なら、農奴も職人も自分の職を捨てている。


 彼等がどんなに苦しくても畑や道具を捨てないのは、冒険者みたいな山師になりたくないからだ。

 

 ルベリエの遅すぎる目覚めだった。


 その時、彼の中で眠っていた溶岩が、目を覚ました。



 騎士が憎い。領主が憎い。彼を冒険者に貶めた連中が憎い。



 憎くて堪らない。憎い、憎い、憎い、憎い。



 だから……ルベリエは……騎士に……なりたい。



 騎士になりたい。



 憎しみは、いつの間にか憧憬に変わっていた。


 奪われれる者から奪う者に、傷つけられる者から傷つける者になりたい。 



 ──騎士になりたいっ! 



 異世界人の激しい攻撃を何とかいなしながら、ルベリエは心中で叫んだ。


 冒険者なんて末路は決まっている。野垂れ死にだ。


 冒険者ギルドは所詮、ならず者達を監視する場所でしかなく、老後の面倒なんて見るはずがない。


 他の職人達と違い兄弟団も養老院もない冒険者など、いくら稼いでも最後には見捨てられ、苦しみながら孤独に死ぬ。

 

 真っ平だ。

 

 ルベリエの虫歯がまた痛んだ。それだけではない、酷使している腕も足も腰も痛む。老いたからか疲労も早い。

 

 ルベリエは恐れた。体にガタがきたと判り始めてから、絶望していた。



 ──この先どうすればいいんだ。



 勇士決闘の話を聞いたのはそんな時だ。破格な内容に狂喜した。何よりも自分の名がなく、マドッグとレイチェルの名前が挙がっていることに。


「そうだっ!」


 ルベリエは渾身の力でパタを振り抜き、ビャクヤの魔剣を弾いた。


「これが最後の賭けなんだ!」 


 しかしもう彼の武器は両方ともがたがたで、これ以上魔力を持つバスタードソードに耐えられるようには見えない。


 だから攻勢に転ずる。


 元々彼の剣は二つとも突きに特化している。ルベリエは冒険者として培ってきた経験を、ビャクヤにぶつけた。


 二つの剣の一つパタは異世界人の板金の胸鎧で火花を散らし、カタールは木の盾に穴を穿つ。


「くっ」ルベリエは顔を歪める。思った以上異世界人はやる。あるいは若さかも知れないが、よく跳び、よくかわし、反撃も的確だ。鎧に頼ってばかりの騎士とは違う。


 ──いや。


 彼はビャクヤの顔を見て首を振った。どうやら作戦が徒になったようだ。


 ルベリエは異世界人が焦っているから好機、と感じた。しかしどうやら彼は余程大事な用事があるようで、怪我を覚悟で突撃してくる。


 異世界人ビャクヤは、追いつめられ窮鼠と化してした。


 ──いかんな。


 ラメラーアーマーの金属板がまた吹き飛ぶ。ビャクヤの剣がルベリエの脇腹をかすった。


 視線で背後のマドッグを、さっと撫でる。


 もうすぐ彼の出番だ。そう、この戦いは敵を損耗させるだけが目的だ。


 マドッグが異世界人を倒す。マドッグが栄光と富を得る……が、マドッグは字が読めない。


 ルベリエの胸に火が灯る。最後には全て奪う……勇士決闘でマドッグを勝たせて、賞金の半分に満足したフリをしつつ、機を待ち、マドッグから領地を奪う。


 ルベリエの真の目的だ。先の決闘でレイチェルが勝っていたとしてもそうしていた。二人は字が読めない。ルベリエは読めるし書ける。このアドバンテージは大きい、いつか領地の権利を合法的に手に入れる。


 さらに彼がマドッグを演じるのは、自分の名が挙がらなかったからではない。騎士を殺した後に、当然その親族が復讐権を教会裁判所に願い出るはずだからだ。


 全ての敵意はマドッグに。全ての財産は自分に……ルベリエの賭けだ。


 ビャクヤの剣がまた彼の鎧の金属板を、斬り取る。


 ──そろそろか。


 ルベリエはぼろぼろになった装備を確認し、思った。


 異世界人に怪我を負わせる事はできなかった。だがビャクヤは流石に肩で息をしている。


 ここまで疲れさせれば十分なはずだ。



「……なんてな……ここまでだ異世界人……俺はルベリエ。お前さんの本当の相手マドッグはあっちさ……俺は公正な立会人の方だ」



 ルベリエは激しい息の中、精一杯の笑みを作り、顎をしゃくった。


 マドッグは腕を組んで立っていた。立っているだけだ。



「マドッグ! お前の出番だ!」



 ルベリエは微かに苛立ちながら、彼を呼ぶ。


 だがマドッグは動かなかった。ただ腕を組んでいるだけだ。


 ──なんだ?


 ルベリエはビャクヤの攻撃から後退しつつ訝しんだ。マドッグの目にたゆたう光の意味が分からない。



「それはないぜルベリエ。お前の戦いだろ? お前が始末を着けろ……お前が始めた決闘ごっこだぜ」



 ややあって彼が口を開き、ルベリエは愕然とした。剣の一撃を紙一重でよけ損ない、額に傷が出来る。


「く!」


 ルベリエは畳みかけてくるビャクヤの剣を、巧みに右手のパタでやり過ごすと、左手のカタールを突き出す。


 再び異世界の盾に穴が開いた。


 ──くそっ!


 ルベリエは悪態をついた。目の前の異世界人でもマドッグでもなく、己自身に。


 ──何て俺は間抜けなんだ! どうして利用しようとしていたマドッグに心底頼っちまったんだ! とっくに裏切った奴に何故、期待したんだっ!


 目に汗が入り周りがぼやける。呼吸はすでに喉の奥からの異音だ。


 不愉快な熱が頭で鼓動し、足がふらついた。


 ──畜生! この小僧と本気で殺り合うと判っていたら……魔法の武器なんか持っていると判っていたら、頭狙いにフレイル、鎧は無意味だから軽装の革にしたのに! 


 ビャクヤは攻撃を辞めない。


 魔力の青い光を纏った剣が、跳ねるように突進する。


「おおっ!」


 ルベリエは叫び向かってくる剣から頭を外した。ラメラーアーマーの肩の部分が切り裂かれ、ざっくりと刃が入る。


 ルベリエは怯まなかった。これは好機だ。剣が肩にある今が天秤の揺れの最後だ。


 彼は二つの剣を同時に突いた。


 ビャクヤの反応は早かった。盾でパタを受けると更に前進して、ルベリエにぶつかる。


 超近接戦闘。


 これまで何度もあった状況……だがルベリエは「うっ」と呻くだけだ。


 パタとカタール。二つの武器は拳を延長するような構造になっている。つまりここまで近づかれると、手首が動かない為攻撃する術がない。


 ルベリエはどちらかの剣を手放し、腰のダガーを抜くべきだった。



 出来なかった。



 手の指が言うことを聞かなかった。


 次の瞬間、ビャクヤは後方に跳びながら、ルベリエを肩から斬った。


 魔法のバスタードソードは、ルベリエの鎧など無かったように彼の胸まで食い込む。


 ようやくルベリエの左手からカタールが落ちた……遅すぎる。


 ルベリエは開いた手で異世界人を捕まえようと伸ばした。遠い、あまりにもビャクヤとの距離は遠すぎる。血が噴き出し、ルベリエはその場に倒れた。 


 戦士ルベリエVS異世界人戦士・皆部白矢。白矢の勝ち(老い) 



 マドッグは二人の戦いを悲しい気分で見ていた。こんな無駄な決闘があるだろうか。そう本当に無駄なのだ。



「マドッグ! お前の出番だ!」



 ルベリエの苛立った声は聞こえていた。マドッグはかぶりを振る。


「それはないぜルベリエ。お前の戦いだろ? お前が始末を着けろ……お前が始めた決闘ごっこだぜ」


 ルベリエの顔から色がすうっと抜ける。マドッグの胸が痛んだ。


 ──ルベリエ。いつからお前考え違いをしてたんだ?


 マドッグは、この中年冒険者が何か企んでいると察していた。いつからか他人を操っていると勘違いしているとも。


 実際、レイチェルは簡単に乗った。愚かな王の考案した、勇士決闘とやらで疑心暗鬼になったのだろう。恐らく、他の勇士達もそうなる……マドッグはもう戦うしかない。


 だが、それはあくまで彼の戦いで、ルベリエの企みとは違う。


 ルベリエの呼吸が不規則になり、今までの余裕が表情から消えていた。


 マドッグは腕を組んだまま、微動だにしない。


 異世界人の剣がルベリエの肩に食い込んだ。そのまま彼はルベリエに体当たりする。


 恐らく、十年前のルベリエなら反射的に武器を手放し、ダガーで敵の脇腹を抉っていただろう。


 が、今の彼には出来なかった。


 あっけなくルベリエは斬られ、大地にどうっと倒れる。


 血がルベリエの体を覆うように、石畳に広がっていく。 


 異世界人はぜえぜえと肩を震わしながら、マドッグを睨みつけている。


「いけっ、俺は今回ただの立ち会い人だ……急いでいるんだろ?」


 異世界人ビャクヤは一言もなく、剣もしまわず駆け出した。いつの間にか集まっていた数名の見物人をぎょっとさせながら、夕闇に消えていく。


 マドッグは彼の背中が見えなくなると、まだ息があるルベリエに近づき、両手で優しく彼の体を仰向けにした。


「……よう、マドッグ……」


 ルベリエは咳き込んで口から血を吐く。


「見てみろよ、馬鹿が下らない夢をみた結果だ、酷い有様だろ?」


「ああ、らしくないなルベリエ……あんたはいつも言ってた、イニシアティブを他人に渡すな……だが一番大事な時にどうして俺に託したんだ?」


 ルベリエの目が遠い何かを、見る。


「……へ、いつからか思いこんでいた……俺の背中はマドッグかレイチェル、二人の仲間のどちらかが守っているとな」


 フフ、と笑いルベリエの赤く染まった歯がむき出される。


「二人ともとっくに自分で裏切っちまったのにな……俺は馬鹿野郎さ」


「ああそうだ、馬鹿野郎だ」


 だがルベリエは瀕死とは思えない勢いで、マドッグの腕を掴んだ。



「だがなっ、マドッグ!」



 内心マドッグは怯む。ルベリエの腕の力は強かった、全盛期の彼のように。



「……俺はこんな結果が分かっていても、やり直せればやっぱりまた同じ事をしたさ……冒険者は最悪だっ! 一攫千金とかロマンとかほざく奴は何も知らないガキか馬鹿だっ! 俺達は自らの若さと力をはした金で売って生きているんだ。見ず知らずの他人のためにな」 


 ルベリエは血を吹き出し、しばらく痙攣した。


「……マドッグ、お前にもいつか判る。今はいい、まだ若い……だがすぐだ、すぐにそれは失われ、深い絶望だけが目の前に現れる……お前にはソフィーもいる、尚更だ」


 ルベリエの腕の力が不意に抜け、するりと手が落ちた。


「そうかも知れないな……いや、そうなんだろうな」


 マドッグは頷いた。彼もずっと悩んできた事で、答えは今出た。


「マドッグ……止めを刺してくれ……」


 ルベリエの目が懇願してた。


 マドッグは無言でハルパーを抜き、彼の首に当てる。


「すまない……金は……半分に分けた金の残りは、俺の家のベッドの藁の下だ……ソフィーに使ってくれ」


「じゃあな、ルベリエ」


 マドッグはハルパーを引いた。


 立ち上がりしばらくルベリエの死体を見下ろす。レイチェルとは違い穏やかな顔をしていた。


 レイチェル……まだ瞼にフラッシュする。活き活きとした彼女の肢体。魅力に溢れた一挙一動……しかし。


 もう彼女はいない。ルベリエもだ。


 たった二日でマドッグは、数年間も生死を共にしてきた仲間を失っていた。しかも決闘なんて下らない行為で。


 それだけではない。もう冒険者ギルドにも彼の居場所はないはずだ。


 ルベリエの策略だとしても、仲間を無意味に手にかけた彼と、パーティを組む奴がいるとは考えられない。


 マドッグは「仲間殺し」として孤立し、冒険者家業もままならないだろう。 


 一人ではゴブリンの巣だって危険だ。


 何があるか判らない、一寸先は闇が冒険なのだから。


 だが、それで逆に吹っ切れた。


「なあルベリエ……」マドッグは物言わぬ屍に、語りかけていた。


「俺はもう冒険者家業から足を洗わなければならないみたいだな。あんたの生き方で判ったよ。鳥でも捕ったり用心棒兼提灯持ちをして暮らすさ、俺のために……何よりもソフィーのために」


 マドッグは仲間の血で汚れたハルパーを、腰に下げた。


「そうさ、俺はもう戦う人生を辞める……冒険者はうんざりだ! ソフィー」



 当人達の知らない所で運命は決まろうとしていた。


 ワイズニスの教会では、教会裁判が行われていた。


 原告はワイズニス領の領主だった騎士ベルリオーズの親族。被告はコンモドゥス王。証人はベルリオーズの元従者ハワード。


 司祭は顔色一つ変えない。被告の席、王の席が空だとしても。


 だが、ならば判決は一つだ。



「ベルリオーズ卿の親族に復讐権を認めよう。マドッグとやらへの報復を許可する」 



 当然だった。騎士は体面を重んじる。


 例え王が決めたとしても、騎士の復讐を妨げる事はできない。


 むしろ責められるのが嫌だからコンモドゥス王は教会からの召喚を無視し出席しなかったのだろう。王など騎士に命令さえも出来ないのだ 


 原告席の数人の男女が、立ち上がった。


 ベルリオーズの親族の騎士達だ。


 こうして彼等のマドッグへの復讐は始まった。



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