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誰が一番強いのか?  騎士も戦士もハーフエルフも、異世界バトルロワイヤル!

※読みやすく改定しました。二部からも随時していきます。

  

  本格ダークファンタジーです。以前投稿したものを直して、完結させました。 

 

 シリアスでハードな内容ですが、楽しんでいただければ幸いです。

 ゆるくないファンタジーをお求めの方、感想とブックマークを頂ければやる気が出ます。

 決闘は一対一で行うこと。


 不意打ちは決闘と見なさない。


 公正な見届け人を一人以上つけること。


 勝敗は冒険者ギルドに届け出ること。 


 飛び道具を使ってはならないが、それ以外はいかなる武器も防具も使ってよい。


 一度勇士と他の勇士と決闘をした者ともう一度決闘をするときは一日あけること。


 勝者には常に褒美として金貨一〇〇枚与え、最後の勝者、最強の勇者には大金貨十万枚と領地を与える。



 美しきアースノア。


 連なる峻厳なる山々に、豊かな木々。光を湛える湖に獰猛な海。


 三〇〇〇年前に滅びた古代魔法帝国の傲慢により神々に見捨てられ、死の冬と呼ばれる過酷な季節と、人間と敵対する混沌の生物たちがかっ歩する危険な世界。 


 だが人々は停滞した世界の中で強くしたたかに毅然と、今日も生きていた。


 プロローグ



 黒い風が戦場を蹂躙していた。


 ローデンハイム王国の騎士ベルリオーズは愛馬・ブラックウインドを疾駆させていた。


 ベルリオーズは振り向いて味方の騎士達が続いているのを確認し、持っているランスのトネリコ製の柄を今一度強く握りしめた。 


 騎兵突撃の態勢に入る。

 馬を推進力として、鉄の槍先を嵌めたランスを構え突撃する。まさにそれは人馬一体となったミサイルであり、その前に立ちふさがるいかなる物もその威力に瞠目せざるおえない。 


 ベルリオーズは慎重に目標を見定めた。


 僅かばかりの草しか生えていない荒野の先に、歩兵達を蹴散らしている巨大な人型があった。


 一つ目と角を持つ混沌の巨人・サイクロプスだ。


 サイクロプスは大木のような棍棒を振り回し、人間側の兵達を撲殺している。


 にやり、と鉄のヘルムの下でベルリオーズは笑いを浮かべる。


「はいっ」と愛馬ブラックウインドに声をかけ拍車をかけると彼等は発射された。


 ブラックウインドの速度が上がっていく。目的たるサイクロプスの巨躯がさらに大きくなりながら迫ってくる。


 途中、緑色の肌と尖った鼻と耳を持つ小柄な怪物・ゴブリンの集団に出くわしたが、ブラックウインドは苦もなく踏み散らした。


 ベルリオーズは歯を食いしばる。


 ランスの穂先近くにつけられた旗に風が巻いて、持ち上がりそうなのだ。


 渾身の力をこめて跳ね上がりそうになるランスを抑え、そのままサイクロプスの傍らを疾風のように通り抜ける。


 スピードと重さにより凶器と化したランスを、サイクロプスの腹に突き立て手放すことも忘れない。  


「ゴギャァァァァ」とこの世の物とは思えない悲鳴が上がった。


 ベルリオーズのランスは見立てを過たず、サイクロプスの腹部、臍の上を見事に刺し貫いていた。


 致命傷であり、実際ランスが刺さった場所からどす黒い液体が噴き出している。


 だが混沌の巨人はまだ倒れていない。


 人間の三倍の身長はある怪物だ、耐久力もそれなりなのだろう。


 ランスを失ったベルリオーズは「ほうっ」と敵の生命力に感心し、バスタードソードを抜いた。


 平原を見渡すと敵はまだまだ数を揃えていた。ただ味方も多い。


 戦いはまだ終わっていない。



 マドッグのハルパー、鎌状になった剣が敵の首を切り落とした。


 人間の体に豚の顔をした怪物であるオークは、仲間の死を何とも思わないのか、わらわらとさらに突進して来る。


「面倒くせー奴らだぜ!」


 マドッグは乱戦の中吐き捨てると、ロングソードでオークの剣を受け止める。


「ねえねえ、マドッグ! あの騎士凄いよ!」


 彼の背中で細身の剣レイピアを巧みに操っていた女戦士レイチェルは、オークの集団などどうでもいいようにいきなり指をさす。


「一人でサイクロプスを倒しちゃった、どてっ腹にランスぶち込んで」


「お前も戦いが終わったぶち込んでもらえ」


 半ば自棄気味にマドッグが応じると、


「……そうね、それもいいわね」とレイチェルが黒髪を奮わせるから、呆れる。  


「そんなことよりお二人さん、こちらの敵はまだまだ多いぞ」


 見事な口ひげを生やした中年の戦士ルベリエはひげを撫でながら忠告するが、マドッグには無用だった。


「ったくー、これで給金少なかったら暴れるぞ」


 マドッグが喚き、他の二人は肩をすくめる。


 言うまでもなくそれでも彼等のいつもの稼ぎに比べたら遙かにマシなのだ。


 マドッグ、レイチェル、ルベリエは普段パーティを組んでいる冒険者だ。


 彼等はこのアースノアの世界にある未だ人跡未踏の地に向かい、巣にしている魔物と戦い、古代遺物や宝を手にする生活を送っている。


 当たり前だが、そういった『冒険者』と呼ばれる者達の実入りは少ない。


 一攫千金を狙う職業だと本人達も自負しているが、現実は厳しすぎる。


 激しい戦いの後に何も得られなかった、と言う事態はまだ幸運な方で、時には大怪我が全く報われない時もある。


 だからそれなりに名の売れているマドッグやレイチェルのような腕利きも、噂を聞きつけると傭兵と早変わりした。


 冒険にしろ何しろ、生活しなければならない。


「どりゃあ!」マドッグがオークの脳天を剣で割ると、どこからか歓声が聞こえてきた。


「何だ?」


 首を巡らすと、遠くに大男がいた。巨大なバトルアックスを振り回し、敵の首の雨を降らしている。


「ボガートか! さすがの力だな」


 ルベリエが息を吐く。確かにマドッグから見ても大男の力は尋常ではない。


「あたし嫌い、あいつ醜いもん」


 レイチェルはオークの心臓に一突き入れながら、辛辣な笑みを浮かべる。


「あいつにヤられるくらいならそこらに落ちている棒でいいわ」


 ボガートはただの人間ではない。彼には幾ばくかオークの血が混ざっている。


 故に外見はよく言えば特徴的で、英雄的働きに対しご婦人達の反応は悪い。


「今は大切な味方だ、俺に文句はないさ」


 マドッグはまた一体オークを屠りながら肩をすくめる。


 と、戦場に歌が流れ出す。どこかに吟遊詩人でもいるのか。


「あれか、噂の異世界人は」   


「イセカイジン? ルベリエ、何それ?」


 ルベリエにレイチェルが訊ね返しているが、マドッグはどこかで耳にしていた。


 どうやらこの世界とは別の世界とやらから来た連中が、元の世界に帰るために彷徨っているらしい。 


 確かに吟遊詩人とそれを守る戦士は、マドッグも見たことのない人種だ。


 だが、


「腕はいいな、あの戦士」


 呟いてしまう。


 異世界の黒髪の戦士はまだ少年らしいが、巧みな剣さばきで大型のゴブリン・ホブゴブリンを何体も切り裂いている。


 あるいは背後の吟遊詩人の少女の歌の魔力かもしれない。


 とにかく今は心強い。


「新手だ! マドッグ、呆けている暇はないぞ」


 ルベリエは鋭い声で警告した。


 ワージャッカルの群れが方向と共に突進してきた。


「とにかく責め続けろ! 敵にイニシアティブを取られるな」


 ルベリエのいつもの言葉にマドッグは左手のハルパーを腰に下げ、ロングソードの柄を握り直した。


 ワージャッカルは肉食獣の口を大きく開けて、牙を光らせ涎を垂れ流しながら接近してくる。


「ギグャァー!」


 一歩踏み出し欠けたマドッグの前でワージャッカル達が炎に包まれ、断末魔の悲鳴を上げた。


「なっ」


 驚愕するマドッグの傍らに、いつの間にか誰かが立っている。


「はい、終わりー♪」


 白いローブ姿の女性は歌うように呟く。


 ……ハーフエルフ!


 マドッグは鋭く、その女の端正な横顔と金色の髪、やや尖った耳を見て取る。


「お礼ー……欲しいなー」


 まだ少女のようなあどけなさの残るハーフエルフの女の頬は少し膨れている。


 そこでようやくマドッグは一〇匹はいただろうワージャッカル達が全てけし炭になったと知った。


 ……異端の魔法。


 魔道の力に唖然としながら、彼はもぐもぐ口を動かす。


「あ……ああ、すまない、助かった」


「いえいえー♪ 気をつけてねー♪」


 女の妖艶さと少女の爽やかさの中間にある微笑みを残し、ハーフエルフの女魔道士はすうっと最前線から退いた。


「ミュルダールか、噂通りの凄腕だなっ!」


「ねえ、てかさ魔法て異端でしょ? おおっぴらに使っていいの?」


 ルベリエとレイチェルがオークを相手にしながら叫び合い、マドッグは今し方目にしたのが辺境でも名の上がるソーサラー・ミュルダールだと知った。


 彼女の魔法の炎に倒されたワージャッカルの焦げ臭い臭いが、こんな場合なのにマドッグの胃を刺激する。


 改めて戦場となった荒野を詳細に観察する。


 マドッグ達に襲いかかっているオークの一団はまだ残っているが大分数を減らし、ゴブリンどもは騎士団が取り囲んでいる。


 ジャイアントやサイクロプスなどの敵の中核になりそうなデカ物は全て倒れ、負傷した味方は地母神エルジェナの僧侶ブローデルにより、癒しの魔法を受けていた。


「ちょっと! マドッグ、サボってんじゃないわよ!」

 

 目ざとくレイチェルに見つかり叱責を受けた彼は、笑みを浮かべて少なくなったオークの一団へと足を踏み出した。


 ……こりゃあ勝ったな……ソフィー、どうやらまた君に会えそうだ。 



 第一章


 ローデンハイム王国のガギギドル城は戦勝に沸き返っていた。


 マータイル平原の戦いで、彼等は再び人類の敵たる混沌の軍勢を退けたのだ。しかも報告によると騎士達に死者も負傷者も出ない圧勝だったらしい。


 ガギギドル城の大広間では早くも戦勝パーティが開かれていた。


 貴金属や鏡で光を乱反射させる蜜蝋のシャンデリアの下、楽士達が陽気な音楽を鳴らし、道化師は稼ぎ時とばかりにジャグリングに精を出している。


 集まった貴族や騎士達は一夜のロマンスを夢見て貴婦人達に集まり、並べられたアントルメ(滑稽に飾り立てられた料理)にさざ波のような笑いを起こしている。


 ……だがローデンハイムの国王・コンモドゥスの顔色はさえなかった。


 彼には王として考えなければならない懸念があった。



 弟が来ない。



 戦勝パーティに招待した弟のリキニウスの姿がない。否、考えてみれば最近いかなる催しにも彼の姿はなかった。


 となると王としてコンモドゥスは憂慮しなければならない。


 リキニウスの妻はローデンハイム北部のパリューンド領を領地として持っていた未亡人で、彼女と結婚したリキニウスは領地だけで言ったらコンモドゥスより大きかった。


 王とは反逆の気配に常に怯えている存在だ。


 コンモドゥスは混沌の勢力などよりも、よっぽど弟の動向の方が気にかかった。


 何せリキニウスの妻の弟のギガテス伯は、その勇猛さと華麗さで民や騎士達から非常に人気がある。


 ギガテス伯が一声かければ数千の兵などすぐに集まるだろう。


 ……そうなれば……


 コンモドゥスの持つ銀の杯が揺れ、果実酒が数滴落下していく。


 ……そうなれば……


 彼は改めて大広間に集まった騎士、貴族……領主達を見渡した。


 忠臣面しているが、彼等が皆コンモドゥスに着くとは考えていない。領主などは自分の領地を守るためにいつでも旗を翻す連中だ。


 リキニウスは幼い頃、常に兄の後ろに着いてきた内気な少年だった。だが今は自らの王国の旗を揚げる機会を窺っているように感じられた。


 コンモドゥスは杯を開けた。


 喉から入ってくる果実酒の感覚が、食道を不快に這っていく。


 戦勝パーティなど開いている場合じゃないような気がして、コンモドゥスは焦燥感に駆られた。


 腰を下ろしている玉座が妙に居心地が悪い。彼を拒絶しているようだ。


「誰か……」


 コンモドゥスは空になった杯に酒を満たそうと声を上げた。だがそれはリュートの音色によってかき消された。


 美しい旋律と見事な歌唱。


 コンモドゥスが目を見張ると、視線の先に一人の青年が立っていた。


 ……エルフか。


 すぐに見抜く。何よりも槍先のように尖った長い耳が正体を語る。そしてエルフの例に漏れず青年は美しかった。


 長く真っ直ぐ伸びた灰色の髪と、美神に愛されたとしか思えぬ整った容貌。だがそれはどこか性差を感じさせず、中性的で匂い立つような肉の魅力には乏しい。


 典型的な妖精の姿だ。


 コンモドゥスは訝しんだ。


 人間とエルフ族は断絶して久しい。なのにこの場にその姿があるのは奇異だった。


 すぐに頭をもたげた不審を忘れてしまう。


 吟遊詩人らしいエルフの歌が、コンモドゥスを捉えたのだ。


 内容は彼が幼い頃から好きだった騎士王ライデルの武勇譚で、ライデルが英雄騎士のモラッドと竜を退治し、王国に平安をもたらすものだ。 


 コンモドゥスはただ呆けてエルフの歌に耳を傾けた。


 居並ぶ騎士や貴族、特に貴婦人達もうっとりとエルフを見つめている。


 ふと彼は歌が変わったと気付き、コンモドゥスははっとする。


 それはいつの間にか、リキニウスの義弟ギガテス伯を讃える物となっていたのだ。


 ぎりりとコンモドゥスは歯を食いしばった。


 憤慨した彼だが、怒鳴って制止すると自らの不安を諸侯に見透かされてしまう。無理に笑顔を作り、憎き相手の歌を聴いた。


 誰にとっても幸運なことにギガテス伯の歌はすぐに終わった。そもそも歴史に刻まれた他の英雄達に比べれば、ギガテスなどの武勲はたかが知れている。


 コンモドゥスは玉座の杯を置くと、広間から出た。


 エルフの吟遊詩人をもう目にしたくなかったからだけではない、尿意を催していた。


 コンモドゥスは赤い絨毯を踏みしめ、壁の燭台の蜜蝋の灯火は揺れた。


「……陛下」


 控えめな声は背後からかかった。


 振り返ったコンモドゥスは驚き、怒った。


 先程のエルフの吟遊詩人が、頭を垂れていたのだ。


 コンモドゥスは王である。その王にエルフの吟遊詩人などという下賎の輩が簡単に話しかけるなど、無礼にも程がある。


 コンモドゥスは周囲を見回す、配下達にこの無礼者を城から叩き出させようと考えた。


 だが普段ならそこら中で警護している兵士の姿が、何故か今はなかった。


「陛下……」


 エルフは今一度声を出し、コンモドゥスは腰の剣の柄を掴んだ。


「何用か! 無礼な。そちの目の前にいるのはローデンハイム王であるぞ!」


 コンモドゥスが一喝するとエルフはさらに深く頭を下げ、しかし切れ長の目をちらりと上げた。


「英雄をお求めですか?」


「何を言っておる?」


「ギガテス伯にも比肩する英雄をお捜しではないでしょうか? 誰もが羨望する英雄を」


 コンモドゥスは眉を潜めた。エルフの言っている意味が分からない。しかしギガテスの名前を出された彼はつい訊いてしまう。


「そんな者がおるはずがない」


「いいえ」ここでエルフの青年は顔を上げた。整った口辺に輝くような笑みを浮かべている。


「いなければ作ればよいのです」


「作る?」


「ギガテス伯は生来の英雄ではありません。否、騎士王ライデルとて英雄として認められたのは、成人してからしばらく後のことです」


 コンモドゥスはただエルフの白い歯を見つめた。何故か異論を挟んではならない気がした。


「今、このローデンハイムには英雄……とは行きませぬが、その候補となる者達がおります。彼等の中の一人を英雄にするのです……王の手で」


「わしの手」


 コンモドゥスの目の前には中年の、芋虫のような太い指がある。


「そうです」エルフは続けた。


「その英雄候補達を選別し、力を試し、英雄となるべき人物となれば騎士として召し抱えるのです」


「馬鹿な!」


 思わずコンモドゥスは声を荒らげる。


 騎士とはただの戦士ではない。領地を持つ戦う貴族なのだ。


 それでなくとも自らの領地の大きさがリキニウスより劣っていると悩んでいるのに、さらに切り分け与えるなど話にもならなかった。


「いいえ陛下」


 エルフは優雅に首を振った。


「それは形だけでいいのです、。例えば今回の戦場となったマータイル平原、あそこならそれほどの損失にはならないでしょう」


「うーむ」コンモドゥスは考える。


 確かにマータイルは彼の領土ではあるが、いささか手に余っていた。


 その南は混沌の勢力が強い地域が広がっていて、幾度かマータイルを開墾しようと試したが、すぐに戦場になり派遣した農奴は逃げ散った。ただの緩衝地帯であるならば惜しむ必要はない。


「だが……英雄、そう英雄がそんなに簡単に手に入る物か……聞くところによるとあのギガテスめは一人で巨人と渡り合えるという……」


 エルフは笑いを深くする。


「だから力を計るのです。簡単です、彼等を戦わせればいい、そして残った最後の一人を最強の英雄として国中に広めるのです。勿論、それには私どもも力を貸します……さすれば、英雄の存在が人々を鼓舞させ、リキニウス公も簡単には手を出してこられません」


 コンモドゥスはどきりとした。目の前のエルフにそこまで見透かされていた。


「なるほど……」と彼は妙案を出したエルフをしげしげと見つめた。


 英雄を作る……案外いい思いつきだと感じられた。


 兎も角今は、何を考えているか判らないリキニウスの動向を探るために時間が欲しい。


 上手くいって英雄が生まれたのなら、彼自身の玉座は安泰となる。だが、それにしても一つ疑問があった。


「何故その英雄の資質がある者達を皆取り立てぬのだ? 一人でなくてもよかろう」


 今まで三日月のようだったエルフの口辺が、引き締まる。


「数が多ければよいとは限りません。数が多ければそれだけ報酬が必要になります……何よりも人はいつ裏切るか判りません。こちらが取り立てた英雄がリキニウス公に走る可能性もあります。故に英雄は常に目が届き、いつでも操作できる一人がいいのです」


「……判った、一考しよう……時にそちの名前は?」


 エルフは再び深々と一礼する。


「これは申し訳ありません。わたくしの名前はヘイミルです。吟遊詩人ヘイミル」


「うむ」コンモドゥスは深々と頷き、問う。


「で、ヘイミルとやら、そちの言う英雄候補は何者だ?」



「お待ち下さい、陛下!」


 コンモドゥスの提案を聞いた、彼の妻の父にてマギース伯ミドラスは予想通り反対した。


「勇士達を戦わせるなんて冒険者ギルドが黙っておりませぬ。しかも命の遣り取りをさせるのは無意味です! トーナメントでいいではありませんか」


 トーナメントとは騎士が行う模擬戦である。


 剣は刃引き槍の穂先を変え、なるべく死者を出さないように工夫はされているが、勇猛な騎士同士の事だ、時には死傷者が出るのも平常である。


「トーナメントでは駄目だ。それでは騎士が有利ではないか。それに騎士以外の勇士達は参加も出来ぬ」


 コンモドゥスはミドラスの禿頭を見下ろしながら、ヘイミルに言い含められた台詞を吐いた。


「しかし、勇士達に殺し合いをさせるのはあんまりにも……」


「黙れっ!」コンモドゥスはミドラスの進言を断ち切る。


「この国の王はわしじゃ。わしが決めることが全てである! 勇士決闘は既に決まったこと、誰にも邪魔はさせぬ」


 コンモドゥスは玉座から立ち上がり、不安そうに居並ぶ騎士達に朗々と告げた。



「これより勇士決闘の布告を出す。勇士と定められた者は、決闘の規則を守り他の勇士と戦うこと。規則とは……決闘は一対一で行うこと。不意打ちは決闘と見なさない。公正な見届け人を一人以上つけること。勝敗は冒険者ギルドに届け出ること。飛び道具を使ってはならないが、それ以外はいかなる武器も防具も使ってよい。一度勇士と決闘をした者ともう一度決闘をするときは一日あけること。勝者には常に褒美として金貨一〇〇枚与え、最後の勝者、最強の勇者には大金貨十万枚と領地を与える」



 ざわめき出す騎士達に構わず勇士達の名を挙げる。



「勇士とは、ローデンハイム一の騎士・ベルリオーズ。狂犬のあだ名を持つ戦士・マドッグ。レイピアの達人の女戦士・レイチェル。異端の魔道士・ハーフエルフのミュルダール。地母神の僧侶・ブローデル。異形の闘士・ボガート。異世界から来た戦士・ビャクヤの七人である」



 一息入れた後、コンモドゥスは宣言した。



「これより勇士決闘の始まりである!」



「ギャワァァァ」


 マドッグの剣が、ゴブリンの頭を二つに割り周囲に血と脳漿を飛び散らせた。


「ちょっと! 少しは周りを見てよ! 気持ち悪い」


 隣にいたレイチェルはゴブリンの残骸がかかった腰を手で払い、唇を尖らせる。


「悪い悪い」


 彼女はマドッグの謝罪に構わず、その場にしゃがみゴブリンの屍に手を伸ばした。


「どうだ? レイチェル」


 ルベリエが口ひげを撫でながら問うと、彼女は肩を落とす。


「だめね、ろくな装備じゃない……鎖帷子は錆びだらけだし、剣もがたがた……ったく」


 ぶつぶつ文句を垂れながらも、彼女は手早く死んだゴブリンから装備をはぎ取った。


「もう少し進んでみるか?」


 マドッグはきっちりと散髪屋でひげを整えているルベリエとは対照的に、荒くナイフで削っただけの、無精ひげが浮く顎を掻く。


「まだいるかね? ここらに」


 ルベリエは櫛で後ろに流した長髪を整えながら周囲を見回す。


 森の中の繁みは暗く不吉で、普通の人ならば一刻も早く立ち去るか、そもそも足を踏み入れないだろう。


 だが彼等冒険者は違う。


 冒険者は金のためなら危険など顧みない。


 マータイル平原の戦いから一週間、マドッグ達は敗れ逃げ散った混沌軍を、まだ追跡していた。


 残党狩り、と聞こえはいいが、たんなるかっぱぎだ。


 冒険者は実入りが少ない。一攫千金を憧れてこの道に入る馬鹿はそうはいない。


 大抵は農奴としてもやっていく土地がない農家の次男三男で、徒弟生活も絶えられない職人崩れも多い。


 つまりは駄目人間の掃きだめだ。実際に犯罪を犯したからまともな職に就けないごろつきも冒険者になる。

 

 そんな冒険者の主な仕事はかっぱぎである。


 地下迷宮に宝物ざくざく……そんなうまい話が体よく転がっている程現実は甘くない。故に大抵の冒険者は倒した敵の装備をかっぱいで売り、金を手にする。


 冒険者とは夢のない地味な仕事だ。  


 マドッグ、レイチェル、ルベリエのパーティもご多分に漏れずかっぱぎの最中だった。


 敗走した怪物を隠れている繁みから探し出し、殺して持ち物を奪う。


 マドッグにとって楽しくて涙が出る仕事だ。


「繁み漁ってみようか?」


 レイチェルは敵装備を紐で纏めながら、上目遣いで辺りを観察する。


 勿論、傭兵としての給金は出たが命を張るには安すぎる、と誰もが思っている。


「しょうがないな」


 伊達者のルベリエは、自分の装備が汚れることを想像したのか浮かない顔で同意する。


「じゃあやるぜ」


 マドッグは長い木の棒を手近な繁みに突っ込む。隠れている者を引き出すのだ。


「あーあ」レイチェルが喚く。


「こんな事なら逞しい騎士に体を売ればよかった」


 レイチェルは黒い巻き毛を男のように短くしているが、それでも魅力的な女だ。


 長年一緒にいるマドッグも、時折彼女の仕草にはっとすることがあるほどである。


 それ故にか、彼女は多情だ。一日でも男と寝ないと機嫌が悪くなる。


 繁みを漁る棒の動きが乱暴なのも、彼女がかなり苛ついている証しだ。 


「……ねえマドッグ、前みたく今日シない?」


 密かに恐れていた質問だった。


 こんなレイチェルと組んでいるマドッグだ、彼女と関係がないはずがない。マドッグは無表情で首を振る。


「俺にはソフィーがいるからな」


「ふん」とレイチェルはマドッグの言葉を鼻先で弾く。


「結婚してから随分とつき合いが悪くなったわね」


 ……そりゃあ悪くなるだろ。


 が、その言葉は口には出せなかった。


 繁みから突然大柄なオークが飛び出してきたのだ。


「ヴモー!!!」


 オークはうなり声を上げると、マドッグやレイチェルから逃げるためか、二人のいない場所に向かう。


 そこにはルベリエがいた。


「ルベリエ! 剣を抜け!」


 マドッグは叫んだ。ルベリエがまごついている。


 オークは血の染みが残る槍を構え、目を見開くルベリエへと突進した。


「うおっ!」


 オークの一撃をかわそうとしたルベリエが、その場に尻餅をつく。


 勢いを得たオークがルベリエに槍を向ける。


「ブモウッ、グワァァァー」


 オークは絶叫した。槍を振り下ろす前に一瞬で戦闘状態を整えたレイチェルのレイピアと、マドッグのロングソードが背中を捉えたのだ。


 背から血を噴きながらオークの残党兵はその場に崩れた。


 結局、ルベリエは自分のブロードソードの柄を掴むことも出来なかった。


「革鎧で助かったなルベリエ」


 激しい息づかいのルベリエにマドッグは手を伸ばす。もしオークの鎧が鉄製の鎖帷子だったらルベリエはただでは済まなかっただろう。


「あんたも老いたわね」


 呆れた声を出したレイチェルが、オークの装備に触れ始める。


「おいおい、老人をもっと労れよ」


 軽い口調で応じるルベリエだが、瞳に暗い影が走るのをマドッグは見逃さなかった。


 仕方ない。ルベリエはもう四〇代なのだ。他の職業の引退の時期を越えていて、常に体を死地に晒す冒険者家業は辛くなってきたはずだ。


 マドッグとルベリエが組んだのはもう数十年前、マドッグがかけだしの頃だ。


 その頃ルベリエはまさに全盛期であり、先輩冒険者としてマドッグとレイチェルに色々と指導した……勿論、レイチェルには夜の指導もしたようだが。


 とにかくマドッグは最近ルベリエの老いと疲れを意識するようになった。


 例えば今のように咄嗟な判断が必要な時、例えば一日中洞窟を探索する時、ルベリエは大きなミスこそ起こさないが、僅かな見落としや些細なしくじりが増えた。


 懸念に眉根を寄せる。


 今まではそれで済んだ。しかしいつかルベリエは致命的な判断違いをしてしまうのでは……マドッグは口を引き結び、髪を櫛で整え直している彼を盗み見た。


「もーここまでにしましょ。これ以上はムダっ」


 ルベリエの状態などに構わないレイチェルがついに宣言した。


 得物は数匹のゴブリンの鎖帷子と武器、二匹のオークの槍くらいだが鍛冶屋に持って行けば飲み代くらいにはなる。


「そうだな、これ以上追っても疲労と釣り合う出物はなさそうだな」 


 マドッグは大きな息を吐いた。



 サイレスの街は川を囲むように建てられたあまり特徴のない街だ。


 石の市壁で防備を固め、中には鍛冶屋に酒場、宿屋、肉屋、大聖堂と散髪屋や浴場まであるマドッグ達の根拠地だった。


 敵からかっぱいだ武器を売ったマドッグ達は、それをきっちり公平に三等分に分けた。


 かつてそれについてレイチェルとルベリエが揉めたことがあるから慎重だ。冒険者の世界でも女の地位は男より低い。


 だからある戦利品についてルベリエはレイチェルの取り分を低くしたのだ。


 レイチェルは猛火のように怒り、ルベリエとの生死をかけた決闘騒ぎになった。二人とも大怪我を負って場は収まったが、それ以来このパーティではどんな分けづらい拾い物でも公平にすることに決めた。

 

 とにかく金を手にした三人は早々に酒場に繰り出すことにした。

 

 と言っても街の中央広場近くにある混じり物がない、いい酒の揃っている『忠実なる従者』停ではない。町外れのごろつき御用達『血まみれ剣』停だ。 

 

 今日に限って鍛冶屋が渋り、手に入れた武器の値段が思った以上跳ねなかったからだ。

 

 当然レイチェルの機嫌は悪い。

 

 マドッグは心得ているのでそう言った場合、彼女にはあまり触れない。


 酒場の扉を開くと、お馴染みの同業者の面々が暗闇で沈んでいたが、マドッグ達が入ったと判ると何故か彼等は興味深そうな視線を投げてきた。


 怪訝に思うマドッグだが、レイチェルの方は今日のお相手を捜すのに忙しいらしい。


 マドッグは店主にエールを注文すると、空いている席に腰を下ろした。


 まだ見られている感触がある、むしろ増えた気がする。


 ……何だ?


 マドッグは内心構えながら、敢えて気付いてない風を装った。


「よう、噂のマドッグ、用意はしたのかい?」


 赤ら顔の店主が木製のジョッキを置きながら無遠慮に訊ね、マドッグは店主がこの居心地の悪い状態の事情を知っていると判った。 


「何だよ? 俺がどうした?」


「あんた知らないのか! 勇士決闘のことを」


 店主があまりにも酷く驚いたので、マドッグは首を捻る。


「何だそれ?」


「王様からの布告さ。マドッグあんたらにはどうやらチャンスが回ってきたらしい」


「……聞かせてくれ」


 今まで物思いにふけっていたルベリエが、顔を上げる。


 店主はわざとらしく肩をすくめると、数日前に冒険者ギルドへと届いた布告の話をし始める。


 勇士決闘。そのルール。そして報酬……。



「ふざけんなっ!」



 マドッグは聞き終わる前に立ち上がっていた。いつの間にか自分の命が、賭け事に利用されていた。


「冒険者ギルドは何してやがる!」


「いや、あの……」酒場の店主はマドッグの剣幕にへどもどになり、一度ごくんと喉を鳴らして唾を飲み込む。


「……長は抗議したらしいが、何せ王令だ、苦り切った顔で帰ってきたよ」


「どうしてあたしとマドッグなの?」


 男あさりをしていたレイチェルが割り込む。それどころではないくらい判るのだろう。


「そりゃあお前達がこの街の、いやこの国の冒険者ギルドのトップランカーだからだろう」


 答えたのは背後の席にいた酔った男だ。


 マドッグには見覚えがある。冒険者ギルドでだ。


 冒険者などごろつきだと誰よりも熟知している彼だから、普段は冒険者ギルドになど近寄らない。しかし仕事を引き受けたり、情報を収集したりと足を向けなければならないこともある。


 この酔漢も冒険者で、ギルドに顔を出していた。


「マドッグ、喜べよ! お前達はこの底辺の生活から抜け出せるチャンスが与えられたんだ……領地と金、そりゃあもう貴族様じゃねえか。うらやましいぜ」


「馬鹿じゃないのか? その為に俺達は名前くらいしか知らない奴らと殺し合うんだぞ?


 大体、それじゃあ俺達は仲間を、身内を殺していくんだ。これからの商売にも障るだろ」


 マドッグは口内に残っていた苦いエールを吐き出すが、ルベリエは感心したように頷いた。


「しかしお前さん達がそんなに有名だったとはな」


「今日は帰る……酒が不味い!」


 マドッグは木床に足を叩きつけながら店を出た。

 


 サイレスの街は日が沈んでもそれなりに賑わっている。


 ここらの街の中では一番大きく、娼舘などが軒を連ねる歓楽街もあるから当然だ。


 マドッグはそんな夜の街の雰囲気が嫌いではなかった。元々自身もアウトサイダーであり、太陽の下で汗する他の健全な職業とは違うと知っているからだ。 


 だが今日の彼は機嫌が悪かった。


 何かに耐えるように奥歯を噛みしめ、石畳の道を行く。


 ──汚ねえ街だ。


 繁盛している娼舘の光に照らし出されるのは、糞尿とゲロと血と酒、様々な汚物が垂れ流された地面だ。


 マドッグはちょろちょろしているネズミを蹴飛ばす勢いで歓楽街を抜け、街の端の端にある小屋へと向かった。


 ボロ切れを纏った年寄りのような、いつ倒れても不思議じゃないあばら屋だ。


 今時屋根は藁葺きで壁は泥を塗った木の板、窓にガラスは無く亜麻布をかけるだけ。


 マドッグは顔をしかめた。無理もない。これが自分の家なのだから。


 冒険者の現実だ。


 一攫千金など夢でしかない。何せこの粗末な家でもまだいい方だ。先程でもあったがマドッグはレイチェルと共にギルドのトップランカー、つまり最も依頼をこなしている冒険者だった。


 そう、彼は必死に働いた。必死に戦った。狂犬、とまであだ名されるほど。


 生活を少しでも好くするために。何よりも……。


 マドッグは扉の前で無理に笑みを作ると、ノックをして入った。


「帰ったぜ、ソフィー」


「おかえり、マドッグ」


 ソフィーは青白い顔に光のような笑みを湛えて彼を迎えてくれた。鋭い彼女のことだ、マドッグの機嫌のよさが演技であると見抜いただろうが、おくびにも出さない。


 ソフィーは相変わらず美しかった。


 茶色の髪にはっとするようなエメラルドの瞳。鼻は高く細く、唇はやや厚い。 


 マドッグは愛する妻を抱き寄せると、その顔をしげしげと見つめた。


 柔らかな表情の彼女は、この一年で痩せた。


 少し前まで、ソフィーは頬がふっくらとした少女だった。


 一年前に結婚した時、マドッグは二七歳、ソフィーは一九歳で、少女のあどけなさをまだどこかに残す彼女を妻として娶っていい物か、マドッグは密かに悩んだ。

 

 だがどうしても彼女を手に入れたかった。


 ソフィーは街で評判の美人だったために競争率が高かったことも、彼を焦らせ急がせた。


 ふとマドッグはソフィーの髪に髪飾りに見つけた。


「ソフィー、また店に出ていたのか? 大事な体だぞ」


「あっ」と彼女は慌てて髪飾りに手をやる。


「ごめんなさい、テルセスさんに頼まれて」


 嘘だ。マドッグには判る。ソフィーは確かに街一番の酒場『忠実な従者』停の看板娘で、店主テルセスのお気に入りだった。


 だが今この時期に彼がソフィーに仕事を頼むとは考えられない。だとしたら彼女は自分で働きに出たのだろう。家計を思いやって。


 マドッグの手がそっとソフィーの腹部を触る。


 大分大きくなった二人の子が眠る場所だ。


「マドッグ」ソフィーの頬が染まる。


「大事な子供がいるんだ、お前は休んでいろ、それでなくとも……」



 ……病気なんだから。



 とは続けられなかった。


 ソフィーは妊娠して少し立ってから体調を崩している。最初は妊娠期特有の物と思っていたが、彼女の指先や足先が黒ずみだし違うと確信した。


 だからマドッグは必死に働いた。冒険者ギルドのトップランカーになったのはソフィーの薬代を稼ぐためで、レイチェルはその相棒だっただけし、あまり褒めていないあだ名で呼ばれる事となった……マッド・ドッグ、マドッグだ。


「ごめんなさい、マドッグ」


 ソフィーは長い睫を伏せる。


 マドッグはその姿に忸怩たる思いに苛まれた。


 ソフィーの病気は何だか判らないが、彼の稼ぎがよければすぐに治せる物なのかも知れない。


 彼女はマドッグが送った小さな真珠の髪飾りを大事にしているが、その時この看板娘は十倍の贈り物を用意できる男に言い寄られていた。


 勿論、そいつは冒険者なんて胡乱な職業ではなく、何人もの職人を雇っている大きな織物屋だった。  


 なのにソフィーはマドッグを選んでくれた。


 冒険者とは結局何もない者達だ。敵から装備や持ち物を奪い取る追い剥ぎと変わらない。


 ──もしソフィーがあの時アイツを選んでいれば……あるいは冒険者なんて辞めるか……潮時なのか、俺も?

 

 マドッグは彼女が病気だと知った瞬間からずっと悩み続けている。


 ──だが冒険者だった俺に何が出来る? 字も書けねえ……鳥刺しか? あるいは汚れ仕事だが死刑執行人……だめだ! それじゃあ俺だけじゃなくソフィーや産まれてくる子供まで賎民扱いだ…… 


「タフティー」


 ソフィーは彼の苦悩を呼んだのか、優しくその名を呼んだ。


「やめてくれよ、その名前は」


「あら、照れているの?」


 くすくすとソフィーは優しく笑う。


「何か考えているようだけど、私はマドッグの奥さんになれたことを後悔していないわ。一緒にいられるだけで十分よ」


 やはり彼女は偉大だ。


 マドッグはもう一度やや強めにソフィーの体を抱き寄せると、唇を求めた。


 しかしソフィーはふっと俯く。


「どうした? ソフィー」


 ソフィーの表情は暗かった。


「嫌な噂を聞いたの……あなたが何かに選ばれた、て」


「ああ決闘か? あんなのは俺には関係ないことさ。身内に剣は向けないよ」


 ぱっとソフィーの顔が輝く。


「そう、そうだと思ったわ」


「気にするなソフィー。それより明日は豚肉でも買ってこようぜ。店の端の虫が食っている奴じゃない新鮮な奴を……お前を必ず元気にしてやるさ」


「マドッグ……」


 二人の唇は今度こそ重なった。



 第二章



 掌があった。



 いつの間にか痩せて丸みが失せ、皺が寄り、色も悪くなった掌。


 彼はそれを見つめながら考えた。


 自分が老いたと彼は悟っている。今まで出来ていたことが出来なくなっている。


 一昨年跳び越えられた川に落ち、去年倒せた敵に苦戦する。彼の冒険者としての時間は過ぎ去ろうとしていた。


 彼は自分が冒険者であることを誇りに思っていた。


 確かに貧乏でしがない浮き草稼業だ。だがそこに誰もが憧れる自由と夢が混在している。

 実際、冒険者としての日々は楽しい物だった。毎日充実して、満足して眠れた。



 もう過去だ。



 今ここにいるのは中年を過ぎた、何も持たない男だけ。


 彼はそっと整えた口ひげを撫でた。


 決してイニシアティブを相手に取られてはならない。それは人生にとってもそうだ。

 彼は決心した。最後の博打に打って出るのだ。



 ローデンハイムの騎士ベルリオーズは、愛馬ブラックウインドに跨り、自分の領地へと急いでいた。


 ブラックウインドは今日も疾風のようで、従者のハワードは彼を追うために苦労して馬を操っているみたいだ。


 ふ、と笑みを浮かべて愛馬の足を緩める。従者に心を砕くのも騎士としての礼儀だ。


 ブラックウインドは心得たように一度いななく。


 ベルリオーズはその黒い背中を数回撫でた。


 ブラックウインドの名の由来は黒い馬体と風のように走る姿からだ。強い馬でベルリオーズがプレートメイルで完全武装していても、その速さは変わらない。


 騎士にとって軍馬は命の次に大事な物だが、ベルリオーズにとってもこの俊足の黒い馬は何にも代え難い大切な相棒だった。


 夏の太陽は熾烈だ。ベルリオーズは一度それを睨みつけると額の汗を拭い、森の近くの涼しい自分の領地を思った。 


 ベルリオーズが領地へと走るのには意味がある。下らない決闘騒ぎを無視するためだ。


 勇士決闘……バカバカしいその話は当然本人の耳にも届いていた。 


 ベルリオーズはすぐにコンモドゥス王に諫言した。しかし王は黄色っぽい目で見つめるだけで彼の言葉を避け、呆れたベルリオーズは領地ワイズニスへと帰ることにした。


 ──全く、王のおふざけには着いていけない……あるいはこれを機にリキニウス公に着くべきか。


 ベルリオーズはブラックウインドが起こす風の中で今後の身の振り方を考えていた。


 そんな彼の目前に突如乱立する木の杭が現れる。


 ベルリオーズは慌ててブラックウインドの手綱を引っ張った。


「何だ?」周囲を見回す。


 右手に森がある何の変哲もない街道だった。ただ馬を妨害するための杭が立っている。


 ブラックウインドが激しく暴れ、ベルリオーズは力で愛馬を落ち着かせる。


 土埃が沸き立ち周囲がしばし曇った。


 どうどう、と愛馬の体勢を立て直し目を上げると一人の男が立っていた。


 にやにやと嫌らしい笑みを口辺に漂わせている。


「何者だ! 無礼な」


 ベルリオーズは憤慨して誰何する。これは明らかに彼達の通過を阻もうとする行為だ。



「俺はマドッグさ」



 ──マドッグ。


 ベルリオーズはしげしげと観察する。


 男は髪を後ろに流し、口ひげを整えている。一見見た目に気を遣っている風だが、所詮下賎、所々に綻びがあった。


 ベルリオーズは勿論マドッグについての情報は得ていたが、どこか目の前の人物と一致しない気がしていた。


「……もう布告は聞いているんだろ? ベルリオーズさま」 


 マドッグの言いたいことはベルリオーズにも判る。


 勇士決闘だ。それを求めてこの男は現れた。


「貴様! 無礼な!」ようやく追いついた従者のハワードが開口一番に怒鳴る。


「たかが冒険者風情が騎士の前に立つとは」


「これからもっと無礼なことになるがね」 


「何だと!」ハワードは激昂するが、ベルリオーズは冷静に「待て」と彼を制する。


「マドッグとやら、無益なことは止めろ。こんな戦いは無意味だ」


「無意味なのはあんた等だけだ、騎士様よ」


 マドッグは嘲弄するかのような口調だ。


「うーむ」ベルリオーズは改めてマドッグを見つめる。


 軽装だ。胸部部分に革鎧。防具はそれだけで、手には槍、腰に吊してあるのは細い針をそのまま大きくしたような武器・エストックだけ。


 ベルリオーズは少し吐息して決断した。


「よかろう、決闘とやらに乗ってやろう。見届け人は誰だ?」


「あんたが連れているだろう?」


 ベルリオーズが振り返ると、驚いたようなハワードがいる。


「ただし公正なのかは判らんがな」


 マドッグの言葉にハワードが怒声を上げた。


「貴様、私を侮辱するか?」


 腰の剣に手をかける従者を手を上げて抑え、ベルリオーズは念を押す。


「いいかハワード、この決闘には私の名誉がかかっている。どんなことがあっても公平に……誓えるか」


「誓います!」ハワードは胸を張ったが、すぐに不安そうに眉を下げる。


「……しかしベルリオーズ卿、このような者など無視すればいいのです。何もみすみす危険なことを……」


「王の命令だ」


 ベルリオーズはぶっきらぼうに答えた。彼は元より勇士決闘には反対だ。だが挑まれたのなら何者にも負けぬ矜持はあった。


「マドッグ、こちらが用意する時間はあるな?」


 ベルリオーズの問いに、マドッグは肩をすくめる。


「当たり前だ。そうしないと不意打ちになる。とっととやってくれ」


 ベルリオーズはマドッグを目の端に捉えながら油断無く愛馬から下り、ハワードに甲冑を装着するように指示する。


 まず専用の下着を着て、その上から鎖帷子、そして板金の鎧。時間はまあまあかかるが、マドッグは槍をぶらぶらさせて待っている。


 鉄製のヘルメットを手にマドッグにもう一つ訊ねた。


「場所はどこだ? 決闘はどこでやる?」


「ここだ」 


「…………」ベルリオーズはヘルメットを被り、ブラックウインドに乗るとバイザーを下げた。


「用意完了か?」


「ルールは知っているな」


「ああ」マドッグの笑いを湛えていた口辺が引き締まる。


 ハワードが静かに彼等から離れた。


 空気が冷え冷えと張りつめていく。


 ベルリオーズはバスタードソードを抜いて、片手で手綱を握った。


「ハワード、公正にだぞ」


 ベルリオーズが念を押すと、マドッグが呟いた。


「完全武装で馬にも乗る。どこが公正だ」


 勿論ベルリオーズは無視をする。


 こうして最初の決闘が始まる。


 騎士ベルリオーズVS戦士マドッグ。


 仕掛けたのはベルリオーズからだ。ブラックウインドを走らせ一気にマドッグとの距離を詰める。


 そして間合いに入った瞬間、バスタードソードを一振りした。


 が、マドッグはそれを予測していたのか、最初から馬の正面に入らず、剣の範囲から転がり回避する。


 ベルリオーズはすぐに馬の向きを変えると、同じように突進した。


 やはりマドッグは前転してかわした。


「逃げるだけか? マドッグ」


「そちらこそ、お得意のランスは使わないのかい?」


 ベルリオーズは顔をしかめた。


 ランスは集団戦だから使える武器だ。一対一の徒歩の敵には使えない。何せ馬の進行方向からずれるだけで無力化できてしまう。


「なるほどな」ベルリオーズは納得した。


 マドッグが馬に乗っていないのは正面からのぶつかり合いを避けようとの魂胆だ。軍馬を持つ金がないだけかもしれないが。


「しかし!」


 ベルリオーズは馬首を巡らせた。もう逃がすつもりはない。瞬発力では馬が勝っているのだ、マドッグの小賢しい浅知恵を力、馬の脚で文字通り粉砕しようと考えた。


「覚悟!」


 ベルリオーズはブラックウインドの腹を足で叩いた。


 騎士ベルリオーズはローデンハイム王国では知らない者がいないほどの勇士だ。


 勇士決闘の候補に加えられる資格は十分にある。彼は混沌の怪物達だけでなく人間同士の戦にも出て、敵を散々打ち破ってきた。

 

 囚われた時の身代金は普通金貨三万枚。ギガテス伯程ではないがその名声は抜きん出ている。

 

 彼は騎士を体現した人物でもあった。


 城では若い頃から貴婦人達との『宮廷風の恋』に興じて、戦の遍歴と同等の経験を積んだ。各地で行われるトーナメントには必ず出席して、敵から戦利品を奪った。


 どんな戦いでもいつも先頭で、最初に、敵騎士に突撃し、最初に、落ちた街で略奪し、最初に、負けた領地で武器を持たない人々虐殺し、最初に、逃げる女を強姦した。



 騎士らしい騎士である。



 だから彼はマドッグと名乗ったみすぼらしい男が前に現れても、心が揺れることはなかった。


 マドッグが持っている武器が板金鎧には利かないこと、防具がただの革の部分鎧だけだとすでに見抜いてもいる。


 ならば恐れることはない。


 ベルリオーズにはブラックウインドがいる。


 この駿馬も持ち主を殺し、戦利品として得た物だ。恐らく彼が今まで得たどの財宝よりも価値があり、犯してきたどんな美女よりも美しい馬。  


 ブラックウインドの脚から逃げられた者はいない。


 マドッグは何かに飛びつくように前転し、またブラックウインドと騎士の攻撃から逃げた。


 ベルリオーズは敵の唇に嘲るような笑みを見つけ、怒りに震えた。


「ブラックウインド!」


 再び馬での突撃。それを思い浮かべた。


 だがその前にマドッグは手にした槍を投げていた。


 槍は空気を切り裂き、ブラックウインドの胸に深々と突き刺さった。


 ブラックウインドは悲鳴のような鳴き声を上げ、その場に横倒しになる。


 ベルリオーズは反射的に反対側へ飛び降り、愛馬の下敷きになるのは避けた。だが……。


「卑怯だぞっ!」


 騎士は怒りに震えた。


 愛馬ブラックウインドは血のあぶくを口から吐きながらもがいていた。


「何が? ルールは飛び道具禁止だったが、武器を投げて使ってはならないとは、なかったが」 


 ベルリオーズは兜の中で歯ぎしりした。


「ブラックウインド……」


 横倒しのブラックウイングの子細を見て絶句する。油断した。戦場とは違うと思い、馬に防具を着けなかった。


 ブラックウインドはもはやここまでだ。


 鉄のバイザーの下でベルリオーズは涙を流した。 


 騎士とは武具と軍馬があって初めて成立する職だ。馬、とくにブラックウインドのような優秀な軍馬は騎士達にとって財産であり、恋人であり、友だ。


 実際、まだ修業時代に諸国を遍歴したベルリオーズは、ブラックウインドと会話したり、歌を聴かせたりして若者時代の孤独をいやした。


 そのブラックウインドが、苦しそうに口を開け閉めして最後の時を迎えようとしている。



「許さん、許さんぞマドッグ!」



 ベルリオーズはバスタードソードで斬りかかった。


 マドッグはまたあっさりと剣の届く範囲から退く。


「おのれー!」


 もはや滅茶苦茶にベルリオーズは駆けた。マドッグを殺す、それだけしか頭になかった。


 ざくり、と左腕に何かが刺さり痛みが火のように燃え上がったのは、次の瞬間だ。


 唖然としてバイザーから外を見ると、左腕の内側、板金で守られていない部分に、敵のエストックが突き刺さっていた。


 ベルリオーズが反射的に剣を振るうと、彼にエストックを刺したマドッグが飛び退く。


「く!」ベルリオーズは血が吹き出る腕を庇いながらようやく悟った。マドッグは全て計算して現れたのだ。


 まず槍で馬から引き下ろし、次に針状の武器で板金ではない鎖帷子の部分を狙う。


 鎖帷子など所詮針金を丸くして連ねてあるだけの防具だ。確かに刃物の刃には有効だが、尖った武器の突きには無力である。


 マドッグはまた口辺をにやにやと緩ませている。


「く、侮るなっ!」


 ベルリオーズが剣を振り上げ、マドッグが飛び退く。


 何度も何度もそれが続いた。


「貴様! これのどこが決闘だ!」


 見届け人のハワードも展開に悪態をついたが、マドッグの行動は変わらない。


 ベルリオーズの剣を避ける。


 どのくらいそんな攻防が続いただろう。ベルリオーズは突然自覚した。


 ……体が重い。


 彼の動きが鉛でもぶら下げているように、緩慢になっていた。


 隙を見逃すマドッグではない。


 再び彼の姿が消え、今度は右の腿に痛みが走った。


「うおお」ベルリオーズはその場に片膝をつき、激しい呼吸を繰り返した。


 いつの間にか顔は汗でぐっしょり、否、全身から汗が噴き出している。


 目の前にはじりじりとした太陽を背にした、マドッグが立っている。


 ベルリオーズは息苦しさを感じ、顔を覆うヘルメットタイプの兜のバイザーを上げた。


 目に映ったのはエストックの切っ先。


「おお!」彼は転がりマドッグの一撃をやり過ごしバイザーを下げる。


 体が酷く疲れていた。息も苦しくて仕方がない。


 プレートメイル、そりよりも重装なプレートアーマーとも、地上でもそれなりに動けるようには設計している。倒れたら自分で起きあがれない、なんてことはない。だがこれらを装着するには専用の下着があり、鎖帷子があり、鉄板金がある。


 つまりプレートメイルは熱に弱い、熱気を逃がす部分がない。元より馬上の防具だからだ。今のベルリオーズのような地上での激しい動きには向いていない。


 辛いのは鉄兜だ。頭部から顔面をすっぽりと覆うヘルメットは暑さの他、呼吸も制限されるし、視界も悪い。


 ベルリオーズがマドッグに苦戦したのは、何よりもバイザーの覗き穴からしか、外の様子が見られなかったからだ。


 ベルリオーズは必死に乱れた呼吸を整えようとした。だが一度気にし出すと肺の苦しみは増し、火照りすぎた体も悲鳴を上げだした。


「ふ、ふふふふ」 


 突然、向かい合っていたマドッグが笑い出した。


「どんな塩梅だ? 騎士様よ」


「な、何」


「奪われる気分は、だ……お前達騎士は今まで特権のように他人の物を……財産を、愛する者を奪ってきた、だが今はこうして奪われる側にいる」


 マドッグは一転冷酷な無表情になる。


「そう、お前は命さえも奪われる」


 ベルリオーズは思わず身震いしていた。彼は戦場で死を予感したことはない。


 当然だ。彼は捕らえれば身代金金貨三万枚だ。誰もが殺すより捕らえる方を選ぶ。



 目の前の男は違う。



 ようやくベルリオーズは、コンモドゥス王の発案の真の悪辣さを知った。


「おおおおおっ!」


 ベルリオーズは不平を鳴らす体にむち打ち、渾身の一撃を敵に見舞う。


 が、やはりマドッグは、動きが鈍く視界も悪い騎士の攻撃の下にはいなかった。


「騎士は強いんじゃない! ただ硬いんだっ!」


 マドッグのエストックがベルリオーズの左腿を捉える。


 深手だ、血が噴き出すのをバイザーの切れ目からもベルリオーズは確認した。さらに動けない。彼は両方の腿に傷を負った。


「ベルリオーズ卿!」


 ハワードが武器を手にして乱入しようとしたが、マドッグは「殺すぞ」と一喝して彼の動きを封じる。


 ただその場に蹲るだけのベルリオーズは、マドッグに蹴倒され、仰向きにされる。


 ベルリオーズはその瞬間、鞭のように剣を振るった。


「うわっ」マドッグがよろめいた。


 窮地に陥ったベルリオーズの会心の反撃。ずっと狙っていた攻撃だ。


 しかしそれはマドッグの顔に一条の傷をつけるだけだった。


「やるじゃないか」マドッグは血が溢れる顔の左半分に手をやり、ベルリオーズの力を失った右手を踏みつけた。


 容易く兜を取られる。


 熱した外気を吸ったベルリオーズは、自分の上にいるマドッグに語りかけた。


「待て……私には身代金がある。普通金貨三万枚だ」


 ここに来てベルリオーズが思うのは、領地にいる美しい妻ウィーダの姿だ。去年ようやく跡継ぎのエルンストを授かったばかりの、彼の家族。


「待て」


 だがマドッグはもうエストックを持ち上げていた。


 ここでベルリオーズに疑問が浮かぶ。


 確か城で説明を受けた狂犬と呼ばれた戦士マドッグは二〇代の中頃だった。しかし目の前のマドッグは、どう贔屓しても三〇代以上としか見えない。



「貴様……誰だ?」



 それが騎士ベルリオーズの最後の言葉となった。


 マドッグと名乗った男のエストックはベルリオーズの眼球に突き立てられ、頭の後ろから尖った先が出た。



「ベルリオーズ卿! 貴様、なんて事を」


 ハワードとか言う男が、顔色を蒼白にしながら馬の上から怒鳴るが、彼には関係なかった。


「さあ、さっさと城に戻ってこの結果を報告しろ……騎士ベルリオーズは勇士決闘でマドッグが倒したとな」


「こんなこと、王が許しても教会が許さないぞ」


 彼はハワードの瞋恚の目にぱたぱたと手を振る。


「あ、そーかい」


 彼はハワードに背を向けると、戦場を後にした。


 血まみれの左顔面を抑え、背後を警戒しながら大きな木の陰に入る。


 その場に崩れた。



 彼・ルベリエは血で固まった口ひげを撫でる。



「若い者のマネはしんどいねぇ」 


 無様に地面に転がりながら呟く。


 紙一重の戦いだった。もっと楽に行けるかと踏んでいたが、やはり勇士に選ばれる騎士は強かった……もしくは自分が予想した以上に老いていた。


「ともかく、最後の博打の始まりだ」 


 ルベリエは荒い息を吐きながら、次の展開を考え始めた。



 騎士ベルリオーズVS戦士ルベリエ。ルベリエの勝ち(甲冑を過信しすぎ)




 第三章


 朝日が地平線に光の線を描いていた。


 常に朝は何事もなかったように始まる。昨夜の血にまみれた大地を忘れたように。


 崩れかけた坑道の入り口から、鎖帷子の男がふらふらと出てきた。革鎧の美女も続く。


 マドッグとレイチェルは丸一日かけた探索を、ようやく終えた。


 成果は……レイチェルは不機嫌さを隠さず、ブーツで地面を蹴る。


 冒険者ギルドの仕事だ。内容は、坑道に住み着いた混沌の者を倒せ。


 当初、レイチェルは珍しくやる気に満ちていた。何せ、この坑道は金鉱山の跡なのだから。


「金の塊の一つもあるわよ」と目を輝かせた。


 だがいたのはゴブリンわんさかで、あったのはがらくたばかり。


 時にゴブリンは金目の物をため込む事がある。レイチェルはそれを頼りにいちいち怪物の死体から袋を取っていたが、めぼしい物など何一つ無かった。


 結局いつもどおり装備をかっぱぐだけで、徒労だけが残った。


 これで周辺の村が平和になった……等と考えるほど彼等はウブではない。


「全く、貴重な時間を費やして何もかもムダ!」


 レイチェルの吐き捨てが全てだ。


 マドッグは肩を落としていた。彼もソフィーに新しい服でも買えるかと、少し期待していた。


「あーむかつく、とっとと帰りましょ……ルベリエがいないからきっちり半分こね」


 レイチェルはかっぱいだ武器の束を肩に、ずんずんと進んだ。


 背中を追うマドッグは、疲れていたからなのか、こんな場合なのにレイチェルの背中に見とれた。


 ミュルダールとか言うハーフエルフとは違う魅力が、レイチェルの背にはある。


 彼女の、戦いを含む冒険で引き締まった均整の取れた体は、男達の欲望を刺激する。


 革鎧を着込んでいるのに、娼婦のような扇情的な香りがあった。


 レイチェルと最初に出会ったのはもう一〇年近く前だ。街道を歩いていたら何かのうめき声が聞こえ、駆けつけると少女がトロールと戦っていた。


 まだ正義感があったマドッグは、すぐに加勢した。



 はっきり覚えている。



 マドッグが剣を抜いて乱入した時レイチェルの顔に閃いた、蠱惑的な笑みを。


 二人は何とかトロールを仕留めたが、今度は剣を向けあった。


 トロールが金貨を一枚、持っていた。


「これはあたしのよ! 最初に戦っていたんだから」


 その諍いがどうなったかもう覚えていない。ただその夜、街道の外れで二人は情を通じた。


 マドッグは若々しい女の体を抱きながら、どうしてこうなったか悩んだ。


 レイチェルはどういう生い立ちなのか性に耽溺していて、自らの性欲を隠さなかった。


 彼女はマドッグと組むようになってからも、彼を含めてルベリエやその他の冒険者と抱き合っていた。


 光の女神アーシュ=リアが忌む姦淫の悪徳を具現化したような女だ。


 マドッグはそうと知りながらも、一度彼女を妻にしようと決心した。


 たった数秒だけだ。


 ある日何でもないように、



「私あんたの子妊娠したから」と告げられた。



 父親になる。不思議な感覚だった。


 だがだとすれば体裁だけでも整えなければならない。レイチェルを妻にしなくてはならない。子供のために生活を改めなければならない。


 彼が父親だったのは数秒だ。



「もう流したから」



 彼女はあっさりと、何でもない風に続けた。


 何か形容できない感覚が胸にある。その瞬間からだ。


 マドッグは胸のもやもやから、レイチェルの背中から目をそらした。


「しけてたね、酒代はあるかな?」


 レイチェルはゴブリンの武器の束を叩く。


「あるといいな」 


「他人事よね、あんたにだって問題でしょ? ソフィーのために」


 レイチェルは振り向き、艶めく唇に硬質な笑みを刻んだ。


「あんな女のどこがいいんだか……あたしの方が抱き心地いいだろうに」


 マドッグは何も答えなかった。


「マドッグ……」レイチェルが突然立ち止まる。


 マドッグもすぐに気づいた。


 まだ廃坑から続く一面石だらけの場所だった。


「誰? 隠れて見られるの、あたし嫌いなんだけれど」


 レイチェルが気安さを装った声を出し、マドッグは荷物を降ろして剣の柄に手を置く。


「バれていましたか……さすが勇士殿」


 大きな岩の影から一人の人物が姿を現した。


 男だ。まだ若い……か分からない。


 岩の影に潜むように立っているのは、エルフだった。


 端整な顔立ちに白い長髪、尖った耳。


 ──へー。


 マドッグは感心する。エルフ男はなかなかの美貌だった。


 レイチェルは喜ぶだろう。


 が、彼女の目元は鋭く、表情は硬い。


「あんた誰? 何のよう?」まるで刃のように冷ややかで、緊張感のある声だ。


「私はヘイミルと申します。吟遊詩人です」


 エルフのヘイミルは仰々しく一礼する。


「用件、聞いたんだけど?」マドッグが口を開こうとするが、レイチェルにより機先を制され、黙る。


「勇士決闘、参加しないのですか?」


「ああ、それか」マドッグはうんざりしたように答える。


「馬鹿馬鹿しい、の一言だ」


「そうですか」ヘイミルは鮮やかな笑みを口辺に、滲ませている。


「で、それを聞いてあんたどうすんの?」


 レイチェルの口調は、相変わらず相手を突き放すようだ。


「いいえ、どうもしません。私はただことの成り行きを歌にしたいだけです」


 ヘイミルは今一度深く頭を垂れると、踵を返した。


「……何だあれ?」マドッグが眉を曇らせると、レイチェルが浅い息を吐く。


「何であれ、あいつは危険よ」


 レイチェルの顔はまだ仮面のようだ。



「あんな所にいるのに、ここまで血の臭いがしたわ」



『血まみれ剣』停に休みはない。いつも誰かしらが酔っぱらっている。


 ゴブリンからかっぱいだ武具を売ってささやかな金を手にしたマドッグとレイチェルは、きっちり等分に分け、夜が明けたばかりの酒場へと入った。


 木の扉を開くと、テーブルに突っ伏していた男の目が丸くなり、アンデッドのように蘇る。


「お! 噂のマドッグじゃねえか、やったな!」


「はあ?」マドッグが眉を寄せると、あちこちで沈んでいた酔っぱらい達が歓声を上げる。


「騎士だってな? 流石だぜ」


「これで後何人だ?」


 彼等の興奮に引きながら、手を振る。


「何だよ? 何の話しだ」


 マドッグが苛立ったのは、今まで寝ずに坑道を彷徨っていた疲労も関係していた。


「何言ってんだよ」


 ばしんと酒場の親父に背中を叩かれる。


「お前やったんだってな、勇士決闘」


「は?」


「もうここら界隈じゅあ有名だぜ、偉そうな騎士を倒したって」


 マドッグは本格的に唖然とした。そんな事実はない、彼は今までゴブリンをかっぱいでいた。


 だがどうやら彼は騎士ベルリオーズと勇士決闘をして勝利し、普通金貨一〇〇枚を貰った事になっていた。


「俺にエールを奢らせてくれ!」


 酒場の親父が興奮口調で木のジョッキをテーブルに置くが、マドッグはそれに構わず店を飛び出した。


 行く先は冒険者ギルドだ。


 仕事以外は絶対に触れない扉を突くようにして入ると、うんざりする光景がある。


 一見して冒険者と判る粗末な服装の汚れた男が、熱心に壁に貼られた羊皮紙を睨んでいる。


 どうせ戦利品が発端だろう三人の男達が言い争い、傍らでそばかすだらけの醜い女が所在なさげにしている。


 エルフの血でも入っているのか、妙に顔かたちの整った痩身の若者は、目に油断ならない光を湛えて周りを睨んでいる。もう何年も見てきたギルドの日常だ。


 マドッグは知っている。ここにいる者に心を開いてはならないと。 


 冒険者なんかになる奴は臑に傷があるお尋ね者か、本当に財産のない貧乏人、徒弟にすらなれない性格に難のある者達だ。


 連中を少しでも信じれば、己の身が危うくなる。 


 一四歳の頃から冒険者として生きて来たマドッグだから、皆の腹の中も大体読める。


 ただ、今は仲間を募集に来たのではない。


 マドッグは藁の敷いてある床を歩き、建物の奥にあるそれだけは立派な木のカウンターへと進んだ。


「おお、噂のマドッグか! どうした?」


 案の定、受付の男はマドッグの登場に少し興奮している。


「あんたすげーな、騎士をヤっちまうなんて」


 その嘆息には色んな意味が含まれている。


「あいつかよ、決闘の」


「へ、今度は身内に手を出すのか?」


「裏切り者が」


 背後からは彼を軽侮するひそひそ声が聞こえてきた。このまま決闘を続けていたら、冒険者ギルドに所属している冒険者も対象になる、信頼を失って当然だ。


 マドッグは奥歯を噛みしめると、受付の襟首を掴んだ。


「え」と笑顔だった男の顔が引きつる。


「金は? 決闘の賞金はどうした?」


「え、ええっと、代理が持っていったが……」


「代理? 誰だ?」



「ル……ルベリエだ」



 マドッグの口が一度開かれたが、それが閉じる。


 得心いった。そう、納得した。それはあり得るのだ。


 マドッグの手から力が消えていたらしく、受付は彼の指からすり抜けると、阿るように微笑む。


「マドッグ、勇士決闘もいいんだけど、こっちもやってくれないかな? 南の街道にヤバい死霊が出るらしいんだ。しかもかなりの数……金貨一枚の大仕事だ」


 マドッグはもう背を向けている。彼はルベリエを探さなければならない。


 人の名前を騙って勝手に決闘を始めてしまった、パーティの仲間を。


 ルベリエはどこにもいなかった。


 マドッグは酒場から鍛冶屋、宿屋、散髪屋、水車小屋まで覗いたが、あの伊達者の姿はない。


 しかたなく途方に暮れた足取りでソフィーの待つ家に帰る。それしかもうなかった。


「マドッグ」


 ソフィーは相変わらず輝くような表情で出迎えてくれた。


「ああ、ただいま」


 まるで何も懊悩など無いかのように振る舞うと、ソフィーの青みがかった唇に自分のを重ねる。


「待ってて、スープをよそうから」


 ソフィーは病気であることを露とも見せず、リスのようにくるくると働き出し、マドッグは愛くるしい姿に本当に悩みを忘れた。


 だが、からんと音を立てて彼女はスープの入った木の椀を、床に落とす。


「どうした? 珍しいな」  


 マドッグは何でもないようにそれを拾って彼女に差し出そうとするが、そこではっとする。


 ソフィーは蒼白な顔で立ちつくしていた。


「どうした?」


 マドッグが訊ねると彼女は両手で顔を覆う。


「ごめんなさい、また落としちゃった……ごめんなさい」


「何だよ、こんなのよくあるミスだろ? どうしたんだよ」


「違うのマドッグ! 違うのよ!」


 ソフィーは激しく頭を振った。


「お店でもこうだった、今までそんなこと無かったのに、すぐお皿を落としちゃった……私の手がおかしくなったの!」


 マドッグは無言で優しくソフィーの手を握る。


 爪先が焦げたように黒い。


 この病を巷では『火神の災い』とか呼んでいる。手足の先が黒ずみやがて死に至る。


 マドッグは激しく嗚咽するソフィーの肩を抱いて、彼女が落ち着くのを待った。


 ──金貨一〇〇枚か。


 マドッグの心はいつの間にかそこにたどり着いていた。


 ──それだけありゃあソフィーに医療を施せる……『英雄的治療法』(ヒロイック・メディシン)も試せる。


 彼の心は激しく揺さぶられた。


 ──ルベリエの奴、金はどうしたんだ? 

 


 翌日、何とか泣きやんだソフィーと抱き合って眠ったマドッグは、早朝のノックに叩き起こされた。


「何だよ。うるせーな」


 寝ぼけ眼で扉を開けると、仮面のように無表情のレイチェルが立っていた。


「マドッグ、来て」


「どうした? こんな朝っぱらから」


「いいから来て」


 感情豊かなレイチェルにしては棒のような言葉だ。


「……ルベリエが待ってる」


 マドッグはすぐ決心した。


 彼はまだ眠っているソフィーを起こさないように素早く鎖帷子を着用すると、愛用のロングソード、そして鎌状の剣ハルパーを腰に吊す。


 何があるか判らない。彼の本能は赤信号を点滅させていた。


 早朝の街は人通りが少なかった。肉屋が堂々と店の前の通りで豚の解体をしている。 


 普段なら悪臭に悪態をつくレイチェルだが、やはり無言でその脇を過ぎる。


 マドッグはレイチェルに誘われ、市壁の外、街の外に出た。


 街道から外れ石壁に沿って進むと、壁に背中を預けているルベリエがにこやかに立っていた。怪我でもしたのか、顔半分に黄ばんだ包帯を巻いている。


「ようマドッグ」


「……納得できる言い訳があるんだろうな?」


 にやにやしているルベリエに、マドッグは冷たい視線を返した。


「普通金貨一〇〇枚か? あれは半分は渡すが半分は俺にくれよ」


「ふざけるなっ!」


 激昂するマドッグに、ルベリエは壁から離れる。


「聞けよ! これはチャンスだ。このロクでもない場所から逃げ出せる。もうこれしかないだろ? お前もどうしようもない冒険者なんて状態は真っ平だろ?」


「それで、ギルドの身内も殺していくのか?」


「そんな奴らは他人だ」


 そっぽを向くルベリエにマドッグは笑う。


「で、お前が殺した騎士の復讐は俺が引き受けるのか?」


 騎士には復讐権と言う権利がある。教会がそれを認めれば、彼等は身内の騎士達を動員してやってくるだろう。


 マドッグと名乗った騎士殺しに復讐するために。


「大丈夫だって」ルベリエは大仰に手を広げる。


「これは王が決めたことだ。復讐権については何てとかしてくれるって……俺だってお前の名を出すのは気が引けたさ。でも選ばれたのは俺じゃない、お前だ」


「ああ、そして俺は決闘なんて馬鹿げたことに興味はない」


「マドッグ、考えろよ。ソフィーだ、彼女の病気だって治せるんだぞ? 浴場で医療を受けさせられるし、貴族様が飲んでいる薬……『英雄的治療法』だ」


 それはマドッグの弱点に突き刺さる。彼の脳裏に病気を嘆くソフィーの姿がよぎった。


「俺は陰でおまえらをサポートする……勿論タダじゃないが、それで俺達は圧倒的に有利だ」


「……そうね有利ね」今まで黙っていたレイチェルが、艶めく唇を開いた。



「あたしがね!」



 レイチェルはすらりとレイピアを抜く。




 愕然としているマドッグの顔を見て、レイチェルは吹き出した。


 驚くだろうとは思っていたが予想以上の反応で、彼女の自尊心は満足する。


「何のつもりだレイチェル?」


 一歩下がるマドッグに、レイチェルはすまして答える。


「あら、忘れた? あたしも勇士決闘に挙げられた一人よ」


 気配を感じたのか、マドッグも剣を抜く、


「やめろレイチェル、俺達は……」


「仲間……でしょ? でもねマドッグ、こうして決闘が始まっちゃうと、あたしも欲しくなっちゃうのよ」


 レイチェルはレイピアを構える。


「お金と領地!」


 素早く踏み込んで、マドッグの胸めがけてレイピアを突き出した。



 戦士レイチェルVSローグ・マドッグ。




 レイチェルが生まれたのはローデンハイム王国の最北にある、小さな村だった。


 彼女の父親は農奴で、母親も農奴の娘だ。


 父は乱暴で横暴な男だった。そして小心な男だ。 


 そういうタイプは概して上の者には媚びへつらい、力の弱い者には暴君になる。


 レイチェルの父親はそのひな形から一ミリも乖離していない、詰まらない人間だった。


 物心つく前からレイチェルは母に奮われる暴力を見てきたし、自分に対しても父は遠慮も容赦もなく、拳を振るった。


 このアースノアでは女性の地位は低い。


 同じ仕事をしても女の賃金は男の半分である。結婚した女は夫に絶対服従で、貴族はともかく農民は地母神エルジェナの名において、離婚は許されなかった。 


 だからレイチェルの父のような男は珍しくない……大抵がそうだ。


 妻達は皆、夫の暴力を恐れて、毎日びくびく過ごしていた。


 物心ついたレイチェルはそれが不思議で我慢ならなかった。だから彼女は殴られても蹴られても父に反抗して母を守った。


 それは最悪の方向に向かう。


 レイチェルが一一歳になった初冬だった。秋の刈り入れも終わり、後は冬のエルジェナ祭で領主から肉を分け与えられ、年を越す、一年が終わるまでの穏やかな期間だ。


 父はその日も母を殴り、母は家の片隅で泣いていた。


 勿論、レイチェルは父と対峙し酷い折檻を受けた。ただその寒い日はそれだけでは終わらなかった。


 荒々しく父がレイチェルに覆い被さってきたのだ。


 レイチェル自身自覚がなかったが、いつの間にか彼女の胸や腰からは男の目を引く色香が漂いだしていた。


 田舎の村で彼女の容姿は整いすぎていた。


 実の父はいつからか、レイチェルを邪な目で見ていたのだ。


 あっさりとレイチェルは男を知った。その後も父は夜になると彼女に抱きつき、レイチェルは羞恥と罪悪感に苦しんだ。


 母は、母は助けてくれなかった。


 それどころかレイチェルが襲われているなど見ていないように、むしろ微笑んで静かな時間を一人享受していた。


 死の冬……この世界に訪れる厳しすぎる冬で、神々が人間を見捨てアースノアの文明を停滞させるために、太陽を一つ奪ったから訪れるようになった……の頃になると父はより悪辣に、より卑劣になった。


 実の娘のレイチェルを村の男に抱かせ、見返りとして金やら家畜やらを手にするようになった。


 つまりレイチェルは家族の手で娼婦にされた。


 男が寒さを凌ぐ方法は酒と女だ。彼女は体どころか息も臭い男達の慰み物になり、母がにこにこと男達から金を受け取った。


 春になる頃にはレイチェルは妊娠していた。


 父が激怒する。


 レイチェルに落ち度など無い、彼女はただ犯されていただけだ。なのにレイチェルの父は娘を怒りのまま暴行し、しばらく血の色をした尿が止まらなかった。


 子はすぐに堕胎された。


 ぼろぼろのレイチェルはその後も男達の道具に成り下がった。だが生来勝ち気だった彼女は、自分が女故に陥ったどうしようもない状況を逆に考えることにした。


 ──男があたしを犯しているんじゃない、あたしが男を犯しているんだ。


 レイチェルは自ら体を使い、状況を楽しみ出した。


 一年後、レイチェルは村から出奔した。


 レイチェルの特殊な魅力にあてられた村の男達からの金銭が父母の生活の糧になっていたが、もはや彼女に二人に対する情などない、村にいる理由もない。


 冒険者レイチェルの誕生だ。


 最初は苦労した。まだ幼さの残る少女だったし、何の用意も訓練もしていなかったからだ。だがここでも彼女は自分の魅力に救われた。


 男達は愚かにレイチェルの体を求め、自分が犯されていると知らず彼女を征服したつもりになる。そんな連中の首を狙うのは簡単だった。


 レイチェルにとって自分の美貌と体は、武器だ。


 そもそも法に耐えられなくなり、その外側に出て行く者達は大抵男だ。盗賊も傭兵も冒険者も。だから一時の戦闘に敗れた折はレイチェルは絶妙に彼等を誘惑し、命を拾った。


 オークやらにもその手を使った事もある。


 レイチェルはそうやって生き延び剣の腕を上げ、名を上げていった。


 愚かな男達を踏み台にして、だ。


 彼女がマドッグと出会ったのは、トロールに追われている時だった。


 直前、冒険者ギルドから受けた怪物退治の為に集めた男どもは全滅していた。ただ窮地だったわけではない。レイチェルは既にトロールを倒す算段を着けていた。なのに割り込んだ少年がマドッグだった。


 レイチェルは儀式としてトロールを倒した後、彼を犯した。笑えることにマドッグはそれが初めてだったはずだ。


 それから妙に気が合い、マドッグと年かさの戦士ルベリエとよくパーティを組んだ。


 勿論、夜は夜で楽しんだ。


 結果、再び妊娠し、彼女は青ざめる。


 思い出すのは固い拳、尖った靴、止まらない血の尿だ。


 マドッグはレイチェルが出会った男達の中ではマトモで、女に暴力を奮うことはなかった。そういう男だった。だがレイチェルの震えは止まらない。



 ──マドッグに殴られる!



 彼女はすぐさま錬金術師から薬を買い、彼の子供を流した。


 報告したとき、マドッグは傷ついた顔をしたが、レイチェルは見ないふりをした。


 ただ彼がソフィーを妻に娶った時、レイチェルはぼんやりと思った。


 ──ねえ、マドッグ、あの子を産んでたら、私を選んでくれた?


「やめろ! レイチェル」マドッグの今更の言葉にレイチェルは喉の奥で笑った。 


 彼女はもう剣を抜いているのだ。後は……。


 レイチェルは獲物を前にした猫のように、マドッグに飛びかかった。


 レイピアを突き出す。


 マドッグは辛うじて身を捻り、彼の鎖帷子とレイピアの間で火花が散った。


 鎖帷子は斬る武器には強いが突く、尖った武器には無いも同然だ。レイピアは主に突くことを想定された武器で、先は鋭く尖っている。


「さあ、マドッグ、うかうかしていると死んじゃうよ!」


 レイチェルは跳ねるように地を蹴ると、マドッグに連続攻撃を叩き込んだ。


「レイチェル! 判るはずだ! こんなのは馬鹿げている」


 馬鹿げている……そうだ。ここでマドッグを倒しても次の決闘を行わないと意味がない。他の勇士達もそれを知って追いかけてくるだろう。


 この国の王は愚かだ。勇士決闘とは名の挙がった者達を、ただ追いつめるだけだ。


 レイチェルもそれは理解している。本当は決闘なんて興味なかった。ルベリエが口火を切ってしまう前は、だ。


 正直、マドッグの名を騙ったルベリエを軽蔑している。それによって勇士決闘が始まってしまった。


 人を追いつめるだけの戦いが、始まってしまった。


 ならレイチェルは戦うだけだ。もう男に征服されるのはごめんだった。


 それに……彼女の中に暗い輝きがあった。


 レイチェルが狭い村から飛び出して改めて判ったこと、それは女達の悲惨さだ。


 戦になれば負けた領地の女は騎士達に犯され、醜いオークやゴブリンどもも、村娘をさらっていく。


 男の数倍働いても稼ぎは並ばず、冒険者内での地位も低い。


 女は常に男の付属品だ。


 貴族達の間では女性にも領地の相続権があるらしいが、それはレイチェルの世界ではない。


 彼女は考えてしまった。自分が決闘に勝ち残って大金と領地を手にする姿を。


 男でも簡単には……否、事実上不可能だろう。


 冒険者から領主になるなんて。


 だからレイチェルはマドッグと戦う。女として自分達の価値を証明する。


 そうだ……ある貴族の道楽吟遊詩人・トゥルバドゥールはほざく。



「金や食料を盗めば泥棒だが、女を盗んでも泥棒にはならない……なぜなら金や食料は盗めば減るが、女性器を盗めば逆に増えるではないか」



 ──そんな馬鹿な理屈があるかっ!


 レイチェルは素早くマドッグを追う。対するマドッグはまだロングソードの柄に手を触れてもいない。


 苛立ちでこめかみが脈動する。


 マドッグ……レイチェルは彼が嫌いではなかった。だが彼が選んだのはソフィー。もし自分を選んでくれたのなら、この決闘など関係なく二人で他国へ逃げただろう。


 彼が選んだのはソフィー。


 あの弱々しいだけの女。


 レイチェルはふふふと想像して、笑う。


 ──あの女にマドッグの首を見せつけたら、びっくりして下から子供が出ちゃうかもね。


 レイチェルのレイピアがマドッグの胸を捉えた。


 よし! 彼女は勝ちを確信した。


 がきーん、と金属が打ち鳴る高い音が響いた。マドッグがついに剣を抜いてレイチェルのレイピアを弾いていた。


 レイチェルは鉄の一撃を受けた反動で、剣を放さないように歯を噛みしめる。


 その時彼女の目はまともにマドッグのそれを見た。


 悲しい翳りのある眼差しだ。 


 レイチェルは激昂した。馬鹿にされたと思った。


 彼女は全身の筋肉に圧を入れて体勢を立て直すと、今一度レイピアを繰り出した。


 ざくり、とそれはマドッグの左肩に刺さった。


 が、マドッグは顔を赤くした剣の一閃でレイチェルのレイビアをへし折ると、血に染まる左腕を使いハルパーを抜き、彼女の首に当てた。


 はあはあはあ……レイチェルは肩で息をする。


 二つの精神的な作業をしなければならなかった。まずは敗北を認めること、次にこの場を丸く収める言葉を探すこと。 


 悔しさはあったが、いつかまた挑めばいい。命を拾えばそのチャンスは必ずやってくる。

 これまでずっとそうだった。


「……じょーだんよ! マドッグ。何本気にしてんのよ!」


 取り繕った台詞は白々しく空に溶ける。


「わかった! ねえマドッグ、許してよ……」そして当然のようにつけ加える。


「だってあたし仲間だよ……手加減とかしてよ……それに」


 レイチェルは深刻な顔のマドッグに笑いかける。


「あたしに恨みなんかないでしょ?」


 次の瞬間、マドッグのハルパーがレイチェルの喉を切り裂き、彼女は血を吹きながら絶命した。



 マドッグは当然レイチェルとは戦いたくなかった。


 彼女はほぼ一〇年の年月を共にした仲間で、彼の最初の女だった。


 だがレイチェルは本気だった。本気でマドッグの首を狙っていた。だから仕方なく応戦し、傷を負いながら剣を首筋に当てた。


「……じょーだんよ! マドッグ。何本気にしてんのよ!」 


 マドッグはそれで許そうとした。全てを水に流してこれまで通りパーティを組む。


 しかし「あたしに恨みなんかないでしょ?」と訊ねられた瞬間、彼の目の前はスパークした。


 いつからか胸にちらついていた炎が、一気に吹き出す。


 左手のハルパーは自然に動き、マドッグは仲間を殺していた。


 呆然とするマドッグは、ぼんやりとしながらも呟く。



「……我が子の仇だ」



 レイチェルはどうか知らないが、マドッグにとって彼女の中に宿った命は重すぎる意味があった。


 マドッグは我に返り、その場に蹲った。


 思い出すのはレイチェルとの日々、楽しくすごした冒険の数々だ。


「レイチェル……」彼は這い蹲り、獣のように吠えた。


 どうして自分が彼女を殺せたのか理解出来ない。マドッグはレイチェルの亡骸を抱き寄せると、鮮血に染まりながら泣いた。


「お前の勝ちだ」


 頓着のない声と手が、マドッグの肩を叩いた。

「ルベリエ……お前だな? お前がレイチェルを焚きつけた!」


「おいおい、それは違うマドッグ。俺は彼女に決闘が始まったことを伝えただけだ」


「その結果がこれだ!」


 マドッグは目に殺気を込め、ルベリエを睨む。

「だがレイチェルを殺す決断をしたのはお前だ。俺は公正な見届け人として一部始終見ていた」


 ルベリエはマドッグに顔を近づける。


「もう遅いんだマドッグ、お前がレイチェルを殺した……勇士決闘を行った。ならそれをムダに出来ないだろ? 決闘を続けるしかない」


 マドッグはルベリエの酷い口臭から、顔を背けた。


 ただ判っていた、もう自分は冒険者に戻れないと。何せ身内を殺してしまった。


「俺がお前を勝たせてやるさマドッグ」


 ルベリエは不快なにやにやを浮かべ、マドッグを見下ろした。


「それでお前は何を得る?」


 ルベリエは冷え切ったマドッグの目にもたじろがなかった。


 彼は誇らしく胸を張る。


「賞金の半分だ」


「半分?」マドッグの口元に冷笑が閃く。


「ここまでしたお前にしてはささやかだな」


「いやいや、俺にはそれで十分さ。領地と英雄の称号はお前の物さ、マドッグ」


 マドッグは再び視線を、決して穏やかとは言えないレイチェルの顔へと戻した。



「お前はもう戻れないんだぜ」



 マドッグは囁くルベリエに構わず、レイチェルの遺体を慎重に地面に横たえた。


 風が彼女の巻き毛の黒髪を、生きているかのように揺らした。



 剣士レイチェルVSローグ・マドッグ。マドッグの勝ち(子供の恨み)



 完結させているので、続きます。読みやすいように改訂しました。

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