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昭和青春恋こがれ   作者: どらめ
1/1

一幕目

年老いてその名前を呼ばれた時、風体がしっくりくるかわからない名前を、親が可愛い、もしくはカッコいいとのことを先にして、意味や由来を後付けするような現代に比べれば、昭和一桁の親が名付けたその男の名前は、よくよく考えられたもであったのだろう。

「公人」変換キーを押しても1回目で変換されることの無い名前。

父方の祖母が「君子」と書いて「キミコ」、その男の父親自身が公務員であったことから「公」の一文字をかけて「誰からも好かれる人であって欲しい」との願いからついた名前。

今はもう自分の名前についてとやかく考えることも馬鹿らしい事と思える年齢となったが、子どもの頃はどうしてもっと普通の、それこそ公に流行っている名前にしてくれなかったのか悩んだ時期が長く続いた。

ただそうは思ってみても、男自身、親からいただいた名前を体現すべく努力はしてきた。

人から好かれようと、顔色を伺い、言葉を選び、常に弱者を装い、へりくだってこの歳まで生きてきた。

そして、その反動かどうかは未だわからないものの、ほんとうに大切にしなければならなかった人達を傷つけてきたのかも知れない。

そんな男の物語である。

昭和38年、公人は大阪市内で生まれた。

生まれてしばらくすると、父方の祖母と同居することとなり父、母、妹の5人での生活が始まった。

祖母は戦争で夫を失い、女手一つで公人の父と叔父を育て上げた人物で、自分にも他人にも厳しい人物であったが、公人にだけは何かと優しく接した。

公人が小学校低学年の頃である。

当時、映画館ではゴジラ、ガメラ、テレビではウルトラマン。

怪獣全盛期である。

中でも公人にとってゴジラは別格であり、今みればギャオスのような頭部のソフビゴジラが欲しくて欲しくてたまらなかった。

ある日のこと、これを知った祖母は孫の喜ぶ顔を見たかったのだろう、怪獣なぞにはとんと疎い人なのに、出先でふと思い出して怪獣ソフビを手土産に帰宅した。

公人にとって初めてのソフビ。しかも怪獣。おばあちゃんありがとう。ほんまにありがとう。むっちゃ欲しかってん。ありがとう。

そういった公人に差し出された袋。袋からソフビ怪獣を取り出す祖母の手。

期待と興奮が渦巻く瞳。公人と共に喜びを分かち合おうとする祖母。

袋から取り出されたソフビ怪獣。

黄色の怪獣。えっ。首が3つに羽がある。えっ。

キングギドラである。

おばあちゃん、これゴジラと違うぅぅぅ。

えっゴジラって何。

公人、怪獣欲しい言うてたやんか。

もう後は大泣きである。

今度ちゃんと買ってくるから、ごめんな、ごめんな。

なだめようとしてももうとまらない。

祖母は疲れた身体でその日再びゴジラという怪獣ソフビを買いに行く羽目になった。

そんな公人のわがままを咎めることなく、我が子には一切手をあげることもなく、若くして亡くなった父。

父は一人で家計を支える祖母の苦労を幼い頃から見てきており、祖母の期待に応えるべく、また長男である自分がしっかりせねばと勉強に運動に何でも一番を目指してきた。

地域では一番優秀といわれる県立学校へ入学し、本当であれば東京の大学へ進学したかったそうであるが、金銭的な苦労をかけられないとの理由で県内の国立大学へと進む。

しかし、都会への夢だけは捨てきれず、親類が居るから大丈夫、かつ公務員になるから食うに困らないとの理由で祖母を説き伏せ、就職先を大阪の地とした。

いつであったか、公人が何で東京行けへんかったんと問うたところ、父は苦笑いしながら東京は誰も知り合いがおらんかった、と答えた。

父は、家族が金銭的に苦労しないようにと真面目に一生懸命働いてきた。

公人が中学生の頃である。

そんな父に、東京に住み、なおかつ全国を回って勤務し、最終的には公務員の中でも偉いさんになれる、といった父の普段の仕事振りを最大限に評価された上司からの打診があった。

これには公人も大賛成。

お父さんすごいやん。

東京にはPink Ladyが住んでいて、山口百恵や桜田淳子、アグネスチャンもいてる。

東京や。

学校の友達にも自慢して回って帰宅すると母親から一言。

あれ、やめるって。

えっ何で何で、もうみんなに言うたで。

みんな東京行くのは反対してるから。

えっ僕もお父さんも行く気まんまんやったやん。

お父さんも行くのやめるって。

何でや。明日から学校行かれへんがな。

公人はその後当分の間、様々な言い訳で嘘つき呼ばわりされる事の無いようにと毎朝悩んで嘘をつきまくった。

後で知ったところ、妹が友達と離れるのが嫌だとの理由で大反対され、これに父が折れたとのことであった。

その頃の公人には、男親は娘に弱いものだと理解できなかった。

父は家族のために働き、50代の半ばに差し掛かる頃不摂生がたたって亡くなった。

父の経験する事のなかった時代を生きる公人にとって、父と同じ気持ちになれたとすれば、

宝くじあたれへんかなぁ

といった気持ちである。

父は僅かばかりの小遣いを宝くじに費やした。

パチンコへは行く時間がない。

競馬にハマれば家がなくなる。

宝くじであれば、時間もお金も管理できる。

副業を禁止されている公務員にとって、裕福になる唯一の手段。

裕福になって何をするか、何をしようとしていたのか今となっては知る由もない。

公人は家族のために日々頑張っている父を喜ばそうと突然ひらめいた。

今日は宝くじの当選番号発表や。

お父さん今日はまだ新聞読んでない。

よし。

仕事疲れで休んでいる父の傍らでおもむろに新聞を広げた。

「うわぁっ、ええ、ほんまに、当たってる」

宝くじ片手に新聞を広げ、「やったぁ」

ここからが大事なところ。

一等何千万と言えば大袈裟に思われ、直ぐに嘘と見破られる。

「ほんまかぁ」「じっじゅっじゅうまんえぇぇぇん」

「ほんまか」父は飛び起きた。

「よしっやったぞ」

今まで幾度となく何千何万円が何百円と変わり果てた姿で帰ってきた父にとって、まさに一矢報いた一声であったのだろう。

「公人、どれや、見せてみぃ」

公人は、今まで見た事のないような父の喜び様に思わず悔やんだ。

無茶苦茶嬉しいんやろなぁ。

えらい、嘘ついてしもた。

「ごめん。嘘。」

「えっ」

「嘘か」

「そうか」

今度はこれも今まで見た事のないような父の残念そうな顔であった。

嘘をつかれても我が子を怒ることのなかった父。

自らは親孝行し、家族を大切にし、親孝行はされることのなかった父。

公人にとって父のようにはこれからもなれそうにない。

ただ、母親の様にはなっている自分にはウンザリする時がある。

母親は三姉妹の次女として大阪市内で生まれ育った。

高校1年生までは父親、つまり公人の祖父が工場を経営していた事でかなり裕福な暮らしをしていたそうである。

ところが戦争で焼け出されてからは、大阪から兵庫県の女学校へ通っていたお嬢様も地元の公立高校へ編入し、普通の女子高生となった。

が、有名な女学校から転校してきたとの理由で男女の別なく周りからちやほやされ、他人と張り合う気質もさらに増し、お嬢様から女王様へと変貌を遂げていった。

全く努力なくして地位と名声を手に入れ結婚後は父の恩恵を受ける、まさしく他力本願。

その遺伝子を受け継いだ公人も、幼少の頃から努力を怠り他人の力をいかに自分のために有効活用するかだけを考えてきた。

そこで手に入れた母親譲りのスキルが、他人の行動からその心を読む。ということであった。

人に心許さず、笑顔を装い、隙を伺いつつ人の心を取り込む。

鉄則は本音を見せない定型の笑顔。

その母親の妖力に気づいたのが小学校の高学年。

中学、高校と男子たるものこれではいかん、と思いつつも歳を重ねる毎に母親と同じ行動をとっている自分が嫌になり、爆発したのが高校1年。

「こんなもん食えるかおばはん」

「おばはんって誰に向かって言うとんじゃ」

「お前じゃおばはん」

「もっかい言うてみぃ」

家庭内暴力である。

っといっても、他力本願。

何事も努力せずに生きてきた公人にとって今で言うオタクの雄叫び。

暴力を振るうほどの体力もなく、貧困な語彙からは「お前」「おばはん」「うっさいボケ」これの

繰り返し。

しかも母親にしか言えない。

父のように努力する人間であれば、何かが違っていたにちがいない。

そんな母親似の他力本願笑顔を包み込むように大切にしてくれた母方の祖父母。

公人が物心つく頃には祖父母の生活は困窮しており、たこ焼きの舟を作って生計を立てていた。

舟を作るといっても、舟先をホッチキスの大きな芯で止め繋ぎ合せるだけの作業である。

そんな祖父母にも公人は大切にされた。

計算の単位としては残っているが、流通していない何銭という単位の仕事をし、公人のために月々500円ほどを定期預金にしてコツコツ貯め、祖母が亡くなり、公人の手に渡たった時には8万円ほどの金額となっていた。

そんな祖母の口癖が「塵も積もれば山となる」であった。

爪に火を灯す思いで貯めたであろう8万円。

この尊いお金を公人は事もあろうに、弾けもしない高級ギターにかえてしまった。

目指すは長渕剛、アリス、イルカ、と友達と熱く語る中、本心は大場久美子の熱烈なファンであったにもかかわらず。

しかも、高級ギターは弦を張り替えるだけで未だギターケースの中に眠っており、奏でた音は「ビンっ」。

弦の切れる音だけであった。

祖父はといえば、「ばあさん早く迎えに来てくれ」が口癖になっていた。

公人は大切に育てられた。

祖母も祖父母も、父も母も。

公人はやればできる。

やればできるんやで。

ありがたい呪文を打ち消すかのごとく何もやらなかった公人。

そんな兄を観て育った妹は、できた。

父のように1番とはいかなかったが、できた。

努力もキチンとして、キチンとした学生生活を送り、キチンとした社会人となって結婚し、できた夫、できた子供らに囲まれ、主婦として、人として正しい道を歩んでいる。

っと公人は思う。

できた妹は、今も昔も公人を兄として事あるごとに立ててくれる。

妹が男で、長男で、自分は女で、妹だったなら、きっと今は亡き父達も草葉の陰から安心して微笑んでいることだろう。

努力せずとも周りが何とかしてくれる。

そう信じて疑わなかった学生時代。

それ故に勉強もスポーツも、彼女も、友達ですらできなかった。

できたのは妄想と現実逃避だけであった。

「キミちゃん、女の子紹介してあげよか」

親のコネで決まった就職前、学生生活最後の春休み。

声をかけてくれたのは1カ月に一度の割合で通っていた散髪屋の店員であった。

オネエさん言葉を使う、顔のデカイ、毛むくじゃらの、ガッチリした体格の、与論島出身のヨシダくんであった。

店員と客が交わす世間話の中で、これまで彼女も友達もできなかった公人を憐れんで声をかけてくれたのだ。

その頃の公人といえば、もはや彼女や友達がいなくてもそれはそれで悩むこともなく、人恋しい時は妄想する彼女が枕という形姿とはなって添い寝してくれ、悩んだ時はもう一人の自分が友人として公人の思い望む回答をしてくれていた。

枕相手に妄想恋愛シュミレーションしていた公人にとってまさに青天の霹靂。

彼女と友達が現実となった。

いやまだ現実には両者存在しないのだが。

友達のヨシダくんが彼女を紹介してくれる。

彼女ができる。

その後知ることになったが、ヨシダくんも友達や彼女はいなかった。

ヨシダくんが紹介してくれた女の子は、夏休みの間だけ散髪屋でアルバイトしていた高校1年生のレイちゃんだった。

色白で栗色のセミロングが似合う大人しい子だった。

これまで憧れだったセーラー服もレイちゃんの着る紺色ブレザーの制服の前では漫画に見えた。

公人は一目で好きになった。

もうこの女の子しか見えない。

今まで好きになった芸能人。

遠くから眺めていた同級生。

通学の電車内で見かけた女子高生。

すべて飛んで消えた。

どこをどう気に入ってもらえたのか、それとも次の彼氏をつくるまでの繋ぎであったのかわからないが、レイちゃんは静かに頷き、公人の彼女となってくれた。

そしてようやく公人に「努力」の二文字が生まれた。

レイちゃんに気に入ってもらえるようできる限りの努力、をしたつもりだった。

ポパイ、ホットドッグプレス、メンズノンノっといった雑誌を立ち読みし、それらしい服をダイエーのメンズファッションフロアで吟味し、購入限度額目一杯の3000円足らずのコーディネートに身を包んだ。

ただこれまで実行力皆無の公人にとって、同年代の者ならばどうにかすることのできた「車」と「金」が無かった。

というより免許を持っていなかった。

というより、アルバイトもせずにのうのうと親のスネをかじり、頂戴した小遣い、そのすべてを漫画雑誌に費やし、妄想力のみ磨いていた。

よって悲しい哉デートは徒歩。

しかも遠くまで行けないことから幹線道路を行ったり来たり。

電車賃を出して映画を観に行くことすらできない。

レイちゃんからすれば「なんでこんな奴と付き合う言うてしもたんやろ」っと後悔の日々を送ったに違いない。

公人にとって初めての交際。

最初は淡い恋愛漫画のような交際を想像していたはずが、20歳を過ぎて未だ女性経験がなかったことからエロ漫画の比重が大きくなり、どうすればホテルへ行けるか、会える日も会えない日もそればかりが脳の隅から隅まで駆け巡っていった。

最低野郎である。

「レイちゃん今日どっこも行くとこないし、家けえへん」

何処も行く所がないのではなく、行けないくせに。

しかも呼びつける身勝手さ。

「えっ、いいけど」

妄想が暴走して目も血走った二十歳過ぎ、その勢いに気押されする15歳。

レイちゃんは自宅から自腹で交通費を使い、自ら身を捧げにやって来た。

年の離れた小さな弟と母親だけの三人家族。

年上の男というだけで、レイちゃんはその言葉態度に翻弄され、洗脳されてしまったのだろう。

「今日、誰もおれへんの」

「いてへんねん、そやからゆっくりしていき」

家族全員が居ない日を決行日と設定し、朝から風呂にも入り、歯磨きもして迎えた日。

歌詞の意味すら理解できない洋楽レコードに針を落とし、カーテンを閉め、家にあった菓子とジュースを用意して。

「これ、オリビアニュートンジョンっていうねん、ええ感じやろ」

「ふーん」

オーディオデッキを前にして、マットレスの上に敷かれた布団の上に横並びに座り「もう、やらしてください、やります、ここはラブホです」オーラでレイちゃんを包み込む。

至っておとなしいレイちゃん。

レイちゃんの左肩に左手をやり優しく引き寄せる。

拒むことのないレイちゃん。

レイちゃんの顔をのぞき込むようにして唇を近づける。

レイちゃんが目を瞑る。

うわぁぁぁぁ、これがキス、これがキスというものかぁ。

むちゃくちゃ柔らかい唇。

俺の唇は何に触れてるんや、プリンか、フルーチェか、いやレイちゃんの唇。

可愛い、ほんまに可愛いレイちゃん。

レイちゃんのセミロングの髪の毛をすくようにして指を差し入れる。

うわぁぁぁぁ、何のシャンプーかわからんけどむちゃくちゃいい匂いがする。

そおーっと押し倒して何回もキスをする。

紺色のブレザーと白色のブラウス。

制服の匂い。

胸に手を当てる。

最初はそおーっと触る。

えっ、デカイっ、レイちゃん、胸、胸むっちゃデカイんちゃうん。

反則やぁぁぁ、嬉しい限りの反則やぁぁぁ。

ブラジャー、ピンク色のブラジャー、可愛い、可愛い過ぎるぞー。

んっ、っでもこれどないして外すんや、わからん、かぁー、わからへんがなどないしよ。

レイちゃん察して自ら背中のホックを外す。

白い、レイちゃん色白なんは知ってたけど、美し過ぎる、これが透き通るような肌かぁぁぁ。

んでピンク、ピンク色やんか。

下は、下はどうなってるんや。

あの部分が黒いマジックで消されているエロ本を本になる以前に修正されていることも知らずに消しゴムで消せると信じて擦り続け、結局黒色が白色に変わっただけで見えていた部分がさらに見えなくなったあの日。

次に、どこからかバターで消せるという噂を聞きつけバターを塗りつけベトベトになってページどうしがひっついてカチカチになってもう一冊同じ本を買ってきたあの日。

ありがとうぉぉぉ、ありがとうぉぉぉ。

やっと本物が見られるぅぅ。

「レイちゃんいい?」

っと、一旦断わりを入れて下着に手をかけた瞬間であった。

しもたっ。

スネ毛の処理するんの忘れてた。

その頃スネ毛は社会的に認められておらず、モテる男の条件としてツルツル脚は必須ともいえた。

ましてや公人の脚は太ももから毛が生えており、夏はシェービングクリームとT字カミソリが欠かせないアイテムであった。

なんでやねん。なんで昨日の晩に処理しとけへんかってん。

くっそー、させて欲しい、っでもズボン脱いで嫌われたない。

しゃあない、チャックだけ下ろそ。

公人の初体験はズボンを履いたまま終わった。

当然裸のレイちゃんからは「なんで服着てするん」と聞かれて、「いや、ちょっと初めての女の子とする時はいつも少し恥ずかしいから着てするねん」と意味不明な言い訳をして、初体験を悟られぬよう努めた。

ただ、経験者であるレイちゃんからは及第点を頂けた。

レイちゃんにとって二人目の男となった公人にとって、レイちゃんも初めてであって欲しかった、っとは思わなかった。

そんなこと以上に、こんなに可愛い女の子が彼女という特別な存在で、しかも深い関係になれた、それだけで誰かに自慢したくてしょうがないくらい好きになっていた。

いつの頃からだろう、何事にも終わりがあるのを知ったのは。

幹線道路のデートコースに面した地元に一軒だけのラブホテル。

幾度も外壁だけが塗りかえられ、暗い赤色の毛羽立つ壁と絨毯と、裸電球色のカットライトが浮かび上がる耽美な世界。

憧れのラブホデビュー。

の、はずだった。

「痛い、なんかチクチクする」

えっ、もう生えてきたんかい。

昨日の夜剃ったばかりの脚毛。

オカマのヒゲのように、朝剃ったはずが夕方にはうっすら青ヒゲになって。

くっそー、しかしとまらん。

雑草のような脚毛を気にしつつも裸の欲望は抑えきれない。

「イタイ、イタイ、ふとももがイタイ」と言われながらも強引に我欲を貫き通した公人。

行為に専念できなかった後悔が、終わった後のレイちゃんに対する言葉にも現れた。「ここの布団ささくれ立ってるんちゃうやろか」なんて有りもしないテキトーな言い訳。これがレイちゃんのココロにも刺さった。

公人はレイちゃんの白けた態度の変化に直ぐに気づいた。

が、後の祭り。

心読み取りスキルのスイッチを入れ忘れていた。

幹線道路を歩くふたり。

黙ったままのレイちゃん。

何とか取り繕うとする公人。

「レイちゃん今日の唇の色、キラキラしたラメ入りで可愛いいなぁ」

無言のレイちゃん。

「どんなリップつけてるん、見せてや」

すでに自分自身をどうフォローしていいやらわからなくたった公人。

褒め言葉で何とかその場をしのぐべく

「なぁなぁ見して、見して」

無言で差し出されたリップ。

「うわぁっ、むっちゃ可愛い、俺もつけてみよ」

調子に乗って

「えっ、やめて」

ポキン。

「あっ、折れた」

折れたリップの先は地面に落ちた。

うわぁぁぁぁなんちゅうもろいねん。

砂まみれの折れたリップを拾って、公人は言った。

「ごめんな、弁償するわ」

黙って両手の人差し指で下まぶたを押さえ

まるでドラマで女の子が泣いている様な仕草を見せるレイちゃん。

「うぇぇぇん、やめてって言うたのに」

妄想と理想の恋愛漫画は折れたリップの様にあっけなく終わった。

秋空から冬空へとかわる夕映えのする季節だった。

師走を迎えたクリスマス前の散髪屋。

ヨシダくんが用意していたかのように話しかけてきた。

キミちゃん、クリスマスはレイちゃんとどこ行くの。

朝剃っても昼過ぎには青髭顔になるヨシダくんが理容はさみ片手に小指をこれでもかと反らせて声をかけてきた。

ヨシダくん、ごめんな。

なんとなく自然消滅してしもてん。

理由は言えない。

毛深いのが原因でっとは決して口に出してはいけない。

剛毛であろうヨシダくんの前では。

っと心の中で呟くもののフラれた自分を取り繕う自然消滅の四文字。

誰が考えてくれたのか、ありがたい呪文である。

そうか、っと呟いたヨシダくんは公人の首元にふわぁっと散髪のエプロンを掛けながら

もっと良い子紹介してあげたらよかったねぇ。

ヨシダくん、お前は神か、どんだけ優しいねん。

浅い知識しかもたない公人。

地図上でどこに位置するかも知らない与論島。

ヨシダくん一人を見て与論島が神の島に思えた。

せっかく紹介してくれたのにホンマにごめん。

その一言が言えないままチョキチョキと髪を切る音だけが公人の耳に残る。

久保田利伸風に刈り上げてもらったあと、ディップクリームを手にクチャクチャと音を立てながらヨシダくんが言った。

キミちゃん、こんどクリスマスパーティーしようと思うんだけど来る。

えっ。もう手を差し伸べてくれるん。

ゴメンすら言えない公人に、同い年とは思えない心遣い。

社会人とすねかじり学生との差が歴然とした瞬間であった。

えぇっ、行ってもええのん。っと嬉しい感情を押し留める公人に、ヨシダくんの顔がぱあっと明るくなった様な気がした。

ってかヨシダくん、友達もおらんやろうに、ひょっとして男二人でパーティーするつもりか。

ヨシダくんはすぐに公人の表情を読みとった。

来るメンバーはもう決まってるねん。

キミちゃんとは別のお客さんと、同じ会社の美容師さんとその友達の4人で集まるんやけど。

男二人、女の子二人で集まる予定のクリスマスパーティー。

そのメンバー構成にうとい公人。

行ってもいいん。

調子乗りの甘えた男、今で言えば空気を読めない寄生男子。

ヨシダくんもまさかっと思ったであろう。

ヨシダくんからすれば公人は、前の彼女を引きずって傷心の身、しかも紹介してもらった女の子とうまくいかなかった、それをすぐ様次の女の子を紹介してもらおう、なんて言うとは思わなかったに違いない。

知り合ったお客さんを出汁に美容師さんから友達を紹介してもらおうと考えてたはずなのに。

地黒顔が土気色となるヨシダくんの顔色。

これに相反し、鈍色の空から一条の光が差し込んできた公人。

当然、有頂天である。

ヨシダくんの顔が明るくなったように見えたのは

公人自身の勝手気ままな気持ちの現れだった。

クリスマスパーティー当日。

公人はヨシダくんとふたりでクリスマスパーティーの準備をすることになった。

ヨシダくんにとってお客さんは3人、公人はオマケである。

しかし、スーパーダイエーカジュアルでお洒落を決め込んだ公人の嬉々と浮かれる姿を見て、ヨシダくんも諦めた。












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