日常
涼しい風が吹き、虫の音が聞こえるようになった。
屋敷に帰ると、桜鈴と凛花がまず迎えてくれる。
夕食を食べ、湯浴みをした後の時間、桜鈴と飲む事が多くなった。
他愛もない会話を交わしながら過ごすこの時間が楽しみだった。あと、何夜こうやって過ごせるのだろうか。すっかり砕けた様子で話す桜鈴を見ていると、頼めば案外ずっといてくれるのではないかと、虫のいい事を考えてしまう。
ある日、足の悪い叔母から少し離れた町まで使いを頼まれた。その町には舶来品を扱っている店が立ち並ぶ一角があり、そこでしか買えない生薬が欲しいそうだ。桜鈴と一緒に行こうと思った。
明美とはよく町歩きをし、服や宝飾品を選んだりしたが、桜鈴とは初めてだ。明美にさえ、たまには桜鈴を連れて行くように、と言われていたが、当の本人が行きたがらなかった。土産として桜鈴にも同じ様に服や宝飾品を買ったが、それらは俺が選んだ物ではなかった。
また、断られるかと思ったが今回は喜んでついてきた。門に横付けされた馬車に乗る際、頼まれた生薬を書いた紙を忘れた事に気づく。
「少し待っていてくれ」
そう言い、屋敷に戻り扉を開けると、紙を持った侍女がいた。
「よかった。間に合いました」
差し出された紙を受け取り、そのまま馬車に戻ろうとしたら、話し声が聞こえてきた。
○○○
「最近、蕉風様は変わったと思われませんか?」
「はい、随分顔色も良くなられました」
食事の量も、言葉数も、笑われる事も増えたと思う。このまま、この時がずっと続く様にさえ思う事もある。
「桜鈴様のおかげです」
「最後に少しでも役立てたなら良かったです。これで安心して帰れます」
そう、二月後にはここを出る。もう決めた事だ。
「…このまま、ここにいませんか?」
珍しく単刀直入に切り出してきた。驚いて隣を見ると、真剣な目でこちらを見ている。
「桜鈴様ご自身もお気づきですよね。蕉風様が最近どのようなお気持ちで貴女をご覧になっているか」
「…今まで、当たり前の様にあった物でも、いざ手放す事になったら多少の執着心が湧くのは人の常。ただそれは一時のことに過ぎません」
それだけ言うと前を向いた。私は誰かの代わりになるつもりはない。そして、誰も明美の代わりにはなれない。
「待たせたな」
後ろを振り返るといつもと変わらない蕉風様がそこにいた。
◾️◾️◾️
叔母から頼まれた品を買ったあと、雲奏に別の使いを頼み桜鈴と二人で歩く。色鮮やかな布が並ぶ店に入ると、桜鈴は目を輝かせ始めた。
「好きな物を選べ」
「いいのですか?」
「何着でもいいぞ」
「…では、一着は蕉風様が選んでください」
「……分かった」
無邪気な笑顔に少し意地の悪さが滲んでいる気がする。
とりあえず近くにあった衣を手に取る。濃い青色に控えめな刺繍が入っている。薄い緑色も手に取る。良い生地だと思う。が、何を選べば良いか分からない。二年半も自分の側室でいてくれた女なのに。
(しまった、せめて雲奏がいれば)
後悔しても遅い。横目でちらちら、と見ていると赤や桃色に花の刺繍をしている衣を手に取っていた。
自分が今手にしているのを見て、肩を落とす。
(これは明美が好きな物だ)
今まで見てきた桜鈴の姿を思い出す。明るい色がよく似合う女だ。華やかな刺繍にも負けない顔を持っている。橙色に黄色と緑の刺繍が鮮やかな衣を手に取った。この服を着て屈託なく笑う姿を見たいと思った。合わせて、黄色と緑の石がついた簪も買うことにした。
「なんて綺麗な刺繍!ありがとうございます」
喜んだ顔を見てほっとする。その顔をもっと見たくなった。
「ついでに冬服も見て行くか?少しだがあったぞ?」
桜鈴は静かに首を振る。
「せっかく買って頂いても、着た姿をお見せできませんから」
でも、と続ける。その言葉に胸が苦しくなる。
「この簪は今つけても良いですか?」
そう言って綺麗に纏めていた髪をさらりとほどき、結い直した。