三日(剣)
朝食を食べた後は、近くの町まで出掛け凛花のお土産を選んだ。といっても一歳の幼児だ。服や木で出来た積み木を買った。
北のこの町は稲作と林業が盛んだ。街中には木工細工の他に紙も多く並んでいる。桜鈴が紙をいくつか手に取り見ている。覗いて見ると、あえて混ざり物を入れすく事により模様を造っている物や、押し花が一緒にすかれた物がある。
滝の裏での会話を思い出した。
出戻る前から次の縁談とはなんとも準備が早いと言いたくもなるが、言える立場ではないのは自分が一番分かっている。
他人から見たら美人の類には入らない明美と異なり、桜鈴は十人いれば十人が美人と答える容姿を持っている。その上くるくる変わる豊かな表情は人を惹きつける。
幸せになって欲しい、それは決して嘘ではない。
そう考えている内に桜鈴は紙を選んだようだ。薄い水色の押し花が左下にある紙だった。実家に送るのか、未来の夫に送るのか、聞けるはずもなく店の主人に代金を払った。
屋敷に戻り、冷たい茶を飲んでいると、いきなり桜鈴が立ち上がり壁に飾った模造刀を見始めた。
「蕉風様は剣術をされますか?」
「武官ではないが、それなりに出来るな」
「では、勝負をしましょう」
そう言って二つあった模造刀のうち、右側の刀を投げて寄越した。
「お前が俺と勝負をするのか?」
「他に何が?」
その飄々とした顔を見るのはこの旅何度目だろうか。
昨日の事もあり、少しその鼻を潰してやりたくなった。
庭に出て、向かいあう。
「剣術は誰に教わった?」
「従兄弟です」
そう言うと剣を構えた。悪くない構えだったがこちらから行く訳にはいかない。
「いつでもいいぞ」
「では」
桜鈴は足を一歩前に出すと、真っ直ぐに突っ込んできた。所詮その程度、太刀筋は見えている。剣を剣で受け止めようとしたその瞬間、桜鈴の太刀筋が変わった。刀を傾けて左に抜いたと思ったらそのまま刃を返して右脇腹目掛けて打ち込んできた。
すんでの所で後に飛び避ける。今度はこちらから切り掛かる。
額に浮かんだ汗が流れる程打ち合いをしている内に桜鈴に隙ができた。迷わずそこに打ち込む。これで終わりだと思った瞬間、桜鈴が懐に飛び込んできた。鳩尾に肘が当たり、思わずうめく。
「体術もあり、ですよね」
そう言うと、俺の右手を蹴り上げる。油断していた為剣は簡単に手を離れ飛んでいった。
「お前、いい加減に、、」
またしても、俺のその台詞を遮る様に右手に桜鈴が絡みつく。その瞬間、空が見え背中に地面の衝撃が響いた。投げ飛ばされていた。
「ぐはっ」
口から間抜けな声が出る。目を開けると青空を背景に刃を俺の喉元にあて、見下ろす桜鈴がいた。
「もし、今夜盗賊が入ったら、大声をあげてください。助けに馳せ参じましょう」
そう言って、挑戦的な目で微笑みながら片手を出してきた。この女が一番魅力的に見えるのはこの顔ではないかと思う。
出された手を借りる事なく立ち上がる。
「もう一回だ」
その目を上から覗き込みそう告げた。
ごろんと庭の隅の木陰に横になる。日は少し西に傾き涼しい風が火照った身体を冷やして行く。隣には同じように無防備に寝転がった桜鈴が荒い息をしている。
「引き分け、だな」
「そういう事にしておきましょう」
口だけは減らない。
二人とも少しずつ色が変わる空を無言のまま見続けていた。
「…百、いえ千回に一度でもいいです。私と見たこの夕陽を思い出して頂けませんか」
呟くように言うその横顔は寂しそうな笑みを浮かべている。
「…あぁ、…約束する」
この夕陽をこれから先きっと、何度も思い出すだろう。その時、俺の胸に浮かぶのは何なのだろう。
口を開けば、身勝手な言葉が飛び出しそうで、そのまま夕陽をただ見つめていた。
○○○
寝室の窓を開け、湯浴みで火照った身体を冷やす。昼間、思いきり身体を動かしたからか、心地よい疲労感がある。
蕉風には、明日都に帰るので今日はゆっくり休め、と言われたが眠れそうになかった。
この三日間を思い出す。これだけの時間、あの人の目に私が映った事があっただろうか。この旅で向けられた言葉と笑顔は間違いなく、私だけのものだ。
不意に涙が頬を伝う。そう私はずっと
「羨ましかった」
初めてその言葉を口にした。胸に何度も浮かんでは自分が惨めになりそうで、打ち消してきた言葉だ。
涙が今までの痛みを流すように溢れてきた。これでいいと思う。何もかも全てこのまま涙と共に流れていけば良いと思った。