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甘露のくちづけ  作者: 琴乃葉
2/5

二日目(滝)


馬は出来るだけ気性の穏やかなのを選んだ。鞍は柔らかく、だが振動が身体に響かない物を用意させた。


小姓の服を着て、髪も男のように頭上で束ねた桜鈴(オウリン)が隣で馬の顔を撫でている。女にしては少し背が高い。五尺三寸、四寸(160センチ)ぐらいだろうか。五尺(150センチ)の妻よりは大きく、六尺(180センチ)の自分の顎あたりまで背がある。鶏がらのような身体だった妻に比べ肉付きはよく、平坦な作りの男物の服が却ってそれを際立たせているようにも思う。


馬に乗せてやろうと手を貸すまでもなく、その黒髪をひらっとなびかせ、やすやすと跨る。


「早く行きませんか?」

「…分かった」


そこで何してるんだ、と言いたげな表情に苦笑いがこぼれる。


町を出た後、道は暫く田園を走り、山道に入る。


「あぁ!綺麗な景色」


そう桜鈴が呟く。


昨日馬車から見たはずの景色だが、確かにこうやって風を浴びながら見るとまた違って見えるから不思議だ。そう言えば、風が気持ち良いと思えたのはいつぶりだろうか。夏の日差しを浴び輝く稲穂の緑が眩しい。


「西の女は皆馬に乗るのか?」

「乗りませんよ」


飄々(ひょうひょう)と答える。

では、何故お前は乗れるのか。


「風が気持ちいい」


そう言うといきなり手綱を離して両手を広げる。


「おっ、おい。手綱を持て」

「大丈夫ですよ〜」


そう言うと、鳥のように両手を羽ばたかせ始めた。


「いいかげんに」


しろ、そう言いかけた時、草むらから出てきた兎に馬が驚きその胴が大きく傾く。


「きゃぁ!!」

「!!大丈夫か?」


慌てて駆け寄ると半分馬からずり落ちながらも手綱に掴まっていた。馬を右につけ、右手で手綱を握り空いた左で身体を持ち上げる。


「申し訳、ありま、せん」


息を切らしながら桜鈴が体勢を整えるのを見て、自分も両手で手綱を持ち直した。


「手綱から両手を離すな」

「…はい」


お転婆にも程があるだろう。


そうやって走っている内に山の入り口が見えてきた。とは言っても見晴らしの良い直線なだけでまだ三里(12キロ)はある。


「では、次はあそこまで競走しましょう」

「はっ?」

「行きますよー、一、ニ、三」


そう言うと突然走り出した。


「お前、人の話を」


と言いかけたが、もう声が届かぬぐらい先にいる。


(いい加減にしろっ)


悪態をつきながら、前の馬を追う。桜鈴の馬はその身体に合わせやや小さい物を用意している。それに対し自分の馬は一回り以上大きい。距離はあっと言う間に縮み隣に並んだ。


「この体格差はずるいです」


頬を膨らませながら桜鈴が愚痴をこぼす。


「お前、俺の話を聞いていたか?」

「?手綱は持っていますよ」


またしても、飄々と答える。


「…これから山道に走る。手綱を離すな。駆け出すな」

「はーい」


なんだろう、馬鹿にされている気がする。



予定の時間より随分早く目的地に着いた。侍女達は早めに出て馬車で遠回りをしているが、まだ着いていないようだ。


「皆が来るまで先に滝を見に行くか?」

「はい!」


輝かんばかりの笑顔で返事をする。

その顔は見た事がないもので、今まで辛い思いをさせてきた事を申し訳なく思ってしまった。


「この旅では我が儘だけでなく、思っている事はなんでも口にしろ」

「いいんですか?」

「あぁ」


嫁いできてから今日まで、幾つの言葉をこの女は飲み込んできたのだろう。明らかに明美(メイメイ)とは異なる対応にも愚痴一つこぼさず、それどころかいつの間にか侍女の様に振る舞うようになった。凛花(リンファ)が産まれてからは乳母の様に立ち振る舞っていた。母親がわりではなく。


そんな事を考えながら足を動かしていると崖の上まで来た。向こう側に大きな滝が見える。今いる崖から川面までは五十尺(15メートル)以上あるが、川の流れは穏やかだ。


「雲奏、昔よくこの場所から飛びこんだな」

「はい、大人になった今の方が怖く思えます」


昔は怖い物知らずだった。そういう事なのだろう。


「飛び降りて大丈夫なのですか?」

「あぁ、左向こうに飛べば大丈夫だ。水中に岩もない」

「分かりました!」


何がだ、と聞く間もなく隣を向くと桜鈴の身体が宙に浮いていた。ぎょっとする。


「おいっ」


思わず手を伸ばしたが間に合うはずもなく、その身体は水飛沫と共に川の中に消えていった。

身を乗り出し、助けに行こうと上掛けを脱いだ時、川の中から桜鈴が顔を出した。


「気持ちいいですよー」

「お前なぁ」

「怖かったらぁ、蕉風様はそのまま降りてきて対岸で待ってて下さい」


手を振りながらそれだけ叫ぶと滝壷の方に泳いで行った。 



「…これを持って下に降りておけ」

「ですが、蕉風様…」


何か言いたげな雲奏に上掛けを押し付け、身体を宙に投げ出した。


一瞬、身体が宙に浮かんだかと思ったら次の瞬間には頭まで水の中に潜っていた。夏とはいえ北の川の水は冷たい。鈍っていた肌の感覚が甦る。


深く沈んだ身体を水面へと持ち上げ、息を吸おうと大きく口を開けた瞬間、大量の水が顔にかけられた。口の中に入った水は空気と一緒に気道に入る。


「げほっげほっっ」


大きく咳込みながら目の前にいる人物を睨みつける。


破顔とはこの事だと言わんばかりの様で、口元を隠す事なく大笑いしている。白い歯だけでなく喉の奥まで見えている。


(頭から水に沈めてやろうか)


そう決めた時、


「私を捕まえられますか」


急に品定めをするような目と挑戦的な口調に変わった。蠱惑的な笑みを残すと、ちゃぷんという音と共に水の中に消えた。


(このやろう!)


そう思い後を追う。

前を泳ぐ姿に追いつき、手を掴もうとした瞬間、くるりと向きを変えすり抜けていく。息継ぎをしてまた潜り、今度は足先に指が触れたと思ったが、水中で一回転して躱された。背後に回った桜鈴が俺の背中を軽く押したため、身体が沈んだ。その間に押した本人は水面に上がり息を継ぐ。


(人魚か、妖か?)


いつの間にか必死に追いかけていた。頭が空っぽになるまで何かに没頭するのはいつぶりだろう。


どれぐらいそうしていただろうか。


「あの滝の裏には行けますか?」


追いかけっこはもう飽きたという感じで突然聞いてくるあたりその身勝手さに呆れながらも答える。


「右側からなら巻き込まれる事なく行ける」

「分かりました」


ゆっくりと泳ぎ出した桜鈴の後をゆっくり追いかける羽目になった。


滝の裏側は奥行き七尺弱(2メートル)、横十尺(3メートル)程の洞窟と呼ぶには小さい穴があいている。少しごつごつとした岩場に腰をかけ一息つく。桜鈴を見ると、やはり人魚とはいかなかった様で、肩で息をしながら、濡れた髪を両手で絞っている。


これから先、このお転婆はどうするのだろうか。


「やりたい事をすれば良いといったが少々羽目をはずし過ぎてないか?」

「そうでしょうか」


朝から何かにつけ振り回されてばかりで怒ってはいないが、少々口調が雑になる。


「少しは自分の立場も考えろ」


「…私の立場とは何ですか」


○○○


言ってしまってからしまったと思った。

朝から感情の赴くまま行動していたので、思っていた事がつい口を衝いてしまった。

嫁いでからずっと思っていた事。


私は何者だろう。


今更感情を吐露した所でどうなる物ではない。何か無難な話にすり替えたいと思っていたのに口から出る言葉は別の物だった。


「冬になる前に帰ると実家に手紙を書きました」

「そうか」

「縁談が決まりそうだと返事が来ました」

「…そうか」

「私を幼少の頃から知っている人です」

「……」

「蕉風様と明美様の様な夫婦になりたかった(・・・・)


思わず最後の言葉に本音が出てしまった。


「桜鈴…俺は」


「そろそろ行きましょう」


何か話そうとする言葉を遮るように立つと再び水の中に潜った。蕉風はもう先程のようには追いかけてこなかった。


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