破滅の婚約破棄
「え……? 今なんて……」
エイミーは信じられないといった表情で目の前のアルベルト伯爵を見つめる。
アルベルトの主催するパーティーがお開きになり、寝室に呼ばれて期待して部屋にお邪魔したらいきなり切り出されたのだ。
「すまないが、君との婚約を破棄させてもらいたい」
「そ……嘘ですよね? そんな、じょ……冗談……ですよ、ね?」
天国から地獄に叩き落されたようなエイミーは、縋るようにアルベルトに訊ねる。
「我がノシュテット家専属の占い師がいることは知ってるね?」
「はい……」
「その占い師による最新の結果が先日届いてね。君と結婚すると、ノシュテット家は破滅するそうだ」
「そんな! いくらなんでも――」
「あり得ないと思うかい?」
「……はい」
「昨年の飛行機事故は覚えているかい?」
「はい、もちろん」
「あの事故を回避できたのは、占い師の助言のおかげなんだよ」
「え?」
「それだけじゃない。一昨年の大火事も、株の暴落も、父がぎっくり腰になるのも、全て彼女が占いによって予告してくれたものばかりだ」
「……」
「その占い師が、君と僕が結婚することでノシュテット家が破滅すると予告したんだ。そんな馬鹿なと、笑って見過ごせない気持ちも分かるだろ?」
「……」
「僕も悲しいが、これはもうノシュテット家による決定事項となっている。分かってくれ」
「そんな……」
到底納得できないエイミーは、しかし反論できるほどの知見は持ち合わせてなかった。なにより、とても正常に考えられる精神状態ではなかった。
それに占い師の実績がある以上、占いの信憑性は高く、エイミーがいくら訴えても無駄だろうことは火を見るより明らかだった。
「……っ!」
「エイミー!」
目頭が熱くなるのを感じたエイミーは寝室を出て屋敷の外へと走った。
いつの間にか降り出した雨がドレスを濡らして体温と体力を奪う。泣き声を消してくれるのだけが幸いだった――。
* * *
嵐の中、泣き崩れて気を失ったエイミーはたまたま通りがかった人に自宅へと運んでもらい、なんとか風邪を引かずに済んだ。しかし精神的にはボロボロで拒食症になりかけていた。
「エイミー、お客様よ」
そんな中、訪れたのは初老の男性だった。柔和な顔立ちと優しい雰囲気はアルベルトにも似ていた。
「こんにちは、お嬢さん。もう体は大丈夫かな?」
「はい……。あ、もしかして」
「はは、運んだのはわしではないがね、手配したのはわしだよ」
そういえば、家まで運んでくれたのは女性だったと聞いた。
「すみません、ありがとうございます」
「いやなに、通りすがりに見つけてな。無事で良かった。……ところで聞いてもいいかね? なぜ嵐の晩にあんな所へ?」
「……私の、婚約者の、パーティーだったんです」
「ふむ」
「パーティーが終わって、婚約者に誘われて……うっ……」
「無理に話さなくてもいい。ただ一つだけ確認したい。そやつは君に暴力を振るったのか?」
「……っ」
エイミーは大きく首を横に振った。
「そうか……。もし暴力を受けたりしたら、わしに言いなさい。できる限り力になろう」
「あり……がと……ございます……」
「今日はここまでにしよう。また来てもいいかな?」
「はい……」
アルベルトを思い出したことによる悲しみと、男性の温かみに涙が止まらないエイミーは、男性が去った後も泣き続け、そのまま寝入ってしまった。
* * *
「こんにちは」
数日後、再び初老の男性がやって来た。エイミーはほんの少し元気になっていて、笑顔で迎える。
「こんにちは」
「顔色が良くなったね」
「おじさまのお陰です。そういえば自己紹介がまだでしたね、私はエイミーと申します」
「ああ、これはご丁寧に。わしはバートという偏屈爺だよ」
「偏屈だなんて、とてもお優しいおじさまですわ
」
「はは、若い美人からそう言ってもらえるのは嬉しいね。ところで、一つ訊いてもいいかな?」
「――私が泣いてた理由ですね?」
「ああ」
「実は、先日のパーティーで婚約者に婚約破棄を申し渡されました」
「なんと、婚約破棄?」
「はい」
「それはまたどうして? エイミーさんのような美人を振る男がいるとは、信じられんな」
「たぶん彼も破棄したくてしたわけではないと思うんです」
「どういうわけだ?」
「彼の家に専属として雇われている占い師がいるんですけど、その占い師によると、私と結婚すると一家破滅だと言われたらしくて」
「なんと……!」
「私は最初、占いなんかでって……思ったんですが、実績ある占い師らしくて、笑って済ませられないとかで」
「うーむ、確かに占い師によっては絶大な信頼を得て、強い影響力を持つ者もいるという。その婚約者の占い師はどうやらその類のようだ」
「はい。なので、私は何も言えず……。もう頭の中がグチャグチャになってしまって……」
「そうか、そうか……。それは辛かったろう」
「はい……」
「もう婚約破棄は決まってしまったのか?」
「はい。彼の家では決定事項だと」
「ふむ……。どうだろう、明日また来てもいいかな?」
「ええ、それはもちろん」
「では、明日また来よう」
笑顔でバートは帰って行った。
しばらくして母親が部屋にやって来る。
「あら、あの人はお帰りになったの?」
「うん。また来るって」
「そう、あの人が来てからエイミーが元気になって嬉しいわ」
「そうかな?」
「そうよー、この前帰ってきた時のあなた、今にも死にそうだったわよ」
「そっか……」
絶望の淵にあったエイミーには、当時の記憶が無かった。精神的に追い詰められて本能的なブレーカーが働いたためだ。
「……ごめんね」
「ん?」
「ううん、お母さん、なにか食べたい」
「――! じゃ、じゃあスープ作るわね!」
エイミーが食べたいと言ってくれたのが嬉しかった母親は、喜んでキッチンへと向かって行った。
* * *
「やあ、エイミー」
「バートさん、いらっしゃい!」
昨日よりさらに元気になったエイミーを見て、バートは目を丸くする。
「おおー、やっぱりエイミーは笑顔が一番だね」
「ふふ、ありがとうございます。……そちらの方は?」
「ああ、紹介しよう。わしの専属占い師だ」
「え? バートさんの?」
「そうだ。わしはわしが選んだ占い師しか信用せん。偏屈爺だと言ったろう?」
「初めまして。偏屈爺専属のヨエルと申します。以後お見知りおきを」
「えっ!? よ、よろしくお願いします」
「ははは! 遠慮ない発言がいいだろう?」
「は、はぁ……」
「まったく、またナンパしたと思えばこんな美人を」
「ナンパではない! 人助けをしたのだ!」
「どうだか、下心しかない爺だからね」
「あ、あの〜、それでヨエルさんはどうしてここに……?」
「ああ、頼まれたんですよ。あなたのことを占って欲しいと」
「え?」
「まあ、要するに私の占いと、その婚約破棄したクズの占い師と擦り合わせようというんでしょ」
「く、クズ……え? 擦り合わせる?」
「占いというのはな、占い師によって千差万別ではあるが、一定以上の実力がある占い師同士で同じ占いをすると似た結果になることが多いのだ」
「つまり、私の占い結果が同じく破滅と出たら、大人しく婚約は諦めたほうがいい。けど、全く別の結果になったら覆る可能性があるってことよ」
「そ、それじゃあ……!」
「ま、あくまで可能性だけどね。やってみる?」
「……お願いします!」
エイミーには根拠も確証も無かったが、あえて言うのであれば女の勘。ノシュテット家専属の占い師とはいえ、破滅だなんてあまりにもおかしい。
「じゃあ、占うよ。覚悟はいい?」
「はい!」
占い師、ヨエルはテーブルに置いた水晶玉に手をかざしながら呪文を呟く。すると水晶玉が光り輝きだした。
「ほほう、これは……」
「なんと……!」
ヨエルとバートが驚くのを見て、エイミーも自分で見たくなり、覗き込もうとする。
「気持ちは分かるけど、残念ながら素人には見ても分からないよ。この爺は何回か見てるうちに分かるようになったみたいだけどね」
「うー……」
「焦んなさんな、今結果を教えてあげるよ。……あんたの未来は――」
* * *
「ふぅ……」
執務が一段落して、アルベルトは椅子の背もたれに体を預ける。
「エイミー……」
あれから一度も会っていないアルベルトは、想いが募る一方だった。
専属占い師による予告は99%当たる絶対的な予言のようなもの。その占いでエイミーとの婚約がノシュテット家の破滅を招くと言われた以上、アルベルトは一族の決定に従わざる得なかった。
それが例え、望まぬ婚約破棄だとしても――。
「いかんいかん、仕事に集中しなくては」
と、仕事を再開しようとした時だった。直通の電話が鳴り響く。
「はい、アルベルトです。……え!? は、はい。……ええ。……なんですって!? はい、今すぐに!」
緊急事態と聞かされたアルベルトは、急いで執務室を出て会議室へと向かった。
無駄に広い屋敷を走り、会議室に到着したアルベルトは、身なりと息を整えると「アルベルトです」と宣言してドアを叩く。
「入れ」
中に入ると、一族が全員揃っていた。
「これは……緊急事態とはいったい?」
「以前話した、婚約破棄の件は覚えているな?」
アルベルトの父、イーヴァルは腕を組み真剣な面持ちで訊ねる。
「はい、もちろん」
「そのことで、重要な事実が発覚したと連絡があった」
「重要な事実? いったい誰から……」
「わしだよ」
「お、お祖父様?」
「はは、久しいなアルベルト。いつぞやのパーティーには商談会議で出れんで悪かったな」
「いえいえ、とんでもない」
「が、しかし忌々しいその会議のお陰で此度の真実が分かったのだから、感謝せねばならぬかもな」
「どういうことです?」
「まず、今回の騒動の発端となったノシュテット家専属の占い師、ヨアキムから話を聞こうか」
部屋の隅で待機していたヨアキムは、やや不機嫌そうに立ち上がる。
「新たな依頼だと呼び出されたのですが、これではまるで軍法会議ですね」
「まあそう言うな。事が事だからな。改めて説明してくれ」
「はい……私の占いは、ご存知の通り半年に一度の定期的なもので、ノシュテット家の未来を占います。事業方針からご家族の健康に至るまで100項目以上の占いを行います。その結果、アルベルト様のご婚約相手であるエイミー様はノシュテット家に禍を齎すと出ました。なので、私はノシュテット家専属の占い師として婚約破棄をご提案致した次第でございます」
まさにビジネスとして淡々と話すヨアキムは、話し終えると軽くお辞儀して席に座る。
「とまあ、こうして助言を受けた我が一族はエイミーさんに婚約破棄を申し出た。というわけだな?」
「はい。……そういえば、あの時お祖父様は……」
「いなかったよ。あの時も商談があってな」
「では今回は確認のために?」
「そうであるなら一族を呼び揃えたりはせんよ」
「ではいったい……」
「ここからは、わしの専属の話だ」
「え?」
「入れ!」
呼ばれて入ってきた占い師は、フードを目深に被ったまま深くお辞儀する。
「わしの専属占い師のヨエルだ」
「お初にお目にかかります、皆様。バート様専属の占い師、ヨエルでございます」
「お祖父様、専属……?」
「ああ。わしはわしの選んだ者しか信用せん。ノシュテット家のことはお前らに任せているから文句は言わんよ。ただ今回だけはちと特殊ケースなのでな」
「では、私の占い結果を発表させて頂きます。今回バート様からのご依頼はエイミー様の未来についてです」
「エイミーの?」
「私の占い結果でもエイミー様がノシュテット家を破滅させるのであれば、婚約破棄は正当であると言えます」
「……そうか、占いの擦り合わせ」
「その通りだ」
「占いの結果としては、エイミー様はアルベルト様に、ひいてはノシュテット家に繁栄と栄光を齎すと出ました」
「なんだって!?」
「遠くの未来については確度が下がりますが、お子様もノシュテット家をさらに大きくし、将来は現当主であるイーヴァル様をも超える逸材であると」
「はっはっは! なんとも愉快な明るい未来ではないか?」
「いや、……それが本当なら、これほど嬉しいことはありませんが……」
「イーヴァル、お前はどう思う」
「……これほどに占い結果が異なるということは、どちらかが偽りだと言わざるを得ないな」
「と、言うことはだ」
一族の視線が、一気にヨアキムに集まる。
「な、なにを! 私が偽りの結果を伝えたとでも言うのですか!?」
「お前には感謝している。今までもな。しかしどうだろう? 思えばお前からポジティブな占い結果は聞いたことがない。全て暗い未来を回避するというものだ」
「だからなんだと言うのです? 私の占いで飛行機事故も大火事も回避できたではないですか!」
「それなんだがな」
バートは鞄から書類を取り出すと、アルベルトに渡して全員に配らせた。
「ヨエルに言われて調べさせたが、飛行機事故はエンジントラブルで、整備士が買収されていた。大火事のほうは不審火の可能性が高いそうだ。こちらも警察に圧力が掛かっていたそうだ」
「まさか……こんな……!」
一族は書類を見て怒りに震えた。これが事実だとするならば、ヨアキムは占い師と嘯くただの詐欺師だ。
「最後に、ヨエルから話があるそうだ」
「では……。ヨアキムと言ったか? お前、“口先のルシエラ”だろ?」
「なっ……!?」
「貴族に取り入って専属となり、信用を得たら乗っ取る手口だろ?」
「よ、よくもそんな出任せを!」
「お前、まだ分からないのか?」
「なに……?」
「私だよ」
フードを脱いだヨエルを見たヨアキムは、見る見る青ざめていく。
「あ……あ……!」
「よう、久しいな馬鹿弟子」
「せ、師匠!?」
「いくら名前を変えても分かるよ、馬鹿が」
「弟子だったのか?」
「まあね、ほんの3ヶ月ほど。話を聞いてから薄々そうじゃないかと思ってな」
「それでわしに調べさせたのか」
「すまんな、弟子の不始末は私が責任を取る」
「と言っても、特に損害は被っておらんが……」
「一番の被害者は誰なのか、忘れたのか?」
「ああ、そうだったな!」
「本当なら特別料金を取るところだが、お詫びとしてロハでやってやるよ」
トントン拍子に話が進むのを見ていたアルベルトは、やっと口を開く。
「あなたはいったい……」
「ん? ああ、私はただの占い師だよ。偏屈爺専属のね」
* * *
「エイミー!」
「アルベルト様!」
自宅に訪れたアルベルトを見て、エイミーは涙を流しながら抱きついた。
「すまなかった……本当にすまなかった!」
「もういいんです。……本当にまた、婚約して頂けるのですか?
「もちろんだ! 僕にはエイミーが必要なんだ!」
「嬉しい……!」
幸せの戻った二人の姿を、ヨエルとバートは遠くから見ていた。
「アフターケアは上手くいったのか?」
「私を誰だと思ってる? 心の修復と信頼関係の強化をしておいた。良きパートナーになるだろうさ」
「ふむ、さすがは伝説の魔術師といったところかな?」
「……今はただの占い師さ」
1年後、エイミーとアルベルトは結婚して一男一女を儲ける。20年後にはヨエルの予告通り、二人ともノシュテット家を世界有数の財閥へと成長させたのであった。
* * *
「あ、このドレス……!」
「ああ、お祖母様のだよ。お祖父様との思い出深い物だそうだ」
「聞いたことあるわ。お祖父様のパーティーと、結婚式にもお召になったのよね?」
「ああ。お前への誕生日プレゼントだそうだ」
「本当に!?」
「もう16歳、立派なレディになったからね。お前にもお祖父様のような素敵な男性に巡り合って欲しいってさ」
「あはは、またお祖母様の惚気話?」
「今度はお前が孫に惚気話してやれるようになりなさいってことだろう」
「もう、気が早いんだから」
「占い師のヨエルによれば、近いうちに出会いがあるそうだ」
「本当!? 嬉しいわ、ヨエルの占いはよく当たるから!」
ドアがノックされ、「エリー! パーティーの時間よ!」と呼ばれる。
「はーい! じゃあ、行ってくるわねお父さん!」
「ああ、いってらっしゃい」
その夜、パーティーに出席したエリーは同い年くらいの男の子に声を掛けられた。
「あ、あの! ぼ、ぼぼ、僕と、その……踊ってくださいませんか!」
ガチガチに緊張しているその男の子に、なぜかエリーは惹かれるものがあった。
「ええ、喜んで!」
fin.
「魔法少女かえで@agent 〜35歳サラリーマンが魔法少女やることになりました〜」
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