会議
どうしてこのような事態になったのであろうな。
周囲の喧騒をよそに、国王アルブレヒトは思う。床にうつ伏せになって倒れることなんて、人生では初めてのことだった。立ち上がろうにも力が入らない。息もうまくできない。
剣戟の音が次第に遠のいていく。自分を呼ぶ声も少なくなっていくようだ。それだけで、味方が押されているのだと予測がつく。
ラディスラウムは逃げられたであろうか。
剣を抜き、襲撃者と戦う姿が思い起こされた。勇気を褒めるべきか、それとも無謀をたしなめるべきだろうか。
狭い視界の中で、自分を害した人物が近づいてくる。剣を携えるその姿は、すでに老境に入っているのにとてもそうは見えない。
「王よ、あなたが悪いのですぞ」
ゆっくり振りかぶられる白刃。
本当に、何故こんなことになってしまったのか。
ラディスラウムとウィケッド公爵との会談終了後、国王アルブレヒトは王宮の会議室に主だった貴族たちを招集した。国王アルブレヒトと王太子ラディスラウム、中立派の取りまとめ役ドワルド侯爵とその派閥、そしてエイチンク伯爵を始めとした主戦派の面々が顔を揃えた。
「公爵との協議はどうであった?」
国王アルブレヒトの問いかけに、ラディスラウムが立ち上がろうとする。アルブレヒトは、それを手で制して座らせた。わずかな日数でここにいる面々は疲弊し尽くしている。報告ぐらい着席したままさせてやりたかった。
「まずこちらから提案した、その……父上の退位についてですが、求めないとのことです」
ウィケッド公爵との会合に出なかった者たちから安堵の声があがった。
アルブレヒトにしても退位する気などさらさらない。ドワルド侯爵が譲らなかったために提案したことだ。それで丸く済んだとしても、なにかと理由をつけて退位するつもりはなかった。
「また、公爵への宮宰就任の要請も断られました」
今度は落胆の声が周囲から漏れる。宮宰は行政上の最高職だ。ウィケッド公爵のみを政治の中枢にすえることで、政治の停滞状態を打破したかったのだが、それが叶わなかった。
「やはり餌に釣られるほど甘くはないか。それで、奴らは何を望んでいる?」
「それは……」
ラディスラウムが言い淀む。アルブレヒトに顔を向けていたが、対面に座する中立派の貴族たちに幾度か視線を向けている。
「ここに居る者たちに隠し事は必要ない。申してみよ」
「はい。まず、国王陛下による貴族への裁判の停止」
「馬鹿なことを。では誰が我らの間に立つというのか。ウィケッド公め、何を考えておる」
下座に座っているエイチンク伯爵が、憎々しげな表情で言い放つ。近くに座っている貴族たちも、同調して口々にウィケッド公爵を悪し様に罵る。
「次に!」
ラディスラウムが、貴族たちの口を塞ぐために声を張る。
「国王陛下は、戦争に協力する目的であらゆる税を貴族・平民に課してはならない」
またもやエイチンク伯爵らの主戦派が騒ぎ出す。ラディスラウムが静まらせようとする前に、アルブレヒトが口を開いた。
「静まれ。今はラディスラウムの報告を聞いておる」
騒いでいた貴族たちが決まりが悪い顔をして口を閉ざす。それを見届けたアルブレヒトは、ラディスラウムへうなずいて先を促す。
「ありがとうございます、父上。では、最後の要求は……国王陛下による親政を停止し、有力貴族による合議制で政治を行うべし、と」
「なんだと!」
アルブレヒトが椅子を蹴り倒して立ち上がる。いきなりの激昂に、貴族たちはざわめきを起こす間もなく沈黙せざるをえなかった。
「この儂から実権を取り上げようというのか、奴は!?」
裁判については、エリザベートがならず者と通じて犯罪を犯しているという、ラディスラウムとウィリアムの告発のままに裁いたことへの意趣返しだと理解できる。どういう仕組みにするかはわからないが、それでアルブレヒトの判決が間違いだったと知らしめるつもりだ。業腹であるが、仕組みによってはまだ妥協の余地はある。
戦争に関する税については、敵対派閥である主戦派の行動を抑止するため。全面的な課税権を取り上げるものではないから、主戦派を考慮にいれなければ譲れるだろう。
しかし、貴族による合議制は王を傀儡とするものにほかならない。ただ居るだけの存在に成り下がってしまう。それは、許されるものではない。
ラディスラウムが中立派を気にしていた理由がわかった。中立派としては損がないのだ。むしろ現状の混乱が収束するのなら、ウィケッド公爵と手を結びかねない。今最も負担がかかっているのは、ドワルド侯爵を筆頭とした中立派だ。中立派内の複数の派閥を取りまとめるドワルド侯爵は対応に迫られる。
「ラディスラウム、まさか認めたのではあるまいな?」
「もちろんです、父上。しかし、いくら話してもあちらは譲歩しませんでした」
「あやつめ、苦しいのはこちらだと高を括っておるな。舐めおってからに……」
怒り心頭のアルブレヒト。侍従が怯えながら、アルブレヒトが倒した椅子を立て直す。アルブレヒトは、その椅子に乱暴に腰掛け、ドワルド侯爵へ強い眼差しを向ける。
「エリザベートがそなたの妻と接触しおったな」
「はい、陛下。しかし、話題は茶についてだったそうです」
「茶、だと?」
「なんでも公爵に飲んでもらうためだとか。ただ、侍女に見張られている様子だったと聞いています」
でまかせを言うな。そう口にしたかったが出来なかった。ドワルド侯爵との仲を裂くだけで、それが狙いなのかもしれないからだ。
「……見張られていたということは何かを伝えに接触したと?」
「不明です。しかし、ウィケッド公爵や夫人ならともかく、エリザベート嬢とはこれといった付き合いはありませんでした。そんな彼女が、重要な何かを我が家に伝えるとは思えません」
親に逆らってまでエリザベートがドワルド家に接触するはずがない。また、アルブレヒトから権力を取り上げるためにドワルド侯爵と接触するなら、父親のウィケッド公爵自ら出向くほうが適切だ。エリザベートが出てくる理由がわからない。
「わかった。何かわかれば伝えよ」
「かしこまりました。妻にもう一度聞いてみます」
アルブレヒトはうなずき、会議室を見渡す。誰もが緊張し、そして疲れ果てていることがわかる。
「惑わされるな。公爵の要求を呑めばどうなるか、想像つかんことはあるまい。あらゆる権力を握られ、国は奴らを肥え太らせる道具に堕ちことになる。そうならないために! つらいだろうが、今こそ我らは力を結集し、正義を示さなければならん! 非道を正す我らの行動を、神は見守っておられるのだ!!」
ラディスラウムを筆頭に、皆が血を沸き立たせる。自分たちこそ国を守る戦士なのだと思いを新たにする。公爵の提案に流されそうだった中立派の貴族も、目が変わっているのがわかる。
「皆の者、奴らを切り崩すぞ。一人でも多くこちらに引き込め!」
掛け声とともに戦士たちが会議室から飛び出していく。そして、アルブレヒト、ラディスラウムとドワルド侯爵だけが残された。
「陛下……私からもお尋ねしたいことがあります」
「なんだ、侯爵?」
「エリザベート嬢の嫌疑、如何にお考えになって判断をくだされました?」
「……それが何になるというのだ?」
問い返す声は硬い。侯爵の真意がわからなかった。
「いえ。ただ私は、まだ信じられないのです。公爵家の令嬢が、ならず者などを使うのか……と」
「侯爵、エリザベートが主犯なのは確かなことだ。捕らえた者たちからの証言もあった」
黙っていられないとラディスラウムが口を挟む。王との会話に割り込む無作法であったが、ドワルド侯爵は気分を害した様子はない。
「主犯は取り逃がしたと聞いております」
「それは些細なことだ。ウィリアムが調べたことに誤りはない」
「では、陛下は確証をもって判断をくだされたのでしょうか?」
ラディスラウムとの会話はここまでとばかりに、ドワルド侯爵はアルブレヒトに向き直る。
「うむ。ラディスラウムらが調べたことが正しいだろう。国の根幹に関わること故、その場で判決を下したが、それに誤りはない」
「わかりました。それでは、私も仕事にかかりましょう」
「うむ、頼んだぞ」
ドワルド侯爵が一礼して会議室を後にした。それを見送ると、ラディスラウムがそばまでやってくる。
「父上、お疲れではありませんか? 今日はもうお休みになったほうが」
「いや、みなが現状打破に動いているときに、休んではいられぬ。そなたこそ、休まなければいかんぞ」
「私も、休んでいられません。ウィリアムも探さねばなりませんし」
「何も情報はなしか?」
「はい。殺害してはいないようですが、行方が知れません。ヴィルマ……ウィリアムの妹も知らないとのことです」
「ウィリアムの妹か。父親と切り離せないのか?」
「無理でしょう。完全にエリザベートのやつに取り込まれている様子でした」
使い物にならない兄妹だ。揃って役にたたないとは。
「わかった。そなたももう行け」
まだラディスラウムは話したそうだったが、こちらに話すことはない。名残惜しそうにしているのを、さっさと出て行かせる。
「まったく、どいつもこいつも……」
思いがけずウィケッドのろくでなしを貶めることができた。なのに、どうしてこうもうまくいかないのか。
ウィケッドの力を削いだ上で、ラディスラウムに忠実なウィリアムを当主にする。これで、あの思い通りにならないウィケッドの一族を飼い馴らせるはずだったのに。
「陛下、どうぞ」
年老いた侍従が盃を置いてくれる。それを一息にあおった。上質な味に、心が安まっていく。
「儂の役に立つのは、いつもお前だな」
「陛下にお仕えして幾星霜、私以上はいないと自負しております」
自惚れともいえる老侍従の発言であったが、それがアルブレヒトには面白かった。酒も入り、少し上機嫌になる。追い払う仕草をすると、他の侍従は退室していき、老侍従だけが残る。
盃に二杯目がつがれ、今度は少しずつ飲んでいく。
「やっと、やっと忌々しいウィケッドを追い落とせるというのにな。そして、彼女に儂のほうが上だと、ウィケッドを選んだことを後悔させてやれる」
彼女は自分を選ばなかった。王族の直系であり、王太子候補に名を連ねていた自分ではなく、ウィケッドを選んでしまった。
それからは打算で結婚をし、至高の地位を手に入れても満たされることはなかった。息子に愛情がないでもないが、何故彼女の血が入っていないと思ってしまうことがある。
「ウィケッドの情けない姿、愉快でたまらなかった。あの小娘も……胸の内を想像するだけで楽しかった」
そうだ、可愛げのないあの小娘、エリザベート。成長したら母親に似るかと思ってラディスラウムと婚約させたが、よりにもよって父親の方に似ていくとは。ラディスラウムがビンゲンの娘をつれて、エリザベートを告発したときは快哉を叫びたかった。
ラディスラウムとウィリアムの告発など正直聞いてもいない。ウィケッドを落とす。それしか頭になかった。
「もう少しだったのだ。ウィケッドを凌駕し、儂が全てを差配する」
王国は歪んでしまっている。ウィケッド一強でもない、ドワルドとの二強でもダメだ。ウィケッド、ドワルド、主戦派の三者が均衡をとり、それを王が動かす。絶対的な権力こそ王に相応しい。そのための材料が揃っていると気がついたときは、彼女と結び付けなかった神に感謝もした。
「だというのに、またウィケッドが邪魔をしよる」
「陛下の口惜しさ、お察しいたします」
「まだだ、まだ終わっていない。必ず、必ず、今度こそ儂が勝つのだ。ウィケッドのろくでなしを潰し、協力しようともしなかったドワルドの日和見も許しはしない。戦争戦争とうるさいだけの連中も黙らせる。王の威光をわからせてやる」
上機嫌で口が滑りすぎだと思わないでもなかったが、ここにいるのは自分と信頼できる者だけだ。飲み干した盃を下げさせようと侍従のほうに寄せると、すぐさま三杯目がつがれた。
どいつもこいつも、本当に役に立たん。
アルブレヒトは盃を一口に飲み乾した。
アルブレヒトは、酒の抜け切らない重い体を引きずるようにして歩く。昨夜は些か飲みすぎてしまった。
今は、ラディスラウムからの急報だと、侍従に起こされ、会議室に向かう途中だ。
「エリザベートが、暗殺された?」
「いえ、殺されたのは侍女です。ですが、場所がエリザベート嬢の部屋だったようです」
誰かはわからないが引っ掻き回してくれる!
苛立つ気持ちをこらえて、会議室に急ぐ。
到着すると、すでに昨夜の全員が揃っていた。
「みな、ご苦労。ラディスラウム、報告を」
「こちらになびいた者からの情報です。昨夜、エリザベートの部屋に暗殺者が侵入し、その場にいた侍女を殺害、逃亡したようです。エリザベートは……無傷とのこと」
会議室中から、安堵とも残念ともとれるため息がもれる。
「侍女が一人死亡、一人行方不明。この行方不明の侍女が犯人と考えられています」
「この情勢で侍女単独とは考えられん。裏に誰がいる?」
ラディスラウムが言い淀む。それだけで、誰が疑われているかすぐにわかった。
「ウィケッド公爵一派は、ラディスラウム殿下だと考えているようです」
「ドワルド侯、なぜラディスラウムだと?」
「侯爵、わたしから話す」
答えようとするドワルド侯爵をラディスラウムが止める。
「行方不明の侍女は失踪中のウィリアムと親しかったらしいのです。そして、昨日わたしはウィリアムの妹ヴィルマと会っている。そのときにエリザベート殺害を指示した、と」
「指示したのか?」
「誓って、私ではありません」
父親の目から見ても、ラディスラウムが嘘をついているとは思えなかった。
しかし、ウィケッド公爵らがそれを信じるとは思えない。
状況を混沌とされたのが腹立たしいが、もはやどうしようもない。
アルブレヒトは、派閥内に首謀者がいないか徹底調査を命じることしかできなかった。