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悪女エリザベートによる軌跡  作者: 無位無冠
もう一度呼んでくれませんか
7/26

暗殺

 ウィケッド公爵邸は緊張に包まれている。ヘレーネも、前庭に集合している騎士や兵士の邪魔にならないように仕事をしなければならなかった。


「そっちは終わった?」


「ええ、終わりました」


 同僚の確認に、ヘレーネは掃除用具を片付けながら返した。


「まったく。どうしていまさら王太子殿下がやってくるのか」


「毎日来ていた方々を考えると、不甲斐なさにようやく重い腰を上げる気になったということでしょう」


「いやぁ、そうじゃなくてさ」


 同僚の歯切れが悪い言い方に、何を言いたいのか見当がついた。

 エリザベートお嬢様を(ないがし)ろにしておいて、いまさら何をしにくるのか。もっと早く来て話し合っていれば、こんなことにはならなかったのではないか。


「そうですね。でも、恐らく殿下も来たくて来たわけじゃないとか、おっしゃるでしょうね」


「……さあ、もうすぐ来訪される頃合でしょ? 偉い人のことは偉い人に任せましょ」


 努めて明るい声を出す同僚にヘレーネは首を縦に振る。


 王太子ラディスラウムのウィケッド公爵家への来訪は、実に一年ぶりのことであった。


「エリザベートお嬢様は殿下のお出迎えはどうされるの?」


「部屋でお待ち頂くことになっています」


「それもそうか。殿下を刺激することもないものね」


「ええ、さすがの旦那様も、お嬢様には部屋から出ないように言いつけられました」


 本当は、ドワルド夫人に無断で会いに行ったためであるが、それを言う必要はない。自分も、どうして報告しなかったと旦那様と同じく侍女を務める母の双方に叱られて動きが取りづらくなってしまった。おかげで今晩のことを段取りするのに苦労した。貴族でありながらエリザベートの侍女を務めるシュパニエン男爵家の姉妹が手伝ってくれなければ、準備すらままならなかったところだ。


「あら? 外が慌ただしくなったんじゃない?」


「とうとうお着きになったということですか」


 急いで屋敷の扉前に集合し、いつでも出迎えできるようにしておく。


 少しすると、旦那様も派閥の主だった面々を引き連れて外に出てきた。背筋を伸ばし、歩き方も淀みがない。顔色も実に健康そのものだ。

 とても病とは思えない様子に、同僚と少し顔を見合わせて笑う。元気なのは当然知っていたが、病人を装ってくると思っていたのだ。男の使用人の中には、笑顔だったり悔しそうな顔をしているのもいることから、どうやら賭けをしていたのだろう。

 

 そんな浮ついた様子に気がついたのか、執事長セバスティアンが咳払いをする。

 ヘレーネは笑った顔を引き締め直すと、徐々に門前がざわついてくる。そして、騎乗した騎士に先導されて、王家専用の馬車が邸内に入ってきた。


 とうとうお着きになった。私たちもそれとなく姿勢を正して、見苦しくないようにする。


 馬車がウィケッド公爵の前に停車する。セバスティアンが、ラディスラウム護衛の騎士に監視されながら馬車のドアを開ける。そして、おもむろに王太子ラディスラウムが姿を現した。


 馬車から出てきたラディスラウムを見たヘレーネの感想は、痩せたの一言に尽きた。エリザベートとの婚約破棄からまだ一月(ひとつき)も経っていない。だというのに離れていても痩せたことがはっきりと分かる。


「公爵、病と聞いていたが壮健ではないか。随分と顔色も良い」


「いいえ、殿下。実を申しますと、妻に化粧をされました。殿下にお会いするのに、青白い顔では失礼に当たると」


「そうか」


 ウィケッド公爵の当てこするような発言に、ラディスラウムが憎々しげな表情を浮かべる。そして、出迎えに集まっていたウィケッド家の家臣を見渡した。


「とみに聞くが、ウィリアムはどうした?」


「はて。当家に関係のない者のことなど、わかりませぬ」


「嘘を言うな。ウィリアムはウィケッド家に向かってから消息がわかっていない。そなたたち以外の誰があいつを害するというのだ」


「そう仰いましてもあずかり知らぬこと。おい、何か知っておるか」


 ウィケッド公爵が、馬車の近くにいるセバスティアンに問いかける。


「当家に押し入ろうとした不届き者に責めを与えたとの報告は受けております。それ以後はわかりかねます」


「ふむ、そうか。お聞きの通りです。申し訳ありませんが、やはり我らにはわかりませんな」


「わかった。手間を取らせた」


 ラディスラウムが硬くこぶしを握った。目が釣り上がり、今にも公爵に殴りかかっても不思議ではない様子だ。公爵は、ラディスラウムの視線もどこ吹く風と気にした素振りを見せない。その態度が、よけいにラディスラウムの癇に障るようだ。


「公爵、立ち話は病に障ります。会合の場に移動しましょう」


 ウィケッド公爵の叔父にあたるティーゲン伯爵だった。叔父であるのに甥より若いというのは、上位貴族にはまれにあることだ。


「そうだな。殿下、案内はセバスティアンがしますので。後でお会いいたしましょう」


 ウィケッド公爵が、先頭になって屋敷に戻っていく。

 不機嫌なラディスラウムも、随員を引き連れてセバスティアンの案内で扉をくぐって行った。一行全員が通り過ぎるまで、使用人は頭を下げて見送った。


「さあ、私たちも仕事に戻りましょう」


「そうですね。私もエリザベートお嬢様の下に参ります」


 三々五々と男女の使用人が散っていく。その中で、祈るように両手を胸の前で組み、うつむいている侍女をヘレーネは見つけた。


「どうしっ」


「……ウィリアム様が…………いらっしゃらない。ウィリアム様……」


 小さい声でウィリアムの名前をつぶやく姿は異様であった。ヘレーネは声をかけようと思ったが止めておくことにする。上役の侍女に異様な様子の侍女を指し示し、自分の仕事に戻る。


 屋敷に入ると、庭と違って騎士の数も少なくて安心する。屋敷前ではウィケッド公爵家と殿下の護衛、それぞれの騎士たちが睨み合っていて息が詰まるのだ。


 エリザベートお嬢様付きということで、特に会合に関わる仕事がない。予定がある夜までのんびりしていればいい。


 落ち着いているようで、慌てている同僚たちを尻目にエリザベートの部屋を目指す。時折恨めしそうな視線を送ってくる者もいるが、気づかないふりをして通り過ぎる。以前に大量のドレスを一人で片付けさせられたお返しだ。

 

 屋敷の奥に進むにつれて人と会わなくなった。やがて、エリザベートの部屋に到着する。ドアの前には騎士が護衛についているが、知り合いなので誰何なく部屋に通してくれた。


 部屋には、二人のお嬢様が揃っていた。またヴィルマお嬢様にドレスを合わせている。お二人とも、こちらに一瞬だけ視線を向けただけだった。


「これなんて良いんじゃないかしら」


「デザインはすばらしいと思うのですが……」


「ん〜? ヴィルマは私の選んだ服を着られないの?」


 部屋に緊張が走ったのがわかる。エリザベートお嬢様が立ち上がり、ヴィルマお嬢様を見下ろす格好になる。


「い、いいえ、お姉様。そのようなことは……」


「じゃあ、一度着てみなさい」


 冷たく言い放ち、ヴィルマの侍女にドレスを投げ渡す。そして、逃げるように隣室に着替えに向かうヴィルマ達を見届けてから、エリザベートはヘレーネに顔を向けた。


「ヘレーネ。殿下はどうだったの?」


「お痩せになっておられました。しかし、お元気であられましたよ」


「そう」


 エリザベートが椅子に、もたれかかるように腰掛ける。聞いただけでどうでもいいと思っているのか、安心しているのか。ヘレーネにしても窺い知ることはできなかった。


「ヴィルマお嬢様にもう少しお優しくされては?」


「あれは躾。それに、似合うのは本当よ」


「さようでございますか」


 エリザベートお嬢様はそうしたことは卒なくこなすのだから、心配はないだろう。他愛もない話をしているとヴィルマお嬢様が遠慮がちに戻ってきた。


 少し派手なドレスに負けてしまっていないだろうか。

 ヘレーネの視線を察したのか、ヴィルマが恥ずかしそうにする。


「ヴィルマ、こっちにいらっしゃい」


 エリザベートお嬢様が手招きして、鏡台の前に座らせる。そして、手早く化粧を施していく。指示通りに手伝っていくと、ドレスに負けないようになっていった。幾つか宝石まで用意し、終いにはパーティーに出席するのかと言わんばかりに仕上がってしまった。しかも、それがよく似合っている。


「どうかしら? よく似合っているでしょう」


 鏡で姿を見せながら、ヴィルマお嬢様に問いかける。


「はい。すみませんでした、お姉様」


「いいのよ。そうね、私が選んでばかりだから、次は一緒に選びましょう」


 ヴィルマお嬢様本人も、自分の変わりように驚いているようだ。


 その時、ドアがノックされた。そのまま部屋に入ってきたのは、二人の侍女。エリザベート専属の、シュパニエン男爵家の姉妹であった。


「失礼いたします、エリザベート様。ヴィルマ様を当主様がお呼びになっております」


「私、ですか?」


「はい、何でも王太子殿下がヴィルマ様にお会いしたいとか」


「ちょうど良かったわ。ヴィルマも着飾ったところだし、お父様を驚かせてきなさい」


 とまどうヴィルマを強引に追い出すエリザベート。ヴィルマは自分の侍女、そして呼びに来た侍女の姉の方ヨハンナに連れられていった。


「旦那様だけならともかく、初めての装いを他家の男性に見られるとあっては、困惑するでしょうね」


「これも練習よ。ところでマリー、あなたどうしてここにいるの?」


「勿論、ご報告があるからです、エリザベート様」


 エリザベートに専属に仕える男爵家の次女マルガレーテ。男爵家内の騒動で、しばらく公爵家に来ることができなかった。ヘレーネよりも身分が上のため、主人のそばをマルガレーテに譲る。


「今晩の人員は確保できました。各家から集めた騎士や兵士たちを兄が率います」


「そう、ご苦労様」


「しかし、エリザベート様には屋敷で待っていていただきます。兄も同意見です」


「どういうことかしら?」


「当然ではありませんか。危険な場所に御身を運ばれる必要はありません。なにより、当主様から屋敷から出ることを禁じられているのも知っております」


 お嬢様からため息が漏れる。旦那様から指示があった場合、それはお嬢様のよりも優先される。


「仕方ないわ、ね。ヘレーネ、あなたが私の代わりに行ってきなさい」


「かしこまりました。マルガレーテ様、カールには私が対応するのでよろしくお願いします」


 マルガレーテ様が胡乱げな表情で見てくるので、頭を下げておく。こうすれば、追求してこないだろう。


「わかったわ、兄にも伝えておく。それで、エリザベート様……実はお願いがありまして」


「ほんとにあなたっておねだりが上手ね。それで、何かしら?」


「はい。あのウルストラの元許嫁、アーネスト様のことなのです」


 お嬢様とマルガレーテ様がアーネスト・クラインについて話し合われている。本来なら聞いておくべきことだが、鏡台前に広げられた化粧道具を使いやすいように片付け始めた。



 

 


 



 薄暗い部屋の中、燭台のろうそくの減りを確認する。


「もうそろそろ帰ってくるか」


 テーブルに、用意しておいた空き瓶と盃を置く。これで、使用人と二人で深酒をして酔いつぶれてしまったという体裁ができる。


 できることならば、ウルストラを取り逃がしたカールに会いに自分が赴きたかったが、仕方がない。


 その時、部屋のドアが、音も立てずに開けられる。偶然そちらを向いていたから開閉に気がついたが、逆を向いていたら気付かなかった。


「誰? 勝手に入ってくるのは」


「お、起きておいででしたか。失礼いたしました。……ヘレーネがおりませんでしたので、私が見回りを」


 侍女がわずかにドアを開けている。暗く、その顔を確認できない。


「……じゃあ、行きなさい。私も、もう休むわ」


 ドアに背を向けて寝台に向かう振りをする。ドアの閉まる音がしてふっと息をついた。緊張してしまって声で誰かを判別できなかったのは失敗だった。もしものために、せっかく二人でいたという偽装までしていたのに綻びが生じてしまっている。


 そこで、ふと気がついた。他の者がこの部屋を見回るはずがない、と。

 振り向くと、人影が目の前に迫っていた。人影はそのまま、体当たりをするように飛び込んでくる。


「お前のせいで、ウィリアム様が……」


 正面から追突されて、何が起こったのかわからなかったが、腹部に激しい痛みが走る。


「な、にを……」


「お前のせいだ。お前が……ウィリアム様を……」


 ウィリアム?


 思考が痛みで邪魔をされているけれども、お腹に刃物が刺さっているのがわかった。

 人影は、うわ言のようにウィリアムの名を呼び、刃物をより深く突き刺してくる。


「っつ、このっ」


 引き離そうとするも、体に力が入らない。痛みと腹部にある異物感が力むのを阻む。それと同時に体内から活力が抜け落ちていくようであった。


 より深く刺そうとしていた人影が、不意にゆっくり離れる。同時に刃物も抜かれていき、異物のなくなった安堵と痛みで崩れ落ちそうになる。


 お腹を押さえようとしたが、人影に抱きしめられるように抱えられた。


「ウィリアム様を馬鹿にしたヘレーネもこうしてやりたかった。けど、いないからお前が代わりだ」


 今度は脇腹に刃が突き立てられる。数度、それが繰り返されて、その度に体が跳ねる。


 もう意識を失いそうになったところで、解放されて床に倒れ込む。

 侍女は、荒い呼吸をしながらそれを見下ろすと、満足したようにうなずいて部屋を出ていった。

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