茶会
馬車のなか、ヘレーネは最近書き始めた台本について考えていた。まだ題名しか決まっていないが、書くことは大筋で決まっている。同室の侍女に題名だけ教えたら、気持ち悪いと不評であった。しかし、ヘレーネに変えるつもりはない。
「ヘレーネ?」
「は、はい。何でしょうか、お嬢様?」
考えに没頭していたために反応が遅れてしまったのは迂闊だった。
エリザベートお嬢様に知られる訳にはいかない。必ず、見せろと命令されるからだ。
エリザベートは、ヘレーネの様子に不思議そうな顔をするが、特に咎められることなく窓外を示す。
「あれはヴィルマのところの騎士ではなかったかしら」
ヘレーネの位置からはその人物は見えないが、心当たりはあった。
「ヴィルマお嬢様の一族にも同行していただきました。日に日に物騒になっておりますので」
貴族街は、各家の門に守衛が多く配置されて異様な空気となっている。ウィケッド公爵派と主戦派が隣あっている場合は、それがより顕著だ。一人歩きは勿論、女性だけで外に出ることも禁じている状態が続いている。
「そう。随分売り込まれたの?」
「はい。ヴィルマお嬢様を守ってくださるエリザベート様に、何か奉公がしたいと前からおっしゃっていました」
「私に気に入られようとしているのね。ヴィルマと一緒で、随分と健気だわ」
エリザベートが楽しげに笑う。愉快で仕方がないといった顔だ。
「ヴィルマお嬢様が、気に入られようとしている、ですか?」
傍から見れば、ヴィルマお嬢様が媚を売っているというより、エリザベートお嬢様が積極的に可愛がっているようにしか見えない。
「ええ、あの子はまだ警戒を緩めていない。戯れではなく、ちゃんと守ってくれるのか。自分の一族のために、懐いたふりをして窺っている。次は――そうね、私の選んだ服を好みじゃないと拒んでみせて試そうとするんじゃないかしら」
「私にはエリザベートお嬢様をすっかりお慕いになっている様に見えますが?」
「じっとね、見るのよ、私を。ふとした時にじっと見ている。まだ甘いわね、気づかれていないと思っている」
そう言われると、確かにヴィルマお嬢様はエリザベートお嬢様を見ている時がある。でも、それだけでは決められない。
ヘレーネが納得していないと察したのだろう、エリザベートがまた楽しそうに付け足した。
「あなたは見ていなかったか。ウィリアムがのこのこと戻ってきた時があったでしょう。気丈に振る舞っていたけれど、手を握った時、あの子震えていたのよ。馬車に戻ってからも、それとなく外を気にしていたわ」
「ヴィルマお嬢様は、エリザベートお嬢様と対立した兄を、一族のために見捨てるしかなかったというわけですか」
「そうよ。そして、ヴィルマは一族を守るのは自分しかいないと、その一族はヴィルマを自分たちが守るしかないと思っている。お互いが想いあっているのにすれ違っている」
もう話は終わりだと言うように、エリザベートが外に視線を戻す。その視線の先に何を見ているのか、ヘレーネにもわからなかった。
ただ、主の髪をいつもより少し短く整えてしまったと、丸くまとめた自分の髪に触れながら思った。
馬車はドワルド侯爵の別邸に到着した。前庭を通り過ぎ、屋敷の正面に馬車が停車する。
「よくいらしてくださいました、エリザベート様」
エリザベートが、騎士にエスコートされて降車すると、初老の美しい女性から迎えられた。温和な顔で微笑を浮かべているが、警戒している雰囲気が出ている。
「歓迎痛み入ります、ドワルド夫人」
エリザベートお嬢様が軽くドレスの裾をつまみ、深々とドワルド夫人に頭を下げる。遅れることなく、私も深く頭を下げた。
「そんな、何をなさいますか。さあさあ顔をお上げになって! どうぞ、こちらへ。お勧めのお茶を用意しておりますの」
「ありがとうございます。楽しみですわ、母から夫人は目利きと聞いておりますから」
ドワルド夫人が自らエリザベートを先導して、案内を始める。
ヘレーネもエリザベートの後について歩きながら、夫人の様子を観察する。
ドワルド夫人は遠慮していたが、エリザベートお嬢様が夫人を立てる挨拶をしたことに優越感を感じているようだ。趣味も評価されて、最初の取り繕った微笑みから明らかに顔つきが変わっているし、敵を迎えるような警戒心も薄らいでいると感じた。
「そういえば、お母上はどうされています?」
「母は病の父に付き添っております。夫人にくれぐれもよろしくと言付かっていますわ」
「さようですか。私の方からもお母上によろしくお伝え下さいね」
「かしこまりました。必ず伝えます」
ドワルド侯爵の応接室は、客を迎える部屋というよりは、部屋が客を選ぶ応接室であった。調度品一つとっても、何かしら由来があるように見受けられる。そして、それらが際立つことなく、調和されて部屋として成り立たせていた。
ウィケッド邸で鍛えられたヘレーネは、下手に価値が分かってしまうために入室に躊躇ってしまう。だが、特に気にした様子もなく、むしろ当然とばかりに歩みをすすめるエリザベート。ヘレーネは置いていかれないようにするしかなかった。
エリザベートを席に誘導したドワルド夫人は、手ずからお茶を用意する。そして僅かな時間の後に、エリザベートの前にソーサーとカップを置き、ティーポットからお茶を注ぐ。自分の分も用意し、エリザベートの対面に座った。
「この度のことは大変残念でありましたね。あのような流言が流されてしまって……」
夫人は、流言の内容を言うのもおぞましいとばかりに口を隠す。
「しかも、それで王太子殿下がエリザベート様を貶めたと聞いております。本当にお可哀そうに」
エリザベートは少し頭を下げて、夫人の理解への感謝の意を示す。
二人とも、そんなことは思ってもいないのは重々承知だ。ただ軽くつついて様子を見ている。ヘレーネは、エリザベートの後ろでこうしたやり取りを見るたびに、自分には無理な世界だとつくづく感じていた。
さあ、お嬢様はどう反撃なさるのか。
エリザベートがソーサーを手に取って、カップを少し持ち上げる。
「良い絵柄ですわ。これはどちらの作品でしょうか?」
「まあ! お気づきになりました?」
「ええ、細やかな文様がとてもきれい。さぞ名のある窯の物なのでしょうね」
「いいえ、まだ名が知られていない窯なのです。見つけたときは、わたくしも有名な窯の新作かと思ったものです」
「それを見つけられた夫人の目もすばらしいです。やはり自分で探したほうがよろしいのかしら」
「信頼できる者に任せるのも良いのですけども、思わぬ発見はやはり自分で探さなければなりませんね」
そして、ドワルド夫人はどのような経緯で、自分がこれを発見したかを話し始めた。エリザベートが時折相槌を打ったり、質問をするものだから夫人はさらに興にのって熱く語りだす。
暇な貴族の趣味も困りものです。エリザベートお嬢様も、よくこんな自慢話に付き合われますね。お茶にも陶器にも興味なんて無いというのに、変な話題を振るのだから。
ヘレーネは悟られないようにあくびを噛み殺す。
カップに口をつけるエリザベートお嬢様も、恐らく自分と同じように退屈で、眠気を誤魔化すためであろうと漠然と考える。
「そのご慧眼、感服いたしますわ。さすがは、王国一の将軍と名高いドワルド侯爵の奥方。勉強になります」
「とんでもないです。ああ、お話ししすぎたかしら。おかわりはいかがです?」
ドワルド夫人に、エリザベートはソーサーを両手で差し出す。ドワルド夫人がソーサーを受け取り、おかわりの準備をする。
「ドワルド夫人、今日お会いいただいたことなのですが……」
ドワルド夫人の手は淀みなく動き、お茶を注ぐ準備を整える。
「今日お会いいただいたのは、茶葉についてお尋ねしたいと思いまして」
「茶葉……ですか?」
「ええ、そうなのですよ」
エリザベートの予想外の発言に、ドワルド夫人の手が止まる。ヘレーネもさっきまで悩ませられていた眠気が吹き飛んでいた。
「茶葉でしたら、お会いせずとも手紙で聞いてくだされば、お教えしましたよ」
「何度も手紙を往復させるには、時間が足りないと考えましたので」
「時間が足りない、ですか?」
ドワルド夫人が、お茶のおかわりを差し出す。エリザベートは礼をして受け取り、今度はミルクを入れた。
「ええ、そうです。時間が……ないのですよ」
勿体つけるように、右手に持ったティースプーンでゆっくりカップをかき混ぜる。優雅な仕草が、より一層時間を間延びさせているようであった。
「どうされたというのです? 不幸な仕儀があったとはいえ、時間がないなどと」
「いえいえ、当家の話でございますので。それで茶葉なのですが……」
ああ、私の見えないところで何か仕掛けられましたね、お嬢様。
ヘレーネは、ドワルド夫人に視線を向けられたことに気がついていた。澄ました顔で佇みながら、お嬢様の発言に注意を払っているという雰囲気を出しておくことにする。
「王宮の噂で聞いていたのですが、何でも夫人は病にも効く茶葉をご存知だと」
「まあ……あの茶葉のことをお知りになりたいのですか?」
「ええ、父に飲んでいただこうと思いまして」
ドワルド夫人は、片頬に手をやって、悩んでいるという仕草を取る。そして、何度か自分の侍女とヘレーネを見る。
「わかりました。お教えしましょう。しかし、これは私の秘中ですの。私の侍女も下げますので、そちらもお願いできますかしら?」
「そういうことなら勿論ですわ。ヘレーネ」
「……かしこまりました、お嬢様」
不承不承という態度を示して、ドワルド夫人の侍女と退室する。見張られているかもしれないので、部屋の中を気にしている様子を、それとなく見せておくのも忘れない。
「ドワルド夫人と何をお話になっていたのですか?」
帰路の馬車の中、ヘレーネはエリザベートに疑問を口にする。結局、退室してからヘレーネは再び入室することはなかった。
そう時間もかからずに、エリザベートがドワルド夫人とともに部屋から出てきたためだ。
「ヘレーネは人の殺し方を知っていて?」
「はぁ?」
唐突の質問に、ヘレーネは思わず気の抜けた返事をしてしまった。慌てて口元を手で隠し、エリザベートを伺う。エリザベートはそんなヘレーネを気にした様子もなく、窓に肩肘をのせて頬杖をついている。ヘレーネの答えを待っているようだ。
「ナイフで刺したり、首を絞めたりでしょうか」
待たせてはいけないとすぐに思いついた答えを述べる。
「そうね。私たちが思いつくのはその程度だった」
エリザベートがすっと立ち上がり、向かいの席、ヘレーネの隣に座り直す。
急に隣に座ったエリザベートにヘレーネは目を白黒させる。
「私はウルストラに人の殺し方を教わったわ」
エリザベートお嬢様は何を言っているのだろう。お嬢様がウルストラなんかに物を教わるなどということはありえない。
「人を殺すのに、ナイフは最後まで取っておかないといけない。失敗したとき、反撃されてしまう」
「では、どうしたらよろしいのでしょうか?」
「毒よ」
短い答えに、最初は何を言っているのかわからなかった。
「毒を使うのよ。さっき夫人にも使ってきたわ」
ドワルド夫人に毒を使った。しかもそれはウルストラに教えられた。もはやヘレーネにはついていけなかった。しかし、エリザベートが関わっていないと、どう隠し守ったら良いか必死に頭を働かせる。どうして夫人に毒をと思わないでもないが、そんな事はヘレーネにとって後回しだ。
「どんな毒をお使いになったのですか?」
これを聞いておかないと対処を誤ってしまう。
エリザベートは、ヘレーネの質問に軽く声を立てて笑った。
「私たちみんなが持っている毒。お父様にもよく効いてくれたわ」
旦那様にも毒を、と目を見開く。お嬢様といえども、それは許されることではない。ヘレーネが諌めようとするが、エリザベートの指によって唇が抑えられる。
ヘレーネは面食らい、視線はエリザベートの眼に吸い寄せられる。
艶然とするエリザベートは、その指をゆっくり動かし、ヘレーネの顎に添えると、顔を正面を向かせた。
そして、ヘレーネの耳元に口を近づける。
「次はあなたの番よ」
美しいあだっぽい声でささやかれた。
馬車の振動だけが、現実だと教えてくれる。ヘレーネは、元の席に戻っていく主を呆然と見送るしかなかった。
「こうやって毒を吹き込むの。あとは見ているだけでいいわ」
エリザベートが、ヘレーネを安心させるように微笑みかける。それでようやく、ヘレーネは心臓が早鐘を打っていることに気がついた。自分が、主人に切り捨てられたのではないとわかった安堵とともに。