除名
ラディスラウムの離宮は、王宮の外にある。外といっても、貴族街にあり、城門と連携できる距離なので、王宮からそう遠くはない。
ウィリアムとラディスラウムは、馬車ではなく、馬に乗って王宮に向かうことにした。
「ところでウィル、あの女はどうするのだ?」
「…………」
あの女が姉を指すのは、ウィリアムもすぐに気がついた。しかし、愛称で呼んでいたのが呼び捨てになり、ついに名前すら呼ばなくなったことに言葉が出てこなかった。
「どうした?」
「何でもありません。エリザベート様、いえ、彼女には……領地かどこかの荘園で静養してもらいます。今日、父と相談して決めるつもりです」
「そうか……」
思わず口から出たことであったが、なかなか良い案に思える。主犯を捕らえてエリザベートに罰を加えるとしても、恐らくはラディスラウムが望むような重い罰が下ることはない。だから、まだ主犯を捕えていないが、静養と称して田舎で監禁生活をさせる。失態を犯した貴族のありふれた末路だ。
ラディスラウムも、納得していないが妥当だと考えているのだろう。
「それにしても、あの女を排除するためとは言え、公爵には悪いことをした。屋敷に帰ったらよく伝えておいてくれ」
「承知しました。大丈夫です、父なら殿下の御心を理解してくれます」
「……あいつも、大人しく身を引いておればよかったものを」
「殿下、もう過ぎてしまったことです」
「……」
ラディスラウムはそれに答えず、沈黙で答えた。ウルストラに害が及びそうになったのが許せないのだと長い付き合いで察せられる。
しばらく何も話さず、馬の背に揺られていると、突然ラディスラウムが周囲を見渡す。それにつられてウィリアムも辺りを見るが、特に変わったことはない。
「どうされましたか、何か異常が?」
「人通りが少ない。いつもより遅いからこんなものなのかもしれないが……。それに、どこか様子が変だと思わないか」
ウィリアムは注意深く観察する。
確かにラディスラウムの言う通りに人通りがいつもより少ない。それなのに守衛が多く配置されている屋敷があったりする。
「屋敷の守衛が多いですね。何か事件でもあったのでしょうか」
「それにしては巡回の兵を見かけん。……自分でもありえないと思うが、あの女に何かできると思うか?」
「まさか、できはしませんよ」
「そう、そうだな」
自分に言い聞かせるように何度も頷くラディスラウム。ウィリアムも何か気持ち悪さを感じて来たが、主を不安にさせたくなかった。だから、一刻でも早くこの場から離れることにする。
「大丈夫です。さあ、王宮に急ぎましょう」
「ああ、そうしよう」
二人は、その場の違和感を振り払うように馬を駆けさせた。
馬を駆けさせた上に人が少ないこともあり、あっという間に城門に到着する。
ラディスラウムの姿を門衛の騎士が認めると、すぐに数人が近づいてくる。
「王太子殿下、護衛をお連れください」
「道中も様子がおかしかったように感じたが、何かあったのか?」
「……私からはなんとご説明して良いのかわかりません。然るべき方にお聞きいただければ。城内でも何かあるかもしれませんので、我々がご同行します」
「一体どうしたのだ? 知っていることで良い、話せ」
騎士たちが顔を見合わせる。やがて観念したのか、一人が進み出た。
「役職に就いている貴族たちの多くが、未だに登城していないのです。騎士にも欠員が少なからず出ております」
「どういうことだ、何が起こっている」
「不明です。城内は状況がわからず騒然としているので、我々が護衛を」
「いや、護衛はウィリアムだけでよい。お前たちは念のために門を固めよ」
ラディスラウムはそう命じると、騎士の制止も聞かず、馬を走らせてしまった。ウィリアムも一拍遅れてラディスラウムに続く。
城門を走り抜ける。城内は右往左往する人物が多く見られた。
二人は普段向かう厩舎ではなく、直接王宮を目指す。
王宮前にもまた騎士たちが詰めており、騎馬で近づくと武器を構えられるが、ラディスラウムの姿を認めてそれを収める。そして、二人が下馬すると馬を引いていってくれた。
「父上はどこか?」
「会議室にて状況の把握に努めておられます」
ラディスラウムを待っていたのだろう、騎士の一人が素早く答える。
「よし、ウィリアム行くぞ」
「お待ち下さい、殿下」
走り出そうとするラディスラウムを一人の騎士が制止する。いつも王宮の入り口を守っている騎士で、顔見知りであった。知っている騎士からの制止にラディスラウムも立ち止まる。
「その者は王宮に入ることはできません。その者以外をお連れください」
「どういうことだ!」
自分を指差す騎士に対し、ウィリアムが思わず詰め寄る。周囲の兵たちが慌ててウィリアムを騎士から引き離す。
一刻も争う事態が起こっているというのに、訳がわからないことを言う騎士に我慢できなかった。
「王宮は身分無き者は入れない。どうしても入りたくば手続きが必要だが、三月はかかる」
「私はウィリアム・ウィケッドだぞ。私を知っているし、昨日も顔を見ているだろう!」
「昨日は問題なかったが、今日からはだめだ。諦めよ」
取り付く島もない騎士に、ウィリアムは歯ぎしりする。昨日が良くて今日がだめだという理由がわからない。さらには言動も今までになく険がある。
周りの騎士や兵士たちは事態がわからず顔を見合わせる。顔見知りの騎士だけが、ウィリアムを阻もうとしていた。
「落ち着けウィリアム。この緊急時にどういうことだ? 冗談ではすまぬぞ」
「心得ております。されど王宮に家名のなき者、ただの平民は入れずは定められし法にございますれば」
「それは承知している! 私は家名なき者ではない、ウィケッド公爵家の長男だぞ!?」
「昨夜まではな」
昨夜までは。その一言で、兵士たちを引き離そうとしていた力が一気に抜ける。
騎士は、ウィリアムではなく、ラディスラウムに向き直り説明を始める。
「昨夜遅く、紋章院から連絡がありました。ウィリアム・ウィケッドは貴族にあらず。王宮に入ろうとするかもしれないから注意するようにと」
「紋章院……だと」
ラディスラウムが見つめてくるのを、ウィリアムはどこか他人事のように感じていた。
紋章院は、各貴族家が使う紋章や一族の系譜を管理している。出生、死亡も記録していることから夜中も休みなく活動し、成りすましなど防ぐために各施設に貴族でなくなった者や死亡者を連絡するのだ。
「どういった理由かはわかりませんが、紋章院によればその者は貴族ではありません」
理由がわからないと言うが、わからない訳がない。
貴族を貴族でなくせるのは国王か、その貴族家の当主しかありえない。国王アルブレヒトはウィリアムをウィケッド公爵にするつもりであった。では、自然と現ウィケッド公爵が、ウィリアムの父親が貴族でなくしたという結論に行きつく。父親が息子を貴族から外す際に、もはや慣例となっている理由が、貴族として不適格だ。
「ち、ちちうえが……わたしを……」
「しっかりしろ、ウィル!」
ラディスラウムがウィリアムを囲む兵を押しのける。そして、ウィリアムの両肩に手を置き、激しく揺する。
「殿下、わたしは……」
「だからしっかりしろ! 落ち着くんだ! 公爵じゃない! エリザベートが、勝手にやったんだ! そうに決まっている!!」
「エリザベート様が勝手にやった。エリザベートが、勝手に。あの女が!!」
ラディスラウムの言葉を繰り返していく。
そうだ、どうして父を疑ったのだろうか。あの女しかいないではないか。そうだ、そうにちがいない。父の印章を使って、あの女がやったんだ。それしかない。
「ウィル、お前は急ぎ屋敷に戻ってあいつを捕らえよ。当主の印章使用は重罪だから多少乱暴でも問題ない」
「かしこまりました。必ず、エリザベートを捕らえて正義の裁きを今度こそ下してやります。おい、馬を!」
乗ってきた馬が急いで引いてこられる。馬に飛び乗り、一気に走らせる。
後方でラディスラウムの声が聞こえた気がするが、ウィリアムはそれを振り払って一心不乱に馬を駆けさせるのだった。
ウィケッド家の屋敷も貴族街にある。ラディスラウムの離宮ほど王宮に近くはないが、それでも馬を駆けさせるとほどなく到着した。
屋敷の門前には、いつもより多い守衛と騎士の姿が見える。さすがに顔をよく知っているからだろう、駆けさせながら近づいても武器を構えられなかった。
「連絡通り本当に来るとは……」
馬上の自分を見上げて、自分の叔父にあたる騎士が理解できないことを言う。近くには従兄弟の騎士が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
二人の様子がおかしいことが気になるが、それよりも大事なことがある。
「叔父上、ちょうど良かった。エリザベートが父上の印章をかっ!」
最後まで言い切る前に衝撃がやってきて、受け身も取れず背中から地面に落とされた。
衝撃と息ができない恐怖に動けないでいるうちに、兵士たちによって強引に立たされ、腕を拘束されてしまう。
少しして息ができるようになってもまだ落ち着かない。速い呼吸を繰り返していると、今度は腹部に衝撃が来た。
「エリザベート、さまだ!」
「げはっ」
無防備な腹部に従兄弟の拳が突き刺さっている。吐き戻さなかったのはただの偶然だった。
「一門を裏切っておいて、よく顔が出せたものだ」
「うら、ぎり?」
腹部の激痛に耐えながら口を開く。すると今度は叔父によって頭を掴まれ、上を向かせられる。
「エリザベート様の婚約が破棄された。当主様は他家に嘲笑われ、王家はそれを止めもしなかったというではないか。我らの面目を潰したのは、お前だ」
「あれは、エリザベートが、ウルストラを……」
また腹部に衝撃が来る。今度は意識して胃の逆流を止めなければ危なかった。
「当主様は一門を軽んじるお前を、貴族として不適格と判断された。お前はすでに貴族ではないし、ウィケッド公爵の一門に何ら関係のない、ただのウィリアムだ」
父が判断した? 違う、そんなはずはない。エリザベートだ。父のはずがないのだ。
「どこへでも行け。しかし、次に無礼を働いたときは容赦せぬ」
「父上、それでは」
叔父は従兄弟の発言を手で制する。そして、兵士たちにウィリアムの拘束を解かせる。
自由の身になっても、ウィリアムは動くことができなかった。
自分は父を支え、公爵になって、殿下の治世を助ける。昨夜そう決まったのだ。こんなことは間違っている。エリザベートの非道を正すという正義をなしたのに、どうして未来を閉ざされなければならない。
「父に会わせろ、会って話せば!」
「言っただろう。ウィケッド公爵の一門は、お前と関係がない。つまりは、父などいない」
「じゃあ! ウィケッド公爵に会わせろ!」
叔父が呆れたと言わんばかりに頭を振る。そして、口を開こうとした時、従兄弟が通りを差した。
「父上、あの馬車を」
「もうお帰りになられたのか。お前たち、こいつを隠せ」
再び兵士に取り囲まれる。ウィリアムは抵抗するが、口を塞がれ、兵士数人がかりで物陰に押さえ込まれた。
身じろぎしつつ抵抗する視線の先で、よく覚えのある馬車が、ウィケッド公爵家の門を通過しようとしていた。
思わず、ウィリアムは兵士の手に噛み付いた。兵士が痛みで口を塞いでいた手を離す。他の兵士が慌ててウィリアムの口を塞ごうとするが……。
「えぇりぃざぁぁべぇぇぇぇえとぉぉ!!」
ウィリアムの咆哮が、物陰から爆発する。騎士二人も兵士たちも、皆が静止するなかで、エリザベート専用の馬車だけが門を通過していく。
そのまま何もなく、通り過ぎていこうかという時、馬車が停車した。
ウィリアムがもう一度叫ぼうとするが、兵士たちがよりきつく押さえ込み、顔も地面に叩きつける。
四肢を押さえられても、なんとか立ち上がろうと足掻く。
「虫の鳴き声がするかと思えば、おもしろいことになっているわ」
抵抗していると、聞き慣れたエリザベートの声が耳に届く。
「エリザベート、きさまぁ」
ウィリアムの呼び捨てに、エリザベートがわずかに目を細めた。
「何をしているのです。平民がお姉様を呼び捨てにするなど許されません。身の程をわからせなさい」
エリザベートの背後から一人の少女が姿を見せる。
「ヴィッ!」
ヴィルマと、妹の名を呼ぼうとする前に顔を殴られる。それだけに留まらず、四方から足が振り抜かれた。
ウィリアムは体を丸め、少しでも小さくなって痛みに耐える。
どういうことかわからない。自分たち兄妹はエリザベートを姉と口に出して呼ぶことはなかった。身分が違うと母に教えられてきたからだ。それを、ヴィルマはエリザベートをお姉様と呼び、兄を兵士たちに暴行させる。たった一晩で何が起こったのかわからない。
「もういいわよ。少し話もしたいの」
兵士たちの攻撃が止んでから、ウィリアムが顔を上げる。エリザベートの前にヴィルマが盾のように立ち、自分を睨んでいる。
妹がたった一晩で変わってしまったと痛感した。
エリザベートが、まだ背の低いヴィルマの頭を撫でる。揃いの髪飾りと父譲りの瞳によって、二人が同腹の姉妹に見えた。
「私の妹はかわいいでしょう?」
笑顔であるが、目が笑っていない。ウィリアムの全てを奪う。そう言っているようであった。
罵倒しようとするが、それより先にエリザベートが口を開いた。
「私はね、虫を飼っていたのよ」
虫? ウィリアムの記憶が刺激される。痛みに邪魔をされながらも徐々にはっきりと思い出してくる。
「良く鳴いて、楽しませてくれたわ。懐いていると思っていたの。だけど、私が餌をあげていた訳じゃないから、餌をくれる人に懐いてしまった」
そうだ、まだラディスラウムの側近になる前、姉からかごに入った鳴き虫を誕生日にもらったのだ。あの虫はどうしたのだったか。
「だからかしら? 私に噛み付いて、どこかに逃げていったのよ」
そう、逃したのだ。キレイな声で鳴いていたけれど、狭いかごに入っているのがかわいそうになったから。
「新しく、さっき買って来たわ。今度の子は、前のと違ってかわいい声で鳴いてくれる」
逃した後、どうなったのかも知っている。あの虫は…………。
「この子はちゃんと私が餌をあげて、逃げないように、可愛がっていくつもり」
逃した次の日に、庭の隅で、蜘蛛の巣にかかって死んでいたのだ。
ヴィルマも騎士も兵士たちも、エリザベートが何を言いたいのかわからず、困惑している。
エリザベートはそんな彼らに微笑みかける。そして、ヴィルマの手を引いて馬車へ歩き出した。
ウィリアムは、背を向けたエリザベートへ手を伸ばそうとする。
だが、涙でにじむ視界の隅から、黒い物が迫ってきていた。それはまるで、蜘蛛のようであった。
どうして姉エリザベートを裏切ったのか。
今ではわかる。羨ましかったのだ。
全て決まっているのが、公爵になれないのが、決められているのが窮屈だった。
どうして自分が窮屈だと思った?
ウルストラを見ていたからだ。決められている生き方から外れ、ラディスラウムと心を通わせていく。
そんな彼女を見ていたから。自分が窮屈だと感じたのだ。
虫かごの外では生きられない。
それを知っていたのに、かごから出てしまった。
叔父と従兄弟に片足ずつ持たれて、引きずられていく。閉じかかった視界の先に虫かごが見えているが、どんどん遠くなってしまっている。
「戻してくれ」
か細い声は、誰にも聞こえることなく、ただ体を引きずられていった。
戯曲などで悪女エリザベートが演じられる際に必ず登場するウィリアム・ウィケッドが、どういう人物であったのかは実のところよくわかっていない。当時のいくつかの日記に突如現れ、それ以後は記されていないからだ。
日記には、ラディスラウムの婚約破棄に関わり、ウィケッド公爵になったと書かれている。しかし、その出自は不明で、ウィケッド公爵はこの時期に代替わりしていないことがわかっている。ウィケッド家伝来の系譜にその名は記されておらず、王国の紋章院にも手がかりが残っていない。そのために、風説の類が架空のウィリアム・ウィケッドなる人物を生み出したと考える者もいる。
しかし、複数の日記が同様の記述をしていることから、当時のウィケッド公爵の隠し子、もしくは系譜にも載らない傍流の人物であるが、実在はしていたというのが有力だ。隠し子、傍流のどちらであっても、悪女エリザベート・ウィケッドによって闇に葬られたというのが共通見解である。
ただ、ある宿場町の食堂で『もったいない公爵』と『国王と騎士』という逸話が語り継がれている。前者は食堂で余り物を食べるウィリアム・ウィケッド公爵、後者は王宮で騎士ウィリアム・ウィケッドが国王に忠誠を誓う、という話だ。どちらも信憑性は無いとされているが、食堂の主人は王宮の料理人であった先祖がその目で見たことと語っている。