片腕
どうして姉エリザベートを裏切ったのか。
肩を落とし、憔悴した父を支えて玉座の間から去ろうとする姉を眺めながら、そんなことを考えていた。
公爵になりたいかと問われれば、もちろんと答えるだろう。でも、家族を裏切ってまでなりたいとは思っていなかったから、理由とはなりえない。
自分の母は下級貴族出身である。そのために、自分は長男でありながら公爵にはなれない。子爵家に婿養子となることが決まっていて、婚約者もいる。姉がラディスラウムと結婚するくらいには、側近を離れて子爵家に入る。子供が生まれ、その子供がある程度の年齢になる頃には王となったラディスラウムの側近としてまた働くこととなる。そういうことになっていたのだ。
婚約者は愛しているが、全てを決められていることに言いたいことはあった。
姉に尽くし、ラディスラウムの側近として目覚ましい働きをすれば、もしかしたら何か変わるかもしれないとも思っていた。しかし、その働きは、主であるラディスラウム殿下だけが知っていれば良いと顧みられることはなかった。だが、今回はその殿下から表に立つことを求められたのだ。
父と姉の姿が見えなくなると、不意に背後から話しかけられて、振り返る。
「ウィリアム殿、非道を働く姉を正す勇気に感服いたしましたぞ」
「まことその通り。ウィリアム殿がいれば、ウィケッド公爵家も安泰ですな」
「不肖ながら私が手助けさせていただきます。何も心配はいりませぬぞ」
そこで、初めて自分の周囲に人が集まっていることに気がついた。
どの人物も顔を合わせたことがあるウィケッド派閥の貴族だ。貴族たちが口々に自分を褒め称え、思わず相好がゆるんでしまう。今までは生まれから、姉の後ろに立つばかりで、このように注目されることはなかったのだ。家族を裏切ってしまったという後ろめたさは瞬く間に霧散する。
一人ひとりに感謝を述べていると、ラディスラウムがやって来る。集まっていた貴族たちがラディスラウムのために道を開ける。
「ウィリアム、よくやってくれた。お前が集めてくれた証拠のお陰で、正義がなされたのだ」
「殿下……もったいないお言葉です」
「これからもわたしの片腕として、存分に働いてほしい」
ラディスラウムの周囲からざわめきがあがる。反応からするとウルストラの親族であろう。さっきまでウィリアムに話しかけてきた貴族たちは嬉しそうにしている。
「もちろんです。私は殿下の臣なのですから」
ラディスラウムがウィリアムの答えに満足気にうなずく。その傍らに寄り添うウルストラが笑顔で拍手をしてくれた。
「素晴らしいです。ウィリアム様は正に王国貴族の鑑ではないでしょうか」
「ああ、そうだなウルストラ。父上、ウィリアムがウィケッド公爵となるのに問題はありますまい。継承権は低いものですが、王国への忠義は他の者より抜きん出ているでしょう」
「うむ。ラディスラウムにこれだけ尽くすのだ、次期公爵はウィリアムこそ相応しかろう」
ラディスラウムの父、国王アルブレヒトの言葉に周囲のざわめきはさらに高まった。王国一の公爵位をウィリアムが継承することを王が認めた。公式の場でなくとも、貴族たちが集まった場所での国王の発言はもはや決定事項となる。
公爵になることはできない。幼いときから言い聞かせられていたことが、あっさりと覆った。それを理解したとき、ウィリアムは喜びよりも涙がこぼれそうになった。そのため、泣きそうになっていることを貴族たちに悟られないように国王アルブレヒトに対してひざまずき、頭を垂れる。
「陛下、ありがとうございます」
「ただし、そなたは国の一翼を担うにはまだ若い。今は精進を重ね、ウィケッド公爵としての足場を固めるのだ。その地位に相応しいだけの力を示した時、すぐにそなたを公爵とすることを約束しよう」
「感謝に堪えません。必ずや臣がウィケッド家を立て直し、王国を、国王陛下を支えることを誓います」
国王アルブレヒトは大きくうなずく。そして、大きく両腕を広げて宣言する。
「皆の者、今宵は非法が退けられ、王国の将来に希望の光がさした。神は、我が子ラディスラウムとその伴侶となるウルストラ、そして忠実なるウィリアムに祝福をなさるだろう。また、ラディスラウムとウルストラの婚約の儀は、後日正式に行うものとするが、この決定が覆ることはないことも伝えておく」
玉座の間に歓声が響き渡る。皆が王国の未来を担うことになる若者たちの登場に賛辞を送ってくれる。
ラディスラウムがウルストラを抱き寄せ、口づけを交わすと、その祝福は広い玉座の間を震わせんとばかりに響き渡った。
ウィリアムも二人の未来が輝かしいことを祝福する。そして、周囲を見渡して、自分の婚約者を探した。彼女は、姉とともに登城していたからこの場にいるはずだ。自分が国王に認められたことを、彼女は必ず喜んでくれる。ラディスラウムの幸せな姿を見て、自分もそんな彼女を抱きしめたいと思ったからだ。
しかし、どれだけ見渡しても見つけることはできなかった。集まってくる人をかき分けて探しても、どこにもいない。
開け放たれている扉から、続々と人がやってきているため、見つけることができないのだろう。
ウィリアムは見つけられなかったことを残念に思いながら、そう納得した。
また自分も表舞台に出たとはいえ、今夜の主役はラディスラウムとウルストラであるべきだと思い直す。そして、二人を祝うためにまた人をかき分けて進むのだった。
ウィリアムは、ラディスラウムの離宮内に与えられている部屋で目を覚ました。
昨夜、王によって玉座の間から解散となった後、ウィリアムとラディスラウム、そして年齢の近い若い貴族たちでラディスラウムの離宮に集まって酒宴をしていたのだ。特にウィリアムは、ラディスラウムとともに大いに深酒をしてしまった。
ズキズキと痛む頭を押さえつつ、窓の外を見ると太陽は高いところまで昇っている。
寝すぎてしまったことを反省しつつ、身支度を整えていく。本来なら自分付きの従者を呼んで手伝わせるのだが、離宮に泊めるわけにはいかず、離宮に留まるときは帰らせている。
ひどい頭痛の上に気分が悪い。しかしそれも、昨夜の晴れがましいことが思い出されていくうちに気にならなくなっていく。
今日は、昨夜会えなかった婚約者に会いに行こうと心に決めた。婚約者の父親とも会って、彼女を公爵夫人にすることを伝えなければならない。その後はウィケッド家に戻って、姉をどうするか早いうちに決定するべきだ。そして、そのことはちゃんと父と話し合って決めなくては。
ビンゲン家襲撃の主犯カールを捕まえれば、エリザベートは罰せられる。だが、優しい父ならそれを今度こそ回避しようとするかもしれない。いや、きっとそうする。そうなれば、ウィケッド家の面目が立たない。父も納得させつつ、処罰したことを示す方法を考えなければ。
思い出されるのは、支えられないと歩くこともできなかった父の姿だ。父がそうなったのは姉のせいではあるが、姉に知られないために相談もせず行動を起こしたのは自分だ。そのことを謝罪し、許してもらって次期公爵として父から色々と学んでいかなければならない。それに、母や妹ヴィルマとも話しておきたかった。
身支度を整え終わり、部屋を出て食堂に向かう。太陽の位置からして朝食は食べ損ねてしまったであろうが、何かしら食べる物はあるだろうと考えてのことだ。
食堂では、料理人たちが遅い朝食を兼ねた休憩をしていた。次期公爵に余り物を出すことを恐縮していたが、気にすることはないと無理を言って出してもらう。ただ、自分は公爵になるのだから余り物を漁るような真似を今後してはならないとも自戒する。
流石に貴族と食卓は一緒にできないと料理人たちは調理場に移動し、ウィリアムは食堂で一人食事を始めた。一人なのは、父とどう話そうか考えるにはちょうど良かった。
父に謝罪するのは勿論であるが、どう切り出したものかと考えつつ、黙々と食事を続けた。
「ここにいたのか」
もう食べ終わろうというとき、食堂の入り口にラディスラウムが姿を見せる。
「殿下! 私をお探しでしたか、申し訳ありません」
「良い、わたしもさきほど起きたばかりだ。それにしても飲みすぎてしまった。おかげで気分が悪い。ウィルもあれだけ飲んだというのに、よく食べられるな」
ラディスラウムは周囲に人がいないときは、ウィリアムを愛称で呼ぶ。ウィリアムはウィル、ウルストラはウルスラ。ウルストラと親しくなる前のエリザベートはエルサと呼んでいた。そして、ラディスラウムはラースローとエリザベートに呼ばれ、今はウルストラだけがそう呼ぶことができる。
「私も起きたときは気分が悪かったですよ。しかし、昨夜のことを思い出すと、そんなことは吹き飛んでしまいました」
「なるほど。そう言われると、気分が良くなってきたぞ」
嬉しそうに笑うラディスラウム。ウィリアムもつられて笑顔になるが、ラディスラウムが自分を探していた理由を聞かなければならない。
「それで、どうして私をお探しになられていたのですか?」
「ああ、王宮に参内するから供をせよ。父上と典儀官、それとエイチンク伯を交えて婚約の儀について話し合わねばならんのだ」
「典儀官はともかく、エイチンク伯爵もですか」
典儀官は王国の儀式一切を取り仕切る役職だからわかる。しかし、エイチンク伯爵は対帝国を主張する主戦派の一角だ。どうして彼の名前が出てくるのかわからない。
「そのことなのだがな。昨夜解散となってから、お前たちを準備のために先に離宮へ戻らせたろう。父上と婚約の儀について少し話していたのだが、そこに伯がやってきて進言してくれたのだ」
ラディスラウムがそこで言葉を切る。そして、一瞬視線を泳がせたのをウィリアムは見逃さなかった。ラディスラウムが引け目を感じているときのクセだ。ウィリアムは、ラディスラウムの幼少からそばにいた姉から聞いて心得ている。
「ウルストラのビンゲン家は男爵位、それでは流石に王太子妃には家格も教育も不十分だという輩がいる。そこで、ビンゲン男爵家はエイチンク伯爵家の流れを組むから、伯爵家にウルストラを養女として迎え入れて相応しい教育を施す、と」
ビンゲン家がエイチンクの一族ということにウィリアムは驚きを隠せなかった。ウィケッド家は主戦派の貴族とは仲が悪い。政策のことごとくを反対しあっているのは、貴族でなくても平民すら知っていることだ。そして、仲が悪いだけならともかく、自分は帝国との戦争に反対なのだ。だから、戦争に賛成する派閥が王太子妃、さきには王妃に影響を与える存在となるのは問題としか思えない。
ウルストラの実家が、主戦派の一族だと調べきれなかったのは痛恨の失敗に思えた。
もしかして姉は知っていたのだろうか。だから殿下の傍から排除しようとした? それとも自分が知らなかっただけで、殿下は帝国と事を構えようという意思があったのか?
ウィリアムの脳裏に様々な考えが浮かぶ。
そんなウィリアムの様子に気がついたラディスラウムが、その肩を力強く叩く。
「心配するな。どの貴族家が出てこようが、私の片腕はウィルしかいない。それに、私もウルスラも帝国との戦争を望んではいない。だから、一日も早く公爵となって、妃の後援となるエイチンクらを抑えてくれよ。お前ならできると信じている。なに、それまでは父上をわたしが説得していれば良いのだ」
「殿下……」
ウィリアムは、ラディスラウムが戦争を望んでいないこと、自分がウィケッド家を掌握して主戦派を抑えることができるという信頼がうれしかった。自然と片膝をつき、握りこぶしを己が胸にあてる。
「改めてラディスラウム殿下に忠誠と献身を誓うことをお許し下さい」
「許す。並ぶ者なき我が臣ウィリアムよ」
その言葉に、ウィリアムは深く頭を下げた。父への謝罪しようという考えなど、全てが吹き飛んでしまった。あれは家族への裏切りではない。だから詫びる必要などない、と。王国貴族としてあるべきことをしたのだ。昨夜のように賞賛はされても、後ろめたく思うことはなかった。自分は正しいのだから、父には堂々としていればいい。
「さあ、父上をお待たせする訳にはいかない。行くぞ、ウィル」
「はい、殿下!」
英邁なる王子が忠義あふれる側近を率いて、食堂を後にする。
密かに覗いていた料理人と下女たちは、王国の未来は安泰だと話し合った。そして将来は、公爵に余り物を食べさせた話とともに、公爵による王への忠誠の誓いを自分の子供に聞かせてやろうと思ったのだった。