離愁
ただじっと、ラディスラウムが見つめてくる。
直接対面して、ラディスラウムの心が読めないのは久しぶりだ。
「どこまでやった……ですか」
「ああ。ここに幽閉されて、考えていたんだ。君が何をしたのかを」
「では、答え合わせとまいりましょう。嘘偽りなく、答えさせていただきます」
エリザベートも立ち上がり、鉄扉を挟んでラディスラウムと向かい合う。
「ビンゲン家への襲撃。ヘレーネを使ったな? 彼女は君の侍女の中で、一番忠実だった。何をしても、決して裏切らない人物だ」
「はい、わたくしがヘレーネにやらせました。正解です。私が出るわけにはいきませんので、ヘレーネに指示をした。でも、失敗したのは予想外でしたよ」
「もしものため、ビンゲン家周辺に騎士を配していた。しかし、ヘレーネではなく、直接指示していたらウルストラは亡き者にされていただろうな」
自分がウルストラを襲わせた張本人だと告げれば、てっきりラディスラウムは怒ると思っていた。
しかし、ラディスラウムは激高せず、むしろ平静な様子だ。
エリザベートはうなずき、続きを促す。
「婚約破棄の翌日、ウィケッド派は一斉に動き出した。私も、父上も予想だにしていなかった。大派閥だ、動きがあるにしても日数がかかると考えていたんだ。その間に、ウィルを介して沈静化させる。だが、そうはならなかった」
「それが、何か関係があります?」
「ウィケッド公を、父親を焚き付けたな。あれほど打ちひしがれていたのに、行動が素早すぎる。しかも、邪魔になるウィルも排除した」
「ええ、正解です。わたくしが父を誘導しましたわ。ウィリアムも、お父様を蹴落として公爵位を奪いにくるとお話ししたら……」
ラディスラウムが固く目をつむり、天井を見上げる。
「ウィルに、公爵を蹴落とそうなんてつもりはなかった」
「そうですか。そのウィリアムも今は行方不明です。腕の治療のため、教会に置いていたのですが、逃亡して行方不明になりました。一体、どこにいるのやら」
探させてはいるが、もはやウィリアムには何も思うところがない。身分と家族を奪い、拠り所をなくし、腕も生涯消えない傷となって、神罰を受けたものとして生きなくてはならない。報復はしっかり果たさせてもらった。
ラディスラウムが目を開き、再びエリザベートと視線が合う。
「次だ。ドワルド夫人と会っていた。ドワルド侯の反乱、夫人を介して手引をしたろう」
その通りだが、それでは正解をあげられない。エリザベートはただ少し笑みを浮かべ、小さく首を横に振った。
「違う? いや、あの時、侯爵の様子もおかしかった。まさか……父上の侍従か? あいつと夫人を使って父上に毒を盛った」
「その通りです。よくたどり着きましたね。ああ、そう言えば、あの侍従は側近にされてから、情報漏洩で閑職にまわされたのでしたか」
「ではドワルド侯に反乱の意図はなかった……」
「噂を流し、さらには夫人経由で動かそうとしましたが、なかなか強情でした。日和見とはよく言ったものです」
「なかったんだな?」
念を押すように睨みつけてくるラディスラウム。それに対して、正解とばかりにうなずいた。
「父上の王冠と王笏か」
「そしてアルブレヒト様も、です。森に置いてきましたので、酷いご様子だったと聞きました」
鉄扉から衝撃音が響く。音からして、足ではなく拳だろう。
「どうなさいます? お辛いのでしたら、もう終わりにしますか?」
「いや、次で最後だ。叔父上を抱き込み、神判に細工をした。壺には水でも入れて、聖水を冷ますことで焼かれなかったな」
「これは簡単に分かりますか。そう、司教を味方につけ、こちらに有利になるようにしました」
「どうやって叔父上を? あの方が、簡単に動くはずがない」
エリザベートは、顎に指を添え、首を傾げる。
「それは父がやったことです。私も驚きましたが、マクシミリアン陛下の実の父親が、マーロム司教なのですよ」
「そんな……まさか……」
まあ、驚くし、簡単には信じられないですよね。しかし、これは限られた人だけが知る真実。
「スフォルツァ家への援助を約束し、わざわざ来て頂いたらしいです。あの役立たずのカールへの尋問でも協力してくれました。お陰でうまく王宮に噂を流せたのですから。でもご心配なく、アルブレヒト様の死には関わっておりませんので」
「では、最初から? しかし叔父上は……」
「ええ、こちらの味方をしつつ、最後までラディスラウム様を救おうとされていました。私をラディスラウム様の正妻にし、ウルストラを側室に、というのも父と司教が考えられたことです。もしそうなっていたら、私との結婚を祝福して、王冠はラディスラウム様のところに落とされたでしょう」
「私は、叔父上の忠告を無視し続けた。それでも、叔父上は、こんな私を……。それに……いらないことなどと……」
ラディスラウムは、悔いるように、その瞳から涙を流した。
ラディスラウムが何を悔いているのか、エリザベートにはわからない。大方、神判のことだろうとは思うが、落ち着くまで待つことにする。
自分も、父が婚約破棄前に状態を戻そうとしていたのには驚いた。結局は王家を交代させることに舵を切ったけれど、決定的な齟齬が出てくる前に考えがわかって良かった。その切っ掛けを作ったのがヘレーネの死であったのだから、笑えはしないが。
ヘレーネの死後に、父と話し合って色々と方針を決めたのだ。父も、自分がここまで動いているとは思ってもいなかったらしく驚いていた。
「――――た?」
考えごとに集中していて聞こえなかった。聞き直そうとしたが、その前に鉄扉へ両手が叩きつけられる。
「どうして、どうしてここまでのことをした!? 狙うのなら、私だけを狙えばよかったではないか! 父やドワルドの一族、関係のない者たちまで、多くが死んでしまった。生きている者も、これから苦しみを抱えていく。そんなことをするよりも、私を殺せば早かった! そうすれば……こんな……」
お互い、苦しい思いをせずに済んだ。不意のことでヘレーネを失い、制御することのできない反乱も起こさせ、運を天に任せるようなこともした。そう、もっと簡単に済ますことだって出来た。でもそれでは駄目なのだ。
「私がどうして今回の騒動を起こしたのか。それはですね……」
ぐっと鉄扉の窓に顔を近づける。窓付近に叩きつけられた両手の間から、涙を流すラディスラウムが見える。泣きながら睨んでくるラディスラウムに、飛び切りの笑顔を向ける。
「貴方が私を、悪女と呼んだから」
そう、わたくしは悪女なのだ。簡単に終わらせてしまったら、それは悪女ではない。
「悪……女……?」
「ええ。貴方が言ったのですよ。だから、悪女になって差し上げました。だから……貴方から国を、奪った」
「そんな……そんな、ことで……。たった、それだけで……」
ラディスラウムからしたら信じたくはないだろう。自分のたった一言で、父が死に、国を奪われた。
「ウルストラとウィリアムには報復をした。でも貴方には、貴方の言う通りにしたのですよ」
「な、ぜ……それが、私への報復、だからか?」
エリザベートは首を振る。そして、指先で自らの耳を軽く叩く。
それを受けて、ラディスラウムが恐々と耳を鉄扉の窓に寄せる。エリザベートが口を近づけ、囁いた。
「いいえ、報復ではありません。貴方を愛しているから」
弾かれたように顔を向けてくるラディスラウム。
「だから、貴方の望む通りにした。ちゃんと話していれば、貴方の望みを言ってくれさえすれば……ただ、それだけで良かったのです」
ラディスラウムに背を向けて歩き出す。聞こえてくる慟哭にも、振り返らない。
「さようなら、ラースロー様」
今は誰も見ていない。だからエリザベートも、涙を止めることはしなかった。
「司教、休憩になさいませんか?」
「これは王太后様。おお、ヴィルマ様も。マクシミリアン様、せっかくですので休憩にしましょう」
嬉しそうに笑って、マクシミリアンがヴィルマのもとに向かう。ヴィルマも嬉しそうだった。
「マクシミリアンの教育は如何です?」
「真面目な子です。ちゃんと、役割をこなせる人物になるでしょう。私が教えられることも、もうそんなに多くはありません。そうしたら……」
「……やはり、お帰りになるのですか」
王太后が顔を沈ませる。マーロムにしても、そんな顔をされるとつらかった。しかし、もう決めたことだ。
「……帰るんじゃない。位階をあげるために、行ってくるだけ。やらねばならないことのため、どうしても大司教にはなっておきたい。それが……贖罪になると信じている」
「では、またここに?」
「ああ、帰ってくるよ。そしたらもう、どこにも行かない」
王太后は、顔をほころばせてうなずく。マーロムも、優しい笑みを浮かべた。
「母上、司教! お茶が冷めてしまいますよ」
「陛下、今そちらに行きますよ。さあ、王太后様。我々も参りましょう」
マーロムがすっと、エスコートのために手を差し出す。
「そうですわね、司教」
王太后がマーロムの手を取る。
それだけで、二人は満足だった。多くを望みはしない。どんな形であれ、一緒にいられるのであれば。
「奥様、お手紙が届きました」
「どなたからなの? 姉さんとエリザベート様は出立したばかりだし、心あたりがないわね」
マルガレーテが、侍女から手紙を受け取る。封の形式からして貴族ではない。そうなると平民からの手紙になるけれど、心当たりはなかった。
「商人が届けにきたのです。処分なさいますか?」
「いいえ。見るだけはしておきましょう」
簡素な封を解き、手紙を広げる。たった数行の、短い文章。
マルガレーテはさっと目を通し、手紙を元通りにする。
「どなたからでした?」
「ウルストラよ。『ごめんなさい、どうかお幸せに』だって……」
「旦那様にですか。そんな短い言葉のためだけに、手紙なんて」
侍女が呆れるが、マルガレーテは苦笑している。
「まあ、いいじゃない。おそらく……どうしてもこれだけは言いたかったのよ。それを許さないほど、切羽詰まってもないし」
余裕の笑みを浮かべ、膨らんできたお腹を撫でる。そして、戻した手紙を侍女に手渡す。
「手紙は旦那様の隠し箱に入れておきなさい」
「よろしいので? きっと驚かれますが……」
「屋敷の中で、妻に物を隠せると思っているのが間違いよ。昔の思い出の品を捨てられない気持ちもわかるけれど、教訓は与えないとね」
すぐにはウルストラの手紙には気づかないだろう。でも、そのうちに気づく。そしてどんな反応をするかと、マルガレーテは楽しみにできる。
侍女は黙って了承し、踵を返した。
「ああ、それと……紙とインクを持ってきて頂戴」
「お手紙を?」
「違うわ。知らなかったのだけど、昔の同僚が劇の台本を書いていたらしいのよ。刺繍にも飽きたし、真似をしてみようと思ったの。台本じゃなくて、物語だけれどね」
この座は譲りはしない。でも、紙の中のお話だけなら、あったかもしれない幸せを分けてやろう。それを夫に見せるかどうかは、まだ決めていない。
マルガレーテは鼻歌を歌いながら、どんな話にするか考え始めた。
馬車での旅なんて退屈なものだ。馬車から眺める目新しい景色なんて、いつまでも見ていられない。さらには同乗者が不機嫌なら尚更だ。
「ヨハンナ。いい加減にしてくれないかしら? 怒っても連れて行くのだから、諦めなさい」
「帝国に行くのはまだ良いのです。私は、両親とマリーに怒っているのですよ」
「男爵夫妻もお元気よねぇ。それに、マリーも嬉しそうだったわ」
「本当なら、マリーと義弟も帝国に行くはずだったのに、妊娠したですって? あの子、絶対に逃げたんですよ!」
さすがにそれにはエリザベートも異論が有るが、発散させたほうが良さそうなので黙っておく。帝国行きを嫌がって妊娠を計画するなんてできるはずがないのだ。
「それに、です。この年になって、実の弟か妹ができるなんて、信じられますか!?」
「怒ることないでしょうに。レオポルトは喜んでいたわよ?」
エリザベートが外にいるレオポルトを指差す。
「兄さんは単純なんだから! 自分も結婚を逃したくせに。母さんもマリーも、私への当てつけに違いない」
さっきと言っていることが違っているが、放っておくことにする。いつものヨハンナらしくなくて、これはこれで面白い。退屈な馬車の旅の、いい暇つぶしにできるかもしれない。
「帝国で、伯爵でもつかまえて鼻を明かしてやれば?」
「ええ、そうしてやりますとも!」
まだ収まりがつかない様子であったけれど、とりあえず今のところは落ち着いたようだ。
「さあ、帝国では何が待っているかしらね」
「別にエリザベート様が返礼使として、帝国に行かなくても良かったのでは? いくらウィケッドと帝国の関係が深いといっても……」
「大叔父様でも良かったのだけど、お父様に頼んだの。戴冠の儀に来ていた帝国からの使者に、おもしろいことを聞いたから」
「おもしろいこと?」
マクシミリアンの戴冠には、当然周辺国からお祝いの使者が遣わされてきた。その中でも、エリザベートは帝国の使者に対応し、様々な話を聞きだしている。王国の主戦派が実権を握るかもしれなかったのに、教会からの掣肘があるとは言え帝国が動かなかったわけ。
「第一皇子がね、実弟である第五皇子の恋人を奪ったらしいのよ」
「……事実なんですか? そんな話を聞いたことがありませんが……」
「正式な婚約者でもなかったみたいだし、あくまで噂よ。でも、第一王子が実弟と疎遠になっている。もしかしたら、後継者争いになっているのかも」
「では、それを確かめに行くというのですね」
エリザベートが首を振ると、ヨハンナが不思議そうな顔をする。
「第一王子が実弟に言ったことが真実かどうかを知りたいの」
「なんと言ったのですか?」
「『帝国に仇なす奸賊め』よ」
エリザベートの伴侶がどういう生まれであったのかは諸説ある。しかし、伴侶との仲は良好だったそうだ。事実、名前しか伝わっていない彼との間には幾人もの子供が産まれている。その中の一人が、ヴィルマとマクシミリアンの娘と結婚。王婿でありながら、実質の王として王国を統治することになる。そしてエリザベートは、息子、孫の代までその政治を左右し続けた。
そして、エリザベート・ウィケッドの死後、二百年ほど経った頃に、一冊の本が出版された。本の題名は『悪女エリザベート』。著者は、ラディスラウムとウルストラの子孫と自称している。彼が持っていたという先祖から伝わるという手記には、エリザベートがラディスラウムを失脚させる過程が、事細かく書かれていたらしい。それを元にして書かれたのが『悪女エリザベート』である。エリザベートはラディスラウムを追いやり、妹と共謀して王国を奪い取った悪女、ラディスラウムとウルストラは悪女によって引き裂かれた悲劇の恋人として描かれている。
史実では、幽閉されたラディスラウムは、修道院で生涯を終えた。しかし、『悪女エリザベート』では、ウィリアムが身代わりになって救出する場面があり、ラディスラウムはその後に同じく幽閉されていたウルストラを救出し、悪女の手を逃れて添い遂げるのだ。
当時は国王への不満が各地で噴出しており、さらには印刷が普及してきたことから『悪女エリザベート』は大量に広まっていく。そうして瞬く間に民衆から事実だと信じられた。そのため、エリザベートを悪女として、様々な話が創作されていく。また、貴族たちも先祖の話だと伝承や創作話を吹聴してまわり、どれが本当かもわからなくなっていった。
今でこそ王国の一部となっているけれども、かつてあった帝国を分裂させるなど、様々な外交手腕を発揮したエリザベート。だが、その長い手もさすがに遠い未来には届かなかった。
近年の研究により、悪女とはいえない一面にも脚光を浴びるようになったが、エリザベートはなお国を奪い取った悪女として名を残している。
拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。お楽しみいただけましたでしょうか?
ご感想、ご評価をいただければ、励みになります。
最終話が奇しくも、短編『貴方が私を悪女と呼ぶのなら』を投稿して、ちょうど二ヶ月となります。
ようやく終わらせることが出来たというのが心情です。
予想外に皆様からのご評価をいただき、短編から連作へと変わり、そして長編へと形を変えていきました。これだけ右往左往した作品も他にそうないのではないかと恥じ入るばかりです。
また筆者の未熟な表現などで、わかりにくい点が多々あったと思います。ご指摘いただいた物もありますが、見逃してもらったところもまたあるでしょう。そういう点で、色々と修行になった作品であります。
次は、短い歴史物を考えています。また他にも更新の停止をしている物も書かないといけません。
拙作をお見かけになったら、またお読みくだされば幸いです。
そして、時間のあるときにでも、本作へのご感想などを頂ければ、作者としてこれに勝る喜びはありません。
最後になりますが、もう一度、本作へご感想・ご評価を下さった皆様へ御礼を申し上げます。
ありがとうございました。




